6.鋼鉄の娼館と人形師の工房
ホテルに帰還した佐藤は、美優を連れて正面ロビーを堂々と歩く。誰もが美優に視線を送るが、それだけだ。手錠を掛けられた少女に対し、抗議や批判の声を上げない。この高級ホテルは従業員も警備員も獅子堂の関係者であり、大金を支払えない一般客の宿泊は断っている。つまり、ホテルそのものが獅子堂玲雄の根城となっているのだ。玲雄の性癖を知る者は、美優に対して興味と好奇、そして同情と憐憫の視線を送っていた。
佐藤と美優は無言のままエレベーターに乗り、最上階に昇る。ホテルに到着した時に連絡が行き渡っていたのだろう、サングラスを掛けた黒服の一人がスイートルームへ通じる扉を開ける。
「……失礼します。アルファゼロ、帰還しました」
「ああ、ご苦労」
柔らかい高級絨毯を踏み締めながら美優を伴って入室すると、気だるげに心ない労いの言葉を掛ける玲雄。シャワーを浴びていたのだろう、バスローブ姿で濡れた髪をタオルで拭いていた。
ちらりとキングサイズのベッドを見れば、全裸の少女がぐったりと横たわっていた。最後に見た時よりも明らかに生傷や痣が増えており、特に首を両手で締め付けたような痕が目を引く。かすかに胸が上下しているのを見て、息があることに佐藤は安堵した。
「……そいつが妹の作品か」
美優を見るや、玲雄の双眸に危険な光が宿った。大股で近付き、整った顎を掴み上げて強引に視線を合わせる。美優は怯えも震えもせず、無表情で玲雄の目を見つめ返した。
「なるほど、綺麗な顔をしている。これほどの美貌は生きた人間でもそうは居ないだろう」
誉め言葉に無言で返す美優。何の反応も示さないことが気に障ったのか、玲雄は手の甲で彼女の横っ面を張った。本気で殴ったのだろう、不意打ちとはいえガイノイドである美優が倒れるほどだ。
「お~~痛ぇ~~……つい、いつもの癖で殴ったもんだから、ガイノイドであるのを忘れてたわ」
殴った手をプラプラと大袈裟に振りながら、玲雄はサディスティックな笑みを浮かべた。
一方で美優は静かに立ち上がり、軽く頭を振って顔に掛かった髪をどけると、乱れた身だしなみを整える。そして機械仕掛けの緑眼を玲雄に向けた。怒りも恐怖も一切感じられない、その冷たい無機質な眼差しはまさに人形だ。
玲雄は笑みを消した。
「……リアクションがないのはつまらんなぁ。おい、こいつは最初からこんな感じだったのか?」
「いえ、少なくてもあの探偵の傍に居た時は、見た目相応の少女のような反応が窺えました」
両手を後ろに組んだ直立姿勢で、佐藤ははっきりと応える。
「ふーん、既に調教済みだったか。それはそれで構わないがな、遊び甲斐がある。ああ、手錠の鍵をよこせ。それともう下がって良いぞ」
鍵を受け取ると、しっしっ、と野良犬を払うかのような仕草で佐藤を追い払おうとする玲雄。普段ならすぐに退出するのだが、珍しくその場に居残っていた。
「その前に、若旦那。三つほど質問をよろしいでしょうか?」
「……何だ?」
あからさまに面倒臭そうな顔をする玲雄。
「一つ目は、任務遂行中、探偵が〈ドッペルゲンガー〉と称していたオートマタと遭遇しました。これについてご説明頂きたい」
「あー、あれは保険だ。お前がしくじった時のためのな。実際、〈ヒトガタ〉の頭を回収してなかっただろ?」
「……二つ目、私が抹殺対象に設定されていたのは?」
「万一のための口封じだよ。当然だろ?」
やはり、保険とは玲雄の保身のためだけにあったのだ。佐藤の表情がわずかに曇る。
「だが〈ドッペルゲンガー〉と闘って、まさか破壊するとは思わなかったなぁ。中々面白いものを見させてもらった」
愉しそうに笑って、テーブルの上に置いてあったモバイル型端末を顎でしゃくる。
どうやら〈ドッペルゲンガー〉の視界とリアルタイムで繋がっていたようだ。当然、クロガネとの共闘も筒抜けだろう。その辺りに処罰的なものがあるのか気になるところだが、玲雄の方から何も言ってこない限り藪蛇は御免である。
「……最後に三つ目です。あちらの少女は如何いたしましょう?」
視線をベッドの上の少女に向ける。
「ああ、もう飽きちゃったから適当に捨てていいよ。お下がりで良いなら、お前にくれてやってもいい」
「……かしこまりました。片付けておきます」
あまりにも軽薄、あまりにも雑な扱いを受けた少女に思わず今の自分を重ね合わせてしまい、同情を禁じ得ない。佐藤は毛布で彼女の裸体を包んで丁重に抱き上げる。失神しているようだが、命に別状はないようだ。
「それでは、失礼します」
一礼し、少女を連れて佐藤はスイートルームから退出した。
佐藤と少女の姿が扉の向こうに消えると、玲雄は美優の手錠を外した。
「さてと、二人きりになったところで早速命令だ。着ているものを全て脱げ」
「…………」
あまりにも直球な命令に対し、美優は無言で返す。
「聞こえなかったのか? 服を脱げ、と言ったんだ」
何も応えず、ただ黙って玲雄の顔を見る。
「……俺の命令は受け付けないってか?」
ガイノイドの分際で、と思い通りに動かないことに腹を立てた玲雄は、テーブルの上に置いてあった果物ナイフを手に取る。ルームサービスでフルーツの盛り合わせと共にあったそのナイフは、わずかに血で濡れていた。先程まで弄んでいた少女に使ったのだろう。
「何なら、脱がしてやろうか?」
近付きながらナイフの切っ先を向けると、美優は表情を変えぬままゆっくりとした動作で服を脱ぎ始めた。
「ふーん」
急に素直に応じた美優を見て、玲雄は考える仕草をする。
そして脱ぎ捨てた服を拾い上げると、
「……何を?」
美優が戸惑うような反応を初めて見せた。
「なるほどね。自分の身体よりも服を切り裂かれるのが嫌で従ったのか」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、美優のワンピースをひらひらとさせる。
「返してください」
半裸の美優が手を伸ばすも、服を遠ざけられて空を切る。
「その反応からして、あの探偵に買ってもらったお気に入りとか?」
半分はハッタリだったが美優の顔が強張った。図星だ。
玲雄は愉快そうに、ますます笑みを深くする。
「こんな安物より良いものを買ってあげよう。これはもう要らないよなぁ」
ワンピースにナイフの刃をあてがおうとする。
「やめてッ!」
美優が平手打ちを放つ。だがその平手は、玲雄の頬の数センチ手前で止まった。
「無駄だ」
ワンピースを捨てて突き出した腕を払い、美優の細い首を掴む。
「――『ロボットは、人間に危害を加えてはならない』」
そのままベッドに押し倒し、馬乗りになった玲雄は美優の眼を覗き込むかのように顔を近付けた。
「知ってるだろ? アイザック・アシモフが提唱した『ロボット三原則』の第一条だ。大昔のSF作家が考えたアイデアが、現実のロボット工学にも影響を与えているなんてスゲェよなぁ」
