5.機巧探偵と暗殺者(2/2)
「……これは一体、何の冗談ですか、黒沢さん?」
硬い表情で両手を上げる市長がそう訊ねる。
「そうだ、黒沢! 誰に銃を向けてんだ!?」
清水が怒鳴り、手にしていた拳銃をクロガネに向ける。
真奈と、会話の内容から大体の事情を察した佐藤の二人は困惑した表情を浮かべ、クロガネと市長の顔を交互に見た。
「言った通りだ。鋼和市において市民のPIDを閲覧できる立場にあり、警察を動かせるほどの権限を持つ存在。市長しか該当しないだろ?」
「それなら美優ちゃんにだって出来るでしょ? 不正アクセスなんて、清水刑事にもしていたじゃない」
クロガネの推理に真奈が異を唱える。
確かに、美優は一同の目の前で清水のPIDを遠隔操作していた。
「可能です。ただし」
美優が自信に満ちた声音で力強く断言する。
「私なら、ログに痕跡を残しません」
清水は思わずPIDの発信履歴を調べる。
美優が清水のPIDをハッキングして警察の秘匿回線に不正アクセスしたのは、本日の早朝。その時間帯を重点的に確認すると、『清水のPID側から警察署のデータベースにアクセスした記録』は一度だけ。もっとも、これは清水自身がアクセスしたものであり、その後に美優のハッキングでアクセスした記録がどこにもない。
強いて挙げるなら、ネットセキュリティが最新のものに更新された最終日時は記録されていたが、ハッキングを立証する材料にはならないだろう。
真奈の証言によれば黒龍会の一件でクロガネが警察に連行された際、警察署及び捜査員のデータを盗んだらしいが、対サイバーテロ専門の部署やAIが目を光らせていたにも拘らず、そのような痕跡は一切見られなかった。
「百二十八秒前、クロガネさんが清水刑事に『メールをしていない』と発言した際に、清水刑事のPIDから鋼和市中央管理局を経由して問題のログを辿ったところ、市長室の端末から不正アクセスの履歴を確認しました。履歴そのものは削除してありましたが、サルベージしておきましたよ」
さらりと言っているが、凄まじいことをいとも簡単にやってのける美優。ガイノイドであることは知っていたが、さしもの清水も戦慄を禁じ得ない。
「……一体何者なんだよ?」
「その台詞はこの男に向けるべきだろう」
呆然と呟く清水に、クロガネは市長の方を顎でしゃくる。
「……それは、どういう意味ですか?」
表情を消した市長が訊ねる。
クロガネは右手の拳銃を市長に向けつつ、左手でガラケーを操作する。
「言葉通りの意味だ。美優が調べ上げた以上、市長権限を利用して俺のPIDに不正アクセスしたのも、清水さんに偽のメールを送ったのも、美優からの通報を妨害して警察の動きを止めたのも全部お前の仕業だ。目的は恐らく、佐藤たちの援護。そして今回の一件で深く関与した人間たちを一堂に集め、まとめて口封じをするつもりだろう」
登録していた目当ての番号を入力し、周囲にも聴こえるようスピーカーモードにする。
何回かの呼出音の後、目的の人物が出た。
『――はい、山崎です。どうしました?』
聞き覚えのある声に、一同は驚愕した。
「こんばんは、市長。夜分にすみません。今、どちらに居られますか?」
『自宅に居ますが、それが何か?』
クロガネと会話する声の主は、紛れもなく市長だ。
動じていないのはクロガネと美優。そして、彼らと対峙しているもう一人の市長である。
「今こちらで市長と向かい合っているのですが、彼は市長の双子の兄弟か何かですか?」
『は? え? 私がそちらに? い、いえ、私に兄弟はいませんが。まして双子なんて』
周囲の気配がざわざわと動揺したものから、ピリピリと警戒したものに変わる。
「失礼ですが、市長の自家用車はセダン型ですか?」
『……そうです』
「色は?」
『青です』
この場にいる全員が、白いセダンの傍に佇むもう一人の市長に、疑惑と警戒の視線を向ける。
「代車とか、知人の車を預かっているというオチはないですよね?」
『ありません』
「ありがとうございます。最後に、北区郊外のクレハ団地に警察を今すぐ派遣してください。対サイボーグ機動隊の出動要請もお願いします」
通話を切り、ぱたんとガラケーを折り畳んでしまうと、周囲は沈黙する。
「……いつから、私が偽物であると?」
沈黙を破り、偽市長が無表情で訊ねる。
「車から降りて少し歩いた時、今朝会った時よりも足音が重く、歩き方も呼吸のリズムも違かった。例え顔や声を似せたとしても、誰だって偽物だと気付くだろうよ」
「「「いや、無理だから」」」
事もなげに語るクロガネに対して、真奈と清水と佐藤が揃って否定する。
「……ゑ? 嘘? 普通に気付くだろ?」
「普通は気付かねぇよ」
「ていうか、足音とか歩き方とか呼吸のリズムとか、そんな細かいこと一々覚えられるわけないでしょ」
「この変態め」
清水、真奈、佐藤の順にツッコミが入り、最終的に変態呼ばわりされる。
……ちょっとへこむ。
「いや待て、それなら海堂も同類だろ? 何せ、美優と握手しただけでガイノイドだと見抜いたくらいだ」
「それは間近で見て、その場で触診したからこそ解ったことよ。一緒にしないで」
ちくしょう、道連れに出来なかった。一縷の望みを託して美優を見る。
「……ごめんなさい。私にはそこまでの識別機能は搭載されていません」
気まずそうに目を逸らされた。
クロガネがガイノイド以上の観察力と洞察力を持つ変態と認定された瞬間である。
「……話を戻すが」
気を取り直し、クロガネは偽市長に訊ねた。
「お前は、何者だ?」
問いには答えず、偽市長の口角がゆっくりと、三日月よりも大きく、長く、口の両端が耳の近くまで吊り上がる。
「――あはっ」
瞳孔を大きく開き、首を傾げて、
――彼は、嗤った。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
首をガクガクと左右に激しく振りながら、壊れた玩具のようにけたたましく、狂ったように嗤い出す。おぞましい光景に全員がぎくりとし、揃って一歩引いた。
そして唐突に、嗤い声が、偽市長の頭が、ピタリと止まる。
――否、そこにいたのは偽市長ではなかった。もはや別人、と表現するのもはばかれる。
何故なら、目の前にいる存在には、顔がなかったのだ。
目も鼻も口も耳も毛髪もない。個人を特定する情報が一切ない。完全なる、のっぺらぼうだ。
「私が何者?」
