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機巧探偵クロガネの事件簿 〜機械の人形と電子の人魚〜  作者: 五月雨皐月
機械の人形と電子の人魚 編
10/24

5.機巧探偵と暗殺者(1/2)

 美優がクロガネの元にやってきて五日目の朝を迎える。

 昨夜の騒動でクロガネ探偵事務所の前に押し掛けてきた多数のマスコミを警察官たちが遮り、遠巻きに野次馬が取り巻いていることもあって、普段は静かなスラム区の朝がざわついていた。

 一方で、騒がしい外野とは対照的に、事務所内では気まずい沈黙と重苦しい空気が立ち込めていた。窓の外から見られないようカーテンで仕切られた探偵事務所には、朝早くから五人の男女が集まっている。


 一人目。クロガネ探偵事務所の探偵、クロガネこと黒沢鉄哉。

 夜明けまで警察から聴取を受けていたため寝不足。おかげで目付きが悪い。


 二人目。クロガネの担当医にして協力者、海堂真奈。

 たたでさえ寝起きが悪いのに、夜明け前にPIDでクロガネに叩き起こされたため、すこぶる機嫌が悪い。


 三人目。鋼和市市長、山崎栄一。

 昨夜の騒動の鎮静化に尽力。徹夜で一部の市民からの問い合わせに対応し、警察と情報共有・緊急対策会議を行い、ようやく一段落した。二時間ほど仮眠を取ったが、疲労が取れていない。


 四人目。貧乏くじを引くことに定評のある中年刑事、清水。

 頬と手に大きめの絆創膏が貼られていた。事件当事者として上司に報告した後、クロガネの頼みで真奈を護送してきたため睡眠はおろか、ろくに休憩もしていない。寝不足と疲労とメタボ腹が気になり出して機嫌が悪い。後日行う報告書の作成と人間ドックに気が滅入っている。


 五人目。発端のガイノイド、安藤美優。

 いつもの感情が読めないポーカーフェイス。他の四人のコンディションと機嫌が悪いため、居心地が悪く感じている。


 そして美優以外の全員が思うことはただ一つ。

『……眠い……』

 これに尽きた。


「……さて、お集まりの皆さん」

 お世辞にも良好とは言えない雰囲気の中、眼鏡の位置を直しながらクロガネが切り出す。自然、一同の注目を一身に浴びる。

「この中に一人、浮いている者がいます」

 ざわ……。

 ざわ……。

 一同が落ち着きなく、互いに視線を交錯し、疑惑の目を向け合う。

 やがて美優が、真奈を指さし告発する。

「……真奈さんです。彼女は一般人で、今回の襲撃にはまったくの無関係です。裁判長、彼女の退席を要求します」

「探偵だが」「異議あり!」

 訂正を遮る形で真奈が反駁(はんばく)する。

「朝っぱらからいきなり連れてきておいて帰れはないでしょう。浮いているという意味合いでは、五人の中で唯一のガイノイドである美優ちゃんです。彼女は人間のしがらみや争いにはまったく関係ないので、彼女を退席させるべきです裁判長」

「探偵だが」「異議あり!」

 訂正を遮る形で今度は美優が反駁はんばくする。

「私は浮いていません! むしろ沈みます! 質量的に!」

「ですよね!」真奈が肯定した。

 何やかんやお互いを気遣っているこの裁判の判決はどう出せば良いのだ?

「……何だ、この茶番」

 清水が至極真っ当なツッコミを入れる。

「本題に入る前に、空気のリセット目的で場を和ませたのでしょう。過度な警戒と緊張感は話し合いの場にはふさわしくありません。どこかで失敗し、誤解を招くこともありますから」

 連日議会に出席している市長が言うと説得力がある。

「なるほど。黒沢のフリに、お嬢さん方が応えたわけですか」

 納得した清水に「えっ」となるクロガネ。

「違うんかいっ」

「勝手に二人が遊んでいるだけだが?」

 その発言に、美優と真奈が意外そうな顔を向ける。

「え? フリじゃなかったんですか?」

「何自分だけ真面目キャラ装ってんのよ」

「フリで切り出してもいないし、最初から真面目な話をしようとしていたんだよっ」

 元からふざけている人間だと誤解されるような言い方はやめてほしい。 

「正解は、この中で清水さんだけが美優のことを知らないだろ」

「そうだ黒沢。今更だがその子、ガイノイドなのか? すんげぇ美少女型を侍らせてやがんな、おい。お前にそんな趣味があったなんて知らなかったぞ」

 真奈と似たようなことをのたまう。

「真面目にボケ倒すな貧乏くじ」

「ンだと貧乏探偵」

 あぁん? とメンチ切る清水。不機嫌であることも手伝って警官らしからぬ態度である。

「お二人とも、その辺で」

「そうよ、市長もいるのに話が進まないじゃない」

「「お前らが言うなッ!」」

 美優と真奈のツッコミにツッコミ返す貧乏コンビ。端からその様子を眺めていた市長は、

「……何だ、この茶番」

 ぼそりとそう呟いた。



 眠気覚ましにコーヒーを淹れて一旦落ち着いたところで、クロガネは状況の整理も兼ねて改めて美優の素性と彼女から受けた依頼内容、そして今に至るまでの経緯を説明した。内容が内容だけに、真奈と清水は驚愕し、青ざめたりしていたが。

「守秘義務に反して国家機密を明かしたのは二人を信用してのことだ。獅子堂玲雄専属の殺し屋が現れた以上、何も知らずに備えないままでは返って危険だと判断した」

 現在、クロガネは美優の護衛を最優先にしている。刑事である清水はともかく、一般人の真奈までは護り切れないと正直に話した。

「というわけで、海堂は美優が無事に本土に引き取られるまでの間、ウチに泊まれ」

「あら大胆」どこか嬉しそうに驚くそぶりを見せる真奈。

「茶化すな。状況はかなり深刻だ」

「それなら海堂女史の家の方が護衛し易いんじゃないか? 中央区だからセキュリティも充実しているだろ」

 清水の意見を、クロガネは「駄目だ」と却下する。

「海堂の住居はマンションの最上階で逃げ場がない上に、セキュリティも獅子堂の前ではザル同然だ。それだったら地の利があるウチの方が良い」

 考えもなしに探偵事務所をスラム区に構えたわけではない。現に昨夜の襲撃でデミ・サイボーグの男の位置を即座に特定できたのは、元より狙撃や監視を行える場所が限定される立地条件を吟味して選んだからである。

「あのデミ・サイボーグの足取りは?」

「すまん」と清水は首を横に振った。

 閃光手榴弾(スタングレネード)を炸裂させた後、デミ・サイボーグの男は煙のように消えてしまった。

 応援で駆け付けた警官や近隣住民からの目撃情報もない。

 男が持つように誘導した無線機には発信機を仕込んでいたが、その信号も途絶えてしまった。清水の危機にクロガネが現れたことで発信機の存在に気付き、破壊したのだろう。

 都市中の監視カメラをハッキングした美優の眼すら掻い潜ったとなると、逃走経路は下水道である可能性が高かったが、美優の安全を優先してすぐに事務所に戻り、追跡は断念した。破壊して放置していた〈ヒトガタ〉の説明を現場で待機していた警官にしなければならなかったこともある。夜明けまでに聴取が終わって解放されたのは、市長の口添えがあったからこそだ。

「その後の進展は?」

「それもすまん。対サイボーグ機動隊の出動と下水道の捜索を要請したんだが、通らなかった」

「俺の眼鏡で録画した映像は?」

「もちろん、証拠として提出して上に見て貰ったんだが……どうにも腰が重い」

 おそらく、獅子堂家からの圧力があったのだろう。逆に言えば、名家である獅子堂が犯罪者を匿っているという証左でもあるのだが、やはり立件までは至らないようだ。

「美優からは何かないか?」

「ごめんなさい、獅子堂家に関連するものは検索できないようにプロテクトが掛けられています」

 美優の開発スポンサーは獅子堂重工だと本人から聞いた。スポンサー特権として美優に制限を掛けているようだ。

「破壊した〈ヒトガタ〉からは何か解ったことは?」

 手を挙げた真奈の質問に、清水はPIDを操作する。同じ事件を担当する警察官同士の情報共有に使われる秘匿回線と接続。この時、美優の瞳が一瞬だけ緑色に光ったことに気付いたのは、クロガネと真奈の二人だけだった。

「……今も調査中だ。民間でも流通している汎用モデルだが、違法なプログラムを組み込む前提のためか洗浄(ロンダリング)済み。そのため、入手経路は今のところ不明。他に手掛かりがないか、海堂女史に調査協力をお願いしたい」

 そのために真奈を呼び出したのだ。わざわざ清水に護送してもらったのは、彼女が獅子堂玲雄に目を付けられていたことを考慮してのことだ。

「ハード関連なら確かに私の出番ね。ちょっと職場に連絡しておくわ」

 自前のPIDを取り出した真奈は、背を向けて少し離れる。

「肝心のプログラムやOSに関しては何かないのか?」

「ソフトに関しては、どっかの誰かさんが高圧電流ながしたり、徹甲弾の零距離射撃で頭を吹っ飛ばしたりしたせいでサルベージどころか修復もほぼ不可能なんだと」

「なんてこった。ひどいことをする奴がいたもんだな」

「まったくだ」清水の目が笑っていない。

 ……仕方ないだろう。動力炉は分厚い装甲で厳重に守られている上に、上手く破壊したとしても予備のサーキットが生きていればオートマタは入力されたプログラム通りに動き続ける。確実かつ迅速に仕留めなければ殺されるのはこっちだ。

「断片的なものから推察するに、追加されたプログラムの内容は私の確保とクロガネさんの暗殺みたいです」

「……は?」

 美優の発言に、清水は呆けた声を上げる。同時に、彼の持つPIDが勝手に起動し、中空に投影した映像には破壊された〈ヒトガタ〉のプログラムソースが――所々虫食いのようにブランクがあるものの――大量に表示される。

「な、なんだこれ!?」

「ほう、これは……」

 清水と市長は驚き、連絡し終えて振り返った真奈はどこか呆れたような笑みを浮かべた。


『■長一五■~一■〇セン■』

『■せ■』

『■髪』

『日■人女■』

『標的■』

『■保』

『■■■■■■■■■■■殺』


「……なるほど、美優の外見的特徴が入力されていたわけか」

「獅子堂玲雄と遭遇した時、私の顔は隠れていましたからね。一方でクロガネさんの顔は覚えられていたため、住所が割れてしまいました」

 おそらく〈ヒトガタ〉に入力された命令の内容は、


『クロガネ探偵事務所内にいる身長一五〇~一六〇センチ、痩せ型、黒髪、日本人女性を標的Aとして確保。Aの近くにいる人間は抹殺』――といったところだろう。


「ちょっと待て。ツッコミが追い付かないんだが」

 清水が頭痛に(こら)えるような仕草で頭に手を当てる。

「? 清水刑事の質問の意図が不明です。誰も何もボケていませんが?」

 首を傾げる美優。機械なのに天然とはこれ如何に。

「そうだけど、そうじゃないんだよ。何でコレ、修復もサルベージもほぼ不可能って」

「絶対に不可能でなければ可能です」

 はっきりと美優は断言した。

「三体の〈ヒトガタ〉の内、電流で破壊された一体はどうしようもありませんでしたが、残りの二体は所々データが無事でした。なので無事だった部分だけをサルベージして繋ぎ合わせ、推察が出来る程度に復元してみました」

 事もなげに言う美優に対し、清水は呆然とする。市長は苦笑していた。

「さしずめ、ソフト版『ニコイチ』ね。二体とも同型だからこそ可能だったわけか。損傷の程度にもよるけど、本来なら復元は早くて数日から数週間は掛かるのに大したものね」

 専門家である真奈が素直に感心する。

「プログラムに手を加えたのは誰か解るか?」とクロガネ。

「……さすがにそこまでは。もう少し破損がなかったら可能だったかもしれません」

「そこまで解るのですか?」今度は市長が訊ねる。

「はい。プログラムというのは一種の芸術作品のようなもので、同じ内容のプログラムでも製作者の癖というか、個性がアルゴリズムに反映されるんです。

 例えば、『コップを持て』という同じ命令を三人に与えたとします。すると、〈上から鷲掴み〉、〈横から握る〉、〈手の平に乗せる〉といった感じに各々で持ち方が異なる結果になりました。目的は同じでも手段が異なる、ということです」

 納得して頷く市長の横で、未だに首を傾げている清水。

「要はプロファイリングみたいなものだよ。殺人という『結果』に至るまでの『動機』や『証拠』を調べ上げて容疑者の『人物像』を絞り込むのと一緒だ」

 クロガネがそう例えると、清水は「ああ」と納得する。

「納得したところで、さっきから俺のPIDが……」

「ああ、すみません。勝手にお借りしました」

 現職の刑事に向かって堂々とハッキングの事後報告をする美優。

 よくよく考えたら嫌な報告だな。

「借りたって、防壁は?」

「解析に二秒あれば突破できます。ちなみに対ウィルスソフトの更新がされてなかったようなので、勝手ながらバグ修正を施した上で更新しておきました」

 それは優しい気遣いなのか、余計なお世話なのか。

「え、は? じゃあ警察の秘匿回線も?」

「はい。清水刑事のPIDを経由して侵入しました。先日のように一般のネット回線から侵入するより早く済みましたね」

 それは余計な一言だ。

「先日? 最近も警察のコンピューターに侵入したのか?」

 案の定、清水の表情が険しくなる。

「あー、鉄哉がヤクザの事務所にカチ込んだ時かー」

 さらに真奈が火に油を注ぐ。言っておくが、あれは交渉であってカチコミではない。

「ヤクザ……黒龍会の件か。じゃあ、あの凄まじい量の情報提供はやはり」

「短時間であそこまで詳細に調べ上げるのは俺でも無理だな」

 事ここに至ってはとぼけても無駄なので潔く白状するクロガネ。余計な一言がなくとも、美優の素性を明かした時点で勘付かれるのは時間の問題だった。

「まぁでも、犯罪者逮捕に多大な協力をしてくれたから今回は見逃すわ。他には何もしてないだろうな?」

 腕を組んだ真奈が「うーん」と思い出すかのように視線を上げる。

 え? まだ何かあんの?

「……鉄哉が清水刑事にしょっ引かれた後、警察署の全コンピューターにクラッキングを仕掛けたり、清水刑事を含め全捜査員の個人情報を盗んで、彼らの家族構成を調べ上げて強請(ゆす)りの材料にしようとしたり、最も効率的な留置所からの脱走ルートの試算とプランニングをしたり、ヤクザの残党をけしかけて警察署襲撃を画策したりとかしてたっけ」

 何それ初耳。

「……おい、嬢ちゃん?」

「……今更ながら大変申し訳なかったと思います」

 美優は「ごめんなさい」と清水に深々と頭を下げて謝る。

「まあまあ、ここは穏便に。全部、鉄哉のためと思ってやったことで悪気があってしたわけじゃないですから。ちゃんと私が監視して未遂で止めましたから」

 やんわりと仲裁に入る真奈を軽く睨むクロガネ。お前が黙っていてくれれば何も問題はなかっただろうに、空気読め。

「だが、個人情報まで盗んだのは事実なんだろう?」

「いえ、コピーしてダウンロードして保存しただけです」

 しれっと美優が言った。本当にこいつはもう。

「それを盗んだって言うんだよっ。今更だがそもそもハッキング自体、立派な犯罪だ!」

「そんな、立派だなんて」

「褒めてない!」

 謙遜する美優に声を荒げる清水。なるほど、美優との不毛なやり取りは端からだとこう映るのか。だが流石に、このままはまずい。

「美優、コピーしたデータはまだあるのか?」

「はい、まだありますが?」

「全部削除、バックアップも必要ない」

「了解――全削除、完了しました。証拠隠滅です」

「よくやった」

 ガシッと、クロガネと美優は互いの手を握る。

「よくねぇよ!」

 寝不足でカリカリしている清水が突っかかる。

「今回は見逃してくれるんだろう? 警察官として自分の発言にはちゃんと責任を持ってほしいね」

「確かに、そう言ったがな……」

 警察官としての正義感ゆえか、まだ食い下がろうとする清水に切り札をチラつかせる。

「清水さんも、事件解決のために危ない橋を渡ったことは一度や二度ではないだろう?」

「ぐ……」

 思い当たる節があったのか、清水は渋面を作った。

「くっそ……」

 その悪態を了承と受け取ったクロガネは話を進める。

「さて、清水さんも納得したところで」

「納得してないぞ」と清水がぼやき、

(あれって説得じゃなくて脅迫よね?)