美優は玲雄を振り払おうとする。だがその思考とは裏腹に、腕が動かないどころか全身の人工筋肉もサーボモーターも沈黙している。本来なら美優の身体は成人男性の五倍ほどの出力を引き出せる筈なのだ。
「無駄だ。ここまで密着している人間を排除しようとすれば、自動的にリミッターが作動する。サイボーグ基本法で義務付けられた、全ての自律型AIを搭載した機械人形に備わった安全装置だ。例え自衛目的だろうと俺を傷付けることなど不可能だよ」
ブラジャーの中心に刃を入れ、軽く捻り上げる。ぷつんと千切れる音と共に、美優の白い乳房が外気に晒された。
「……肌の質感は人間に酷似しているが、隠れている部分はまさに人形みたいな造形だな」
やや小ぶりだが形の良い美乳の頂点に、つんとした肌色の突起がわずかに浮いている。人間に備わっている筈の乳首も乳輪も一切ない、美優が人外の存在であると示すものだ。
「だが感触は……ぉお、生身のものと遜色ない」
「……っ」
玲雄の手が乱暴に乳房を鷲掴み、堪能するように揉みしだく。触覚がないとはいえ、美優は不快に感じてわずかに顔を歪ませた。それがまた玲雄の嗜虐心を刺激する。
「さぁて、下の方はどうかな?」
馬乗りになっていた体勢をずらし、美優の腹に膝と体重を乗せて動きを封じつつ、ショーツの両端をナイフで断ち切る。露わになった局部には――何もなかった。
「疑似性器なし、セックスドロイドとは違う仕様かぁ。少し残念だな」
美優の下腹部をさすりながら、玲雄は邪悪な笑みを浮かべる。
「ここに、妹のモノがあるのだから犯してやりたかったのに」
「ッ!!?」
美優は頭をハンマーで殴られたような衝撃を覚える。
「何故それを? と言いたげな顔だな。良いぞ、もっと色んな顔を見せてくれ」
再び馬乗りになり、左手で美優の首を絞める。抵抗しようにも、玲雄の手を掴み返すことすら出来ない。玲雄は悠々と右手のナイフを逆手に持ち替えた。
「妹は俺の所有物だ。妹の作品であるお前も俺の物だ。だから、お前の腹に何が入っているのか、知らない筈がないだろう?」
ナイフの刀身に不吉な光が反射し、恐怖と焦燥感に駆られた美優は身をよじろうとする。
「無駄だ。助けを呼ぼうにもこの部屋は完全防音で、ネット回線は予め切断してある。お得意のハッキングも使えない」
玲雄は大きくナイフを振り被り――
「生身の女を抱くのにも少し飽きてきたところにお前が現れたんだ。精々俺を愉しませてくれよ、なぁッ!」
――勢いよく、振り下ろした。
「――――ぁ」
随分と長い時間眠っていた気がする。見慣れた白い天井と、わずかに鼻をつく消毒液の匂いが衛生的な空間であると五感が知らせ、自身が病院のベッドの上で寝ていると自覚するまで五秒かかった。病室は電灯が点いているが、カーテンの隙間から覗く窓の向こうは暗い。夜のようだ。
身を起こそうとすると胸に鈍い痛みが走り、再びベッドに身を沈めた。右腕に繋がれたチューブを通じて点滴パックが揺れる。掛けられていた毛布が剥がれたことで、上半身は裸で包帯が幾重にも巻かれていることに気付いた。通りで少し肌寒いと感じたわけだ。
深呼吸を繰り返して痛みを意識的に和らげながら周囲を見回すと、広い病室に自分一人だけ。個室のようだ。手元のナースコールのボタンを押すと、そう時間を置かずガラッと扉を慌ただしく開けて海堂真奈が現れた。
「目が覚めたのッ!?」
「病院内で走るな。それとお前も怪我してんだから、無理すんな」
杖を片手に息を切らせた真奈に、クロガネは呆れた様子でそう指摘した。
「足の具合は?」
「軽い捻挫よ。思った以上に大したことなかったわ。当分は杖を使わざるを得ないけど、走らないで安静にしていればすぐに治るって」
だったら走るな、ちゃんと医者の言うことを聞け。……いや、真奈も医者だった。
「それは良かった。で、俺が撃たれてからどれくらい経った?」
「だいたい三時間くらい。もう日を跨いでしまったわ。……その間に何があったか聞く?」
「頼む」
頷いた真奈は杖を壁に立てかけ、ベッドの傍にあったパイプ椅子に座る。
「……鉄哉が撃たれた後、美優ちゃんが私と清水刑事を見逃す代わりに投降したの。そのおかげで私たちは殺されずに済んだわ。そして佐藤と美優ちゃんが去った後にようやく通信が回復して警察と救急車を呼んだら、すぐに大量のパトカーが駆け付けた。――ああ、その前に鉄哉に応急手当をしたけどね」
白衣のポケットからボロボロのジッポライターを取り出してクロガネに手渡す。
受け取ったライターの中心には、銃弾が一発めり込んでいた。
「懐に忍ばせていたライターが受け止めていたの。続けて二発目はライターに掠って軌道が逸れて、運良く心臓に直撃していたわ」
これがその二発目、と弾頭が潰れた銃弾を手渡す。それを摘まみ上げながら、クロガネは溜息をついた。
「普通なら死んでるな」
「同じ台詞を清水刑事も言ってたよ。すごく驚いていたけど無理もないわね。貴方の心臓が特注品でなかったら確実に死んでいたのだから。もしも、肺や他の臓器に当たっていたら完全にアウトよ」
クロガネこと黒沢鉄哉は全身の二割が機械化されたデミ・サイボーグである。
機械に置き換わっている箇所は二つ。
左腕全体が対サイボーグ戦用にカスタマイズされた義手。
そして、文字通り生命維持装置も兼ねた疑似心臓だ。これは外殻が異常に硬く、大口径のライフル弾ですら貫通はおろか傷一つ付かない特注品である。拳銃弾程度では完全に歯が立たない。
「とはいえ、至近距離で二発も撃たれた衝撃で疑似心臓が一時機能不全を起こして失神、肋骨も三本折れてるわよ」
「むしろ、それだけで済んで良かったよ」
確実に死に至らしめるために二発撃ち込むのはプロの基本だ。頭を狙わなかったのは佐藤なりの情けか、それとも偶然か。
「その心臓は特別なものだから、他の医者に診られないよう私が勤めている西区の病院に移送したわ。VIP待遇なのはそのためよ」
通りでナースコールを押したら他の医師や看護師ではなく、真奈が来たわけだ。
「その気配りはありがたいが、この病室、絶対高いだろ……」
「ヤブ医者を通じて不特定多数のマッドサイエンティストに延々と切り刻まれたいの?」
「……そっちの方が、もっと面倒か」
安全確保のための必要経費だと納得する他ない。
またも余計な出費がかさみ、気が滅入る。
「清水さんは?」
「現場に残って他の捜査員たちと仕事をしているわ。置き去りにされた佐藤の部下たちの護送や〈ドッペルゲンガー〉の残骸の処理とか色々あるでしょうしね」
「適当に引き継がせて安静にしていれば良いだろうに」
清水も本来ならば絶対安静の筈だ。
「引き継ぎに手間取っているんでしょ。私たちはともかく、美優ちゃんのことは大っぴらに出来ないから事情を説明するのも大変――」
――ガラァッ!