のっぺらぼうが喋り出す。口がないのにどこから出しているのか不明だが、その声は微かなノイズが入り混じった機械的なものだった。
ぐにゃりと、のっぺらぼうの顔が歪むと、若い男の顔に変化した。その顔に見覚えのあった清水と真奈が息を呑む。
「警察署にいた若い刑事さん……!」
「OK把握した、こいつが〈ヒトガタ〉の頭を奪った犯人だ。刑事に化ければ警察署に堂々と潜り込める」
クロガネの理解が速い。
「僕は、オレは、何者でモ、ナイ」
一人称が安定しないのっぺらぼうは、再び顔を歪ませ、今度は真奈の顔に化ける。
「わ、私……!?」
真奈がぎょっとする。顔だけではない。着ている衣装こそ変わらないが、のっぺらぼうの身体のラインが女性的なものになる。この怪人は全身に擬態能力があるようだ。
「……おい、海堂女史。アレは何だよ? 新開発のサイボーグとかアンドロイドか?」
「解らない、私も初めて見る」
清水の質問に、真奈が首を振った。
「……アレはお前のお仲間なんだろ? 何だよアレ?」
「いや、私も知らない」佐藤も否定し、
「検索結果、該当機種ゼロ。私にも解りません」美優ですら匙を投げる中、
「……擬態特化型潜入工作用オートマタ、〈ドッペルゲンガー〉」
淀みない解説に、全員がクロガネを注目する。
「実際に目にするのは俺も初めてだが、機能はご覧の通り。試作機ゆえにデータがないから美優の検索にもヒットしない」
「どこでそんな情報を?」
「昔ちょっとな。それより気を付けろ、さすがに情報がない相手は危険だ」
清水の疑問をさらりと流し、いつでも発砲できるよう引き金に指を添える。
「――あはっ。ワタシの、最優先目標、は『アルファゼロ』の抹、殺殺殺殺殺――実行」
両手を広げ、〈ドッペルゲンガー〉は一直線に突撃してくる。
ケタケタと狂った笑みを浮かべて向かってくる様はまさに『狂気』そのものを体現しているかのようだ。
「くそ、やっぱりか!」
後ろ手に拘束されている佐藤は半ば覚悟していた。クロガネは〈ドッペルゲンガー〉を佐藤の『援軍』と推察していたが、実際は『処刑人』だったのだ。
〈ドッペルゲンガー〉の進路上にいたクロガネは咄嗟に拳銃を二連射。偽物とはいえ、真奈と瓜二つの姿をした相手に躊躇なく引き金を引けるのは流石である。
〈ドッペルゲンガー〉は一度両手を交差し、振り払う。一瞬で両腕が大振りの剣と変化し、飛来してくる銃弾を文字通り切り払った。
驚く間も惜しいとばかりに続けて連射するクロガネに向かって、〈ドッペルゲンガー〉は双剣を振るい、銃弾を弾き飛ばしながら急接近。そして剣の間合いに入るや否や、横薙ぎにクロガネの首を刎ねようとする。
――速い! と思った時には、音が遠のき、クロガネの眼に映る世界が色褪せる。
まるで水中にいるかのようにすべてが重く、遅くなった世界の中で、クロガネは拳銃を盾にしようとし、迫りくる刃が鉄製の銃身に抵抗なく食い込む瞬間を見た。
稲妻の如く全身を走った生存本能に従って咄嗟に頭を下げた瞬間、世界が元の姿に戻り、己の首を刎ね飛ばそうとした処刑刀はすぐ頭上を高速で通過した。
盾にしようとした拳銃は、銃身の前半分が綺麗に切り飛ばされている。
そして、すぐ目の前には真奈と同じ顔をした殺人人形。
右の初太刀を躱しても、即座に左の二の太刀が迫る。クロガネから見て左手側から、狂気の刃が首に触れる寸前という極限のタイミングで、左拳を刀身の側面に真下から打ち込んで真上に逸らすと同時に、右手に握られた拳銃を突き出した。
鋭く、ナナメに切断された銃身が〈ドッペルゲンガー〉の喉を深々と刺し貫く。
「ゲガッ!?」
これ以上にない完璧なカウンターが決まり、〈ドッペルゲンガー〉はたたらを踏んで数歩後退する。目を大きく見開いたその表情は驚愕に彩られていた。擬態に特化しているだけあって、オートマタとは思えない人間らしさと不気味さを感じさせる。
完全に沈黙した拳銃を躊躇なく手離し、拳を作って身構える。
「グゲ、ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
奇声を上げ、〈ドッペルゲンガー〉は双剣をデタラメに振り回した。
その太刀筋は速く、重い。
「だが鋭くはない」
いかに優れた刀剣であっても、対象に向かって垂直に刃筋を立てて打ち込まなければ、その切れ味は充分に発揮されない。技術を伴わない斬撃は斬撃にあらず、脅威に値しない。
ゆえに、クロガネは真正面から挑んだ。
稚拙な太刀筋を読んで左腕でいなし、受け止め、流し、振り抜かせた剣に合わせて重い鉄拳を〈ドッペルゲンガー〉の顔面にぶちかます。
――そう、まさに鉄拳だ。
剣の乱舞を防ぐ度に袖が裂かれ、破れ、その下にあるクロガネの左腕が露わになる。
鈍く輝く、機械仕掛けの腕が怪人の刃を阻み、怪人の身体を打ち抜く。その度に爆発のような衝撃音が響き渡った。
「軍用義手……奴もサイボーグだったのか……!?」
「義手だったのも驚きだが、新型のオートマタをこうも一方的とか、相変わらず鬼強いな」
佐藤と清水が驚愕するのも無理はない。
左半身を前にしたクロガネは、左側から高速で迫る剣を義手でいなしつつ、強烈な左フックを〈ドッペルゲンガー〉に喰らわせていた。そしてそのまま振り抜き、右側から迫る剣を叩き落としつつ鋭く踏み込んで肘鉄を喉に叩き込み、さらに裏拳、正拳突きと攻防一体の見事な連携技を披露している。その一つ一つがカウンターかつ腰の回転と体重を乗せた重いものであり、相手が生身の人間ならば頭はザクロのように砕け散って即死は免れないだろう。
打撃とは思えない音が、断続的に鳴り響く。人間の反応速度では捌き切れない筈の斬撃の嵐を捌き切り、これ以上にない完璧なタイミングで鉄拳を打ち込む。まるで詰め将棋のようにクロガネは〈ドッペルゲンガー〉を一方的に追い詰めていた。
「うぅ……、鉄哉が私の顔をボコボコにするのは正直キツイものがあるなぁ……」
複雑な心境で闘いの行方を見守る真奈に対し、美優は冷静だった。
「あのオートマタの機能上、致し方なしと諦めてください。そんなことより」
「そんなことって……」
悲しそうに嘆く真奈を無視して、美優は訊ねる。
「先程からクロガネさんは左腕を軸に闘っています。もしかして、機械化は」
「……左腕と臓器の一部だけよ、機械化は二割程度。同じデミ・サイボーグでも、性能だけなら彼はそこの佐藤さんよりも遥かに弱い」
「なんだと!?」
佐藤が鋭い剣幕で食い付いた。