(現職の刑事を脅すとか、一体どんな弱みを握っているのでしょうか?)

 真奈と美優のひそひそ話が聞こえてくる。

「納得したところでっ」

「……どうぞ」

 市長の許可を得たことで強引に話を進める。

「今後について詰めていこうと思います。まずは――」

 美優の依頼はこれまで通り継続。

 探偵事務所が襲撃された事実を逆手に取り、警察に付近の警備強化を申請。

 マスコミに対しては報道管制を敷き、取材も控えさせてもらうよう警察を通して市長が手配。公にはオートマタを使用した強盗未遂事件として報じられるように仕組む。だがクロガネの悪評も手伝って恨みによる犯行とも扱われる可能性があるが、そこはどうしようもない。

 警備とマスコミの存在が、再報復の抑止となれば夜も安全だろう。引き換えに外出も難しくなったため、真奈の通勤と退勤は清水の車による送迎。今日を含め残り三日となった美優のホームステイはすべて事務所内で過ごすことになってしまったが。

「こんなところか」

「ほとんど現状維持……というより、むしろ窮屈になってしまいました」

「それは仕方ないわ。護衛が付いたと思うことにしましょう」

 愚痴る美優を、真奈が宥める。

「お前にしちゃあ随分と大人しいプランだな。てっきりあのデミ・サイボーグを捜し出して締め上げて吊るし上げるとか、過激なことをするもんだとばかり思っていたが」

「失礼な」

 清水の発言に憮然と返すクロガネ。

「狙われているのが俺一人ならともかく、今は美優の依頼と安全が最優先だろう」

「……過激なプラン自体はあるにはあったんだな」呆れる清水。

 クロガネの数ある嫌いなものの一つが、仕事の邪魔をされることである。

 清水は、あのデミ・サイボーグを一時的とはいえ追い詰めた時のことを思い出す。障害が非合法のものならば、そちら側の手段を以って排除することもクロガネは厭わない。

「そんなんだからマスゴミどもが食い付くんだよ」

「こっちは毎回正当防衛なんだがな。食い付くのは悪意ある加害者の方にしてほしい」

「その悪意ある加害者が気の毒に思えるくらいボコボコにするから、お前の方に目が行くんだよ」

 それほどまでにクロガネの手段は命までは取らないものの過激かつ苛烈であり、敵対した相手の骨を折るばかりか心をもへし折り、更に踏みにじってトラウマを植え付け、再起不能にするのだ。しかも今回は結果論であるとはいえ、安藤美優というガイノイドの協力もあって黒龍会関係者を社会的にズタズタにするという容赦のなさである。刑事である清水からしても、どちらが加害者で被害者なんだ? と疑問を抱くほどだ。

「だけど、鉄哉のおかげで助かった人も居るでしょう」

「それは……そうだがよ」

 真奈の指摘に、清水は気まずそうに頬に貼られた絆創膏に触れる。

「命あっての物種ですよ、清水刑事」

 美優の一言に、清水はクロガネに頭を下げた。

「……まだ礼を言ってなかったな。昨夜は助かった、ありがとう」

「お返しは海堂の送迎三日間な。お疲れのところ悪いけど、安全運転でよろしく」

 そっけなく事務的な指示をするクロガネ。ちっとも悪いと思っていない。

「お前さー、人のお礼を素直に受け取ったりとか『どういたしまして』とか言えないの?」

「ひねくれ者なんで」

「知ってるよ」

 くっくっと、肩を震わせる清水。クロガネがそっけない態度を取る時は、照れ隠しであることを知っていた。

「ちっ……ああ、そうだ」

 バツが悪そうに舌打ちしたクロガネは、思い出したかのようにポケットからあるものを取り出し、清水に放り投げる。受け取った清水の手には、青いプラスチック製のガムケースがあった。直射日光や湿度変化による品質低下を防ぐ構造上、外側からは中身が見えないが、好きな種類の板ガムを五〇枚ほど収納できる。

「安全運転でよろしく」

「はいはい、ごちそうさん」

 話が区切られたのを見計らい、それまでずっと黙っていた市長が口を開いた。

「それでは、そろそろ行きますか?」

 その一言に、全員が玄関に視線を向ける。



 クロガネと市長が表に出ると、一斉に焚かれたカメラのフラッシュを浴びる。

「おはようございます、黒沢さん。昨夜の騒動について何かコメントをお願いします」

「オートマタに襲われたとのことですが、犯人に何か心当たりは?」

「散弾銃で破壊したとのことですが、そのことで警察や近隣住民から何かトラブルはありませんでしたか?」

「今回の騒動で山崎市長との関係は?」

 大量の銃口ではなくマイクを突き付けられ、矢継ぎ早に弾丸の如く質問が飛んでくる。警察官たちが身を挺して記者たちの接近を防いでくれていることに内心感謝し、記者たちの中に獅子堂玲雄の刺客が紛れていないか警戒しつつ質問に答えた。

「おはようございます。昨夜の襲撃については私に恨みがある者の犯行ではないかと、先程まで警察の方と話をしていました」

「心当たりは割とありますね。職業柄、恨まれやすいので。特に私は」

「狩猟免許を持っていますので散弾銃の所持は合法です。さすがに真夜中に発砲したことについてはご近所の方々に大変申し訳なかったと思いますが、正当防衛ということで何卒ご理解頂けたらと」

「関係といっても、今回オートマタが犯罪に使われたということで、状況確認と治安維持の意見交換という名目で市長が警察の方と一緒に来られたんですよ。市民の一人として、とてもありがたいですよね。わざわざ市長が足を運んで下さるなんて」

 獅子堂玲雄に関することのみ伏せているが、他は何一つ嘘が含まれていない。

 さりげなく、クロガネと市長の背後を清水と真奈が通り過ぎると、目敏い記者が質問する。

「失礼ですが、今後ろを通った二人は?」

「後ろ? ……ああ、さっきまで話をしていた刑事さんですよ」

 油断なく、肩越しに背後を一瞥して質問に答えるクロガネ。

「女性の方も?」

「いえ、そちらは捜査協力の方と伺いました。機械義肢の専門家で、私が壊した例のオートマタを調べるのだと」

「失礼。そろそろ質問の方は切り上げて貰ってよろしいでしょうか?」

 ここで市長が割り込んできた。

「騒動の内容についてはたった今ご説明した通りです。探偵さんのお仕事やご近所の目もありますので、これ以上の質問や取材は場所を変えて私が請け負います」

 カメラとマイクの矛先が、市長に向けられる。

「市長はこの騒動について何か関係があるのでしょうか?」

「もちろん。市内で起きたこの騒動については、遺憾ながら残念であると考えております。先程彼が説明したように、今後の治安維持や再発防止策を検討する上で、当事者の方と意見交換を行い、市政に活かす所存です」

 見方によっては有能アピールに捉えられるかもしれないが、実際に有能な市長なのだ。今日の政治家も見習って欲しいと思える有言実行の姿勢は市民の大半が支持しており、政治家が大嫌いなクロガネでさえ敬意を払うほどである。

「――それでは本日午後二時に会見の場を市役所の第二会議室に設けますので、ここで解散ということでお願いします。取材希望の方は正午までにご連絡ください」

 市長がそう締めくくると、各報道陣はカメラを止め、順次解散していった。

「ご苦労様です」と警備に当たっていた警官たち一人一人を労うと、市長はクロガネに向き直る。

「では黒沢さん、私もこれで失礼します」

「この度は、大変お世話になりました」

「こちらこそ。失礼します」

 互いに一礼し、市長は清水の車に乗り込む。警察署に向かうついでに、市役所まで送ってほしいと市長本人が依頼したのだ。ちなみに探偵事務所には秘書が運転する車で来たのだが、込み入った話で長くなるだろうからと秘書を先に帰していた。事実、第三者には聞かれたくない内容ではあったので、その配慮に痛み入る。

 市長と真奈が乗る清水の車を見送った後、クロガネは美優が待つ事務所に戻っていった。



「お疲れ様でした、市長」「お疲れ様でした」

 ハンドルを握る清水と助手席の真奈が、後部座席に乗り込んだ市長を労う。

「いえ、お互い様です」

 市長がシートベルトを着用したのを確認してから、清水は車を発進させる。万一の敵襲に備え、自動運転装置はあえて使用しない。有事の際に自動で路肩に停車したら良い的だ。

「これから忙しくなりますね」

「毎日忙しいのですが、まぁ今回は特にですね。あなた方もこれから大変でしょうし、頑張ってください」

「恐縮です」

 三人を乗せた車は赤信号のため停止する。清水の負担を減らすため、真奈も時折後方を確認していると、

『今のところ、尾行している不審な車はありません』

 突然、清水の車――覆面パトカーに備え付けられた無線機から第三者の声が発せられ、驚く一同。

「美優ちゃん!?」

『はい。いつもニコニコあなたの車にちゃっかり乗車、姿なきハッカーの美優ですよ』

 淡々とした口調で、どこかで聞いたことがあるような口上と共に名乗りを上げるガイノイドの声がスピーカーから紡がれる。

「不敵に微笑むことはあっても、いつもニコニコはしていないでしょう?」

「まずそこかよ。これ、警察の無線なんだけど……」

 真奈の的外れな指摘に呆れる清水。

『それは真奈さんの前ではです。正確にはゲームで対戦していた時ですね。クロガネさんには今の私に出来る最高の笑顔を割と頻繁に披露しています』

「へ、へぇ……それで鉄哉の反応は?」

『普通に微笑み返してくれました』

「何それズルい」

「何の話をしてんだ、あんたら」

 信号が青になり、清水は車を発進させる。

『話を戻します。私は現在、この車の無線機と車体前後のドライブレコーダーにリアルタイムで繋がっています。勝手ながら、あなた方全員が車から降りるまでの間だけナビゲートをさせてください』

「お気遣いありがとうございます。これも黒沢氏の指示ですか?」と市長。

『いいえ、これは私の独断です。クロガネさんは今、仮眠をとっています』

「寝てんのか。羨ましい……」と清水がぼやく。

『私の膝で』

「まさかの膝枕。羨ましい……」と真奈が悔しがる。

「どっちの意味で?」と清水。

 膝枕をクロガネにする方なのか、美優にされる方なのか。

『私も皆さんにはお世話になっています。なので、せめてこれくらいはお返しをさせてください』

「ふわッ……ぁ……、そいつはありがたい。欲を言えば自動運転をして貰って、俺も少し仮眠したいよ」

 欠伸混じりに清水がそんなことを言うと、

『アイ・ハブ・コントロール』

「出来んの!?」

『冗談です』

「冗談かよ!? おかげで少し目が覚めたわ!」

 清水と美優のやり取りに真奈は爆笑し、市長は苦笑した。



「ご報告は以上となります」

 東区にある最高級ホテルの最上階に位置するスイートルーム。柔らかいソファーに身を沈め、バスローブ姿の獅子堂玲雄はデミ・サイボーグの男から任務失敗の報告を聞いていた。

「それで? 貴様はおめおめと逃げ帰ってきたと?」

 グラスの中にある赤ワインを揺らしながら、冷淡とも取れる玲雄の問いに、直立不動の男は静かに答える。

「面目次第もございません」

 玲雄はワインを飲み干すと、

「ふざけんじゃねぇよッ! このクズッ!」

 ソファーから立ち上がり、手にしていたグラスを男の顔に投げ付ける。

 咄嗟に盾にした義手にグラスが当たって砕け、床に破片が散らばった。

 公の場で見せる甘いルックスと穏やかな声音は鳴りを潜め、鬼のような形相と粗雑で乱暴な言動、獅子堂玲雄の裏の顔にして本性が現れる。

「サイボーグやBOW(生物兵器)との戦闘で手足を失い、無能なウジ虫になったお前を助けたのは誰だ?」

「獅子堂様でございます」

「貴様はどこの家に仕えている?」

「獅子堂家でございます」

 淡々と答えた男の前で、両手を広げ、天井を仰いだ玲雄が吼える。

「そうだ! 天下の獅子堂だ! 俺の家だぞ! 俺は獅子堂重工会長・獅子堂光彦の正統後継者だ!」

 その言葉は、世界中の人間に言い聞かせるような神の如く――

「全ての人間が俺に跪き、こうべを垂れ、女どもは股を開いて喜んで体を差し出し、逆らう者は死だ!」

 ――あまりにも傲慢で、理不尽なものだった。

「あのクソ野郎の所に居る小娘も俺の所有物だ! 愚民の分際で我が物顔しやがって虫唾が走る! あと一回だけチャンスをくれてやる! さっさとあのクソ野郎をぶっ殺して小娘を俺の元へ連れて来い!」

 視界の端、キングサイズのベッド上で全裸の女性が玲雄の怒号にびくりと身を震わせている。まだ若い、おそらく二十歳にも満たない少女だ。玲雄が乱暴に扱ったのだろう。髪は乱れ、シーツを手繰り寄せて前は隠しているが、全身に付けられた無数の痣と傷がひどく生々しく痛々しい。泣き腫らして真っ赤になった目には恐怖の色が浮かんでおり、声を出さずとも助けを乞う視線が男に向けられている。

 だが男にはどうすることも出来ない。

 ゆえに少女の存在を――怯え、竦み、助けを求めるその目を意識的に無視した。

「……若旦那、一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」

 玲雄が落ち着いた頃合いを見計らい、声を掛ける。

「……はぁ……はぁ、何だ?」

 懐から一枚の写真を取り出し、玲雄に見せる。写っているのは美優だ。玲雄の個人的な報復命令を受け、事前準備として病院の防犯カメラ映像からプリントアウトしたものである。正面から対峙したクロガネはともかく、美優の顔は彼の背中に隠れて確認できなかったため、標的を確認する目的で用意したのだ。

「あの探偵を始末するのはともかく、この少女にこだわる理由を教えていただきたい」

 事務所襲撃前に写真を通して初めて美優の顔を見た玲雄がいつになく興奮し、『絶対に攫ってこい』と念入りに命令された。いつもの女癖かと思いきや、ここまで特定の女性に固執するのは初めてのことだったので気になったのである。

「……お前如きに知る権利はねぇよ」

 玲雄が冷たく突き放す。だがその返答は想定内だ。

「あの探偵の実力はかなりのものです。奴からこの少女を攫うにはそれなりの理由と価値があるのでしょう? 敵側の情報を知ると知らないとでは、こちらの戦果に関わります」

 ふむ、と玲雄が一理あるとばかりに顎に手を当て、一考する。

「なるほど、確かにな。良いだろう、教えてやる」

 ベッドの縁に腰掛ける玲雄。彼が近くに来たことで、ベッド上の少女は「ひっ」と身を縮めた。

「あの探偵に身を寄せている小娘は人間じゃない。ガイノイドだ」

「ガイノイド、ですか?」

 意外だった。あまりにも人間に近い外観だったためガイノイドだとは思わなかった。そして玲雄が生身の女性以外に執着しているのも意外だ。

「ただのガイノイドじゃあない。()()()()()()()()()()