「無事か、黒沢ぁ!」噂をすれば当の清水が現れた。
「病院内ではお静かにっ」
真奈がしーっと口元に人差し指を立てる。だがお前が言うな。
「あ、すいません。それより、目を覚ましたんだな」
「お陰様で」
安心したような笑みを浮かべる清水に、頭を下げるクロガネ。
「事情はだいたい海堂から聞いた。清水さんにも迷惑を掛けて申し訳ない」
「今回ばかりは異例尽くめだ、気にするな」
この辺りが清水の人柄の良さだろう。
「もう持ち場を離れて良いのか?」
「ああ、上には当事者である二人の聴取に行くって話を通してきたから大丈夫だ」
清水もまた当事者であるため、事情聴取がスムーズに進むと判断されたのだろう。捜査に当たる刑事は原則二人一組が基本なのだが、随分と話の解る上司だ。単に人手不足なだけかもしれないが。
「寝てろよ」
「一仕事終えたらな」
己の仕事を全うするか。身内以前に、警察官らしい警察官で頼もしい。この辺りが組織内でも一匹狼を許容している理由なのかもしれない。
「まぁ正直言って、病院のベッドで始末書やら報告書を書くよりかはこっちの方が良いし」
前言撤回。書類仕事が嫌でクロガネ達の元にやって来ただけだったらしい。
「随分と命知らずな現実逃避だな」
「俺もそう思うが、乗りかかった船だ。女の子に助けれてそのままじゃ寝覚めが悪い」
「……確かにそうだ」
クロガネはおもむろに右腕の点滴針をむしり取る勢いで引き抜く。
「ちょっ」慌てて制止しようとした真奈を無視してベッドから降り、近くにあったクローゼットから(多分あるとアタリをつけていた)自分の服を取って着替え始める。左袖の肘から先が破れて義手が剥き出しになるのは仕方ないと諦めた。
「どうするの?」
「美優に会いに行く」
真奈の問い掛けに一言で返す。
「正気か?」
清水も予想外だったのか目を剥いていた。
「美優ちゃんは私たちを助けた後、悪者と振る舞ってまで獅子堂に逆らうなと警告したのよ。今度は確実に死ぬわ」
「ああ、そうかもな。だから二人はもう来なくていい、ここから先は俺一人でやる」
着替え終わり、クローゼットの扉を閉めて二人に背を向けたまま冷淡に突き放した。
「ヒーロー気取りか? お前は無敵のハリウッドスターでも何でもないんだぞ!」
「女の子に助けられたままでは寝覚めが悪い、さっきそう言ってたじゃないか」
「確かに言ったが、俺がしたいのはお前たちの保護に努めることだ。それが美優ちゃんの望みなら、俺はそれを叶えたい」
だから警察官としてクロガネと真奈を守ると清水は言った。それが美優の覚悟に報いることだと。
「だけど、まだ俺は美優から受けた依頼を達成していない」
「相手が悪過ぎるだろ! これは一個人の探偵がこなす依頼なんてレベルじゃないんだ! お前たちがこの件から手を退くなり、獅子堂から……鋼和市から離れれば済む話だろうが!」
「あ……」
清水の必死な説得に、真奈は声を上げる。思わず清水も真奈の方を見た。その顔は青ざめ、全身の震えを抑えるように腕を抱いている。
「どうした、海堂女史?」
「駄目……それだけは、出来ない」
「え?」
俯き、震える声音で真奈は真実を告げた。
「鉄哉は、鋼和市から出ることが出来ないの。一歩でも出たら、本当に死んでしまう」
驚愕した清水はクロガネに顔を向ける。振り返ったクロガネは自身の胸を――疑似心臓を指差した。
「この心臓は獅子堂重工製の試作品だ。バイタルサインと動力源は獅子堂に完全管理されている。有効範囲は鋼和市全域まで。ここまで言えば解るか?」
清水は沈黙した。今更ながら、鋼和市は現行最先端技術を有する実験都市であることを思い出す。新技術の運用試験は鋼和市内で行われ、市外に流出するのを防ぐために高度な『安全装置』が施されているのだ。
クロガネの命そのものである疑似心臓も例外ではなく、鋼和市を一歩でも外に出た瞬間にその役割を停止し、クロガネを死に至らしめるのは目に見えている。
「だったら尚更お前を行かせるわけにはいかねぇ。ここで獅子堂に盾突いたら、その心臓を停めさせられるかもしれないだろ」
「疑似心臓を管理しているのはバカ息子ではなくてご当主の方だ、僅かばかりの猶予はある。停められる前に事を済ませれば問題ない」
「……死ぬ気なのか?」
「いや? 全然。報酬を貰う前に死ねるかよ」
まさかの問いに対するクロガネらしい即答に、思わず脱力する清水。
「だけど、美優ちゃんを助けに行くんでしょ?」
「会いに行くんだ」
真奈の言葉を訂正する。
「会って、依頼は継続するのかキャンセルするのかを訊く。キャンセルなら、仕方ないと納得してキャンセル料を貰って帰るさ」
「……依頼の継続だったら?」
「決まってる」
クロガネは凄みのある微笑を浮かべた。それは大胆不敵なものとは異なり、今にも噴火を起こしそうな活火山の如く。
「阻むものは何者だろうと薙ぎ払って連れ帰る、それだけだ」
凄まじい怒りを秘めたものだった。
病院を出ると、冷たい風が頬を撫でた。少しばかり昂っていた頭を冷やすには丁度いい。
時刻は午前一時を少し回った頃。外はまだ深い夜の中だ。
「……それで? どうするの?」
周囲に人影が居ないことを確かめてから、真奈が今後の方針を訊ねてきた。
結局、真奈も清水もついてきた。美優の忠告があったのにも拘わらず、何だかんだでお人好しな二人である。天下の獅子堂を敵に回しかねない以上、一般的な『お人好し』の限度を超越しているような気もするが。
「美優ちゃんが今どこに居るのか解らないのでしょう? アテはあるの?」
「第一候補としては獅子堂の屋敷だが、獅子堂玲雄の性格上、父親である当主が居る屋敷に美優を連れ込むとは考えにくい」
「いや、当主は今海外出張中で不在だって美優ちゃんが言ってたよ」
「美優が? 本当に?」片眉を跳ね上げるクロガネ。
「獅子堂に関連する情報は手に入らないんじゃなかったのでは?」
「同じことを訊いたら、何でもお前さんの事務所に連れてった協力者から聞いたんだと」
〈ドッペルゲンガー〉と闘っていた間のことを話す清水。
クロガネは顎に手を添えて思考する。当主が不在ならば、玲雄は屋敷に女を連れ込むことも可能だろう。だが腐っても権力者の息子だ。スキャンダルなどで父親と家名に泥を塗るような真似は極力避けるだろうし、はたして屋敷に美優は居るのだろうか? 流石に依頼人の手前でしなかったが、こんなことならば真奈のように発信機を仕込んでおけばよかったと後悔する。
「……獅子堂玲雄は美優が妹の作品だと知っていた。回収と称して屋敷に連れ戻したとも考えられるか?」
「手掛かりが少ないからなんとも。せめて、件の協力者の連絡先が解れば――」
「「それだッ!」」
「ぅおッ! どうしたいきなり?」
清水の何気ない一言に、クロガネと真奈は揃って声を上げる。
「詳しい話は後で。車はあるか?」
「あ、ああ。仕事用で良ければな」
清水が運転してきた(大破したものとは別の)覆面パトカーに乗り込み、クロガネはガラケーに登録していたある番号を入力する。二回ほど呼出音の後、相手が出た。
『――もしもし』
男とも女とも取れる中性的で若い声だ。この人物こそ、ホームステイの名目で鋼和市にやってきた(自称)女子高生である安藤美優の保護者(偽)という設定を了承してくれた美優の協力者である。保護者設定ゆえに、一応念のためと連絡先を交換していたのを清水の一言で思い出した。
「クロガネ探偵事務所の黒沢だ」
『――ああ、どうも。娘(偽)がお世話になって――』
「安藤美優が獅子堂玲雄の部下に攫われた」
敬語も前置きも無視して単刀直入にクロガネが話すと、
『――うん、知ってる』
落ち着いた声音で予想外の返事が返ってきた。聞き耳を立てていた真奈と清水が顔を見合わせる。
『――そろそろ連絡をくれる頃合いだと思ってたよ。彼女の居場所を知りたいのだろう?』
真奈と清水は電話の向こう側に居る美優の協力者に得体の知れない不気味さを覚えた。何故こうも冷静に、こちらの意図を読んで話してくるのだろうか。
「話が早くて助かる。美優は今どこに――」