「馬鹿な! では何故こうも奴に遅れを取る!? こちらは四割だぞ!」
「……解っているんじゃないの?」
真奈がまっすぐ佐藤を見る。先程までと打って変わって凛とした佇まい、その豹変ぶりに佐藤も思わずたじろぐ。
「性能差で劣るなら、それ以外で補えば良いだけの話よ。知恵と工夫と技術と経験、そして想像力で」
「想像力?」美優が小首を傾げる。
「鉄哉曰く、『常に二秒先の未来を想像すれば、サイボーグの反応速度と互角以上に動ける』……ですって。つまりは『先読み』ね。そもそも人間はほとんどの動物や昆虫に反射神経が劣っているのに、どうして生物界の頂点に立ったと思う?」
「えっ、それは……」
考え込む美優の額に、真奈は人差し指を突き付ける。
「そう、『考える』からよ。古来より、人間は経験則から他の生き物がどのように動くかを正確に予測して先手を打つことが出来るの。考えるからこそ人は優れた武器や技術を発明し、社会や組織を立ち上げ、種を存続させ、生物界の頂点に立った。人間にだけ備わった『未来を想像し、未来を創造する力』が、それらを可能にしたのよ」
佐藤が苦虫を潰したかのような渋面を作る。
「……理屈は解るが、それを実践するとなると」
「現に、目の前にいるでしょ」真奈が善戦しているクロガネを指し示す。
否、一方的ではあるが善戦という表現は適切ではないかもしれない。
オートマタの反応速度を超え、反撃の隙を与えないために無呼吸状態での連撃を高速で繰り出しているのだ。ましてや互いの手が届く間合いでの近接戦闘である。心身の負荷は相当なものだろう。それを示すように、酸欠でクロガネの顔色が悪くなってきている。
だが、それでも、クロガネは止まらない。むしろ、その鋼鉄の拳はさらに加速する。
「気が遠くなるような鍛錬と実戦経験を積み重ね、その中で技術を磨き、知恵と工夫を凝らし、想像力で先を読む。人間の強さと可能性というものを追究した一つの形よ」
クロガネのすくい上げるようなアッパーが顎に炸裂し、怪人の足が宙に浮く。
すかさず右手で胸倉を掴んで引き寄せ、振り被った鉄拳を顔面に打ち下ろした。
二度、三度と怪人は地面をバウンドしながら勢いよく転がっていき、やがて仰向けになって止まった。その時には両腕の剣はおろか、擬態していた真奈の姿が崩れて元の『のっぺらぼう』に戻っていた。
――ついに、〈ドッペルゲンガー〉は沈黙する。
クロガネの闘いぶりを目の当たりにした佐藤は、
「……敵わないわけだ」
力なく呟き、首を振った。
「――――、――ぷはぁッ! ハァ、ハァ、ハァ、――ふぅー……」
残心し、〈ドッペルゲンガー〉が動かないことを確認したクロガネは、構えを解いて乱れた息を整える。汗だくで身体が重い。
「……さすが、新型、タフだ」
非戦闘型でありながら〈ドッペルゲンガー〉の耐久力は驚愕に値するものだった。あと十秒ほど長引いていたら、先に倒れていたのは自分の方だったかもしれない。
呼吸が落ち着いたところで義手を見る。マグナム弾すら弾くチタン合金とセラミックの複合装甲に、無数の刃傷が刻まれていた。
「あーあ、よくもまぁ、ここまで傷だらけにしてくれちゃって」
呆れた口調で近付いてきた真奈が、義手に触れて『診察』する。
「拳銃をいとも簡単に切断したあたり、奴の剣は高周波ブレードと同等の切れ味と見ていいと思う」
「その割には傷が浅い……上手く受け流したから?」
「それもあるが、奴の技量は達人には程遠い。最初に拳銃を切断できたのはほぼ偶然だ」
いかに切れ味が鋭くても当たらなければ意味がない、そして刃を当てただけでは何物も斬れない。だからこそ正面から殴り込めた。逆に言うと、〈ドッペルゲンガー〉に達人級の技量があれば、クロガネを義手もろとも斬り伏せることが可能だったわけだが。
「指は五本全部動く? ……OK。反応はどう?」
真奈の質問に応えつつ、義手の動作確認を行う。
「……うん、損傷は外装だけみたいだから、予備と交換するだけで済みそうね。だけど、あれだけ激しく打ち込んだことだし、マニュピュレーターは一度オーバーホールした方が良いかも」
真奈が義手から手を離して診察結果を告げると、クロガネはそわそわと落ち着かなくなる。真奈に対する借金が一向に減らない最たる理由が、義手の修理や調整でせっかく稼いだ金が溶けてしまうからだ。戦闘に特化した高い耐久性と反応速度を併せ持つ特注品のため、一般的な義手よりも遥かに高価なのは言うまでもない。
「……少しまけてくれない?」
「それはダメ。完全に壊れたわけじゃないから、費用は大して掛からないと前向きに受け入れなさい」
「助けに来てやっただろ。少しくらいサービスしてくれよ」
「それはそれ、これはこれよ」
「……守銭奴が(ぼそ)」
「あんたが言うな!」
普段とはまったく逆のやり取りである。
値切り交渉は失敗し、クロガネは肩を落とす。
美優を見る。穏やかな微笑を浮かべていた。
清水を見る。呆れたように肩を竦めていた。
佐藤は、見なくてもいいか。
先程までの物々しく殺伐とした雰囲気から一転、平和な日常に戻ってきたことを肌で感じながら――
「やれやれ」
――クロガネは愛用しているリボルバーを抜いて、無造作に発砲する。
ノールックで放たれた銃弾は、いつの間にか身を起こしていた〈ドッペルゲンガー〉の額に命中し、再び仰向けに倒した。
一同が驚愕する中、
「――――――――あはっ」
ノイズ混じりの嗤い声がひとつ、響く。
倒した筈の怪人は、両手の指を広げて地面を捉え、力を込める。
ゆっくりと上体を起こし立ち上がろうとする――再び頭部に銃弾二発を受けて倒れた。
「―――――あはっ、あははっ」
嗤いながら三度、怪人は起き上がろうとする。
「……本当にタフだなおい」
クロガネは残弾二発を〈ドッペルゲンガー〉の頭に容赦なく撃ち込んだ。
だが、怪人はまだ動く。
「三八口径とはいえ、これだけ撃ち込んでもまだ動くか。そこのゼロナンバー、ロケットランチャーとか持ってない? ないなら重機関銃か対物ライフルでもいいぞ」
蓮根型の弾倉を振り出し、排莢してスピードローダーで新しい弾丸を装填しながら佐藤に訊ねる。
「持ってるわけないだろう。こちらの装備は拳銃にナイフといった最低限ものだ」
「役立たず! 警察相手の撤退戦も考えて、せめて手榴弾と閃光手榴弾とスモークグレネードと指向性対人地雷くらいは用意しとけよ! 自動小銃すら持ってきてないとか非常識にも程がある!」