 またも意外な事実だ。

「……妹さん、いらっしゃったのですか?」

「ああ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう言って震えている少女の腕を掴み、乱暴に抱き寄せる。

「生きていたら、ちょうどこの()()と同じ年頃だったかな」

 逃げられないように腕を少女の背中に回して肩を掴み、空いた手で顎を掴んで顔を玲雄自身の方に向かせ、怯え切ったその眼を覗き見た。少女は蛇に睨まれた蛙の如く、全身を硬直させる。

 ――玩具呼ばわりで己の欲望のためだけに弄ばれる少女と同じ年頃だった妹。

「妹さんの遺作だから手に入れたいと?」

「手に入れたい、じゃない」

 玲雄が訂正を入れる。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 少女を護っていたシーツを剥がし、露わになった控えめな乳房を乱暴に掴むと、少女は苦痛と恐怖に顔を歪め、小さな悲鳴を零した。

()()()()()()()()()()()()()()。あらゆる手段を以てしてでもな」

 ――実の肉親を所有物呼ばわり。生前の妹が実兄にどのような扱いを受けていたのか解った気がする。

「話は終わりだ。これで充分か?」

「……はい。ありがとうございました」

 男は姿勢を正し、一礼する。

「ならさっさと失せろ。次に会う時までに必ずあの妹の作品を連れてこい。ただし、またしくじったらその時は……解ってんだろうな?」

 冷たく低い声音で最終通告が告げられる。

「承知しております。それでは」

 (きびす)を返し、扉に向かう。

 取っ手を掴んで退室しようとしたその時、

「……期待してるぜ、()()()()()()

 玲雄の心ない激励が、デミ・サイボーグの男――アルファゼロの背中に投げ掛けられた。

 それに応えることなく退室し、扉を閉めようとすると、

「いやぁあああああああああ――」

 その隙間から絹を裂くような少女の悲鳴が響き渡る。だが、それも一瞬のこと。防音仕様の扉を閉めれば、悲痛な叫びなど誰にも聞こえない。

 誰にも届かない。

 誰も、助けには来ない。

 男の耳に少女の悲鳴がこびり付き、心は暗く沈み、足取りは重くなる。

 ――アルファゼロ。

 それは獅子堂家を守護する選ばれし者の証であり称号。

 ()えあるゼロナンバーの一つ。

 獅子堂家にとっても自身にとっても特別な名であり、誇りだった筈だ。

 だが今は、獅子堂玲雄に仕え、彼から呼ばれるこの名がこれほどまでに不快で、不愉快で、不名誉なものだったとは。

 忸怩(じくじ)たる思いで、目の前の理不尽な現実から逃れたい一心で扉に背を向けて歩き出す。

 一刻も早く、この場から立ち去りたかった。

 ……切り替えよう。

 結局のところ、己の運命は己で切り開くしかない。そう自分に言い聞かせる。

 あの少女には、獅子堂玲雄に犯される運命を覆すだけの力がなかっただけの話だ。

 これから自分は雇い主の命令に従って黒沢鉄哉を殺し、例のガイノイドを『奪還』する。

「……嗚呼、本当に――」

 無意識に、胸の内に秘めていた言葉が漏れた。

「――酷い職場だ」


 ***


 ――貴方と肩を並べて立つのは、この時が最初で最後だった。

 自分にとって雲の上の存在で、いつも見上げる立場だった。

 そして、それはこれからもだろう。

 例外はきっと、一瞬にも等しいこの時だけだった。

「まさか探偵なぞ始めるとはな……」

 呆れるようにそう言ったのは壮年の男だ。老人と呼ぶにははばかる程に生気がみなぎった若々しい顔、背は低めだが威風堂々とした佇まいが見た目以上に大きく見える。一分の隙も見せないこの男が後見人を引き受けてくれたおかげで、自分の城を持つことが出来た。

 スラム区の一角にある老朽化した建物。今まで手付かずだった給料の大半を費やして買い取り、全面改修の末、新たに探偵事務所として生まれ変わった姿を男と共に見上げる。

「昔取った杵柄か、貴様なら人捜しも尾行もお手の物だろう。ゆえに、適職といえるか」

 ――お陰様で。貴方に仕えていたことで培ったスキルです。

「本当は他に就けた職がなかっただけであろう?」

 ――まぁ、その通りですが。

 つい最近まで趣味らしい趣味を持たず、世間の知識も経験も浅い。

 人間関係も男とその家族、そして自分と同じく彼に雇われた同僚だけという極めて限定的かつ閉鎖的なものだった。

 真っ当な社会の中で働く自信はなかった。彼以外の者に雇われる気もなかった。

 必然、独立して食って生きるには起業した方が早いと気付き、何をやるか、何が出来るかを自分なりに考え抜いた結果、探偵に行き着いたのである。

「ところで貴様、()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 言われて気付く。そういえばまだ決めていなかった。建物の改修費用と土地代は自分が払ったが、名義やその他諸々の手続きに関しては男が代理で全部やってくれたのだ。名義変更と引継ぎなどの手続きには自分の名前が必要だ。

 名前くらい最初に考えておくべきだったが、前の職場を離れる際の挨拶回りなどでバタバタしていたせいで、すっかり忘れていた。

 現役時代は『田中太郎』やら『山田次郎』やら適当な偽名を使っていたことを話す。

「なんだ、そのモブ過ぎて逆に怪しい偽名は?」

 ――仕事が一つ片付けば、すぐに捨てるものだったもので。

 当然、愛着など持ちようがなかった。

 やれやれと、男は首を横に振る。

「『名は体を表す』というように、名前は命の次に大切なものだ。名付けた親の願いや祈りが込められている以上、名に愛着がなければ人は形を成さん。意思のない人形以下の存在に成り果てるぞ」

 ――最近までそういう存在でした。

 産みの親はもう顔すら思い出せない。

 育ての親は何人もいたが、彼らから与えられたのは願いや祈りなどではなく――

「……すまない、そうだったな」

 別に貴方が謝ることでもないのだが。

「では逆に考えるか。『名は体を表す』のならば、『体は名を表す』こともあり得よう」

 そう言って、じっとこちらを見つめる。

「そういえば、今も昔も貴様はいつも黒い服ばかりを着ているな」

 ――貴方に仕えていた頃はそれが制服でしたから。仕事の都合上、色は暗めで目立たない服を着ることが多かったですし。

「それで娘や一部の同僚から『クロ』と呼ばれていたのか。ふん、犬猫じゃあるまいし」

 『飼い犬』という意味では、あながち間違っていないと思う。

「仕事ぶりは徹底していたな。貴様ほどブレず、折れない奴は中々いなかった。こと娘に関しても、この私に逆らったのは貴様くらいだ」

 飼い犬に手を噛まれる、と言ったら怒られるな。

 ――その件に関しては、今も撤回も謝罪も後悔もしません。

「頑固な奴だ。その頭は石ではなく鉄であろうな……ふむ、『黒』に『鉄』、か……」

 何やらぶつぶつと呟いている。やがて考えがまとまったのか、男は顔を上げた。

「よし、お前は今日から黒鉄……黒沢鉄哉とでも名乗るが良い」

 ――クロ、ガネ……? クロサワテツヤ?

 首を傾げていると、男は手帳に達筆な字で書いて見せた。なるほど、こう書くのか。

「仕事の時は日本刀の如き鋭さと強靭さを感じさせる一方で、娘の世話をして貰った時は優しく、柔軟になる。剛柔相反する性質を持つ貴様には『鉄』の一字が相応しい」

 そこまで評価が高かったのは意外だった。立場上、褒められることはなかったから素直に嬉しい。

 ――『黒沢』の由来は?

「この国で有名な映画監督の名前から取った。古い映画を見るのが貴様の趣味なのだろう? 今度、その監督の作品もチェックしておけ、面白いぞ」

 ――では、『鉄哉』は?

「『黒沢』との組み合わせて語呂の響きが良さげだから選んだ」

 ――適当っすね。

「とりあえず、今後は黒沢鉄哉と名乗れ。役所への手続きなどは、こちらで済ませておく」

 戸籍自体が偽造だから結局は偽名である。

 だがしかし……黒沢鉄哉、か。

「例え偽名でも、愛着が湧けば真名にもなろう。……ほぅ、少しは気に入ったか? 笑っておるぞ」

 言われて口元に手をやるも、いつもの一文字だ。本当に笑っていたのか?

「ではこの事務所の看板は『クロガネ探偵事務所』だな。あだ名もクロガネと呼ばれてみろ。いや、むしろ自分から名乗れ。あだ名があれば自分の名にも愛着が持ちやすかろう」

 そういうものなのか?

 クロガネ、黒沢鉄哉……俺の名前。


 今日、この日、この瞬間を以って、俺が生まれた。


 ***


「おはようございます、クロガネさん」

 ぼんやりと目を覚ますと、すぐ目の前に美しい顔があった。笑顔というには小さな、されど可憐な微笑みを浮かべている。本人曰く、これが現時点で出来る満面の笑顔らしい。

「……クロガネ?」

 可憐な小花が、困ったように小首を傾げる。

「あなたがクロガネさんでしょう? 黒沢鉄哉さん、寝ぼけているのですか?」

 言われて徐々にクロガネの意識が鮮明になってくる。

 そうだった、俺の名だ。

「……ああ、寝てた」

 ゆっくりとソファーから身を起こして、ふと思う。

「はて? 膝枕を頼んだ覚えはないんだけど」

「転がり落ちそうだったもので」

 それで膝枕をしてくれたと。これまでにソファーから転落したことは一度もないのだが。

「そうか、ありがとう」

「はい、どういたしまして」

 首を左右に曲げながら肩に手をやり、凝り固まった筋肉を揉みほぐす。

 周囲を見回す。陽が傾いているのか、室内は薄暗い。仮眠のつもりが不覚にも長い時間眠ってしまったようだ。

「何か変わりはあったか?」

「いえ、何も。おかげで堪能しました」

 どこかツヤツヤとした表情をしている美優。

「何に?」

「膝枕です。一度やってみたかったんです」

 楽しいのかそれ? 長時間の膝枕など脚が痺れて苦痛でしかないだろうに。

 いや、美優なら平気か。

「どうぞ」

 美優が両手に乗せた眼鏡を差し出してくる。寝る前に外しておいたのだ。

「いや、今は良いよ」

「見えるんですか?」

「ああ、視力は良い方だ。それ、レンズに度は入ってないんだ」

「なんと」

 美優は驚いた様子で眼鏡に視線を落とす。

「伊達眼鏡でしたか」

「ネット接続で録音・録画も出来て、フレームには骨伝導式の通信機も仕込んでいる上に防弾レンズだ。伊達じゃないよ」

 前の職場で使っていた特注の多機能眼鏡だ。なんだかんだで随分と長く愛用している。探偵業を開くと知った同僚の一人が、餞別代わりに贈ってくれたのだ。本来は備品であるのに色々と融通を効かせたらしく、結局最後まで世話になってしまった。

「まるでスパイ映画に出てくるアイテムみたいですね」

「あながち間違ってない」

 美優は眼鏡をそっとテーブルの上に戻すと、

(じ~~~~)

 真顔でクロガネの顔を見つめてくる。

 何だ? 寝ぐせか? 涎か?

 とりあえず、頭や口元に手を当ててみるも、どこも異常はない……と思う。

「……いや、眼鏡なしバージョンもアリかな、と思ったもので」

「アリって何がだよ?」

 視線を逸らして奇異なこと言う。これは、照れているのだろうか? 何に?

「眼鏡を外したくらいで、人の顔が劇的に変わるわけでもないだろうに」

「イメージは大分変わりますよ。私はどちらかというと、眼鏡なしの方が良いと思います」

 ふむ、そういうものか。では風呂と寝る時の他に仕事以外では外しておこう。

「ところで、いかがでしたか?」

 おもむろに、美優がそう訊ねてくる。

「えっ、何が?」

「私の膝、もとい太ももの使い心地は?」

 ぽんぽんと自身の太ももを叩く美優。スカートから覗く白い肌が眩しい。

「そう言われてもな」

 膝枕される前に眠ってしまったのだから、感想などあるわけがないだろうに。

「解らん」

 視線を戻すと、どことなく表情が沈む美優を見て付け足す。

「だけど割と熟睡できたから、寝心地は良いんじゃないのか?」

 おかげで懐かしい夢を見た気がする。美優の表情がどことなく嬉しそうなものになる。

「それならいいです。いつでもどうぞ」

「ああ、考えとくわ…………ぁ」

 ふと、思い出す。黒龍会の件で美優に褒美を与えていなかった。とはいえ、今の状況だと外出どころか買い物も難しい。しくじった、早めに考えておくべきだった。

「なんてこったい」

「どうしました?」

 クロガネが己の迂闊さを呪っていると、美優が訊いてくる。

「いや、先日の黒龍会の一件で美優には世話になったからな。個人的に何かお返しをしようかと考えておいて忘れていた」

「お返しだなんて、むしろ私の方がお世話になっているのに」

 遠慮する美優。だがここは譲れない。これは美優に対する報酬であり対価であり勲章のようなものだ。せめて別れる前に、何か思い出になるようなものを贈ろうと思う。

「こういうのは気持ちの問題だ」

 さてどうしたものかとクロガネは頭を悩ませていると、躊躇いがちに美優が訊ねる。

「……あの、何でもいいんですか?」

「ああ、俺に出来る範囲でなら。さすがに高価なものは駄目だぞ」

 ちゃっかり予防線は張っておく貧乏探偵。

「それでしたら大丈夫かと思います」

 ほう、金が掛からないご褒美をご所望か。美優のことだから現状も踏まえていることだろう。高望みしないタイプだからきっと夜通しゲームの相手とか、また膝枕をさせてほしいとか、お手軽かつ気楽に家の中で実現可能なものに間違いないとクロガネは予想する。

「よし。聞こうか」

「はい。私の望みは――」

 ……自信満々だった予想は見事に外れた。

 確かに美優の望みは高価ではなかったが、お手軽でも気楽でもなかった。

「やっぱり駄目、でしょうか……?」

 さてどうしたものかとクロガネは再び頭を悩ませていると、仕事用に使っているガラパゴス携帯電話――ガラケーに着信音が流れる。ポケットから取り出してフラップを開くと、液晶画面には『清水刑事』とあった。

「清水さんか」

 通話ボタンを押して耳に当てる。

「はい、黒沢です。どうしました?」


 ――時間は少し、遡る。


「……製造番号の刻印が一切ない密造品ですね。形状から見るに、ベースになった機体はアメリカのネクソリッド社製汎用オートマタ、AD‐4βの初期型。ベストセラー機も特許(パテント)が切れた今となっては、世界中のあちこちでコピーが大量に造られては出回っています」

 鋼和市中央警察署にある科学捜査研究所――通称・科捜研にて、清水他数名の刑事と鑑識官の立会いの下、白衣と手袋とマスクを身に着けた真奈はクロガネが破壊した件のオートマタ――日本では〈ヒトガタ〉と呼称される――を検分していた。

「しかしながら旧式とはいえ、密造にはそれなりの製造ラインと開発資源と資金が必要になってきます。専属のスポンサーが居ない限りオートマタの大量生産は難しい上に、密輸する手段とルートも考えないといけない。