『――その前に一つ質問だ』
クロガネの言葉を遮り、協力者はおもむろにそう言った。
『――僕は誰でしょう?』
知るかボケェッ! と怒鳴りそうになるのを必死に堪える清水。こんな非常時に何を言っているんだこいつは? と真奈も似たような心境である。
そんな中、クロガネは呆れたような溜息をついた。
「……相変わらず人を食ったような態度だな、〈デルタゼロ/ドールメーカー〉」
『――そちらも相変わらず冗談が通じないね、ア――いや、今はクロガネだったか』
「え? お知り合い?」と言わんばかりな二人の視線を感じながら、話を進める。
「時間が惜しい。質問には答えたんだから教えろ」
『――それでは、僕のアトリエにご足労ください。そこで君が欲しいものを揃えてお待ちしていよう』
一方的にそう告げて、通話は断ち切られた。
「あンの野郎……」
恨みがましくガラケーを睨みつけるクロガネに、やや躊躇がちに清水は訊ねる。
「な、なぁ、今デルタゼロって。もしかして協力者ってのは……」
「もしかしなくても、佐藤と同じゼロナンバーだよ」
事もなげに応えると、清水は絶叫した。
「大丈夫なのかよそれ!?」
「味方ではないが敵でもない、といったところだ。というか、獅子堂が造った美優の協力者だぞ。今更じゃないか」
言われてみれば確かに、と納得する清水。
「今更ついでにゼロナンバーってのは何なんだ?」
「一言で言うと、超優秀な獅子堂家専属の護衛だ。全員が何かしら人間離れした技能を持っている奇人変人達人魔人狂人の集まりだよ」
堅気の人間が絶対に関わっちゃいけない類の連中だ、とクロガネは真顔で語った。
「まったく、美優ちゃんの正体とかゼロナンバーとか、初めて知るもののオンパレードだな。しかも全部獅子堂絡みとか……」
「驚き疲れたか?」
「まぁな。でもこれから何を聞いても驚かないぞ、差し当たって黒沢」
「何だ?」
「獅子堂のゼロナンバーと知り合いであるお前は、一体何者だ? 探偵する前は何やってたんだ?」
清水の鋭い眼差しをクロガネは受け止める。
「そうだな、知ればきっとまた驚くし、後悔するぞ」
「それこそ今更だ。お前と出会った時から、こちとら後悔しっぱなしだからな」
憎まれ口を叩く一方で、清水の顔は充実したものを感じさせた。思わず視線を逸らす。
「……照れる」
「間違っても褒めてねぇよッ!?」
「それで鉄哉、そのデルタゼロのアトリエとやらはどこにあるの? 早く行こうよ」
真奈が割り込んだ。意図的にクロガネへの追及を妨げたとも取れるが、時間が惜しいのは事実のため清水も口を閉じる。
「ある意味、俺と清水さんには思い入れのある場所だな」
「俺と?」首を傾げる清水。
「目的地は北東区の風俗店、『アイアンテイル』だ」
鋼和市は中枢部である中央区を中心に大きく分けて四つの区画に分かれている。
市の経済の要である東のビジネス区。
新技術の研究と開発に力を入れる西の研究区。
あえて時代に逆行し、懐かしさを抱かせるような観光地である南のレトロ区。
競争に敗れた者たちが寄せ集まったばかりに、少しばかり治安が悪い北のスラム区。
ことビジネスの東区とスラムの北区はその性格が全くの正反対なため、さぞかし隣接する住民同士は仲が悪いかと思いきや、現実は意外にもそうではなかった。
何故なら、相反する二区の境目に北東区と呼ばれる区画が開発され、風俗店が数多く建ち並ぶ【楽園】があるからだ。
ビジネス区の会社役員が、取引先や重鎮を接待する場所として北東区はよく利用され、スラム区の腕に覚えがある実力者たちが用心棒として北東区に雇われる。
東区の人間が稼いだ金が北東区の人間に流れ、北東区の人間は北区の人間を雇って安全を買い、北区の人間はその報酬で北東区の女たち或いは男たちに貢いでいるのだ。相互の利害が一致した関係は良好であり、経済も滞りなく回っている。時折金銭や女性を巡るトラブルが起こることはあるが、その程度はどこにでもある許容範囲内に収まっていた。
「なんか、懐かしいな……」
自動運転で走る車の助手席の窓から、煌びやかで時々悪趣味な光を放つネオンを眺めていたクロガネがそう呟くと、
「それってどういう意味?」
すぐ後ろに座っていた真奈がいち早く反応し、前のめりにドスの効いた低い声で訊ねてくる。控えめに言って怖い。
「ここで――厳密にはこれから行く店で、清水さんと初めて会ったんだ」
「それはお客さんとして?」
まるで不倫の事実を問い詰める女房の如く眼が据わっている。行き先を告げた辺りから、何故か真奈が不機嫌だ。
「いんや、お互い仕事でだ。『アイアンテイル』はセックスドロイドを専門に扱っている店で有名でな。従業員のほぼ全員がアンドロイドかガイノイドであることを逆手に取って、麻薬取引をしていた連中がいたんだよ」
運転席の清水が助け舟を出したのを機に、クロガネも当時の詳細を語った。
「探偵として駆け出しだった俺の初仕事でな。セックスドロイドの腹の中に麻薬らしき物を隠している連中がいるから調べてくれって、その店のオーナーから依頼を受けたんだ」
個体差にもよるが、人間と違って胃や腸などの消化器系がないセックスドロイドの体内には何もない空間があるのだ。そこに目を付けた麻薬の売人たちは利用客の個人情報を自発的に明かさない機械人形を隠れ蓑にし、その腹部に麻薬を隠してビジネスを行っていたのである。来店客というマーケットの新規開拓も兼ねている辺り、よく考え付いたものだと思わず感心してしまったほどだ。
「それで?」と先を促す真奈。
「当初は店内で迷って取引現場に偶然居合わせた……風な演技をしつつ、多機能眼鏡で録画して証拠を押さえたら『すいません、部屋間違えました』って離脱する寸法だった」
「適当過ぎない? 何その大雑把な作戦?」
「うん、その後の展開はお約束だったというか」
「口封じに鉄哉を殺しに掛かってきたから、正当防衛で全員返り討ちの半殺しにしたと」
「せめて病院送りと言えよ、人聞きの悪い」
「同じだ同じ」と清水のツッコミが入る。
「それで一通り片付いた後、派手にやり過ぎたのか警察が来てな。事情を説明して後は任せようと思ってたら、いきなり清水さんが俺を逮捕してきて焦った」
「いや、普通するから。暴行容疑の現行犯逮捕だから」と真奈。
「取調室のかつ丼を期待していたら、留置場で自腹とか言われるし」
「ドラマと現実を一緒にするな」と清水。
「そのあと実況見分で現場に戻ったら、爽やかな笑顔を浮かべたオーナーからの器物破損による損害賠償請求で報酬はゼロどころかマイナスっておかしくないか?」
「「どこもおかしくない」」
二人の真面目なツッコミに、
「がっでむ」
クロガネは眼を閉じて車の天井を仰いだ。
「着いた。ここだ」
「……今更だけど、工房じゃなかったの?」
目的地に到着し、初見の真奈が『アイアンテイル』に抱いた感想は『とにかく派手』の一言に尽きた。
大きな平屋建てにセックスドロイド専門店だからこそのシンボルなのだろう、ポップなデザインで機械の翼と尻尾を生やしたロボット版サキュバスを描いたネオンがピンク色の光を放っている。漫画のような吹き出しには『鉄のように冷たい私のボディとハートを温めて♥』とやたら煽情的な台詞が英語で書かれてあった。
窓のない壁一面には利用客の相手をする従業員の紹介写真が貼られていた。妙齢の女性から、「人間だったら明らかに犯罪ですよね?」と言われんばかりな年端もいかない幼女型まで多種多様な美女美少女のバストアップ写真だ。
そして【プレイ内容一覧】とでかでかと書かれたメニュー表には、
『一般コース/六〇分 二万円(延長三〇分ごとに+五千円)』
『コスプレコース/六〇分 三万円(延長三〇分ごとに+五千円)』
『SMコース/六〇分 五万円(延長三〇分ごとに+五千円)』
……などと、各プレイ内容の料金が表示されていた。
以上、明らかに如何わしい『その手の店』であることを嫌でも窺わせた。
クロガネの前では下着姿を見せたり割と大胆なアプローチをしている真奈だったが、ソッチ方面の耐性がないのか顔を赤くして俯き、時折チラッ、チラッと店の方に好奇な視線を送っている。