「そんな物騒な常識があってたまるか!」
探偵とは思えない世紀末的な発言に対し、至極真っ当な反論をする暗殺者。
もはや、どちらが善玉で悪玉なのか解らない。
「こちらは素人同然の部下もいるのに長物や爆発物を使ったら巻き添えを喰らうだろ! 貴様こそ常識で物を語れ!」
「何で素人連れて来てんだよ!?」
「獅子堂の関係者だと悟らせないためだ!」
「結局、捨て駒か! この外道!」
「貴様に言われたくない!」
クロガネと佐藤が不毛な言い争いを展開する。途中から声を張り上げているのは、クロガネと清水が〈ドッペルゲンガー〉の動きを抑えようと銃を乱射しているからだ。
先程からのっぺりとした顔に何発も当たっているが、弾頭が潰れた銃弾が剥がれ落ち、地面に転がっている。〈ドッペルゲンガー〉は物理的な衝撃に強い設計であるのは間違いない。現に、対サイボーグ用戦術の基本である『電子回路に衝撃を与えて機能不全に追い込み、停止させる』という手段が通用しないのは脅威だ。
弾切れが近付き、弾幕が薄くなったことで〈ドッペルゲンガー〉が立ち上がって歩み寄ってくる。どこか余裕すら感じさせるその歩みは、決め手に欠けるこちらにとっては恐怖と絶望でしかない。不死身の怪物が迫り来るようなものだ。
清水が怪物の胴体を狙って連射する。頭より的が大きいため全弾命中しているが、相手が機械ならば視覚センサーや思考回路が集中している頭部を狙うべきだ。たとえ機能停止に追い込めなかったとしても、何かしら故障を誘発すれば逃げるのも容易になる。
それを伝える前に清水の拳銃が弾切れになった。
苦い表情からして予備の弾薬も尽きたのだろう。
……こうなったら致し方ない。
「清水さん、そいつの手錠を外せ!」
「はぁッ!? 何言ってんだ、お前!?」
清水のみならず、真奈と美優からも抗議の視線が突き刺さる。
当然だ、佐藤を解放しろと言っているのだから。
「この怪物相手にお荷物抱えたままではいずれ全滅だ! 奴は『アルファゼロの抹殺』と言った! 目的が佐藤なら自由にして盾にするなり囮にするなり餌にするなり上手いこと利用して逃げよう! 司法取引だ!」
「鬼か貴様ッ!? 司法取引の意味をちゃんと調べてこい! ――熱ァッ!?」
憤慨する佐藤に大股で近付き、眉間にリボルバーの焼けた銃口を押し付ける。
「こっちは大真面目だ。その手錠を外してお前は自由になる。あの怪物はお前を狙う。その隙に美優たちは逃げる。生きるか死ぬかはお前次第だ」
自由の代償。清水を傷付け、真奈を攫った報いとしては甘すぎる方だと考えている。何故なら、生き延びる可能性があるのだから。
「全員で生きるか死ぬか、二秒で選べ」
リボルバーの撃鉄を上げ、銃口をぐりぐりと押し付けて決断を迫るクロガネ。鬼以上に鬼だ。
「くそッ! 早く外せ!」
やけくそ気味に佐藤が叫ぶ。そして拘束を解く鍵を持つ清水もまた選択を迫られていた。向かってくる怪物とクロガネの顔を交互に見て、ついに決断する。
「あぁもう、どうなっても知らねぇぞ!」
手元の端末を操作し、――ピッと軽快な電子音が鳴った途端、佐藤を拘束していた手錠が解かれて地面に落ちた。
「清水さんは二人を連れて逃げろ! 佐藤は俺と来い!」
クロガネは〈ドッペルゲンガー〉に発砲して牽制しつつ、クレハ団地の集合住宅に向かって走った。言われるまま佐藤も続き、怪物も二人を追跡する。
「おい! 何か策はあるのか!?」
老朽化で傷んだ階段を駆け上りながら佐藤が訊ねた。背後から凄まじいプレッシャーが迫る。絶対に振り向きたくない。
「一応な。四階に上がったら、すぐ右手手前の部屋に入れ」
クロガネは減速し、佐藤に先を譲ると、追跡者に威嚇射撃を行う。銃が効かない以上、弾の無駄使いに加えて自分たちの居場所を教えているようなものだが織り込み済みだ。美優たちから意識を逸らしつつ、『罠』を仕掛けた場所に誘導しているのだから。
目的の部屋へ入った途端、佐藤はぎくりと身を強張らせた。
「……お、おい、これって」
「止まるな、ベランダに行け」
佐藤の背中を押す。
「解っていると思うが、下手を打てば俺たちもお陀仏だ。タイミングをしくじるな」
――抹殺対象であるアルファゼロを追って、〈ドッペルゲンガー〉は集合住宅の四階までやってきた。
センサー類が集中する頭部を激しく殴打・銃撃されたため、視界に時折ノイズが走る。だが、この程度なら任務遂行に支障はないとAIが判断。
標的は階段を上ってすぐ右手手前の部屋に逃げ込んだようだ。余裕がなかったのか、ドアが完全に閉まっておらず、わずかに開いている。やり過ごそうにも隠れた場所が丸わかりだ。
ドアを開け、後ろ手に閉める。そして鍵とチェーンロックを掛けた。退路を断つのは元より、上手く回り込んで逃げようにも解錠にわずかばかりの時間を要すれば、すぐに追い付けられるという合理的判断だ。
「――――」
視界がわずかに曇る。大気中に大量の埃が舞っているのだろう、部屋中真っ白に染まっていた。フローリング式の床にもかなりの量が堆積している。お陰で標的の足跡がくっきりと浮かんでいた。
足音を殺して足跡を辿っていくと、リビング奥のベランダに通じる窓の前でアルファゼロが待ち構えていた。
武器は持っていない。大量の埃のせいで呼吸に支障があるのか左手のハンカチで口元を覆い、小さすぎて判別できないが右手に何かを握りしめている。大きさからして起爆用のリモコンと仮定し、あらゆるセンサーを総動員して室内をスキャンするも、爆発物の類は検出されなかった。
「――――」
もう一人の標的が窓を挟んで外側に居る。ベランダの柵に結ばれたロープを片手に、窓ガラス越しにこちらを睨んでいた。
両手を広げ、戦術コマンドを入力。
先程の戦闘データを踏まえ、武装の形状を編集、変更、決定、入力。
腕部を覆う液体式特殊形状記憶合金に電気信号が流れ、強固な装甲状態を維持していた腕部表面が波打ち、どろりと指先の方に流れる。五本の指先に大振りのナイフを形成する。いわゆる、鉤爪だ。腕を一振りの剣ではなく、五指による広い可動性と五本の刃を加えることで、先程のような紙一重の回避行動は取りにくくなるだろう。
逃げ場を阻むように鉤爪を形成した両腕を広げ、じりじりと標的との間合いを詰める。
狭い空間に最適化した武装。
AIの戦況分析では、圧倒的有利であると弾き出している。
標的は動かず、佇んだままだ。
――状況を再確認/疑問。何故、逃走行為に移行しない?