 それらの条件に当てはまって鋼和市で運用されたとなると、この〈ヒトガタ〉は中国かロシアで造られたコピー品の可能性が高いです」

「暴力団が扱う銃と一緒か」

 そう言ってメモを取る清水に真奈は頷く。

「日本において、非合法な武器の取引相手となればそうなります」

 続けて検分するも、すでに警察側が調べた以上のことは発見されなかった。武装もトカレフやガバメントのコピー拳銃で、〈ヒトガタ〉本体も含め『悪党の定番装備』といったところだ。

 溜息をつき、マスクと手袋を外す真奈。

「……ごめんなさい、さすがにこれ以上は私でも見付けられそうにありません」

 そして無念そうに頭を下げると、

「い、いやいやとんでもないっ」

「これ以上は見付からないと解っただけで充分です」

 男たちが即座にフォローをする。とりわけ若い刑事は真奈の整った容姿にどぎまぎしていた。

「さっそく密輸ルートを割り出そう。捜査班を〈ヒトガタ〉と拳銃の二手に分かれてそれぞれ陸路と海路の運搬記録を調べる。ここ最近で不審な人物や荷物の発注がなかったか聴き込みも徹底するように」

 上司と思しき男が迅速に指示を出していく。

「鑑識は引き続き〈ヒトガタ〉の分析と、破損したデータの修復を急げ」

「解りました」と鑑識官は頷く。

「清水は海堂先生をご自宅までお送りした後、捜査に合流だ」

「了解、ボス」と清水は軽く敬礼する。

「海堂先生、この度はご協力ありがとうございました。またよろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」と真奈は微笑む。

「よし、各自解散。警察の威信に掛けて物騒な玩具をいじっている不届き者を挙げるぞ!」

『はい!』

 清水からボスと呼ばれていた上司の指示で警官たちが真奈に一礼し、次々と室内から出ていく。残されたのは真奈と清水、そして鑑識官だけだ。

「それではお送りします、海堂女史」

「お願いしますね。それでは失礼します」

 借りていた予備の白衣を鑑識官に返して会釈し、真奈と清水もその場を立ち去った。



 一人になった鑑識官の男は、貸した白衣のシワを伸ばしてハンガーに掛けてロッカーに戻すと、〈ヒトガタ〉の残骸に背を向けて壁際に設置された機材を操作し始める。

 宙空に投影されるホロディスプレイには〈ヒトガタ〉のAⅠからサルベージした膨大な量のデータが躍っているが、所々虫食い状に破損していた。入力されたプログラムの修復にはまだまだ時間が掛かる。

 凝り固まった肩を揉みほぐすと、突然背後から何者かに口を塞がれ、鋭利な刃物で喉笛を深々と切り裂かれた。

 最初に感じたのは熱さ、次に痛み。

 それも一瞬のことで、自分の喉から大量の血が噴き出す光景を最後に、男の視界は暗転した。



 クロガネの事務所に泊まることになった真奈は、荷物を取りに戻りたいということで、清水の運転する車で自宅に向かっていた。

 少し陽が傾いてきている。昼と夕方の境い目あたりだろうか。

「刑事さん達、気合い入ってましたね」

 車の助手席に座っている真奈が訊ねる。

「いつも捜査に行く時はあんな感じなの?」

「あんな感じだな」

 運転席の清水が答える。

「犯罪者の蛮行を警察官が見逃すわけにはいかんのは当然として、市長直々にこの事件に向き合うって表明しているからな。いつも以上に気合いは入るだろ」

「それもそうか」

 警察署に向かう途中で降りた市長の背中を思い出す。全ての責任と期待を一身に背負う、真に上に立つ者の背中だった。あの背中に誰もが付いて行くのだろう。

「まぁ、若い奴はお前さんに良いところ見せたいのもあるんだろうが」

「私に? なんで?」

 神妙に話す清水にキョトンとする真奈。

「そりゃあ、こんな若くて綺麗なねーちゃんが捜査に協力してくれるという状況を最大のチャンスと考える独身野郎の一人や二人は居るだろうよ」

「え? さっきまで真面目に気合い入れて捜査するとか言ってたのに、そんな下心あったの? ドン引きなんですけど」

「俺は違うからな」

 見るからに引いている真奈に、左手をひらひら見せる清水。薬指の指輪が光る。

「所帯持ちの警察官が不倫したら大問題でしょ」

「だから違うっつの。だいたいお前さんは黒沢とデキてんだろ?」

「え? ちょ、そんな……(おろおろ)、……そう見える?(キリッ)」

 真奈の頬がうっすらと赤く染まり、ぷるぷると全身が小刻みに震えていた。クロガネと恋人同士に見られたことが嬉しかったらしい。

「なんだ、そのリアクションを見るに付き合っていないのか?」

「う……現状、友達付き合いみたいなものです」

 微妙に落ち込む真奈。想い人がすぐ近くにいるのに、その心は遠くにあるという感じのもどかしさだろうか。人生は本当にままならないものだなと清水はしみじみ思う。

「あの野郎のどこが良いのか解らんけど、黒沢の奴も鈍感だな。こんな綺麗なねーちゃんが目の前にいるのに」

「ははは……」

 力なく笑う真奈が気の毒に見えてきた。

「そ、それよりもですねっ」

 強引に話題を変えてきた。

「あのボス? の人が出した指示の内容って、ほとんど鉄哉と美優ちゃんが片付けちゃってますよね?」

「うん?」と首を傾げる清水。美優が破損した〈ヒトガタ〉のデータ同士を繋ぎ合わせ、部分的にプログラムの解読をしたのはその場に居たから知っているが。

「黒沢は何もしてないだろ?」

 そう言うと、真奈は「ふふん」と得意げに笑みを浮かべ、ダッシュボードにあるガムケースに手を伸ばす。先刻クロガネから貰ったものだが、探偵事務所を出発した時は市長の手前もあって開けずに置いていたのだ。

「眠気覚ましが目的なら、普通のガム一本で済む話です」

 言われてみれば確かに。様々な種類のガムを選んで詰め合わせるのは手間な上に、あの貧乏探偵がわざわざ別売りのケースを購入するとは考えにくい。

「それじゃあ、そのケースの中身は」

 運転中の清水に代わり、真奈がケースの蓋を開ける。

「ビンゴ♪」

 予想が的中し、声を弾ませる真奈。

 ケースの中にはガムではなく、折り畳まれたメモ用紙が数枚入っていた。

「手紙……じゃなくて、何かの調査資料のコピーのようです」

「ちょ」

 勝手にメモの内容を読み始める真奈。一応刑事である清水に宛てられたものなのだが、お構いなしである。だが半分は第三者の目に留まる場所に放置していた清水の落ち度であり、もう半分は真奈がクロガネと清水を信頼しているゆえの協力的な行動ともいえるだろう。そう考えた清水は咎めようとした言葉を呑み込んだ。

「……内容は過去にオートマタの裏取引に使われていた場所と、その主要人物の情報ですね。すでに大半は逮捕済みで服役中ですが、関係者の名前と住所が書かれてあります」

「仕事が早いな。いつの間に……」

 捜査の取っ掛かりとしては良い情報だ。世間では色々と誤解されているが、クロガネは自衛手段が過激なだけであって、探偵としての能力は中々のものだ。

「それにしても、よく解ったな。嫁の勘って奴で、旦那のことはよく見てるってか」

「よよよ嫁ちゃうわっ! それよりもっ」

 動揺を隠すかのように(隠せてないが)、再び話題を変える真奈。

「普段から清水さんは鉄哉とこんなやり取りをしているんですか?」

「……どうしてそう思う?」

 ポーカーフェイスで平静を装いながら訊き返す。真奈よりも上手く動揺を隠せた筈だ。

「さっき鉄哉が言ってましたよね。清水さんが『事件解決のために危ない橋を渡っているのは一度や二度ではない』って。それってつまり、警察側の情報を何らかの形で鉄哉に教えているってことですよね?」

 図星である。

 例えば、先日クロガネに渡した缶コーヒー……その底に貼り付けてあったメモ。

 清水は俗にいう一匹狼の刑事だ。若手や新米と組んで行動するのが苦手という性格から、独自の情報網を有している。私立探偵であるクロガネもその情報源の一人だ。

 警察の捜査情報を清水から横流ししてもらい、クロガネがその見返りとして清水の手柄に繋がる情報を提供する。お互いの利害の一致から構築したビジネスパートナーという関係上、周囲から不信に思われない形で接触し、アナログな手法で情報交換をしている。

 最初こそ偶然だったが、今や清水はクロガネの聴取という貧乏くじを私的に利用していた。問題児とその担当者という関係なら署外で接触したとしても不自然ではないが、清水がやっていることは警察組織としての守秘義務に反した問題行為だ。発覚すれば、相応の重い処罰が下されるだろう。

「……個人的な依頼という形でね。事件容疑者と関わりのあった人物の身辺調査とか頼んだことはあるな」

 微妙にはぐらかしつつも嘘は言っていない。

「それも警察の仕事では?」

「確かにそうだ。でも俺が黒沢に依頼という形で捜査協力を仰ぐのは、余計な混乱を出さずに極力水面下で犯人逮捕に繋げるためだ。情報化が著しい今の世の中じゃ、マスコミやSNSで情報が錯綜すれば捜査は長引くし、そのせいで犯人を取り逃がしてしまう可能性もある。大事なのは事件を早期解決に導く情報の精度。そして何より、守秘義務を徹底してくれる人としての信用度だな。その点、黒沢は信用できる」

「まぁ、鉄哉ですし? 人様の情報を漏らすような悪人じゃないですし?」

 ……何であんたが照れてるんだ?

「人としての問題か……美優ちゃーん、聞こえるー?」

 突然、無線機に向かって呼び掛ける真奈。そのまま少し待つ。

「……ふむ、聞き耳してないな」

 常時接続しているわけではないらしい。接続するか否かは美優の任意のようだ。

「いきなりどうした?」

「鉄哉と清水さんがアナログな情報交換をしてたのは、情報漏洩や盗聴を防ぐためですよね?」

「その通りだ」

 保身と捉えられてしまうが、外聞の悪い探偵が警察関係者と癒着している事実を悟られないようにするためでもある。

「朝方、探偵事務所に集まった面子は少なくても鉄哉が信用できる人達ですよね?」

「そう聞いているし、実際にそうじゃないか」

 クロガネとは個人的な付き合いのある真奈と清水。

 そして今回の依頼人である美優と、その仲介人でもある市長。

 この五人が情報共有を行い、美優の――厳密には国からの依頼を達成しようという目的で一致している。

「だったらなんで、鉄哉は清水さんに偽装して情報を渡したんでしょう?」

「………」

 真奈の素朴な疑問。

 情報も目的も共有している者同士、しかも場所は事務所兼自宅だ。用心深いクロガネのことだ、自分の城の盗聴・盗撮の対策は万全だろうし、定期的に確認もしているだろうから資料も直接渡せば良い。もしくはその場で口頭で伝えるなり出来た筈だ。

「考え過ぎじゃないのか? 俺と黒沢だけのやり取りだから、習慣の線もある」

「でも気になりません?」

「……確かに、少し気になるな」

 取るに足らない些細なこと。だがそれが何故か引っ掛かる。

 まさか身内にスパイが紛れているとでも?

 クロガネと真奈はそれなりの付き合いがあるため、信用度の観点から二人を除外すれば容疑者は美優と市長になる。

 まさかとは思う。杞憂だといいが。

「メモの内容は少し古いとはいえ、鋼和市でオートマタの闇取引に関するもの……これをケースに隠したということは……」

 真奈の推理に清水も乗る。

「〈ヒトガタ〉を差し向けたデミ・サイボーグ、もしくはそいつに〈ヒトガタ〉を手配した輩と何かしら関係がある可能性も……」

「その可能性に当てはまりそうな人が私たちの中に居るとすれば」

「それ、お前さんじゃね?」

「……えっ、私?」

 清水の指摘に飛び上がる真奈。まなじりを吊り上げて訊き返す。

「何を根拠に?」

「さっきまで俺と黒沢のやり取りを知らなかった。職業は機械義肢の専門家で、オートマタやサイボーグ関連の知識は豊富だぐぇ……!」

 突然、清水の胸倉を両手で掴み、真奈は怒りに任せて叫ぶ。

「私はッ! 彼をッ! 裏切らないッ!」

「ちょ、おまっ! やめろ!」

 がっくん、がっくんとハンドルを握る清水の身体を揺らす。真奈の暴挙に二人が乗る車も蛇行し、車道のセンターラインをはみ出して対向車と衝突し掛ける。何とか衝突は免れたが、後ろに過ぎ去った対向車からクラクションの抗議が上がった。その音で真奈は正気に戻り、清水から手を離して不機嫌そうに助手席に座り直す。

「ケホッ……悪かったよ。少なくてもお前さんは黒沢の味方だ」

 ふん、とそっぽを向かれてしまった。さすがに嫌われたか。だが疑ってしまったとはいえ、いくらなんでも豹変し過ぎだろう。ここまで感情的になった真奈は初めて見た。

(裏切り、か……)

 やれやれと片手で身だしなみを整える。先程の真奈の行動は公務執行妨害に該当するのだが、今は同じ目的を共有する者同士である。ややこしくなるから今回は目を瞑ろう。

「本当にあいつのことが好きなんだな」

「そんなことない、わけないけど……」

 助手席側の窓を向きながら、ぶっきらぼうに応える真奈の耳は赤く染まっていた。不機嫌でもクロガネの話題を出せば何かしら反応は返してくれるようだ。解りやすい。

「そういえば、前に奴の担当医とは聞いていたが、実際のところどういった関係なんだ?」

「どうって、そのまんまの意味ですよ。私は彼の担当医で」

「医者とはいえ、機械義肢が専門のあんたが担当ってことは、黒沢はサイボーグなのか?」

 言葉に詰まる真奈。それを図星と捉えた清水は確信する。

「……やっぱりか。あの強さといい、莫大な借金を抱えているといい、納得したよ」

 清水がクロガネと知り合って二年ほど。その間、危険なトラブルを起こし、あるいは巻き込まれながらも、クロガネは窮地を幾度となく切り抜けてきた。今更だがその秘密の一端を理解する。