その一方で、
「セックスドロイドは安いと言ってもSMコースはやっぱり高いな。人間の女を雇ってる他の店はもっと高いんだろうが」
「本物のドMは多額の金を溶かすことにも快感を覚える変態だと聞いたことがある」
「俺には一生理解できない領域だな」
「安心しろ。お前はドMじゃなくてドSだから」
「女子供を嬲る趣味はないぞ。そんな奴は見つけ次第、即刻ぶちのめしてやる」
「そういうところだぞ」
割と平常運転な野郎二人の会話に、真奈はピンク色の思考から現実に帰還した。
「そ、それで! これからどうするの?」
煩悩を振り払うかのように、声を張り上げる真奈。
「予定通り、オーナーに会う」
「オーナーに? まさか、ここのオーナーが」
「デルタゼロだ」
「やっぱりか……」
清水は大仰に肩を竦めた。
「セックスドロイド専門の風俗店、それに〈ドールメーカー〉とか言っていたから、もしかしてと思っていたが」
「察しが良いな」
ゼロナンバーにはアルファベット順の表音コードとは別に、同音イニシャルを用いたコードネームがある。由来は各ゼロナンバーが得意とする武器や技術などに因んだものが多く、その者の特徴や象徴にしているものがある程度察することが出来るのだ。
例えば〈デルタゼロ/ドールメーカー〉ならば、オートマタやアンドロイドなどに精通した者だと誰もが想像できるだろう。もっとも、その精通度がどれほどの領域にまで至っているのかまでは想像できないだろうが。
「ていうか、獅子堂専属の護衛が副職でこんな店開いて良いのかよ?」
「いや、大手企業が幅広い事業を展開しているのと一緒で、『アイアンテイル』は獅子堂重工の傘下なんだよ」
「マジでか……」驚き呆れる清水。
「それにセックスドロイドの存在は、感染症や未成年者の風俗斡旋を防ぐ社会的貢献だと大多数の有識者から称賛されているくらいだ」
「詳しいね(にっこり)」
笑顔でクロガネに称賛を送る真奈。だがその目は笑っていない。
「デルタゼロ本人に聞いたからな」
「へー、一体どんな形で聞いたのやら(にこにこ)」
「……さっきからどうした、何か変だぞ?(困惑)」
「そ、そういや、アルファゼロ……佐藤にもコードネームがあるのか?」
慌てて悪い雰囲気を断ち切ってきた清水のファインプレーに、クロガネも便乗する。
「十中八九〈アサシン〉だろう。大っぴらに口に出来ないがな」
「違いない」
コードネームはゼロナンバーの伝統であり、一部の例外を除けば代々同じ名を踏襲することが多い。特に暗殺技能に特化した者は高確率で〈アルファゼロ/アサシン〉を襲名される傾向が強く、最初にコードネームを考案した人間はよほどの馬鹿か中二病罹患者なのではないかとクロガネは分析していた。どこの世界にコードネームで『自分は暗殺者です』と明示する暗殺者が居るというのだ。
「よし、行くか。清水さんと海堂は車で待機な」
「それは……いや、解った」
すかさず清水が待ったを掛けるも、結局は従った。相手はクロガネの知人とはいえ獅子堂家に仕えるゼロナンバーだ。クロガネに一任した方が無難だと判断したらしい。
「私は一緒に行く」
だが真奈は違った。言うや否や車から降り、杖を片手にクロガネの隣に並ぶ。
「いや、怪我人は大人しく待ってろよ」
「この場にいる全員怪我人よ。ちょっと私もデルタゼロには興味があるわ」
真奈は機械義肢専門の医者だ。〈ドールメーカー〉に興味を抱いたのかもしれない。
「気持ちは解るがな……」
「美優ちゃんの身体を造った人なのでしょう?」
唐突な爆弾発言に絶句するクロガネと清水を尻目に、真奈はガイノイドたちの写真を見やる。
「あれだけ大きい写真だと、ここからでもよく見えるわ。彼女たち皆、綺麗な顔をしているわね。肌の質感、義眼の造り、どれも美優ちゃんのものとそっくり」
顔自体は似ていないが、言われてみれば確かに一つ一つのパーツの造形が酷似している。『プログラムとは芸術作品ようなもので、作り手の個性が表れる』といった旨を美優が話していたが、ハードにも同じ理屈が当て嵌まるのだろうか。
「獅子堂玲雄の妹さんが美優ちゃんを造った。だけど厳密には美優ちゃんの精神を造っただけで、身体は〈ドールメーカー〉が造った。それぞれ役割分担で開発した経緯があったからこそ、〈ドールメーカー〉はゼロナンバーでありながら美優ちゃんの協力者になり得た……って仮説は考えられない?」
仮説も何も大当たりだ。クロガネは〈デルタゼロ/ドールメーカー〉と面識があり、その得意分野も把握していたが、まさか前情報もなしに同じ結論に至るとは思わなかった。
「……本当にお前は機械が絡むと天才だな」
「合ってた? ぃよしッ!」とガッツポーズする天才。
「それで? 奴と会ってどうするんだ?」
本題はそこだ。もしも興味本位だけのつもりなら、真奈には悪いが縛り付けてでも置いていく。そうせざるを得ないくらい、普通の人間が奴と会うだけでも危険だ。
「もしも美優ちゃんの身体が壊れた時の対処法を教えてもらおうと思って。一般のメーカーに修理なんて出せないでしょう」
……なるほど、その発想はなかった。確かにその辺の知識や情報は専門家である真奈が押さえてくれると非常に心強い。首尾よく美優が戻ってきて先々のことを考えれば、ここで奴と真奈を会わせるのは良いタイミングなのかもしれない。だがしかし――
「……海堂はグロ耐性あるか?」
「えっ、何いきなり? 手術とかで割とそういうのには慣れている方だと思うけど」
「あー、それなら大丈夫か? それじゃあ行くぞ」
自信はないが時間もない。真奈の言い分も一理あるため連れて行くことに決めた。
そうと決まれば、
「ちょッ!?」
クロガネは唐突に真奈の手を取り、痛めた右足に負荷を掛けないように注意して寄り添って歩く。
「わわわわわ」
……何やら顔を赤くして喚いているが、歩行はスムーズなので気にしない。
「あ、あああの、て鉄哉? い一体、何を?」
「杖代わりだ。うっかり転んで怪我が酷くなったら、誰が俺や美優の治療をするんだよ?」
「そ、そうよね! 私以外いないものね!」
「その通りだ。あ、やっぱり邪魔だったら普通に一人で――」
「このままでオナシャスッ!」
「お、おう、了解した」
無駄に気合いが入った要求に驚きつつ、しっかりと真奈を支えるクロガネ。
……そして二人はぴったりと寄り添いながら、如何わしい建物の中へと消えて行った。
一連の様子を車から見ていた清水は、
「普段から効率度外視でああいう気遣いが出来ないものかね、あの男は……」
やれやれと大袈裟に溜息をついて煙草を取り出す……寸前で仕事用の車であることを思い出し、替わってガムを口に放り込んだ。
クロガネと真奈が『アイアンテイル』の入口に近付くと、黒服を纏った長身の優男が立ち塞がった。無表情でどこか冷たい印象を抱く。
「『アイアンテイル』へようこそ。失礼ですが、お二人は当店をご利用のお客様でしょうか?」
若い男女二人が寄り添って入ろうとしているのはラブホテルではなく、風俗店なのだ。来店理由の確認は当然といえる。
「オーナーに会わせてくれないか? 『黒沢鉄哉が来た』と言えば伝わる筈だ」
クロガネがそう言うと、優男は突然動きを止めた。瞬きもせずにその場で固まったため真奈は少しぎょっとする。数秒後、優男が再び動き出す。
「疑似人格停止。主導権をオーナーへ移行――やぁ、よく来たね。待ってたよ」
不愛想な仕事人から、愛嬌ある笑顔に馴れ馴れしい言動という突然の豹変ぶりに、真奈はぽかんと口を開けた。数秒前とはもはや別人である。特定のキーワードを耳にした瞬間に発動する催眠暗示でも施されていたのだろうか?
「久しぶりだな。奥で話は出来るか?」
「――モチロンだとも。そちらの女性は……ああ、海堂真奈さんか」
「どうして私の名前を?」
警戒と疑惑の視線をクロガネに向けると、
「――いや、彼は何も話してないよ。以前に遠目から拝見しただけで直に話すのはこれが初めてです。よろしく、ドクター真奈」
(思考を読まれた?)