ベランダにロープがあるなら、こちらが部屋に踏み込む前に外へ逃げられたはず。
口元を隠しているとはいえ、標的は怯えて身が竦んだわけでも諦めたわけでもないことは解る。瞳孔の開き具合、筋肉の硬直具合から統計学に基づく検証の結果、九七%の確率で何かしらの反撃的行動に移行すると推測。
施錠していない玄関ドアといい、まるでこの場所に誘い込むことが目的のような――。
さらに一歩、間合いを詰めた瞬間、標的は足元にあったゴミ箱を蹴りつけた。
「――!」
飛来してくるゴミ箱を〈ドッペルゲンガー〉が振り払って踏み込むのと、外で待機していたもう一人の標的が窓を開けてすぐに身を翻し、ロープを両手で握ってベランダから飛び降りるのがほぼ同時。
一拍遅れて室内にいた標的が開いた窓からベランダに出るや、右手に持っていたもの――ジッポライターに火を点ける。そして一連の動きで舞い上がった粉塵が充満する部屋に、ライターを投げ入れた。
「――!?」
直後、〈ドッペルゲンガー〉の視界が真っ白に染まり、凄まじい衝撃が全身に襲い掛かる。
ライターを投げ入れて四階ベランダから身を躍らせた直後、凄まじい爆発が起こる。爆風に煽られるも手足を振って姿勢制御を行い、三階ベランダの柵に両手を掛けた。
「……よっこらせ、と」
危なげなく柵を乗り越え、爆発した直下の部屋に足を踏み入れる。
「ふぅ、上手くいったな」
「……粉塵爆発とは、まったく恐れ入る」
先に離脱した佐藤と合流し、クロガネは耳栓を外して天井を仰ぐ。
粉塵爆発。限られた空間内で大気中に漂う高密度の粉末と、わずかな火種で起こる爆発現象だ。火薬も燃料も使わないため、〈ドッペルゲンガー〉の眼を欺けるのではないかと睨んでいたが、上手くいった。
「いつ仕込んでいたんだ?」
「お前たちに仕掛ける前にちょっとな」
クレハ団地に向かう途中で立ち寄ったスーパーから大量に買い込んだ小麦粉を部屋中にばら撒くだけの簡単なお仕事です。デミ・サイボーグである対佐藤用に用意した罠だったのだが、まさか新型オートマタを破壊するために使うとは思ってもみなかった。
「食材を粗末にするのは俺の主義じゃないんだが、お前を確実に倒すためと断腸の思いだった」
「私を小麦粉と同列に扱うんじゃない」
「小麦粉以下の分際でふざけたこと言うな。小麦粉に失礼だろ」
「ふざけているのは貴様だ!」
「黙れ外道」
「外道に外道って言われた!? 貴様の方が外道だろ!」
――ガンッ!
不毛な会話を断ち切る金属音が背後から鳴り響く。
二人は同時に振り向くと、異形の手がベランダの柵を掴んでいた。
手に力を込め、全身を持ち上げて現れた〈ドッペルゲンガー〉と目が合った。
爆発によって右腕が千切れ、全身の装甲が至る所で剥がれ落ちて黒く炭化しており、のっぺりとした仮面が破損し、その隙間から赤いレンズ状のカメラアイが覗いていた。
レンズ奥のファインダーが動き、二人を捉える。
「…………」
「…………」
「――――あはっ」
クロガネと佐藤が脱兎の如く逃げ出すのと、〈ドッペルゲンガー〉がベランダの柵を蹴って追い掛けるのが同時。
半死半生の満身創痍でありながら、決して標的を逃がそうとしないその執念は、もはや異常を通り越して狂気の沙汰だ。
――悪夢はまだ続く。
転がるように廊下に出ると、背後で玄関ドアをぶち破って化物が現れ、追い掛けてくる。ここまで『怪人』、『怪物』と様々な呼称を使ってきたが、今となっては『化物』表現が最もしっくりくる。実際に化けるし。
「いくらタフでも限度があるだろうがッ!」
「どうするんだ!?」
並走する佐藤にだけ見えるように、クロガネは両手で指を六本立てる。
「とりあえず五階まで走れ!」
あえて背後に迫る〈ドッペルゲンガー〉にまで聞こえるような大声で指示を出し、二人揃って走る速度を上げる。
再び階段を駆け上る途中で、佐藤が懐から閃光手榴弾を取り出し、ピンを抜いて後ろ手に投げた。安全レバーが弾け飛び、絶妙なタイミングで居合わせた化物の眼前で炸裂した。凄まじい閃光と爆音に紛れ、人外の悲鳴が響き渡る。
「……持ってたじゃねぇか、スタグレ」憮然としたクロガネの視線を、
「あくまで緊急用だ。あれ一つしかない」さらりと流す佐藤。
とりあえず、僅かな時間だが化物の足を止め、こちらの足音を消せたのはありがたい。
ようやく、目的地である六階に辿り着く。
踊り場から大きめの扉を開けると、そこは最上階で何もない、ただ広い空間だった。事前に調べたところ、見晴らしの良い多目的ホールとして運用される予定だったらしい。
背後を振り返る。階段を上っている途中から、化物の足音と気配が消えていた。狙い通り、五階に先回りして待ち伏せをしているのだろう。誤解だけに。
いずれにせよ、一息つける時間を稼げた。
「……それで、どう、するん、だ?」
やや息が上がった声で佐藤が訊ね、クロガネは扉を閉めて施錠する。
「見ての通り、この部屋の出入り口はこの扉のみ。反対側は屋上へ通じる階段があるだけで、あとは何もない」
乱れた息を整えつつ、改めて周囲を見回す。広さは申し分ない。
「……ここで迎え討つというのか?」
「そうだ。ここで仕留める」
リボルバーの弾倉を振り出して排莢し、スピードローダーでリロードする。残り五発。予備の弾薬はもうない。他に武器と言えるものは、トレンチナイフとスタンガンくらいか。
「そっちの武器は?」
「これだけだ」