「……職業病ですね」

 誘導尋問によってまんまと情報を引き出され、ジト目で睨む真奈に清水は苦笑する。

「すまんね。口外はしないと約束するから信じてくれ」

「それは当然ですよ。でも私の職業と鉄哉の借金事情を考えれば、誰でも思い当たることではありましたけど」

 負け惜しみを口にする真奈。

「ちなみに、奴の機械化はどれくらい?」

「守秘義務です。絶対に教えません」

 即答して再びそっぽを向く真奈に、「当然だ」と清水は笑った。

 結局、身内にスパイが紛れているかについての議論は打ち切りとなったが、三つほどはっきりしたことがある。

 一つ。真奈と清水はクロガネに対して厚い信頼を寄せていること。

 二つ。真奈が清水に対して苦手意識を抱いたこと。

 三つ。真奈の言動から、何者かの『裏切り』によってクロガネはサイボーグ化したのかもしれないと清水が察したこと。



 やがて二人が乗る車は、中央区の高級マンション地下駐車場に到着する。何台もの高級車が並ぶ壮観な景色の中、空いている駐車スペースに車を停める。

「ちょっと待っていてもらえますか? 十分で済ませます」

「念のため俺も同行しよう」

「結構です」

 清水の申し出を、即答で拒む真奈。

「いや、念のため……」

「結構です」

「部屋まで入らないし」

「結構です」

「玄関の外で待つが」

「結構です」

「…………」

「結構です」

「何も言ってないだろ」

 先程のやり取りを根に持っていた真奈が車から降り、エレベーターに向かおうとする。

 目的の階に着いたら、せめてエレベーター前で待機しようと考えて清水も後を追おうとしたその時、PIDに着信が入る。

「はい、清水です。…………はい、…………何だってっ?」

 驚愕と緊張を孕んだ声に、真奈は足を止める。

「……はい、……解りました」

 通信を切った清水と目が合った。

「何かあったんですか?」

「……さっき会ってた鑑識の奴が、何者かに襲われた」

「え?」

 目を見開く真奈。

「その、容体は? 一体誰に?」

「喉をバッサリ切り裂かれて即死だったらしい。現場の状況から抵抗した様子がなく、背後から気付く間もなく殺られたそうだ。今のところ、犯人は不明のままだ」

 真奈は愕然とする。

「現場は?」

「科捜研だ」

 つい先程まで真奈たちが〈ヒトガタ〉の検分を行っていた場所である。思わず腕時計を見る。あそこを去ってから、まだ一時間も経っていない。

「さらに悪い知らせだ。押収した〈ヒトガタ〉の頭部が行方不明だ」

「ッ!? ……何体?」

「三体。全部持って行かれた」

 激しく破損している上に美優の復元データがあるとはいえ、重要な物的証拠に変わりはない。それが三体分、全部盗まれた。

「そんな……」

 クロガネの暗殺と美優の拉致をプログラムされた〈ヒトガタ〉。それを裏付ける最も重要な証拠である頭部を奪取した犯人が、次に行動を起こすとすれば――

「呆けてる場合じゃない、すぐに黒沢と合流するぞ」

 悠長に荷物を取りに行く余裕はなくなった。慌てて二人が車に乗り込んだその時、アスファルトを切りつけながら地下駐車場に黒塗りのハイエースが現れる。

 スモークガラスで運転手はおろか、車内に何人いるのか窺え知れない。

 ヘッドライトの光が獲物を見付けた肉食獣のように真奈と清水が乗っている車を照らし出し、エンジンを唸らせて迫ってきた。

「クソッ!?」

 シートベルトを着ける間もなく清水は咄嗟にギアを入れて急発進する。だが駐車スペースを出た瞬間、運転席側にハイエースが勢いよく衝突する。

 破片を撒き散らし、地下駐車場に落雷のような轟音が響き渡った。

 衝撃で押し出された清水の車は、地下空間を支える強化コンクリート製の支柱にぶつかって止まった。

 フロントバンパーとヘッドライトは無残にひしゃげ、大きな蜘蛛の巣状にひび割れたフロントガラスは真っ白に染まる。

 ハイエースから目出し帽を被った黒服の男が三人現れ、それぞれ拳銃を手に走行不能になった車を取り囲む。

 遅れてやってきたもう一人の男が顎をしゃくると、三人のうち一人が助手席側のドアを開け、残り二人が拳銃を構えつつ援護する。

 最も被害を受けた運転席側の清水は、額から血を流して意識が朦朧としていた。

 助手席側の真奈は意識はあるものの、衝撃で口の中を切ったのか唇の端から微量の出血をしていた。銃口を向けられて表情は強張り、青ざめている。

「シートベルトはちゃんと着けるべきだったな。……女を連れてこい」

 リーダー格の指示に、一人が大破した車から真奈の腕を掴んでやや乱暴に連れ出す。

「痛っ……!」

 右足を負傷したのか、真奈の歩き方が不自然だ。痛みを堪えるかのように顔をしかめている。さすがに抵抗は無駄だと悟ったのか、大人しく男たちに連れて行かれる。

「くそが……彼女を、放せ……」

 意識が朦朧としながらも懐の拳銃に手を伸ばす清水だったが、グリップを掴もうとした手は何度も彷徨い、空を切る。

「男の方はどうしますか?」

 拳銃を構えたまま警戒していた一人が訊ねる。

「放っておけ、撤収する」

 覆面をした男たちは真奈を拉致すると、ハイエースに乗り込んだ。頑丈な素材を使った特注車なのだろう、衝突したはずのハイエースには目立った破損箇所が見当たらない。

 清水は拳銃を抜くのを諦め、代わってPIDを取り出す。今にも途絶えそうな意識の中、歯を食いしばって慣れ親しんだ連絡先を入力する。呼出音がじれったい。早く出てくれ。

 アスファルトを切る音が鳴り響く。黒いハイエースがバックしてUターンし、赤いテールランプが尾を曳く。

『――はい、黒沢です。どうしました?』

 繋がった。どんどん暗くなっていく視界の中、ハイエースが遠ざかっていく。

『……清水さん? どうした? 何かあったのか?』

 クロガネの声がぼんやりと遠くに聴こえる。最後の力を振り絞って声を出し、目の前の状況を言葉にする。

「……すまん、海堂女史が、さらわ、れた……」

 ここで清水の意識は途絶えた。



「は? 海堂が触られた?」

 ガラケーの向こう側にいる清水に、クロガネは真面目な顔で訊き返す。

 息も絶え絶えで小声のため、最後の方が聴き取りにくい。

「痴漢でも出たのか?」

 誰に、どこを触られたかによって真奈に対するフォローも変わってくる。具体的には、痴漢をやらかした相手にどこまで制裁を加えれば良いのかについてだが。ちなみに制裁は真奈自身の手によって下される。

「何言っているんですか? 真奈さんが攫われたそうです。誘拐です。拉致です。ハイエースです」

 隣で聞き耳を立てていた美優が狼狽し、クロガネの肩を揺らす。そこまで大きな音量ではないはずだが、彼女にははっきりと清水の声が聴き拾えたらしい。

 だが流石にハイエースは余計だ。いくら創作物・現実の双方で犯罪によく使われる車種とはいえ、真っ当に愛用している方々にとっては風評被害の何物でもない。

「清水さん? もしもし? ……話せる状態じゃないのか」

「クロガネさん、PIDを出して!」

 初めて見る美優の切羽詰まった様子に言われるままPIDを取り出す。直後、美優の遠隔操作でホロディスプレイが展開し、どこか見覚えのある駐車場の映像が投影された。映像の視点から見て、防犯カメラにハッキングしたのだろう。

 柱にぶつかった状態で大破した見覚えのある車に、思わず身を乗り出す。

「この車、清水さんの……」

「真奈さんのマンションの地下駐車場のリアルタイム映像です。ここから二分前まで巻き戻します」

 一瞬で映像が巻き戻され、再生される。

 画面左端から黒いハイエースに衝突された清水の車が現れ、画面右端の柱にぶつかって止まった。

「本当にハイエースだな」と呟くクロガネ。

 次に覆面で顔を隠した男たちが四人現れ、大破した車の助手席側にいた真奈を連れ出し、ハイエースに押し込んで走り去っていった。

 一連の映像の中で、運転席にいるはずの清水が動かない。いや、動けないでいる。

「美優」

 ガラケーの通話を一旦切り、『119』を入力しつつ美優に指示を出そうとすると、

「すでに救急車は手配済みです。警察にはこの映像を添付して通報しました」

 PIDのリアルタイム映像に救急車が現れ、救急隊員たちが大破した車に駆け寄る。

 優秀なガイノイドだ。こちらの意図を全て読んだ上で完璧に実行している。

「的確な判断だ」

「ありがとうございます」

 美優の表情と声が硬い。知人が被害を受けたことで気が気でないのだろう。

 ガラケーをしまい、今度はPIDをいじるクロガネの落ち着いた様子に、美優は訝し気に眉をひそめる。

「あの、クロガネさん? 真奈さんを捜すために、今すぐ清水さんに話を聴きに行くなりしないんですか?」

「まともに話せる状態じゃなかったら聴きに行くだけ時間の無駄だ。それよりも『捜す』ということは、海堂の現在地は把握できていないのか?」

 PIDから目を離さずにそう訊ねるクロガネ。美優の検索能力ならば、真奈のPIDに備え付けられたGPS信号を瞬時に拾うことが可能な筈だ。

「はい。おそらく、真奈さんのPIDは破壊された可能性があります」

 稼動範囲が鋼和市内限定とはいえ、PIDは現行最先端の情報端末である。例え電源を切っていたとしても、二四時間絶え間なく中央区のスパコンがデータを管理・統括しており、美優に掛かればそのスパコンを経由して個人のPIDに侵入できる。早い話が電源をオフにしたところで、鋼和市に存在する限り美優や管理局からは逃れられないのだ。逃げるとしたらPIDを破壊するしかない。

「追跡防止の常套手段だ、気にするな。かねてより、海堂にはPIDとは別に発信機を身に着けて貰っている」

 クロガネがPIDのホロディスプレイを美優に見せる。鋼和市のマップ上に赤い光点が一つ、人目や防犯カメラのある大通りを避けて北区の郊外に向かって移動していた。

「……さすがですね」

 それを見た美優は、ようやく安堵の表情を浮かべた。

「でもどうして発信機を?」

「あー……それはだな」

 美優の素朴な疑問に、クロガネは困った顔をして語った。

 ある日、『私の身に何かあったら、何が何でも助けに来なさい』と真奈の方から発信機をよこせと言ってきたのだ。なんでも当時読んでいた少女漫画の影響らしく、その時ばかりは『自意識過剰なめんどくさいメルヘン脳』と思っていたが、まさか実際に提供した発信機が役立つ日が来ようとは想像だにしなかった。

「もちろん、助けに行きますよね?」

 隣に座る美優の義眼が、クロガネの目を覗き込む。その眼差しがどこか期待するように輝いているのは気のせい……ではなかった。実際に緑色の光を放っている。

「近い近い。……まあ、助ける行動はするつもりだ」

 美優の肩を掴み、そっと押し戻す。

「やれやれ、白馬もなければ王子でもないんだがなー」

 柄じゃないだろうに、とクロガネはぼやいた。

 頭を軽く振って、目の前の現実に向き直る。

「誘拐犯については何か解るか?」

 クロガネの質問に、美優はわずかに逡巡して答える。

「……ごめんなさい。元々PIDを所持していないのか、何も解りません」

 無念そうに顔を伏せた。

 鋼和市において、身分証も兼ねるPIDを所持しない人間は限られている。

 未所持者の八〇%は犯罪者であり、十九%が重病を抱えた入院患者か、服役中の囚人といった何らかの理由や事情がある者達だ。

 そして残りの一%は――

「――獅子堂の線もあるな。例のデミ・サイボーグも噛んでいるかもしれない」

 無言で頷く美優。PIDを所持していたとしても、獅子堂家に関連するものは鋼和市全体においても不可侵となっている。それは美優の検索能力も例外ではない。

「……罠、でしょうか?」

「十中八九、な。朝方テレビに映ってしまったし、俺の関係者もある程度調べたのだろう」

 クロガネと繋がりのある者を人質にし、美優との交換を迫るか。

 人質を盾にクロガネを弱体化させ、確実に始末するか。

 間違いなく両方だろう。

 敵の手中に堕ちた真奈は元より、クロガネのリスクが尋常ではない。

「絶対スマートに片付かないなこれ。海堂には悪いが、白馬の王子役は荷が重い」

 暗い雰囲気にならないよう、クロガネは茶化すように言うも、

「……ごめんなさい」

 美優は俯き、暗い表情で謝罪する。発端である獅子堂玲雄に目を付けられてしまったことを気に病んでいるのだろう。

「美優のせいじゃない。元を正せば、俺が獅子堂玲雄と揉めたのが原因だ」

「それでも私は、私のせいで……」

 責任感の強い子だ。これまで知り合えた人間が危険な目に遭っていることに心を痛める少女がガイノイドであり、その感情は自律型のAⅠに付随する()()()()であるなどと誰が信じようか。

「大丈夫」

 自然とクロガネは美優を引き寄せ、抱きしめる。まるで泣きじゃくる娘をあやす父親のように、彼女の頭を優しく何度も撫でる。

「海堂は助ける」

「……はい」

 クロガネの胸に顔をうずめたまま美優が頷く。

「俺は死なない」

「……はい」

「美優も守る」

「……ありがとうございます……でも」

 美優が顔を上げる。その表情は悲しく歪み、その瞳は憂いを帯び、クロガネの心を締め付ける。

「私のことは最優先には考えないでください。クロガネさんと真奈さんが無事なら、私はどうなっても構いません」

「おいおい、ここまで来て依頼をキャンセルか?」

 キャンセル料は高くつくぞと茶化すも、美優の表情は晴れない。

「私のことは気にしないでください。貴方たち人間と違って、私は機械です。命なんて存在しない上に死にはしません。ただ壊れるだけです。状況が状況ですから、国もクロガネさんに処罰は与えないでしょう」

 そう言って美優は顔を伏せる一方で、クロガネの表情が消える。

 そっと左手を持ち上げた。

「顔を上げろ」

 言われて顔を上げた瞬間、バチンと音を立てて美優の頭が後ろに跳ねる。

「……え、……は?……え?」

 顔を戻して戸惑う美優。クロガネから強烈なデコピンを喰らったと気付くまでに、たっぷり五秒掛かった。

 ガイノイドをのけ反らせるほどのデコピンを生身の人間が放つなど信じられなかった。だがそれ以上に、何故クロガネがこのような実力行使に出たのかが理解できない。何も間違った発言はしていない筈だ。

「命に謝れ」

 彼は静かに怒っていた。

「お前の母親は望んでお前という存在を生み出したんだ。人であれ機械であれ、親から必ず貰うものが二つある」

 手を伸ばし、弾いてしまった美優の額を指先でそっと撫でる。

「命と名前だ」

 美優はクロガネの言葉に耳を傾ける。

「人間になるために造られ、お前がそれを望んだからこそ『美優』と母親に名付けられたのだろう? お前の命と名は母親の願いであり、祈りだ」

 額を撫でていた手を、美優の肩に乗せる。

「ガイノイドだからって自分のことを軽んじるな」

 クロガネの声から怒気が消え、替わって宿るのは慈しみだった。

「……ごめんなさい」

 クロガネが何に対して怒り、自身の発言が如何に軽率だったかを理解し、しゅんとなる美優。

「それに何より、美優の身に何かあったら報酬が貰えないじゃないか」

「最後に自分で台無しにするのはどうかと思います」

 しおらしくしていたのも束の間、整った眉を吊り上げて美優は軽く睨む。

「……ごめん。自分で言っておいて、シリアスな空気に耐えられなかった」

 気まずそうに視線を逸らすクロガネ。

「そんな芸人みたいなことを言わないでください。これからもっとシリアスになるのに随分と余裕ですね」

「緊張のし過ぎでガチガチになってしまうよりは良いさ」

 そう言うや否や、眼鏡を掛けたクロガネは仕事机に向かい、鍵付き引き出しの二重底から予備の弾丸が装填されたスピードローダーを数個取り出して上着のポケットに入れ、愛用しているリボルバーの弾倉を振り出し、装填された弾丸の雷管に傷がないか確認した後、弾倉を戻してヒップホルスターに収める。

「美優、ガラケーを出せ。別のものと交換する」

 ストックしてある予備のガラケーを美優に手渡し、今まで使っていたものは電源を切って引き出しにしまい、鍵を掛ける。

「通信傍受の対策、ですか」

「その通り」

 その他、スタンガンの電池残量を確認したり、ショットガンに非殺傷用の弾丸を詰めたりと、各種装備の点検を始める。

 キッチンに隠していた戦闘用ナイフも手に取る。初対面の時に美優が持参していたものだ。

 一通りの装備をスポーツバッグに詰め込んで手早く準備を済ませ、普段から着けている黒い手袋の嵌め具合を確認しながら美優の元に戻ってくる。

「あの」

「ん?」

 僅かに躊躇ってから美優はクロガネに訊ねる。

「……もしかして、私のお母さんのこと、知っていたりします? さっきの口ぶりからして、なんとなくそんな気がして」

「あー、それは」

 ここでクロガネのPIDに着信が入り、ポップな着メロが流れる。

 スティック状の本体に備え付けてあるサブディスプレイには、『海堂真奈』と表示されてあった。

「壊されてはいなかったようだな」

 恐らく何らかの手段で真奈のPIDを無力化していたのだろう。

「逆探知します。あ、会話は長引かせなくていいですからね」

 昔の刑事ドラマでよくあった『会話を長引かせている間に逆探知』は臨場感を煽り、番組の尺に合わせた演出だ。現代の逆探知は特殊な機材を使用すればほぼ一瞬で終わり、美優に掛かれば一瞬も要らないだろう。