「いや、お前が解りやすいだけだ」とクロガネ。
「えっと、ハジメマシテ」
真奈は優男=オーナー=デルタゼロ? と握手を交わし、はっとする。
「貴方は――」
「――ご明察。今貴女の目の前にいる男はアンドロイドであり、僕の端末の一つに過ぎません」
「……なるほど、〈ドールメーカー〉……」
「――自己紹介は後ほど改めて。こちらへ」
神妙な顔で納得した真奈に満足そうな笑みを浮かべたアンドロイドは、「どうぞ、付いてきてください」と二人を案内する。
「結構、紳士的な人みたいね」
デルタゼロの人物像を好意的に捉える真奈に対し、
「まぁ、表向きはな」
「?」
クロガネは複雑そうな表情を浮かべていた。
二人は店内の通路を先導するアンドロイドの後ろを付いて行く。
広めに見えた外観の割に、通路は少々狭い。人二人が並んで通れるほどの幅しかない分、各部屋にスペースを回しているのだろうか。
店内の至る所で漂う甘い香りに、真奈は少しうっとりする。
「知らないけど良い香りね。何のアロマかしら?」
「性的興奮を誘発する媚薬の一種だそうだ」
事もなげに明かすと、「ぶふッ」と真奈は噴き出した。慌ててハンカチを取り出して口と鼻を覆った。
「人体には無害の興奮剤を使っているらしい。そこまで大袈裟にならなくても大丈夫だ」
「そういう問題じゃないのよ、馬鹿ッ」
「は?」何故、怒られたのだろう? とクロガネは首を傾げた。
やがて通路を挟んで両側の壁に番号が割り振られた部屋が並んで現れる。まるでホテルかカラオケ店みたいだと真奈は思ったが、ドアの向こう側からかすかに聞こえてくるのは音楽や歌声ではなく、パン、パン、パンと肉感的な何かを連続で打ち付ける音と乱れた女性の喘ぎ声だ。別の部屋の前を通った時は、「こンの、豚野郎ッ!」と勝ち気な女性の罵倒と鞭? のようなものを打ち付ける音と共に、男性の苦痛じみた悲鳴……ではなく、どこか恍惚とした悦ぶ声が聞こえた。
(うわぁ、やっぱりこういうお店なんだ……)
媚薬の影響もあってか、顔を真っ赤にして視線をあちこち落ち着きなく彷徨わせる真奈。
「おい、大丈夫か?」
一方のクロガネは平常運転だ。とても落ち着いたもので真奈を気遣うほどの余裕が見て取れる。
「……なんで鉄哉は平気なのよ? こんなエッチぃお店にいるのに私だけ変な気分になるのは変じゃない? 不公平よ不公平」
「そんなこと言われても」
理不尽な文句と共に睨まれ、クロガネは少し困った顔をする。
平気なのは以前の職場で身に付けたスキルのお陰だろう。仕事柄、己の精神や感情を完全な制御下に置く技術は初歩中の初歩だったからだ。加えて、幼少時代から微量の毒物を摂取し続けていたため体質的にも耐性がある。
それに冷静に考えれば、この店の利用客はセックスドロイドと疑似的な性行為をしているだけである。人形相手に性欲処理をしているわけだから一種の自慰的行為だ。人間である以上は生理的観点から見ても特におかしいものではないと思う……と、一々説明するのが面倒臭いと感じたクロガネはたった一言にまとめる。
「別に普通だろ」
それが裏目に出た。
「(イラッ)それは普通の店でムラムラしてる私の方が変だと暗に言ってるの?」
「暗じゃない、明だ」
あまりにストレートな言い方に、
「(カチン)上等だゴルァッ!」
突然、真奈がキレた。ガバッとクロガネに抱き着き、自慢の巨乳を意識させるように押し当てて大胆に脚を絡ませてくる。
「ちょ、いきなり何をッ!?」
「このまま私のナイスバディにメロメロに溺れて悩殺されるがいいわッ!」
発情してハイになった真奈が、勢いに任せてある意味告白にも等しい宣告を言い放つ。
「な!? 海堂、お前……!?」
さしものクロガネも驚き、戦慄する。半狂乱になった真奈がキスを迫ろうとした寸前で、
「……その台詞はさすがに死語が多すぎて痛すぎやしないか?」
――ピシッ
哀れみを帯びたクロガネの半眼と氷よりも冷たい言葉が刃となり、荒ぶったテンションゲージを一撃でブレイクさせる。
「ちくしょうぉおおおおおおおおおおおおおッ!」
真奈の決死の覚悟は無残にも斬り捨てられ、悲痛な叫びが木霊した。
閑話休題。
『関係者以外立ち入り禁止』のドアを抜け、地下へと続く階段を下りてすぐ目の前に支配人室の扉がある。ようやく目的地だというのに、
「……私は一体何を……」
壁に手を突いてうなだれる真奈。媚薬の効果が切れて我に返った途端にこれである。
先程の爆弾発言や言動に対する恥ずかしさやら情けなさやらで自己嫌悪に陥っていた。
「おい、しっかりしろ。これからが真面目な話だってのに、何落ち込んでんだ」
「うぅ……」
ちらりとアンドロイドに視線を送ると、大仰に手を広げて肩を竦めやがった。半分とまではいかないが、真奈が暴走した原因の何割かは店側にもあるだろうに。
商売柄ピンク基調の内装にムーディーなBGM、ドア越しでも聞こえる『お楽しみ中』のリアルタイム音声、そして媚薬とくれば、その雰囲気にあてられて発情したとしても不思議ではない。むしろ意図的に狙ったものだ。
自宅では下着姿でウロウロしているくせに、色恋沙汰に関しては意外と奥手で実は純情派な真奈をこうまで暴走させるとは。そして正気に戻ってからの落差がひどい。
「仕方がない。清水さんを呼んで外に連れ出して――」
「呼んだか?」
ガラケーを取り出そうとした折に清水が現れる。傍らには黒服を着たガイノイドがいた。
「今呼ぼうとしてたんだ。どうしてここに?」
「オーナーが是非俺にも同席するようこのお姉さんを寄越したんだよ。で、ついてきたらお前らと合流したんだが、海堂女史は一体どうした?」
「この店の雰囲気にあてられたらしい」
「あー、なるほど。無理もないな」
仕事とはいえ一度訪れたこともあってか清水も余裕だ。妻子が居るからこそ歯牙にもかけないのだろう。
「それより、清水さんも同席とはどういうことだ?」
清水を案内したガイノイドに訊ねる。
「――一連の状況を鑑みて、清水刑事にも事の詳細を把握した方が君にも都合が良いと思ってね。それに――」
「――味方は多い方が良いだろう。説明の二度手間もせずに済む」
アンドロイドが台詞の続きを引き継ぐ。
「……おい、黒沢。こいつらは」
「オーナー……デルタゼロの端末だ。早い話が、この店にいる人形全部が奴だと思ってくれていい」
「……マジか」
ここまでの道程を思い出し、来た道を振り返る清水の表情は愕然としている。
――どうやら気付いてしまったようだ。
案内役のアンドロイド/ガイノイドのみならず、利用客と疑似セックスをしている『アイアンテイル』従業員――全てのセックスドロイドは同一人物であることに。
「……なぁ、ここのオーナーは一体どんな奴なんだ?」
「「――会えば解りますよ」」
清水の問いに、アンドロイド/ガイノイドが同時に答えた。『息の合ったタイミング』なんて表現は相応しくない。結局のところ、『一人』が話しているのだから。
「俺としては、海堂を連れて車に戻ってほしいくらいなんだが」
どこか必死に説得するクロガネ。
「……相手は人間なのか?」
「そうだが、狂人の類だ」
ふぅ、と息をついた清水は不敵に笑った。
「なら大丈夫だ。色んな人間見てきた警察官を舐めるな。それに、これ以上驚かないと言っただろ?」
「結局ついて来るのか? やめとけ、まだ引き返せるなら貧乏くじの内には入らん」
「上等だ。絶対に何が来ても驚かないからな、見てろよ貧乏探偵」
絶対に驚くだろうから全財産を賭けようかな、と脳裏に邪な考えが一瞬よぎる。
「警告はしたからな。それで海堂は――」
「私も行く」
目を輝かせて復活していた。
「これほどの数の機械人形を同時にかつ個別に動かせるなんて、なんて興味深い……!」
「……このメカオタが」
ある意味で真奈も狂人ではないかと疑う。
「「――話はまとまったようだね。では、三名様ご案内」」
アンドロイドとガイノイドがそれぞれ両開きの扉を開けて支配人室へ誘う。
初見の二人を連れ行くクロガネには、地獄へ通じる扉に見えた。
支配人室は薄暗く、とても広かった。地下空間を最大限に利用して造られたその部屋は、所狭しと無数の『人形』が並べられていた。
「……あ」
限りなく人間に酷似したアンドロイドやガイノイド。
機械部分が剥き出しの様々なオートマタ。
天井には人間の手足――ではなく、それに限りなく近い形をした義手・義足が吊るされた一角がある。肩や腿などの義肢の断面からは色とりどりのケーブルがはみ出していた。
二重棚には上の列にアンドロイド、下の列にガイノイドの頭部が無数に陳列されてあった。左から順に子供、大人、老人というあらゆる年齢層の頭部が置かれてある。あまりに精巧な造りのため、初見では生首と見間違いかねない。
「……あ、ああ……」
この部屋には人間に近い人型の人形、あるいはその一部分が並び、置かれ、吊るされてあるのだ。薄暗さも手伝って猟奇的な惨劇が起こったかのような、悪夢を具現化したような不気味な部屋である。