佐藤は両の義手を軽く振ると、手首に仕込まれたナイフが音を立てて飛び出した。
「流石に厳しいか」
「戦場とはそんなもんだ。最前線なら補給もままならないのはよくある」
言いながら頭上を確認するクロガネ。佐藤もつられて見上げると、天井には電灯の類が一切なく、水道管や下水管が剥き出しの状態で張り巡らされている。
窓から月明かりが差し込んでいるので、視界はそれなりに良好だ。多少薄暗いが、動き回る分には問題ない。
「まるで本物の戦場を経験したような言い回しだな」
「まぁ、命懸けの修羅場は何度も遭遇してきたからな……ああ、修羅場といっても、痴情のもつれの方の意味ではないぞ」
ここ大事、と言わんばかりにクロガネの目が真剣だった。
「解っとるわッ。つまらんこと言ってないで、早く次のプランを言え」
「……次は手間が掛かる上に、かなり危険だ」
具体的な内容を話すと、実行したくないと言わんばかりに佐藤は渋面を作った。
「先程のような肉弾戦を同時に仕掛けた方が手っ取り早くないか? こちらは二人で向こうは手負いだ、危険に変わりないのなら短期決戦の方が良い」
ほぼ無傷のデミ・サイボーグが二人。性能だけなら純性のサイボーグに引けを取らない佐藤と、性能差を圧倒的技量で埋めるクロガネ。確かに二対一なら有利に見える。
「この脳筋が」
「誰が脳筋だ」
佐藤のこめかみに青筋が浮かび上がる。一方で、クロガネは飄々としていた。二人に言えることだが、この極限状況で軽口が叩けるあたり肝の据わり方が半端ではない。
「奴を普通のオートマタと考えるな。常に学習し、現状を踏まえた上で戦い方を変えてくる筈だ。それに俺たちは元々敵同士だろ? 連携もへったくれもない上に、同時に仕掛けたらお互い邪魔になる。そっちの方が面倒だ」
先程の粉塵爆発で見せた連携は、お互いに原理を理解した上で役割を分担したからこそ可能だった。
「それに、打ち合わせはおしまいだ」
そう言ってバックステップで距離を取るクロガネ。佐藤もわずかに遅れて同様に距離を取った。
直後、砲弾のような音と共に出入り口の扉が吹き飛び、二人の間を通過する。
屋上に通じる階段が扉と激突したことで砕け、崩壊した。屋上に通じる道が塞がれる。
「脆いな。老朽化以前に手抜き工事か?」
「奴の馬力が強すぎるのだろう。いよいよ後がないぞ」
正面に向き直った二人は、〈ドッペルゲンガー〉と対峙する。
片腕を失った化物は、割れた仮面から覗く赤い義眼を燃えるように輝かせ、全身から高温の蒸気が常時漏れ出している。体内で急上昇している熱量を外部に排出しているのだ。明らかに様子がおかしい。
「……リミッターを外したか。奴自身も追い詰められたと判断して、捨て身で仕掛けると見た」
「最悪だな」
クロガネは〈ドッペルゲンガー〉を非戦闘型と称していたが、枷が外れた今となっては純戦闘型に匹敵する性能を引き出したことになる。
「元々危険だったものが超危険になっただけの話だ。命懸けで挑むのは変わりない。安心しろ」
「……今の台詞とこの状況のどこに安心できる要素があると?」
二人のやり取りをよそに、〈ドッペルゲンガー〉は身を沈める。それは限界まで引き絞られた弓矢の如く。
「――あはっ」
クロガネと佐藤が左右に分かれて動き出すと同時に、暴虐の矢は解き放たれた。
一連の様子をクロガネの眼鏡越しに窺っていた美優は気が気でなかった。
当初は指示された通りにこの場から離れようとしたが、突然の爆発と共にクロガネが建物の四階から飛び降りたのを目にした瞬間、地に足が根付いてしまったかのように動かなくなってしまった。それは真奈と清水も同様で、以降はこの場に留まって事の成り行きを見守っている。
「くっそ、黒沢は無事だろうな……」
「…………」
清水が心配そうに建物を見つめ、真奈は無言で両手をきつく組んでいた。クロガネの身を案じて迂闊な通信も出来ない。遠くで戦闘音が聞こえるだけで現状を把握できず、時間と共に不安と焦りだけが募っていく。
だが、三人の中で唯一美優だけがリアルタイムで状況を把握していた。今もクロガネはあの怪物を相手に苦戦を強いられている。何か出来ることはないかと思考回路を高速回転させるも、数百通りのシミュレーション結果はどれもクロガネの足を引っ張り、彼の身に危険を及ぼすものばかりだった。単純に美優自身の戦闘力が不足している。これ程までに自分が戦闘型のガイノイドとして生まれなかったことを悔やんだことはない。
「このままじゃ……」
通信妨害の中、何とか半径二キロ以内の警察無線を傍受するも、未だ警察側に動きがないことに美優は焦燥感を覚えた。
「警察の応援はまだなの?」
同じことを考えていた真奈が清水に訊ねる。
先程クロガネが本物の市長を経由して警察に通報しているなら、そろそろ到着しても良い筈だ。夜中とはいえ、爆発と煙で目撃者による通報もあっただろう。
「……それが、全然繋がらない。こんなことってあるのか?」
清水も混乱している。彼のPIDを美優の緑眼が捉えるも、すぐに視線を逸らす。
「あのオートマタが正体を露わにしてから強力な妨害を受けています。私でも対処できません」
「美優ちゃんでもダメなの?」
真奈が思わずこちらを見る。その目には想い人を失ってしまうのではないかという不安と焦りと恐怖。そして、この状況を打破できる筈だと無意識に期待を寄せていたガイノイドに対する失望が渦巻いていた。
(そんな目を私に向けないでください、私だって……!)