「出るぞ」

 クロガネは一度咳払いして気を引き締め、美優にも聞こえるようスピーカーモードで通話をオンにする。

「夕飯をたかりに来るなら豚バラ肉を二パックほど買ってきてくれ。代金はお前持ちな。一番食うんだから」

『……夕飯の支度とは、随分と家庭的な男だな』

 相手の顔はホロディスプレイに表示されていないが、聞き覚えのある男の声だ。

「何を今更。それより声変わりでもしたか? 野太い野郎の声みたいだぞ。今の今までカラオケでもして喉を潰したか?」

『冗談も大概にしろ。私の声に聞き覚えがあるだろう?』

「さあ? 顔が見えないからなんとも。とりあえずセルフカメラをオンにしてツラ見せな。PID越しとはいえ、話があるなら顔を見せて腹を割ってどうぞ」

 すでにこちらのPIDのセルフカメラはオンにしてあるため、向こうにはクロガネの顔が見えている筈だ。ちなみに美優はカメラ外に居てもらっている。

 やや時間を置いて、ホロディスプレイに男の顔が映る。

 あのデミ・サイボーグの男だ。暗くて解りづらいが、車内に居るようだ。

「やはりあんたか。話をする前に名前を教えてくれないか? いい加減、『デミ・サイボーグの男』と呼ぶのは長ったらしくて嫌気が差していたんだ」

『口の減らない男だな』

 いや、割と本気で嫌気が差しているんだが。

『私のことは佐藤、とでも呼んでもらおう』

 本名だとしても、日本人で一番多い名字を名乗りやがった。

「それ偽名だろ?」

『仮にも敵対している探偵相手に、本名を名乗ると思うか?』

 解ってらっしゃる。

「まあいい。それで? 一体何の用だ、佐藤さん?」

『単刀直入に言おう。こちらで預かっているお前の女と、そちらにいる少女を交換してほしい』

 予想通りの返答だった。

「おいおい、俺の女ってもしかしなくても海堂のことか? 人並みに親しいとは思うが、そこまでの関係じゃないぞ」

『薄情だな。顔を見れば、その余裕ぶった態度も改めるかな?』

 カメラが動き、ディスプレイに真奈が映る。車の後部座席に座らされ、目出し帽を被ったスーツ姿の男二人がそれぞれ彼女の両脇に座っていた。両手をテープで拘束され、口もテープで塞がれており、カメラを向けられるや否や『むー! むー!』と、こちらに何か伝えようとしている。

 とりあえず、無事のようで安心した。悟られないように内心胸を撫でおろす。ちらりと隣を見れば美優も同様に安堵している様子だ。見た感じ、特に目立った乱暴は受けていないようだ。

「……そこまでして、こちらの女の子に執着する理由はなんだ?」

『答える義理はない』

 再び佐藤の顔が映し出される。一連のカメラワークで佐藤は車の助手席に座っているようだ。画面には映っていない運転席側にも仲間がいると仮定すると、敵の数は佐藤を含めて四人はいる。先程の映像での人数と一致する。車内の窓からは暗くて何も見えないため、現在地を特定する手掛かりにはならない。

「そこは答えろよ。直接攫うのは難しいと解っていたなら昨夜の時点で諦めればいいものを、わざわざ俺の身内を調べて拉致って人質交換だなんて回りくどいことまでしてんだ。探偵じゃなくても気になるだろ?」

『人質との交換に応じるか否かは今決めろ』

 情報を引き出そうとするクロガネを無視し、佐藤は拳銃を真奈の頭に向ける。

「やめてください」

 それを見た美優が、止める間もなくカメラに割って入る。美優の姿を目にした途端、『むー!』とさらに騒がしくなった真奈を両脇の二人が押さえ付けた。

『やめてほしかったらお嬢さん、貴女と交換だ。さあ探偵、十秒やる。その間に取引に応じるか決めろ。カウントゼロと同時に、この女の頭を撃ち抜く。十……九……』

 佐藤が無慈悲なカウントダウンを始める。真奈が必死の形相でカメラに向かって小刻みに首を振っていた。『応じるな!』と目が訴えている。何だかんだで真奈も美優に対して情を抱いていたようだ。

『八……』

 美優を取るか、真奈を取るか。

 どちらかを選べば、どちらかを失う。

 真奈を取れば美優を失い、クロガネ自身の命も奪われる可能性もある。だが、美優を取れば目の前で真奈が射殺され、後々クロガネの住居を襲撃して力づくで美優を奪われる可能性だってある。

『七……』

 どちらを選ぶにせよ、リスクが大きい。

 クロガネは美優を見る。美優は迷いなく頷いた。

『六……』

 手近にあった広告チラシの裏に、物凄い勢いでペンを走らせる。

『五……』


 必ずミユをまもる


 そう殴り書かれたメモを読み、美優はクロガネの目を見て微笑んだ。本人曰く、満面な笑顔で。

『四……』

「信じてくれるか?」

 その短い問いに、

『三……』

「信じます」

 一切の迷いもなく応える。


『二……い』「解った、取引に応じよう」

 カウントダウンを遮る形で取引に応じる旨を伝え、さらに条件を付ける。

「その代わり、その女には一切危害を加えるな」

 佐藤は真奈に突き付けていた銃を下ろした。

『二〇時までに北区郊外にあるクレハ団地に彼女を連れてこい。無論、警察には知らせるな。警察の存在を確認した時点で、女の命はないと思え』

 一方的な指示を最後に、通話が切られてしまう。

「……逆探知の結果、現在地は佐藤が指定した通りの場所です」

 淡々とした美優の報告に、クロガネも自身のPIDを操作し、真奈に提供した発信機の信号位置を確認する。

「ああ、クレハ団地で間違いない」

 クレハ団地。

 かつては工業団地として開発が進められたものの、所有する企業の倒産と同時に開発が取り止めになった忘れられた居住区画だ。中途半端に開発を中断してしまったため、ライフラインも整備されておらず、防犯カメラすら設置されていない。

 交戦しやすい広さがあり、警備も薄く、市街地からやや離れ、警察の到着が遅れる場所だけあって、犯罪者にとって実に好条件が揃っている。

 現在の時刻は十九時二分。

 指定の時刻まで残り一時間を切っていた。こちらに余裕を与えないつもりだろう。指定場所は探偵事務所と同じ区内であるとはいえ、少しばかり距離がある。すぐに出た方が良いだろう。最低限の準備だけは既に済ませてある。足りないものは途中で調達し、()()()()()()()()()()()

 移動手段はタクシーを使う。PIDで要請すれば、五分と掛からず最寄りの無人タクシーが派遣されるだろう。

「とんだ災難になったな。せっかくのホームステイがこんな形になってしまって、本当に申し訳ない」

 クロガネは美優に頭を下げる。依頼人の身を護るどころか、これから危険な場所に同行させるとあっては本末転倒も良いところだ。

「これも仕事の内でしょう? もっとも、一般的な探偵業の枠から相当逸脱していますが」

 不敵に返す今の美優に、もう恐れや焦りといったものを感じない。

「言うようになったじゃないか」

「充実していて割と濃密な日々でしたから、お陰様で」

 笑い合い、気負いなく、二人はゆっくりとした足取りで事務所の玄関扉に向かう。

 その向こう側は外に通じ、さらにその先には死地にも等しい危険な場所に通じている。

「クロガネさん」

「なんだ?」

「信じてます」

「ああ、任せとけ」

 扉を開け、二人は前に踏み出した。



「何してるんですか清水さん! 安静にしないと駄目ですよ!」

「そうですよ! 肋骨二本も折れているんですよ!」

 緊急搬送された西区の大学病院(真奈の勤め先)で意識を取り戻し、治療後にクロガネから送られたメールを見た清水は、看護師たちの制止を無視して早足で廊下を進んでいた。

 額は元より、シャツの襟元や袖口から覗く包帯が痛々しい。だが清水の表情は鬼気迫るものであり、その尋常じゃない雰囲気に入院患者や見舞客らが慌てて通路の脇に避けた。さながらモーゼの十戒のように現れた道を清水は突き進む。

「うるせぇ! ギプスで固定したし、痛み止めも打ったから大丈夫だ!」

「それで治ったわけじゃないでしょう! 何言ってんだ、あんた!?」

 男性看護師たちが力づくで止めようにも、相手は現役の刑事である。逮捕術に繋がる柔道・剣道・合気道を必修科目として身に付けた清水に、(怪我しない程度に手加減されて)返り討ちに遭っていた。

「目の前で海ど――知り合いが攫われたんだ! 呑気に寝ていられるか! これ以上邪魔すんなら公務執行妨害でしょっ引くぞッ!」

「落ち着きなさい。さすがにそれは職権乱用です」

 荒れる清水の背中に、穏やかな声が掛けられる。

 振り向くと、そこには山崎栄一市長が佇んでいた。今し方、エレベーターから出て来たらしい。

「重傷と聞きましたが元気そうですね。メロンはお好きですか?」

「あ、どうも……じゃなくてっ!」

 市長は持参していた見舞い品のメロンをビニール袋ごと差し出し、それを素直に受け取りかけた清水は我に返る。

「お気持ちは嬉しいのですが、申し訳ありません。緊急事態のため失礼します」

「仕事熱心なのは頭が下がりますが、その体で行くのですか?」

「車は壊れたのでタクシーで向かいます」

 会話が噛み合っていない。

「お急ぎなら、お送りしましょうか?」

「……良いのですか?」

「急いでいるのでしょう? ――ああ、そこの看護師さん。この選りすぐりのメロン、患者さん達に切り分けてやってください」

 手近な看護師にメロンを預けて、エレベーターの降下ボタンを押す。

「……ありがとうございます」

「今回だけです。あとでちゃんと病院で安静にしてください」

「アッハイ、すみません」

 市長に付き従う形で清水はエレベーターに乗り込んだ。

「それでは皆さん、失礼します」

 市長は看護師や患者たちに一礼し、エレベーターの扉を閉じた。

 ――台風一過とはこのことだ。

 この場にいた医療関係者たちは全員そう思った。



 鋼和市北区郊外・クレハ団地。その入口を入ってすぐの広場に、黒塗りのハイエースが停まっていた。

「あと三〇分……来ますかね?」

 後部座席の真奈の左隣に居る男――『田中』が腕時計を見て言うと、

「取引に応じたんなら来るんじゃね?」

 右隣の『高橋』が、レトロ区のガチャポンで手に入るミニゲーム機――テトリスをプレイしながら軽い調子で応じる。

 真奈が拉致されてから男たちの会話を聞く限り、主犯格であるデミ・サイボーグの男が『佐藤』、運転席の副リーダー格の男が『鈴木』と呼ばれていた。全員が日本全国で一番から順に多く使われている名字をコードネームにしている。安直だが目立たない、良いネーミングセンスだと真奈は思う。

「佐藤さん、取引が終わったら件の探偵と女はどうします?」

 鈴木の問いに、佐藤は淡々と答える。

「聞くまでもないだろう。口封じだ」

 真奈は息を呑んだ。予想はしていたが、あまりにも理不尽だ。

「かぁー、勿体ねぇ」

 突然、高橋が嘆くようにそう言った。

「こんなイイ女犯らずに殺っちまうんスか? どうせ最後に殺すなら、今からでも一発ヤッて良いスか?」

 テトリスをしまうと、下劣な笑みを浮かべた高橋はいきなり真奈の胸を乱暴に掴んで舌なめずりをする。『ヒッ!?』と痛みと不快感から逃れようと真奈は身をよじる。

「生きてさえいれば人質の価値は充分でしょ? こんなイイ女隣に置いてお預けとか、生殺しも良いところだ」

 性的に興奮して息を荒げる高橋に、貞操の危機に身を震わせる真奈。

「なら、殺してやろうか?」

 冷酷な声と共に佐藤は高橋の眉間に銃口を突き付け、その眼が本気であると悟った高橋は慌てて両手を上げる。

「ちょ、タンマ! おれ間違ったこと言いました?」

「いいや? 脳味噌が下半身と直結している下衆なチンピラらしい言動という意味ではむしろ正しい。だが相手があの探偵である以上、弾除けが勝手なことをされては私が困るんだよ」

「オレら弾除け担当なんですか……」

 静かに成り行きを見ていた田中が悲しそうに呟いた。

「取引前にその女を犯してみろ。あらゆる手段を使ってあの探偵はこちらを皆殺しにするぞ」

「……そんなにヤバイ奴なんスか?」

 高橋の問いに鈴木が答える。

「ヤバイ奴なんだよ、『クロガネ』と呼ばれる探偵は。その名に聞き覚えはあるだろ?」

「いや全然」

 即答で首を振る高橋に呆れたような溜息をつく佐藤。

「ニュースとか見ないタイプか、お前?」

「あんなタルいもん見るより、女のおっぱいやケツ見てた方が良いでしょ?」

 己の欲望に忠実すぎる高橋。獅子堂玲雄と同じタイプだ。「なんかもう、足並みが乱れる前に始末しようかなー」という佐藤の雰囲気を察してか、鈴木が割って入って説明する。

「鋼和市では有名だぞ。探偵じゃなくて戦闘屋か殺し屋なんじゃないかって噂もある」

「例えば?」

「今年の元旦にあった暴走族五〇人の初日の出暴走を、一人で潰した」

 真奈は「そんなこともあったなー」と遠い目をする。

 年末恒例で真奈の自宅の大掃除をして一緒に年越しした後、『騒音がうるさい』を理由にクロガネは暴走族にクレームをつけに行ったのだ。

 最初は口頭での注意を呼び掛けるつもりだったのだが、背後から鉄パイプで殴り掛かられたことをきっかけに壮絶な乱闘騒ぎにまで発展し、初日の出が昇る頃には、死屍累々と地面にキスしている暴走族五〇人と、無傷で完勝しているクロガネの姿があった。

 そして警察にしょっ引かれた。

 余談だが、重軽傷者五〇人が勤め先である病院に担ぎ込まれ、せっかくの正月休みを返上して職場に駆け付けたことを今でも覚えている。それからしばらくの間、腹いせにクロガネの事務所に入り浸ってタダ飯を提供して貰っていた。

「今時、族を潰したなんて昭和の番長伝説か何かスか? こっちは(チャカ)持ってるんスよ」

 おどけたように佐藤の拳銃を指差す高橋の不遜な態度に、田中は気が気でない。

 鈴木は話を続ける。

「……二ヵ月前には通り魔殺人をしていたサイボーグを捕獲したことがある」

 密かに禁止薬物によるドーピングを施してファイトマネーを荒稼ぎしていたことが発覚し、プロライセンスを剥奪・追放された元格闘家の男。その男が全身の五割以上を機械で強化――サイボーグ化し、大会運営関係者や選手を次々に襲撃した事件だ。

 国際サイボーグ基本法において、サイボーグ化は身体障害者の補助を目的とした社会貢献活動の一環として制定された。一方で、機械化して強化された人間は軍事や犯罪などに利用されてしまう事例が多いのもまた事実であり、大きな社会問題となっている。そのため、サイボーグ化には国や関係各所に厳重な手続きと登録による管理が不可欠なのだ。