もしも、何も知らない人間がこの部屋へ足を踏み入れたとしたら、誰も彼もが恐れ、慄き、発狂してしまうことだろう。もっとも――
「あああれって今度大々的に発表されるって噂のアマダ式EZ-846のパーツ!? まさかここで造られてたの!? あっちは発売されたばかりの新型塗料じゃない!? 肌色の再現率がやたら高くて話題の超人気ブランドの!? 何この宝の山!? てか海!?」
――無駄にハイテンションなメカオタ女がいなければの話であるが。
医者であると同時に機械義肢専門家でもある海堂真奈。
彼女は実に楽しそうな笑顔で、『アイアンテイル』支配人室改め〈デルタゼロ/ドールメーカー〉の工房にあちこち目移りしては一人はしゃいでいた。
「……無用な心配だったかな」
良い意味で裏切られた展開に安堵しつつも、肩透かしを喰らった感が否めないクロガネ。
「いや、正直海堂女史がいなかったら発狂してたわ俺。すげぇな、ここ……」
若干引きつった顔で辺りを見回す清水。
一度落ち着いて観察すれば、詳細が見て取れる。
天井に吊るされた義肢は、肌色に塗装したものを乾燥させるためだろう。その証拠にすぐ下の床に設置した無音性大型ファンが絶えず風を送り出し、同じく無音の空気清浄機がその隣に並べ置かれてはフル稼働で塗料の匂いを吸い取っていた。
冷静に見渡せば、確かにこの部屋は『工房』である。
「すっごい数のパーツと設備ね。これほどの物を揃えるなんてデルタゼロはお金持ちなのかしら?」
「羨ましいことに大金持ちだな。獅子堂の専属だから給料も破格だし、また別の収入ラインがあるから」
「それは?」
「今見て来ただろ? 風俗だよ。アダルトものは合法非合法問わず金になるんだ。奴の造るセックスドロイドは半自律型で見た目も人間にクリソツだから、金さえ払えばAV女優も顔負けな人形をレンタルとか幅広く事業展開している。くそっ」
その安定した収入を妬ましく思う貧乏探偵。
「なるほど。〈ドールメーカー〉、か」
納得した清水がすぐ近くの椅子に座っていたオートマタと目を合わせると、
「――ご明察」
そのオートマタが清水の方に顔を向けて喋り出した。
「ぅおわッ!?」思わず飛び上がるほど驚く清水。
オートマタが立ち上がると、次々とその同胞たちが動き出して工具を手にする。そしてお互いの身体を分解したり新たな部品を組み込んだりしていた。機械仕掛けの人形たちが、自分たちで自分たちの身体を組み立て始めているのだ。あえて人間に例えるなら、お互いに欠損した手足を繋ぎ合わせているようなものだろうか。
「……何コレ怖イ」
驚愕と恐怖を通り越して呆然とし、語彙力が喪失する清水に対し、
「もう驚かないんじゃなかったのか?」クロガネが意地の悪い笑みを浮かべると、
「……うるせぇよ」バツが悪そうに再起動を果たした。
「――この工房では、ある程度全身が組み上がったオートマタ同士で残りの工程を行っているんだ。単純作業はAIに任せた適材適所で」
「――とはいえ、さすがにリアルな外観が重要なアンドロイドやガイノイドは手作業でやっているけどね」
案内役のアンドロイド/ガイノイドが交互に解説する。
見れば、別個体のアンドロイドがガイノイドの顔を手入れをしていた。一見イケメンスタイリストがスーパーモデルにメイクを施しているようにも見えるが、実際は洗浄液を付けた綿棒で美女の眼球(義眼だが)をぐりぐりこすっていた。その絵面は見てて痛い。
「結局はあのアンドロイドもデルタゼロが動かしているわけだから、手作業って表現は少しおかしいだろうに」
「それはまた器用というか何というか。直接本人の手でやれば良いじゃない」
クロガネの補足説明に真奈がもっともな疑問を口にする。
例えるなら、糸で繋がれた操り人形を動かして細かい作業を行っているようなものだ。二度手間どころか無駄に面倒な手法を取っているといえる。
「……その手がないんだよ」
「え?」
クロガネは工房の奥へ向かい、真奈と清水は慌てて付いて行く。その後ろをアンドロイド/ガイノイドが続いた。
「……これから本人と面会するわけなんだが、その、何だ……本当に頼むから、気をしっかり持っておいてくれ」
躊躇いがちにそう警告するクロガネ。彼にしては珍しく歯切れが悪い。これから会う人物――デルタゼロに対して粗相をしないようにという意味合いだと二人は受け取った。
「鉄哉の知り合いなのでしょう? 大丈夫よ。むしろ、機械義肢に関して熱く語り合いたいわ」
「狂じ……ゴホン、人物像に関しては前情報があるからな。この工房にも少しは慣れてきたから問題ないだろう」
二人の頼もしい返答に、
「……解った」
クロガネは覚悟を決めた。
雑然とした公房の最奥は打って変わって殺風景かつ無菌室のように衛生的な空間だった。壁には無数の『ガラス箱』がびっしりと張り巡らされており、間近でその中身を視認した途端、真奈はきつく目を瞑って顔を逸らし、清水はたまらず嘔吐した。すかさず円盤型のお掃除ロボットが現れて這い回り、床を綺麗にする。
言わんこっちゃない、とクロガネは思ったが無理もない。彼らが目にしたのは、人間の脳だった。箱の中で複数のチューブと電極で繋がっており、脈動している。
壁一面に無数の脳が整然と積み重ねられて並べられているという衝撃的な光景を前にして、平然といられる人間はそう居ないだろう。
「……前言撤回だ。こいつは……うぷっ、想定外だ……」
「何なの、これ……」
「デルタゼロ本人だよ。奴は身体を捨てて脳だけをクローン増殖させたんだ」
「何だってそんなことを?」
「――不老不死の実現のためさ」
案内役のアンドロイド/ガイノイドが交互に話す。
「――人形は造られたその瞬間から完成された存在だ。老いもせず、病に侵されず、手入れさえ怠っていなければ永遠にその姿を美しく保ち続ける。それを『器』として人間の脳を移植すれば、それは不老不死として一つの形を成さないかと考えたことはないか? 人類の究極の夢である不老不死、その存在に今最も近い存在がサイボーグだ。そして僕は究極のサイボーグに至る『器』の完成を目指し、日夜研究に励んでいる」
「――だがいかんせん、生身の人間のままでは全然寿命が足りない。だったら老いて朽ち果てる肉体なぞ要らない。僕の精神があれば他は人形で事足りるのだから。肉体を捨て、クローン増殖した脳を繋ぎ合わせて思考を拡大させ、人形たちを手足の代わりに動かして効率を上げ、今も研究に打ち込んでいるというわけさ」
『――改メましテ、自己紹介トいコウ』
今度は脳たちが、ガラスの振動を利用して一斉に発声した。
『――ぼクハ〈でルたzぇロ/ドーるメーkぁー〉、世かぃサいkうのノ人gyぉう師さ』
真奈と清水が絶句し、色を失う一方で、
「さすがにガラス振動は聞き取りにくいから、人形経由で話せ」
平常運転なクロガネの指摘に、アンドロイドとガイノイドの間から顔がのっぺりとした見覚えのあるオートマタが現れる。
「――僕は〈デルタゼロ/ドールメーカー〉、世界最高の人形師さ」
デルタゼロはバツが悪そうに――〈ドッペルゲンガー〉を通して自己紹介をやり直した。
「落ち着け清水さん、ステイ」
懐から拳銃を抜こうとした清水を抑える。
「だってお前これ、〈ドッペルゲンガー〉だろ?」
「そうだけど、さっき破壊した奴とは別の機体だ」
「――ああ、君たちは試作二号機と交戦したのだったな」
「その口振りだとお前があのクソオートマタを造ったんだな?」
「――『クソ』は心外だが、その通りだ」
「ふざけんな! 脳味噌だろうが関係ねぇ! 今すぐしょっ引いてやる!」
「だから落ち着け、ステイ、ハウス」
「テメェもさっきから犬扱いしてんじゃねぇよ!?」
怒りの矛先をクロガネに向ける清水を尻目に、別個体の〈ドッペルゲンガー〉=デルタゼロは肩を竦めた。
「――仕事熱心な刑事さんだ。時にお訊ねしたいが、拳銃を製造する工場は犯罪者かい? ……違うだろう? 拳銃を使って犯罪を起こす者が悪い」
「煽りよる」何とか立ち直った真奈が呟いた。
「詭弁だな、あんたも工場側と同じで罪はないってか?」
「――その通りだ」
クロガネを挟んで睨み合う清水と(睨む顔がない)のっぺらぼう。
「その理屈だと、鉄哉が倒した〈ドッペルゲンガー〉をけしかけた奴が悪いってこと?」
「――その通りだ、ドクター真奈」
真奈の指摘にデルタゼロは頷く。
「――せっかく造った僕の作品に、本来の用途とはまったく無関係の殺人プログラムを書き加えた人間が全部悪い。その犯人の目星はもうついているのだろう、探偵さん?」
クロガネは頷いた。
「……獅子堂玲雄。例の〈ヒトガタ〉三体をけしかけたのも奴の仕業だ」
「――Exactly」
拍手する仕草を見せた後、デルタゼロは溜息をついたような機械音声を出した。
「――女癖が悪くて女子供を嬲って悦ぶ変態坊ちゃんだが、彼はプログラミングの天才だ。僕のスポンサーでもある獅子堂重工が今日の発展にまで及んだのも、三割は彼の功績といってもいい」