だが、それは美優とて同じこと。むしろリアルタイムで現状を把握できる分、クロガネを失ってしまう不安も焦りも恐怖も真奈以上に感じている。何よりロクな援護も出来ない不甲斐ない自分自身に対して怒りと失望を抱かざるを得なかった。
真奈の視線から逃げるように俯いて説明する。荒れ狂う感情が表に出ないよう努めて冷静に、事務的な口調で。
「……鋼和市において、山崎市長のA級権限より上位の特A級権限です。私が持つ権限ではアクセスできません」
市長に化けた〈ドッペルゲンガー〉が現れた時、否、もっと早い段階で気付くべきだった。潜入工作用としての電子戦装備に加えて外部からの妨害。
黒沢鉄哉の暗殺と安藤美優の拉致、そして佐藤の処分。三者とも獅子堂家に関連している以上、情報操作による隠蔽工作も念入りであることは想像に難くない。
「またあのドラ息子か」
清水が遠慮なく毒づく。本人に聞かれたら無事では済まされないだろう。
「……しかしながら、獅子堂玲雄に出来るのはここまでです。高確率で〈ドッペルゲンガー〉以上の増援はないと見て良いでしょう」
自分に言い聞かせるように、美優ははっきりと断言する。
「それは朗報だけど、どうして?」と真奈。
「これまでの状況と佐藤の証言から、この一連の騒ぎは全て獅子堂玲雄の独断だからです。親に悟られないよう側近である佐藤を含め、個人の権限で動かせる人員の数は決して多くありません。末端どころか素人同然の部下や、複数のオートマタを利用した事実がそれを物語っています」
獅子堂関連に対してハッキングが出来ずとも、一連の出来事や情報を整理することで見えてくるものがある。我ながら探偵っぽい言い回しだなと美優は密かに思った。
「だけど、そのオートマタは実家にあったものを勝手に動かしたんでしょ? 流石に獅子堂の当主にもバレてるんじゃ……」
「獅子堂家当主、獅子堂重工会長の獅子堂光彦は現在海外出張中です。なので息子の玲雄が情報操作を怠っていない限り、この騒ぎを知ることはありません。オートマタの無断使用については、適当に言いくるめれば問題ないとでも考えているのでしょう」
何となしにそう言うと、清水が割って入る。
「ちょっと待て。確か美優ちゃんは獅子堂関連にアクセス出来ない筈だよな? 何で当主が不在だと知ってるんだ?」
清水の指摘に、真奈もはっとなる。ゼロナンバーである佐藤ですら、当主のスケジュールは知らないと言っていたのだ。
「……当主が現在不在であることは、私をクロガネさんの元へ連れてくれた協力者の方から聞きました」
「えっ、それって――」
「あっ」
「「えっ?」」
不意に驚いた声を上げた美優の視線を二人が追うと、集合住宅六階の窓から青白い発光が一瞬だけ見えた。その後、ボロボロになった〈ドッペルゲンガー〉が窓を破って飛び出し、そのまま四〇メートルの高さから落下。頭から地面に激突する。
轟音と共に舞い上がった土煙が晴れると、首や手足があらぬ方向に曲がった〈ドッペルゲンガー〉が倒れていた。
思わず三人は身構えるも、何度も立ち上がってきた怪物はぴくりとも動かない。
見上げると、割れた窓の向こうにはクロガネと佐藤の姿があった。
視線に気付いたクロガネが、軽く手を振って見せる姿に、ようやく三人は胸を撫で下ろした。
***
丸太を思いっ切り薙ぎ払うかのような風切り音と共に、〈ドッペルゲンガー〉が爪と蹴りを繰り出す。その度に壁や柱が切り裂かれ、抉られ、砕かれていく。早々に決着を付けなければ建物自体が崩壊するのではないかと疑う威力である。まるで屋内で発生した竜巻を相手に闘っているかのようだ。
機械で強化された運動能力を以て、佐藤は辛うじて回避し続ける。背中の冷や汗が止まらない。もしも〈ドッペルゲンガー〉が五体満足の万全な状態だったならば、すでに殺されていることだろう。
片やクロガネは冷静に、足の上下運動を極力排した摺り足移動と、相手の動きの先を読むことで〈ドッペルゲンガー〉の猛攻を紙一重で躱し、義手で捌いている。
一方が〈ドッペルゲンガー〉の攻撃をしのぎ、もう一方が背後からナイフでの一撃を加える。交互に一撃離脱を繰り返して少しずつ削っていくが、〈ドッペルゲンガー〉は止まるどころか動きが鈍る様子がない。単純に、ナイフ攻撃が弱すぎるのだ。
佐藤の左義手の仕込みナイフが根元から折れた。耐久性を犠牲にしてまで暗殺と奇襲に特化したギミックが仇となった。化物を削る前に攻撃手段が削られ、いよいよ限界が近い。
「頃合いだ! 次で仕掛ける!」
「了解した!」
クロガネの指示に頷き、今度は佐藤が囮役で前に出る。〈ドッペルゲンガー〉の背後に回ったクロガネはリボルバーを抜く。
狙いは〈ドッペルゲンガー〉――ではなく、その頭上に張り巡らされた水道管だ。
発砲。銃声と共に水道管に穴が空き、そこから漏れ出した水を〈ドッペルゲンガー〉が被った。続けて発砲。〈ドッペルゲンガー〉の動きを読んで、さらに水を被らさせる。
ライフラインが整っていないとはいえ、この集合住宅の屋上には給水塔が設置されてある。上蓋の金具が壊れて中途半端に開いた状態だったため、そこから雨水が入り、かなりの量が貯水されていた。
元々、対佐藤用のトラップとして事前に四階の一室を小麦粉まみれにした後、クロガネは六階より下の階には水が流れないようにバルブを閉め、給水塔の中に伝導性の高い溶剤を仕込んでいたのだ。
リボルバーを全弾撃ち切った。頭上の水道管には五つの穴が穿たれ、水が漏れ出している。大きな穴ではないため、大量の水が一度に漏れ出ることはないが、佐藤が巧みに誘導し、〈ドッペルゲンガー〉は全身ずぶ濡れになっていた。
ここでクロガネはスタンガンを取り出す。スイッチを入れると、バチバチと電極から三〇万ボルトの火花が散った。
――同時に、クロガネは義手に仕込まれたギミックを作動させる。バシャッと音を立てて指先と掌の一部がスライド展開。キィイイインと甲高い高周波音と共に、手の甲に刻まれたリング状の溝に沿って、オレンジ色の光が徐々に円を描き始める。
右腕を下から上にしならせるようにして、スタンガン――スイッチを固定した状態――を投げた。
それを見た佐藤は乾いた地面まで全力で逃げる。
〈ドッペルゲンガー〉の背中に吸い込まれるように、高電圧を帯びたスタンガンの電極がついに接触する――寸前で、〈ドッペルゲンガー〉は天井に向かって跳躍した。
「なっ!?」
安全地帯に到達した佐藤が驚愕する間もなく、目標を失ったスタンガンは水浸しになった床に落下し、部屋一面に青白いスパークが迸った。それも一瞬のことで、漏電したスタンガンは内部の電子基盤がショートして壊れ、本体のプラスチック部分が焼け焦げた嫌な臭いが漂う。
天井の配管を掴んでぶら下がり、難を逃れた〈ドッペルゲンガー〉が降りてくる。水溜まりの上に着地して、バシャンと水が勢いよく跳ねた。
切り札であるスタンガンが壊れ、〈ドッペルゲンガー〉を倒す手段を失い、佐藤の戦意が揺らぐ。
だが彼の視界に、ありえないものが映る。
――クロガネだ。いつの間に接近したのか、〈ドッペルゲンガー〉のすぐ背後を取り、義手の掌を後頭部に押し当てていた。その甲に描かれたリングが完成し、オレンジ色から鮮やかな緑色に変わる。
