教会編 1
修正しました。
神父リョーエンは聖人と呼ばれる人物であり、同時に苦労人である。
彼は、ある貴族の庶子に生まれた。しかし、男子の誕生を妬んだ正妻の陰謀で幼くして母親と別れ、神学校に入れられた。
そこから14年間を神学校で過ごし優れた成績を修めて卒業した。卒業後、彼が真っ先に知ったことは母親が既に亡くなっていたということであった。
生前の母親を知る人から、母親のことを聞くと母親は、いつも神学校に通う立派な息子を誇りにしていたという。
幼くして別れ、もう記憶すら曖昧な母の話を聞き、若き日のリョーエンは延々と涙を流し、決意する。
もう、会うことの叶わない母の言葉を刻みつけ、神の声をあまねく世界に伝えるという使命に燃えた。
妾の立場で、きちんとした葬儀が行われなかった母のような人にこそ神の声を、恩寵を伝えなくてはならない。
リョーエンは進んで、奉仕をこなし、布教に邁進した。邁進しすぎた。結果として、司教から上に彼が出世することは叶わなかったが、彼は満足していた。
しかし、その功績は多くの人に知られて、彼は生きながら聖人と人々から呼ばれるようになった。
彼の名声は王家にも届く。そして、この度決まった第三王子の結婚式の神への立会人、つまりは、神父として声がかけられた。大変名誉なことであるが、一点、気にかかる噂を彼は耳にしていた。
噂は、よくある勧善懲悪の噂であるが、どうにも気になる内容であった。
なぜならば、噂に出てくる人が自分の知る人物なのだ。
がしかし、噂が真実ならば、とても自分の知るかつての姿でない。噂が事実なのか、それとも嘘のなのか、嘘ならばなぜ、こんな噂が立ち広まったのか。
違和感を覚える噂の真偽を求めた。
第三王子には、今の婚約者以外にもう一人婚約者がいたらしい。
その相手は、大変な性悪で弱者に強く当たり、淫蕩にふけるなどどうしようもない娘であった。とあるパーティの最中に王子自ら、今の婚約者と証拠を集めて、彼女の生活態度を諫めた。しかし、その婚約者は逆上し、詰め寄る令嬢にあたりちらし、王子はその場で元令嬢に婚約を解消したというのが噂の内容だ。
あまりにも、頭の悪い噂であった。
第三王子は確かに婚約を解消している。がそれは、婚約を解消したのは元婚約者であるノイエ・ノーキンご令嬢から申し出である。
ノイエちゃんについては、幼い頃から知っている。彼女の祖父、大英雄たるニック・ノーキンと私は親友である。彼の死後、彼女の家に次々不幸が続き、彼女自身が少しナーバスになって婚約を解消したと私は聞いている。
間違っても、弱者に強く当たる子供ではないし、淫蕩に耽ることもないはずである。
リョーエン神父は、大英雄ニックと共に旅をした仲間である。神に身を捧げ生涯を一人で生きる彼にとってもノイエはかわいい孫娘であった。
噂の真相を知るために、彼はニックの妹で尊敬すべき大司教ヒノク・ホーリーが貧民街に建てた教会を目指していた。
ヒノク・ホーリー視点
教会の朝は早い。
それは、別段特別なことをしているわけではない。
ただ、夜が早いのだ。
この世界は、夜間の照明に油や蝋燭を使う、使えばその分だけ減る。
特に油は照明以外に、食事、整髪など他にも使い道があり高価なため、清貧を旨とする教会ではほとんど使われない。
蝋燭も安い訳ではないが、教会では蝋燭の灯りが夜の友になる。
しかし、基本的に教会の生活は、日が昇る前に動き出し、日が沈んだ頃には体が動かなくなる程の重労働である。
なぜ、蝋燭の灯りがいるのか?
答えは、夜間であっても、働く者がいるからだ。
何かの祭事があれば、前日から眠い目をこすりながら作業を行うし、夜番の者は夜通し起きて警備を行う。
特に、この教会のある貧民街は治安が悪い。
教会から何かを盗めば死んで地獄に落ちると聖書にあるが、その日暮らしのひもじい思いをする者には効果が薄い。
何かいい方法はないかといえば、国全体が富み、豊かになっていくことしかない。
ただ、それは一つの教会で行える範囲を超えており、一種の夢物語でしかない。
ヒノクはその日、友人を待っていた。
大英雄の妹で聖女と呼ばれたヒノクは、兄の友人であるリョーエンが巷で噂されているノイエの事で自分に話を聞きたいと手紙を受け取り、久々に何でも話せる友人が来ることを彼女は喜んだ。
既に、兄は鬼籍に入り、彼女の身内はノイエ以外に誰もいない。
ノイエは第三王子の結婚相手なのだから、自分のところになかなか顔を出さない。
自分も60を越えて、既になくなった兄の年を越えてしまった。いつお迎えが来るかわからない老女にとって、昔を語る相手は、とても大切なものだ。
リョーエンが来るのを、心待にしていると、扉を大きく叩く音がした。
ドン!ドン!ドン!
まるで扉を破くような勢いでノックされる。
その音に、ヒノクは誰か急患が出たのかと扉に急いで向かう。
今日は、喧嘩か、急病か?
ここらで何かあれば、住民は教会に駆け込んでくる。ヒノクは何せ聖女である。この国で屈指の薬師で、治癒の奇跡の使い手なのだ。本来ならば、こんな場所にいない人間だ。
だが、彼女は、後進をじっくりと指導したいと教皇様におど・・、進言し、自らの財産を使って教会兼病院兼学校兼託児所兼あとなんか色々くっついた場所を作った。
扉の前に立つと、ヒノクの足は自然と止まる。扉の先に、悪魔と死者の気配が漂ている。かつて、兄達と共に各地を巡り、戦った時に知った悪魔の気配をヒノクの体は忘れていなかった。
ヒノクは、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。心を落ち着かせて、悪魔と扉越しに会話を始める。
「誰だい?」
「俺だ!ニックだ!」
!?
何て奴だ!大英雄たる兄の声を使うなんて、ヒノクは、かつて兄が戦った様々な悪魔達のなかに声音を真似る者がいたことを思い出す。
「大変なんだ!ノイエが、死んでしまう!」
!!??
かつて兄は話してくれた悪魔は、人の隙を突いた攻撃をしてくると、まさか兄の声を使い、ノイエを話題にしてくるとは、とにかく、ここが正念場だ!悪魔は、間違えた。ノイエはもう王家のものなのだ。
「ノイエがどうしたの?あの子は、今、王子様と結婚の準備で忙しいはずよ。」
「馬鹿野郎!お前は、なにも知らねぇのか!早く開けろ!」
悪魔は、嘘が発覚して焦り始めた。
ここからが、正念場だ。ヒノクは、リョーエンが来るまでに悪魔を一匹退治してやろうと決めた。