称える一方でボロクソに扱う辺り、獅子堂玲雄はデルタゼロにも嫌われているようだ。むしろ彼を好いている者を捜す方が難しい。
「残りの七割は?」と真奈。
「――内訳四割がご当主である光彦殿、三割がご息女の莉緒お嬢様だ。前者は社交力と経営手腕に優れ、後者は兄に負けず劣らずの天才科学者でもある」
「……〈ドッペルゲンガー〉の本来の用途ってのは?」と幾分落ち着いた清水が訊ねる。
「――〈ドッペルゲンガー〉はご当主の要望で造ったオーダーメイドだ。二年ほど前に亡くなられた莉緒お嬢様の生き写しをご所望されてね。表情も可能な限りリアルに再現できるよう、新開発の液体金属による擬態機能を組み込んだ」
「嘘を言うな」クロガネがジト目で指摘する。
「元々は潜入工作用として、様々な人間に擬態できるように開発したんだろ?」
「――元々は、な。この試作一号機がそうだった」と自身を指差すデルタゼロ。
「ご当主のオーダーに合わせて大幅に仕様変更した二号機に一号機の擬態機能を丸ごと移植したんだ、液体金属は希少品で中々手に入らないからね。だというのに、坊ちゃんが悪用してしまったわけだが」
やれやれと首を振るデルタゼロに対し、清水は怒りの形相で睨みつける。
「他人事だな。あんたが造った〈ドッペルゲンガー〉のせいで人が一人死んだんだぞッ」
「――言っただろう? ユーザー側の責任をメーカー側は一切受け付けない。これは一般常識だ。ただ……」
「ただ?」
「――本来の持ち主のために造った僕の作品を悪用する存在は、誰であろうと許さない。だから、僕に可能な範囲で君たちに協力しようと思う」
ようやく本題に進んだとクロガネは安堵に近い溜息をついた。
「では早速、美優の居場所を――」
「――その前に、彼女についていくつか話しておきたいことがある」
質問を遮ったデルタゼロに、クロガネは表情を険しくさせる。
「時間が惜しい。それは今聞かないといけないことか?」
「――その通りだ。勝手ながら君たち三人に簡易的なスキャンをさせて貰った。全員怪我人だね、特にクロガネは酷い。そんな状態で彼女を助けに行くか否かは、僕の話を聞いてから判断してくれないか?」
デルタゼロの言い分には満身創痍の状態での美優の救出は死にに行くものであると指摘する一方で、彼女を救出する必要性について含みを感じさせるものだった。
「……解った。早く話せ」
「――まず最初に確認しておきたいのだけど、ガイノイド以前に彼女の正体については把握しているかな?」
真奈と清水は訝しげに眉をひそめた。一方でクロガネは平然としている。
「――その顔は大体察しがついているね」
「まぁな」
「――では、彼女の正体は?」
クロガネは一度目を閉じて深呼吸を一つ。そして目を開け、はっきりと答えた。
「美優の正体は、もうすぐ日本で稼働する新型〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉だ」
真奈と清水が息を呑む。
「PIDをはじめ最先端セキュリティをいとも簡単に突破するハッキング能力、人間と同様に成長・学習する高性能AI……その二つを兼ね揃えた存在は、高性能自律管理型AI〈サイバーマーメイド〉しか考えられない」
クロガネは一つ一つ確信を以て推理を展開していく。
「その重要性ゆえ、稼働前に不特定多数のテロリストに狙われる可能性がある。〈ナナ〉を護衛するために鋼和市全域に警察の警戒網を敷き、俺の元に預けたのだろう? 市長を仲介させたのは説得力を持たせると同時に俺の拒否権を封じるためだ」
一度言葉を切ると、デルタゼロは「続けて」とジェスチャーで促す。
「本土で〈ナナ〉を迎え入れる準備が整うまでの間、護衛も移動も容易なガイノイドを『器』にしてな。七番目の〈サイバーマーメイド〉、個体名〈日乃本ナナ〉を搭載したガイノイド、それが安藤美優の正体だ」
美優から預かった手紙をポケットから取り出して見せる。炙り出しで浮かんだ『獅子堂莉緒』の名前がくっきりとその存在感を示していた。
「わざわざ俺の元に来たのは、開発者である獅子堂莉緒と縁があったからだ。獅子堂の内情をある程度把握していて、戦闘もこなせる人材は他に居ないからな」
筋が通ったクロガネの推理に真奈が「なるほど」と納得する一方で、清水が呆然としている。獅子堂家の令嬢と関係があったことに驚いたようだ。同時に今まで謎だったクロガネの素性についても、ある程度の想像がついたのかもしれない。
「――素晴らしい。辻褄があった見事な推理です」
デルタゼロは拍手する仕草を見せた後、
「――だが全部間違いだ」
ばっさりと、全てを否定した。
「……何?」
これには真奈と清水だけでなく、クロガネも啞然とする。
「――彼女は『国の重要ポストに着任するための事前研修として、君の探偵事務所にホームステイをしにやって来た』……それが美優=〈サイバーマーメイド〉かもしれないと思い至った一要素なのだろう?」
「……ああ」とクロガネは戸惑いながらも頷く。
「――残念、それは僕が彼女に仕込んだ嘘だ」
「……何だと?」
「――そもそもの前提が偽りなんだ。新型〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉は、本土ですでに稼働している」
「何だってッ!?」
驚愕のあまり清水が叫んだ。無理もない。あと二日ほどで稼働すると聞かされ、その間彼を含む市内の全警察官が今も命懸けで〈ナナ〉の護衛と警戒任務に当たっているのだ。だというのに、実際は無意味なことだと明かされたのだから。
「――偽の警戒網はあくまでテロリストの意識を美優から逸らすためであり、実のところ〈ナナ〉が開発された経緯は美優のサポートが主目的だったりする。他はおまけさ」
「おまけって、世界最先端のAIだぞ? 核に匹敵するような価値ある代物を防犯ブザーのノリで持たせたって言うのか?」
「――護身用にしては些か過剰気味であるのは否定しないがね」
過保護すぎると呆れるクロガネに同意してデルタゼロは肩を竦めた。
「――〈日乃本ナナ〉も美優も獅子堂重工製だ。ある程度は相互リンク機能があるから、あの異常極まりないハッキングも可能だったというわけなんだよ」
「それじゃあ俺は、俺たちは何のために……」
「……待って、それじゃあ美優ちゃんは一体何者なの?」
うなだれる清水を置いて、真奈が疑問の声を上げる。
〈日乃本ナナ〉を含めれば世界に七機しか存在しない〈サイバーマーメイド〉はオーバーテクノロジーの代物である。量子コンピューターと同等以上の性能を有するAIであるため、一部世論での認識は核に並ぶ戦略兵器扱いだ。それを護身用として一部の機能を利用できる安藤美優というガイノイドは何者なのか?
「――彼女は、『人間に限りなく近い特別なガイノイド』だよ」
あっさりと告げたデルタゼロに、三人は首を傾げる。
「何が特別なんだ?」
科学技術が凄まじく発達している昨今において、『人間に近いアンドロイド/ガイノイド』は別段珍しい存在ではない。人間と同様に学習可能なほどAI技術が発達し、人間に酷似した外観も当たり前の世の中だ。そもそも美優本人の依頼も「人間になりたい」といったものである。
「――重要だからもう一度言おうか。彼女は、『人間に限りなく近い特別なガイノイド』だ」
さらにデルタゼロは思わせぶりな一言を追加する。
「――何故、女性型を採用したと思う?」
「女性型?」
つまりはガイノイドだ。よくよく考えてみれば、『人間に限りなく近い』という意味合いでは男性型=アンドロイドでも構わないのである。にもかかわらず、性別にこだわる理由――ガイノイドでなければならない何かが美優にはあるらしい。
「……あ」
真奈が声を上げた。
「まさか……でも、そんなことが……」
青ざめた顔で何か呟いている。しきりに「信じられない……」と口にしている辺り、かなり重要なことに気付いたようだ。
「海堂?」
「どうした、海堂女史?」
「――どうやらドクター真奈は気付いたようだね。さすが専門家なだけある。或いは女性だからこそかな?」
クロガネと清水の心配をよそに、デルタゼロは感心した様子だ。そののっぺりとした金属の仮面に映る真奈が、『答え』を絞り出す。
「……美優ちゃんは、子供を作ることが出来る」
「――正解だ」
――明らかにされた真実に、その場の時間が凍り付いた。
人間の子を産めるガイノイド。
人間と機械の境界線はどこにあり、誰が定めるのか。
この作品の舞台は『いずれ私達の世界で現実になる問題』が現実化した未来の世界です。
サイボーグ然り、アンドロイド然り、近未来のSF作品に触れる度に「SFは実現してしまえばSFではなくなる」という考えを抱きました。
リアルで考えるといつか訪れるその未来は期待でもあり、恐怖でもありますね。
そして一介のSF作家を目指す者としては「ネタ切れになりかねない」という焦りがありますw