「チェックメイト」
冷たく、厳かに告げたそれは間違いなく勝利宣言であり、同時に死刑宣告でもあった。
ヴンッと重い低周波音が聞こえた刹那、〈ドッペルゲンガー〉は全身をビクリと痙攣させる。そしてそのまま動かなくなった。
クロガネが〈ドッペルゲンガー〉から離れると、義手の強固な前腕装甲が展開して蒸気が勢いよく噴き出した。強制排熱を行い、展開していた義手のギミックを収めながら佐藤に歩み寄る。
「……生きてるか?」
「あ、ああ。今、何をしたんだ?」
「動けなくしたんだ、永遠にな」
佐藤は中途半端な立位姿勢で微動だにしない〈ドッペルゲンガー〉を見る。とりあえず、何らかの手段で倒したことだけは理解した。
「その義手は、一体……」
「切り札が駄目なら奥の手を。言っておくが、ネタバレはしないぞ」
五指を閉じて開いてを繰り返し、義手の調子を確認したクロガネは佐藤に向き直った。
「ところで」
肩越しに〈ドッペルゲンガー〉を親指で示すクロガネ。もう動かない化物は、窓から差し込む月光を浴びて佇んでいる。
「ダメ押しに、こいつを窓から落とさないか?」
笑みを浮かべた悪魔の提案に、
「落とそう」
佐藤もまた、悪そうな笑みを浮かべて即答した。
***
「――ああ、今下りるから待ってろ」
多機能眼鏡のフレームに指を添え、無事を確認してきた美優との通信を切る。〈ドッペルゲンガー〉との死闘を制したクロガネと佐藤は、集合住宅の階段を共に下りていた。成り行きで共闘こそしたが、本来は敵同士である。なのでクロガネは、両手を頭の後ろに組んだ佐藤の数歩後ろに続いていた。
「……逃げたりしないから、そう警戒しないでほしいのだがな……」
「悪いが信用できない。一度きりの共闘で仲良くなれるとでも思ったか?」
クロガネの手には抜き身のナイフが握られている。ちなみに、〈ドッペルゲンガー〉を突き落とした後、佐藤の無事だった方の仕込みナイフも念入りに叩き折る徹底ぶりである。
佐藤は心底残念そうに階段を下りた。両者無言のまま、足音だけが大きく聞こえる。
「……なあ」
先に沈黙を破ったのは、意外にもクロガネだった。
前を歩く佐藤の背中に声を投げ掛ける。
「この後、逮捕されるのは当然として、罪を償った後はどうするんだ?」
「……考えてもみなかった。ゼロナンバーになった時点で、私の経歴は抹消されたも同然だから先のことは解らないな」
ゼロナンバーは時に暗殺や破壊工作などの汚れ仕事を行うことがあるため、獅子堂家の専属でありながら最初から存在しないことになっている。雇い主に累が及ばぬよう、それまで歩んできた人生、過去の一切合切を捨てるのだ。故に、『存在しない者』であると。
「最悪、口封じに殺されることだってある。今回は切り抜けたが、今後も命を狙われないという保証はどこにもない」
「……意外だな。私のことを気に掛けてくれるとは思わなかった」
「命の価値は理解しているつもりだ」
「……それこそ意外だ」
驚愕する佐藤に対し、「どういう意味だ?」とクロガネは訊ねる。
「いや、貴様の敵対勢力は大半が半殺し以上の損害を受けていた。中には追い詰められて自殺する者まで居たくらいだから、命を命と思わない悪逆非道鬼畜外道冷酷無比な恐ろしい男だと思っていたぞ」
「……盛り過ぎだと思うが、否定はしない。特に女子供を痛ぶり、命を弄ぶような輩は八つ裂きにしても生温いくらいだ」
「過激だな」
「よく言われる」
会話が途切れ、再び沈黙が訪れる。しばらくして、今度は佐藤から話を切り出した。
「何故、貴様は探偵を?」
「他に出来る仕事がなかったからだ。自分に出来ることを考えた結果、探偵に行き着いた」
「では、以前はどんな仕事を?」
「……黙秘権を行使、パス一だ」
「それは残念。参考にしたかったのだが」
「暗殺者に個人情報を明かす馬鹿がどこに居る」
クロガネは後ろから佐藤の尻を軽く蹴る。階段の上ではなく踊り場だったため、佐藤は数歩前のめりになるだけで済んだ。
「……危ないだろ」
「階段じゃないだけマシだろ」
佐藤の非難がましい視線を軽く受け流す。
「立場を弁えろ。さっさと歩け」
「先に話し掛けたのはそちらだろうに……」
「話の続きは警察署で、お巡りさん相手にな」
「叶うのであれば、相手は美人な婦警さんがいい」
「それには同意する」
毎回騒動の中心に居たばかりに何度も取調室に連行されている探偵が同意した。
『……仲良いですね』と通信機越しにどこか呆れたような声が聞こえたが、気のせいだろう。
建物の外に出たクロガネは、足元に落ちていたボロボロのジッポライターを見付けて拾い上げる。所々焼け焦げて凹んでおり、蓋は歪んで完全には閉じられなくなっていた。試しに何回かホイールを回してみたが、発火石から火花が飛び散るだけで、火は一向に点かなかった。
「……まぁ、いいか」
ライターを上着の内ポケットにしまうと、
「っと」
佐藤が躓いて片膝を着いた。
「……何をしている?」
「いや、躓いた。さすがに疲れているようだ」
肩越しにそう言って立ち上がり、再び両手を頭の後ろに組む。
無理もない。何度も死線をくぐり抜けた極限状態が解かれ、蓄積した疲労が押し寄せたのだろう。注意力が散漫した上にこの暗闇では、うっかり躓いたとしても不思議ではない。
同じく消耗していたクロガネはそう結論付け、再び佐藤を前にして歩き出す。
「クロガネさん!」「鉄哉!」「黒沢ぁッ!」
佐藤を連れて車の近くで待っている仲間たちの元へ合流すると、三者三様に名前を呼ばれる。同時に叫んで声が重なったために、呼ばれた当人は「なんて?」と首を傾げた。
「お怪我はありませんか?」「ちょっと、無事なの?」「あの化物が落ちて来たんだが!?」
聖徳太子でもないクロガネには、三人の台詞を同時には聞き取れない。
「うるせぇ、一人ずつ話せや! いや待て、佐藤に手錠かけるのが先――」
言いながら佐藤に向き直ると、
――ドンッ! ドンッ!
言葉を遮る形で銃声が二回鳴り響くと同時に、胸に重い衝撃が走る。
急速に意識が遠のいていくのを自覚しながら、拳銃――投降する際に投げ捨てた筈のもの――を構えた佐藤を見た。
風が吹き、銃口から吐き出された硝煙が流されていく。
思い浮かんだのは、一つの疑問。
それは「何故?」でも「いつの間に銃を?」でもなく、
(……なんて顔してやがる)
本来の役割に戻った暗殺者の表情は唇をきつく噛み、苦く、痛みを堪えているかのような、見ていて辛いものだった。
膝から力が抜け、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
誰かの叫び声を、どこか他人事のように聞いたところで、クロガネの意識はブツンと途絶えた。
お疲れ様でした、これにて5章は終了です。
佐藤と〈ドッペルゲンガー〉の演出を盛り過ぎた結果、だいぶ長くなってしまいましたね。
気付けば〈ドッペルゲンガー〉は作者も「くどい」と思うくらいタフなキャラクターに仕上がってました。
とにかく頑丈でしつこく追い詰めてくる。一種のホラー要素として少しでも恐怖を感じて頂けたら嬉しいです。
ちなみに作者は『ターミネーター』シリーズが大好きです。小説にもその影響が顕著に表れていますね。