 だが、この元格闘家は国や市に登録されていない違法改造が施されたサイボーグ手術を受けており、あまつさえ殺人まで手を染めたとあっては警察も本腰を入れる他なかった。

 同時期にクロガネがこの元格闘家のコーチから「彼を止めてほしい」との依頼を受け、調査を進めていた折に標的である元格闘家と遭遇し、戦闘になった。途中で警察の介入もあったが違法改造を施されたサイボーグに銃が通じず、多数の重軽傷者を出しながらも元格闘家の捕縛に成功する。その中心にいたのがクロガネだったという。

「嘘臭いなー。その事件自体は聞いたことありますけど、あの探偵がサイボーグ捕まえたって本当にあったマジバナなんスか?」

「あくまで噂だがな」

 一個人がほぼ単独で無力化させたとあっては警察の面子に関わるとして、情報規制が敷かれた。その結果、真相は明らかにされず噂だけが独り歩きし、ある種の都市伝説となっている。

「結局、噂スか。ホントは大したことないんじゃないの? こっちには佐藤さんがいるし」

「その私と昨夜闘って、今も五体満足でこちらに向かっているんだよ」

 未だ高橋に銃口を向けたまま佐藤は言った。

「……デジマ?」

 さすがに高橋も真顔になる。田中と鈴木も驚いた表情を見せた。

「え? あの佐藤さんが仕留められなかったんスか? 初耳なんスけど?」

「今話しただろ。勝手が違う要素もあったが、それを差し引いてもあの探偵は強い」

 佐藤の断言に一同は無言となる。それほどまでに佐藤の実力は相当なものであり、一目置かれていることが見て取れた。

「いや、強いというより躊躇や迷いというものが一切ないんだ。生きていれば充分とばかりに、実弾を何発も腹に撃ち込んできた。防弾装備だと理解した上で至近距離でな」

 佐藤の分析に、高橋たちは喉を鳴らす。その光景を見て拘束中の真奈は胸がすく思いだ。

「……それはつまり、その気になれば佐藤さんをいつでも殺せる余裕があったってことですよね?」

「その通りだ」

 田中の確認に佐藤は頷く。

「あの探偵が関わった事件を軽く調べただけで、どいつもこいつも例外なく入院レベルの重傷を負っている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。身も心も徹底的に痛めつけて再起不能にしたばかりか、経済的にも深刻な打撃を与えるのが奴の手口だ」

 女性や子供に危害を加えた相手に対してのみ、クロガネは異常と言えるほど冷酷に冷徹に残酷になる。

 罪を犯したことを後悔させるだけでは飽き足らず、高額な治療費や入院費まで科せるといったコラテラルダメージを与えるのだ。鋼和市においても機械義肢は高価な上に、被害者自身またはその家族が介護費用も算出するとなると甚大な経済的損失である。その絶望を目の当たりにして自ら命を絶った犯罪者も居たくらいだ。

 因果応報といえど、罰というにはあまりにも重く、これには真奈も同情を禁じ得ない。

 いつだったか、「何もそこまでしなくても良いのでは?」と訊ねたことがある。

 それに対しての返答は、たった一言。

「見せしめに丁度良いだろう」

 真奈にとって、この時ほどクロガネを恐ろしいと感じたことは一度もない。

 クロガネの目と手が届く範囲内で罪を犯した者の末路。それを見聞きした者はクロガネの制裁を恐れ、ある種の犯罪抑止に繋がることまで計算していたのだ。

「それじゃあ、駐車場で男の方を殺さなかったのも?」

 田中の質問に佐藤は頷く。

「あの男は刑事だ。銃弾や薬莢など手掛かりを残してしまうのも、警官殺しで警察が本気になるのも避けたかったのもあるが、あの探偵と繋がりがある以上は余計なリスクを避けたかった」

 佐藤が思慮深いおかげで清水は命拾いをしたことに、真奈は今更ながら安堵する。

「そういうわけで」

 佐藤は高橋に向けていた拳銃を下ろす。

「その女には手を出すな。奴が何をしでかすか解ったもんじゃない。ただでさえ、拉致る際に足を怪我しているんだ」

 言われて真奈は右足首を意識する。断続的に鈍い痛みと熱が感じられた。拘束されているため診断も処置も出来ないが骨は折れていない、おそらくは捻挫と見ている。

「……解りました。あっ、でも佐藤さん」

「何だ?」

 高橋の明るい声に、佐藤は気だるげに訊き返す。

「取引終わってその探偵ぶっ殺したら、この女、好きにしても良いっスよね?」

 真奈が全身を強張らせる。

「……勝手にしろ」

「FOOOOOOOOOOッ!」

 素っ気なく佐藤がそう言うと、高橋は歓喜の奇声を上げる。その喧しさに一同は揃って顔をしかめた。

「やる気になったところで、お前は外で見張りだ」

「えーアッハイ、解りましたよっ」

 佐藤の指示に難色を示していた高橋は、再び銃口を向けられて渋々車から出ていく。

 生理的に受け付けなかった高橋が居なくなったことで安堵した途端、

「……、…………ッ」

 右足首に鈍い痛みが走る。同時に真奈のストレスも相当なものになっていた。

 獅子堂玲雄に雇われた佐藤率いる武装集団によって清水が重傷を負い、自身も拉致されて美優と交換するための人質になってしまった。おまけに貞操の危機も追加された。あんな下衆に犯されるくらいなら死んだ方がマシだ。

 取引に応じるクロガネと美優の間でどんな話がされたかは解らないが、二人のことだ。きっと危険を冒してまで自分を助けようとするだろう。それが今の自分の心の支えであると同時に、心苦しくもある。

 何より、クロガネが自分のために誰かを傷付けるのは辛い。状況によっては殺すことも躊躇わないだろう。どんなに傷付こうが血を流そうが目的を見失わず、曲げず、迷わずに貫こうとする。それがクロガネ――黒沢鉄哉という人間であり、信念だ。

 ……いつからだろう。事あるごとに「無茶はしないで」と彼に忠告するのが口癖になってしまったのは。しかも今回は美優も一緒だ。いつもの口癖は口が塞がれているため声には出せないが、祈ることは出来る。

 ――どうか無茶をしないで、二人とも。

 いつもの祈りは特定の一人に向けてのものだったが、今後は二人になる。

 不思議とそう根拠のない確信を抱きながら今後は心配の種が倍になるのかと頭を悩ませたのも束の間、足の痛みに思考が散り散りになった。

 そのせいで彼女は気付いていない。

 自身も含め、クロガネも美優も全員無事に生還することを前提で考えていたことに。


 ……どれくらい時間が経っただろうか。

 やがて一同が乗る車に、遠方から光――車のヘッドライトが差し込んだ。

 エンジン音と共に、徐々に光が近付いてくる。

 佐藤が時刻を確認する。午後七時五四分。

「来たか」

 鈴木と田中に合図を送り、全員が装備の確認をする。

 中国製四五口径ガバメント・クローン。

 オリジナルの正式採用は1911年と百年以上も前だが、高い信頼性と優れたマン・ストッピングパワーから人気が根強い自動拳銃の傑作だ。本家であるアメリカのガバメントの特許が失効した昨今は世界中でクローンが製造され、国際的なマーケットで四五口径の銃のシェアが右肩上がりに伸び続けている。

 その理由は防御力の向上だ。

 年々、民間でも防弾ベストが普及し、犯罪者同士の闘争でも新型の防弾装備が使われるようになった。オートマタやサイボーグの普及も手伝い、対サイボーグ戦において高初速のライフル弾ならばともかく、火力の低い拳銃では至近距離で撃っても貫通には至らない。ならば着弾時の衝撃で電子回路に不具合を発生させて機能不全にする戦術が確立された。その手段として、ストッピングパワーのある四五口径が有効という必然性に辿り着いたのだ。現在の日本警察でも四五口径の更新が検討されており、サイボーグのメッカともいえる鋼和市警がいち早く採用している。

 一方で、四五口径の自動拳銃は従来の九ミリ=三八口径と比べて装弾数が少なく、重く、大きく、反動も強く、扱い辛いのが短所だ。そもそも、百年以上も前の古い武器で殺し合いをしている辺りが人間の限界なのかもしれない。

「さて」

 準備を整えた佐藤たちの前に、一台のタクシーが停まった。

 不測の事態を想定して、ハイエースのエンジンを掛け、ヘッドライトを点灯させる。

 目標である少女、安藤美優が降りると、無人タクシーは方向転換し、走り去っていく。

「……とんだ美少女ですね」鈴木が呆けたように言った。

 実際、ヘッドライトで照らされた美優は息を呑むほど美しい。その整った顔は無表情……というより、静かに怒っているようにも見える。緑色の瞳がライトに眩まず、まっすぐ佐藤たちを射抜いていた。

「……探偵がいない」

 佐藤の一言に、美優の美貌に見惚れていた鈴木と田中は我に返る。

 現れたのは、美優一人だけだ。クロガネの姿がない。

 そして気付く。

「……高橋?」

 外で見張りをしていた筈の仲間がいない。

 佐藤たちが周囲を見回す一方で、美優が自然な足取りでゆっくりとハイエースに近付いてくる。

「仕方ない、出るぞ」

 佐藤が助手席から降り、田中が真奈を連れて後部座席から外に出て、美優と対峙する。

「……鈴木?」

 つい先程まで運転席に居た筈が、姿を消していた。

 佐藤が振り向くと、ハイエースは無人。運転席のドアが中途半端に開いたままだ。

 運転席側に回り込むと、地面に倒れている鈴木を視認する。

「ッ!」

 佐藤は即座に拳銃を構えて真奈の方へ振り向いた――瞬間。

 轟音が、夜の団地に鳴り響いた。


 三〇分前。

 クレハ団地から一区分離れた位置にタクシーを停めたクロガネは、単独で現場に赴き、偵察を行っていた。

 裏手から回って電灯のない暗い雑木林を音もなく駆け抜け、クレハ団地の敷地内に到着。物陰から物陰へ移動して佐藤たちの死角に回り込み、退路の確保と()を設置する。これらの情報はクロガネの多機能眼鏡を通して美優とリアルタイムで共有しているため、一々説明する手間が省けて助かる。

 手持ちの装備で出来る仕込みを手早く済ませ、美優に数パターンの作戦を伝えた後、物陰から佐藤たちのハイエースを監視する。


 やがて、後部ドアから男が一人現れた。時間が迫ってきているので見張りに出たのだろう。ドアが閉められるまでの一瞬の間だけ真奈の姿が見えた。

 見張りの男――高橋は拳銃を手に団地入口の方へ向かう。それに合わせてクロガネも動き出した。

「ちきしょー、佐藤の野郎……おれだけ見張りさせといて、あの女ぁ摘まみ食いとかしねぇよな?」

 独り言が拾えるくらいにまで近付いたのにも拘らず、クロガネの存在どころか気配すら気付かないでいる。

「……いぃ感触だったなぁ、あのおっぱい」

 手の平を眺めてうっとりと呟く高橋は、無意識の内に佐藤たちからは死角となる位置まで移動していた。歩き方といい、素人同然と判断する。

 現在時刻を確認したクロガネは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、高橋のすぐ背後に忍び寄った。

「探偵ぶっ殺せば好きに犯せんだから堪んねぇ……早く来ないか、なッ!?」

「……来たぞ」

 背後から伸びたナイフが首筋に添えられ、高橋が動きを止めた――瞬間。

 クロガネは拳銃を奪い、安全装置が施されているのを指で確認するや否や、拳銃を回転させて銃身を握り、グリップの底で高橋のこめかみを容赦なく殴り飛ばした。

 昏倒した高橋を後ろ手に結束バンドで拘束し、茂みの中に放り込む。

「まず一人」

 奪い取ったガバメント・クローンの弾倉を抜き取って残弾を確認し、グリップに戻す。

 次に安全装置を外してスライドをわずかに引き、薬室内に初弾が装填されているのを確認する。

「よし」

 安全装置を掛けて拳銃を腰裏に挿し込み、予備の弾倉も奪っておく。

 遠くからタクシーのエンジン音が近付いてくる。

 『()()』を受けた美優が現場に合流してきた。連中がそちらに気を取られている隙に、クロガネは姿勢を低くしてサイドミラーとルームミラーに映らないように気を付けながら、ハイエースの裏側に回り込む。

 美優がタクシーから降りてハイエースに近付く。

 運転席側のドアが開いて二人目――鈴木が足を地に着けた瞬間を狙い、背後から音もなく忍び寄って口を塞ぎ、麻酔薬のアンプルが装填された無針注射器を首筋に当ててボタンを押す。プシッと、わずかに空気が抜けるような音と共に意識を失った鈴木を静かに地面に寝かせ、再びハイエースの裏手に回り込む。

 次に狙うは反対側の真奈を拘束している男――田中だ。佐藤が運転席側の異変に気付いて離れたのを見計らい、背後から田中の首筋に手刀を打ち込んで意識を刈り取る。

 足元に三人目が倒れ、ふらつく真奈を支えて背中に庇いつつ、背負ってたショットガンの安全装置を外し、振り向いた佐藤に向かって発砲した。

 轟音。排莢。装填。再度発砲。

 立て続けに放たれた非殺傷性のゴムスラッグ弾五発が全身を強く打ち付け、佐藤はたまらず膝を折り、拳銃を取り落とす。

「……黒沢ぁッ!」

 佐藤は必死に痛みを堪え、殺気を滲ませた目でクロガネを睨みつけた。

 弾切れになったショットガンを捨て、腰裏からガバメント・クローンを抜き取って安全装置を外し、銃口を佐藤に向けるクロガネ。その後ろでは美優が真奈の拘束を解いていた。

「……今度は逃がさない」

 静かにそう宣言すると、容赦なく引き金を絞った。


 激痛が走る身体に鞭を入れ、佐藤は真横に跳躍する。直後、一瞬前までいた地面を銃弾が抉った。追撃の銃弾を前転しながら回避しつつ、ハイエースの陰に飛び込んで辛くも射線から逃れる。

 弾倉を交換し、じりじりと油断なく距離を詰めてくるクロガネ。途中で佐藤が落とした拳銃を拾う辺り、抜け目がない。

 佐藤も足元で昏倒している鈴木の拳銃を手に取り、態勢を整える。徐々に痛みが引き、戦況を分析する余裕も出て来た。

「くそ……!」

 海堂真奈という人質を手に入れたことで完全に油断していた。こちらの目標である安藤美優を囮にして奇襲を仕掛けるとは。全員で周囲の警戒に臨むべきだった。

 牽制射撃でその場に釘付けにされる。クロガネの残弾を数え、リロードによる銃撃の切れ目を狙って反撃に出ようとした矢先、

 ガチャッ!

 背後から物音がし、反射的にそちらへ銃口を向ける。

 弾切れでスライドが後退したままの拳銃が落ちていた。

(フェイント!)

 再び振り返ろうとして、

 ダンッ!

