第36章
結局、佐伯さんもよく見て四球を選んだ。
森田が明らかに冷静さを失っている。相手チームの森田に対する声かけがほとんど野次に近いせいで、余計いらいらしてるんだろう。
一死一三塁。姉が最後まで投げきれるか不安なことを考えても、追加点がほしい。桐谷さんが併殺以外なら前田まで回る。
森田は何とかストライクを先行させ、ツーボールツーストライクまできた。桐谷さんは立っていただけ。状況をよくわかっているし、冷静だ。
五球目、森田が投球に入ると、おそらくダブルスペアのアイコンタクトだろう。佐伯さんがスタートを切った。エンドランか?
まずいのは、それを見た蘭ちゃんまでが焦って飛び出したこと。最低でもバットに当てないといけなくなる。
しかし桐谷さんはアウトローに逃げるシュートを綺麗に弾き返した。蘭ちゃんはもう本塁付近まで来てしまっている。
抜けるかと思った一二塁間のライナーを、一塁中井が飛びついてダイレクトで捕った。
僕はその瞬間、このケースは得点のチャンスだと気づく。佐伯さんはちょうど中井の目につく位置に飛び出していた。
僕は「一塁、戻って」と叫んで全員の注目が一塁に集まったのを確認してから、がっかりしたような調子で「あーあ、蘭ちゃん、戻ってきな」と本塁に頭から滑ってきていた蘭ちゃんを手招きした。
蘭ちゃんは怒られると思ったのか、とぼとぼこちらに歩いてくる。佐伯さんは戻りかけて、対面した一塁中井のグラブにタッチされた。併殺、チェンジだ。
相手チームがベンチに引き上げる。僕は沈んだ顔でそれを見送る。桐谷さんと佐伯さんも戻ってきた。
「あ、あ……あの、すみまふにゅ」
「私も、ごめんなさい。飛び出しちゃって」
「お二人は悪くありませんわ。私がうまく人のいない場所に打てなかったから……」
みんな、僕が怒ってると勘違いしているらしい。そのあたりでようやく、相手チームが全員ベンチに戻り終えた。
「よしっ。みんな、ナイスプレー。これで一点入った」
「え?」
みんな、ぽかんとしている。僕は主審に確認しに行った。
「審判、今のケースでは、こちらの得点が認められますね?」
「その通り。あちらのチームに説明してくるので、少々待ちたまえ」
審判は相手ベンチに歩いて行った。僕もほっとしてベンチに帰った。
「え?え?何?拓、どゆこと?」
「タッチアップが早すぎたらアピールプレーになるけど、アピールしなきゃ得点が認められちゃうだろ?」
「そうだけど……」
「今のも、それと同じことだよ。蘭ちゃんの離塁が早かったなら、ベンチに戻る前にアピールしなきゃいけなかった。それを怠ると、ホームインは認められる」
「あ、そっか。思いっきり飛び出してたけど、タッチアップには違いないか」
「それで、がっかりした演技してたわけね。拓ちゃん、やるねー」
「村上、あ、頭良いな」
姉、愛ちゃん、前田の三人は理解してくれた。
「私は普通に気づいてましたけど」長谷川もわかってたと自称している。過去に練習試合で一回あったから覚えてたのかも知れない。あの時は審判がわかっていなくて苦労した。