 今度は上から何か重い物が落ちたような音が聞こえた瞬間、佐藤は車体の真下に滑り込んだ。その際、一瞬だけハイエースの上に飛び乗ったクロガネと目が合う。

 ギリギリのタイミングで真上からの銃撃を回避するも、

「しまった!」

 咄嗟に逃げ込んだ場所が車の下。

 その狭すぎる空間に仰向けの体勢では移動も満足に行えない。手榴弾でも放り込まれたら一巻の終わりだ。先程の銃撃をギリギリで回避できたのも、クロガネがあえてそのタイミングを狙ったものだと今になって気付く。

 活路はないかと首を巡らすと、いつの間に呼び戻したのか、無人タクシーに乗り込んで逃げようとする美優と真奈の姿があった。距離はおよそ十五メートルほど。狙撃しようにも拳銃の射程外である上に、狭い空間と不安定な体勢では当たるものも当たらない。

「くそ……」力なく毒づく。

 部下は全員倒され、人質は逃がされ、標的を取り逃がし、抹殺対象も仕留められない。

 そして自分は袋のネズミ。客観的に見ても手詰まりだ。

 佐藤は手にしていた拳銃を遠くに投げ捨てる。

「……降参だ。今出るから、撃つな」

「いいだろう」

 了承を得て車から這い出ると、両手を上げて立ち上がる。振り返ればクロガネの姿が見えない。

「動くな。銃でそちらを狙っている」

 背後からクロガネが警告する。声を掛けられるまで気配に気付かなかった、まるで忍者だ。

「その場で跪いて両手を頭の後ろに組め」

 言われた通りにする。そしてその後は、何もしてこない。

「……どうした? 拘束しないのか?」

「今はな。じきに警察が来るから、そのまま待ってろ」

 声の大きさからして距離は六時の方向五メートルほど。拳銃の射程内だ。デミ・サイボーグの戦闘能力を警戒して不用意に近付かず、警察が包囲を固めた上で確実に拘束する算段のようだ。

「用心深いな。貴様なら一人でも私を拘束できるだろうに」

 現状打破を試みようと相手を持ち上げてみるが、

「俺一人で手練れの殺し屋を拘束する自信はないんだよ」

 決して油断も隙も見せない。

「……負けるわけだ」

 クロガネに敬意を抱きつつ、佐藤はそう自虐した。



「クロガネさん、大丈夫ですか?」

 美優がタクシーから降りて駆け寄ろうとする気配を背中で感じ、

「来るなッ!」

 佐藤から視線と銃口を外さず、鋭い声で制止させる。

「まだ危険だ、大丈夫だからタクシーに乗ってろ」

 不測の事態に備え、美優と真奈だけでも逃げれるように組んだ段取りを崩されたら困る。せめて対サイボーグ用の手錠があれば良いのだが、あいにく持ち合わせがない。

 ちらりと横目で確認すると、美優は開いた後部座席のドアの内側に立って佇んでいる。

 乗っていろと言っだろうに。

 後部座席にいる真奈と目が合うと、彼女は苦笑を浮かべて首を横に振った。

 狙われているのは美優自身だというのに、こちらの心配とは呆れた。いつでも乗り込める位置に居るのは美優なりの妥協案といったところか。

 クロガネは佐藤に向き直る。

「……警察が来るまでの間、こちらの質問に答えてもらおうか」

「答えられる範囲であれば」

 佐藤は素直に応じた。

「動かすのは口だけでいい。妙な真似をしたら撃つから、そのつもりで」

 拳銃をしっかりホールドし、深呼吸を一つ。

「まずは確認だ。そちらの目的は、安藤美優の拉致と黒沢鉄哉の殺害で間違いないか?」

 美優が復元したオートマタのデータ、その内容に沿った質問を投げ掛ける。

「その通りだ。ただ『拉致』の部分だけ違う。こちらは『奪還』という命令を受けている」

「奪還?」

 クロガネは眉をひそめた。

「美優は何者かに誘拐されたと? その言い分だと()()()()()()()()()()で、俺が誘拐した風に聞こえるな?」

「そう聞いている。獅子堂に逆らい、()()()()()()()を盗んだ者には死を、と高らかに叫んでいた」

「獅子堂玲雄か」

「獅子堂玲雄だ」

 佐藤が忌々し気に主人の名を告げる。

 この場に本人が居ないとはいえ、仮にも獅子堂家の長男を呼び捨てにするあたり、玲雄は側近にまで嫌われているようだ。

「所有物扱いか。噂通り女性をモノとしか見なさないんだな、そちらの主人は」

「同意するが、安藤美優に関しては少し事情が異なる」

 クロガネの目がわずかに細く、鋭くなる。先程の口振りといい、佐藤は美優の素性を玲雄から知った可能性が高い。

「彼女のことを、どこまで知っている?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と」

 タクシー側の反応を窺うと、真奈は絶句した表情を浮かべていた。眼鏡の通信機能と自前のPIDを美優がリンクさせてこちらの会話を傍受していたのだろう。

 一方の美優はいつもの無表情……否、いつか知られることを覚悟していたようにも見える。

「……他には?」

「何?」

 質問の意図が読めず、佐藤は訊き返す。

「他に獅子堂玲雄は彼女に関して何か言っていたか?」

「いや、それだけだ。強いて言うなら安藤美優を手に入れることに、ひどく執着した印象を受けた」

 だろうな、とクロガネは内心頷く。何であれ、獅子堂玲雄に美優は渡さない。

「……それにしても、よくもまぁベラベラと喋ってくれるな」

「二度も任務に失敗した以上、私は確実に処刑されるだろう。ならばその前に、獅子堂玲雄に一矢報いたい」

 ゆえに敵対しているクロガネに情報を流すと。

「良いのか? 一応は雇い主だろう?」

「義理立てするような人間ではないから構わない」

 本当に嫌われているな。

「では次の質問だ。昨夜の〈ヒトガタ〉、あれはどこで手に入れた?」

「あのオートマタは、獅子堂の屋敷にあったものを獅子堂玲雄の許可を得て、持ち出したものだ」

「屋敷にあった? 少なくても、二年前まではなかった筈だが?」

「……二年前? その頃の内情を知っているのか?」

 佐藤のすぐ近くに銃弾を撃ち込む。

「質問しているのは俺だ。返答以外で余計なことを言うと撃つぞ」

 もう撃ってます、と眼鏡の通信機能越しに美優のツッコミが聞こえたが無視する。

「私が屋敷に入ることが許されたのは、つい最近だ。その時にはすでに、オートマタが何種類かあった。ご当主の私物だと、先輩方から聞かされた」

 獅子堂家当主・獅子堂光彦。ネット上で公開されているプロフィールには、彼の趣味にオートマタ収集などなかった筈だが。

「あの〈ヒトガタ〉、元々は民間用だ。殺人プログラムに書き換えたのは誰だ?」

「知らない」

「昨夜、俺の事務所を襲わせただろ。お前が持ち込んだのなら、お前が調整したんじゃないのか?」

「プログラム関連は専門外だ。持ち出す際に、獅子堂玲雄から操作方法だけ教わった。いつ、誰が行ったかは解らないが、私が持ち出す以前からプログラムを書き換えていたとは考えられないだろうか」

 完全に信用はしていないが、話の辻褄は合っている。

「オートマタの出処は?」

「知らない。ご当主の私物である以上、プライベートに関する情報はタブーだ。知りようがない」

 再び威嚇射撃。

「嘘を言うな」

「嘘じゃない、本当だ」

「獅子堂の屋敷に入ることが許されたお前は()()()()()()の筈だ。当主、及びその親族の側近にして精鋭の近衛隊なら、当主のスケジュールも知らないとは言わせない」

「……何故それを? ゼロナンバーは非公式のはず――」

 佐藤の疑問を遮る、三度目の威嚇射撃。

「仏の顔も三度まで。次は当てる」

「待て、本当に知らんのだ。私はつい最近ゼロナンバーになったばかりで獅子堂玲雄の側近を任された。ご当主とは会話が出来る関係ではない上に、ゼロナンバー同士でもご当主の詮索など出来るわけがない」

 先程から威嚇とはいえ、背後から撃たれながらも冷静に話せる佐藤の胆力が凄まじい。

『ごめんなさい、私からもいいかしら?』

 突然、懐のPIDから真奈の声が割り込んできた。美優に頼んで真奈のPIDと回線を繋げさせたのだろう。

『私も〈ヒトガタ〉の解析をしたけど、解ったことは中国かロシアの密造品だったことくらい。警察の方で密輸ルートと出処を探って貰っているけど、ベストセラー機のコピーだけあって捜査に多少の時間が掛かるわ。その人を締め上げても、あの〈ヒトガタ〉に関する情報はもう出ないと思うわよ』

 どうやら、これ以上は佐藤に訊くだけ無駄らしい。

「お前を攫った奴の肩を持つのか?」

『そうじゃないっ。ただ、不毛な拷問は時間の無駄だと思っただけっ』

 真奈が怒った口調で否定する。拷問とは人聞きの悪い、せめて尋問と言え。

「それもそうだな。とりあえず、プログラムの書き換えをした容疑者だけは一応の目星がついた」

『え? 本当に?』

「あえて言わせてもらうが、私じゃないぞ」

 最終警告をしたのにも拘らず良い度胸をしているな、佐藤よ。

「解っている。あくまで容疑者だから確定じゃないが、美優も察しがついているだろ?」

『はい』即答で肯定する美優。

「ダメ押しに、〈ヒトガタ〉の破損データを完全に復元すれば盤石――」

『あぁッ!?』

 唐突に大声を上げる真奈。懐にしまってあるPIDのスピーカーから大音量で鳴り響くものだから驚いた。

「ど、どうした?」

『そうだった、拉致られる前に〈ヒトガタ〉の頭が全部盗まれたんだ』

「何?」

 初耳な情報に、クロガネは再び鋭い視線を佐藤に向ける。

「佐藤、〈ヒトガタ〉の頭部はどこだ?」

「……ちょっと待ってくれ、何の話だ?」

 佐藤が当惑した。

『とぼけないで。鑑識の人を襲って、警察署に押収された〈ヒトガタ〉の頭を全部奪っていったでしょう?』

 真奈の詰問に戸惑う佐藤。

「私が? いや、私はやってないぞ」

『……え?』

「そもそも、私の最優先目標は安藤美優の奪還、次に黒沢鉄哉の暗殺だ。効率よく達成するために海堂真奈を人質として拉致したが、わざわざ警察署に侵入する危険を冒してまで〈ヒトガタ〉の残骸を回収する必要性はない」

 佐藤はプログラム関連は専門外だと言った。頭部を吹き飛ばされても、時間を掛ければ破損したデータを復元できるとは考えもしなかったのだろう。ゆえに、物的証拠となりえる〈ヒトガタ〉の頭部を回収しなかった。

 ――警察署に侵入し、〈ヒトガタ〉の頭部を奪取したのは佐藤たちではない。

「つまり、別動隊が――ッ」

 遠くから車のエンジン音が聞こえ、クロガネは言葉を切る。

 数は一台、警察ではない。おそらくは佐藤側の増援か。どんどんこちらに近付いてくる。

「美優と海堂は早く逃げろ。退路は――」

『市長さんと清水刑事です』

「何だと?」

 美優の断言に訊き返した直後、白いセダンが現れ、タクシーの後方に停まった。

「黒沢、無事か!?」

 果たしてセダンから降りて現れたのは、美優が言った通り清水と市長だった。

「清水さんか? 何で市長がいる?」

「病院で治療を受けてお前の助けに向かおうとした時、見舞いに来てくれた市長とばったり会ったんだよ。それでご厚意に甘えてここまで送って貰ったんだ」

「市長を危険な現場に連れて来るとか、正気の沙汰じゃない」

「それ、お前が言うのか?」美優を指差す清水。

 クロガネは佐藤を警戒しつつ、清水に続けて訊ねた。

「怪我の具合は?」

「肋骨二本骨折、額に四針の裂傷、全身に打撲多数だ」

「大人しく病院で寝ていろ」

 ドヤ顔で何言ってんだ、この馬鹿刑事。

「ああ、そいつに手錠(ワッパ)を掛けたらな」

 佐藤に近付き、その手にゴツイ形状をした手錠を掛ける清水。そう易々と縄抜けも破壊も出来ない頑丈な構造と、逃亡防止にスイッチ一つで電流が流れるギミックを搭載した対サイボーグ用の特殊手錠だ。

「さて、応援を呼ぶか」

 清水がPIDを取り出すのを見て、クロガネは違和感を覚えた。

「……待て。今か? 今呼ぶのか? 十分ほど前に美優が清水さんのPIDを経由して警察には通報した筈だが?」

 佐藤たちの制圧と同時に、美優が通報する手筈となっている。本来ならば今頃、何台ものパトカーが詰め掛けている筈だ。

 美優を見ると、彼女もこくこくと頷いていた。間違いない。

「いや、そんな連絡はなかったぞ。署の方からもない」

「そんな筈ないだろ」

 ――嫌な感じがする。限られた時間内で出来る手はすべて打ったにも拘らず、何か見落としているような。焦燥感を覚えながら、清水に訊ねる。

「俺たちがここに居ることは、どうやって?」

「何言ってんだ?」

 真顔で清水は言った。続けた言葉に、嫌な予感は確信に変わる。


()()()()()()()()()()()()()()()()?」


「…………」

「どうした、黒沢?」

 表情を消したクロガネに、声を掛ける清水。

「送ってない」

「え?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 真奈の安全を優先したクロガネは佐藤の要求に従い、警察はおろか清水にも一切の連絡を入れなかった。真奈のPIDを一時無力化していた連中だけに、何らかの方法で通信を傍受される可能性もあったからだ。

「だがログには、お前のIDが残ってる」

 清水がPIDの着信履歴を確認すると、

「忘れたのか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()

 クロガネはポケットからPIDとはまた別の通信端末を取り出して見せる。

 今や鋼和市はおろか、本土でも目にすることが滅多になくなった旧世代の通信端末。

 最低限の機能しか持ち合わせていないため、ハッキングやウィルスに強いとされるその端末は、ガラパゴス携帯電話――通称ガラケーだ。

 清水は驚いた様子でガラケーをまじまじと見つめる。

「……じゃあ、このメールは?」

「俺のPIDに不正アクセスして送り付けたものだ。警察への通報を妨害したのも、恐らく同一犯の仕業だろう。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 クロガネの発言に、一同は()()()()()に疑惑の目を向けた。

 佐藤を拘束した清水は拳銃を抜き、安全装置を外して『その人物』を警戒する。

 身の危険を感じた真奈は車から降り、怪我をした足を庇いながら清水の後ろに移動する。

 市長は硬い表情でセダンの近くに佇み、その場の成り行きを見守っている。

 そしてクロガネは自身の推理を述べながら、『その人物』に向かってゆっくりと歩み寄る。

「そいつは鋼和市において、立場的にも能力的にも市民のPIDの中身を閲覧、またはアクセス出来る存在だ。ゆえに、俺のPIDを裏で操作して偽のメールを送ることも警察を動かすことも可能だ。この中で、それが出来る存在は……」

 やがて、安藤美優の前で立ち止まる。

 短い間とはいえ、それなりの関係を築いてきた筈の人間から疑惑と警戒の視線を向けられていながらも一切動じず、美優はいつもの無表情のまま静かに佇んでいた。

 そして、クロガネの目をまっすぐ見つめている。

 機械仕掛けの緑色の瞳、それに映るクロガネが口を開く。

()()()()()()()()?」

()()

 二人の会話に、一同が眉をひそめた。クロガネの推理を肯定し、美優自身が犯人であることを認めたようにも聞こえる。だが、何か妙だ。

「本当に優秀だな、安い給料でも良ければ助手にしたい」

「ヘッドハンティングならいつでもどうぞ」

 不敵な発言と共に、美優が微笑む。

 本人曰く満面の、誰もが見惚れる綺麗な笑顔だ。

 クロガネも優しげに微笑み返す。だが、それは一瞬のこと。

 美優を背中に庇いつつ、手にしていた拳銃を『ある人物』に向けた。

「なっ!?」

 周囲が驚愕するのも無理はない。

 銃口を向けられた相手は。

 クロガネの鋭い眼光が射抜く相手は。


 山崎栄一。鋼和市の市長、その人であった。

お疲れ様でした。5章は長いので前半・後半と分割させました。

サブタイトルの通り、この章では探偵と暗殺者が闘う話となっています。

アルファゼロ=佐藤が前半の暗殺者ならば、後半の暗殺者は・・・?

次回をお楽しみに!

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