悪魔編 1
「お祖父様、お父様、お母様、ごめんなさい。」
深夜、王都を望む小高い丘に、一人の令嬢の暗く沈んだ表情で思い詰めた言葉を小さく口にする。
彼女の名前は、ノイエ・ノーキン。王国の社交界でその名が聞かれない日がない有名人だ。
…ただし、悪い意味だが。
憐れ僅か17才のノイエ・ノーキンは、世間のつまらぬ醜聞に踊らされ、その短い人生を終わらせる為に、この場所にやって来た。
約一年前に婚約者である第三王子から婚約を突然解消され、その後は、あることないこと好き勝手に騒ぐ外野によって、ノイエは社交界から追い出されてしまった。
そして、つい先日、元婚約者である第三王子とその新しい婚約者である侯爵令嬢とが結婚すると大々的に発表され、彼女の心は遂に限界に至った
幼馴染みの下女に最後の書き置きを残して、彼女は一人実祖父が眠る墓にやって来た。
愛してくれた家族は既になく、愛した人には別の人が隣に立っている。最後まで、慕ってくれた下女には申し訳ないが、たった17年しか生きていない少女には、この先に広がるはずの明るい未来より、今の現実が辛すぎた。
頼れる人がほとんどいないノイエはその僅かな人の手も借りないように、誰にも迷惑をかけない最後を望んだ。しかし、そうはいっても、せめて最後だけは、誰かの優しさの下にいたい。
彼女は自分をもっとも愛してやまなかった祖父の墓を訪ねた。物言わぬただの墓石であっても、最期を望んだ彼女には、そこが最も暖かい場所に思えた。最期の言葉を口にして、ノイエはその場で手首に鈍い光を返す刃先をあてる。
彼女の白磁のような艶めかしい細腕に、うっすらと赤い線が浮かびあがる。やがて、そこからだくだくと熱と命が流れていく。彼女の意識は遠く、遠くの世界に今旅立とうとした。 ―完
と、ここで終われば、ただのお話。
彼女には強い味方がいたのです。
それは、
東に暴れる竜に困る人々がいれば、行ってあっという間に竜の首を切り落とし。
西に重い税金に苦しむ人々がいれば、行って領主の悪行を広く知らせて救いだし。
南に奴隷にされて辛い日々を過ごす人々がいれば、行って彼らの国を作りだし。
北に世界征服を企む悪魔が現れれば、行ってつまらねぇことするんじゃねぇぞっと笑顔で脅す。
万夫不当の大英雄ニック・ノーキンとは彼女のおじいちゃんでした。
英雄の孫娘ノイエは、彼からの過剰すぎる愛情と両親からの適切な教育と躾の下ですくすくと育ちました。やがて、年を経るごとに美しくなるノイエちゃんをおじいちゃんはほんとに大切に、大事に見守ります。
それは、彼は生きている間も、そして、死んでからも孫娘ノイエにとりつ・・見守ります。
ですから、これは、ある意味、起こるべくして起きたと言いますか、まぁ、仕方がない事なのでしょう。
?霊ニック・ノーキン視点
―ノイエェェエエエ!いかんぞ、はやまるな、ノイエェェエエエ!あぁ、誰か、誰かおらんのかぁあ!
目の前で、冷たくなっていく儂の可愛い、可愛いいいい孫娘、ノイエちゃん。おい!神!こんにゃろう!何してる?早くノイエを助けんかい!おい、聞いてんのか、こら!
「お祖・父・様、ごめんな・さ…い」
―ノイエェェエエエ!誰か、誰か、誰でもいい!ノイエを助けてくれェェエエエ!
「お嬢ちゃん、起きなさい。取り引きをしないかい?」
―!?
「だ…れ?」
「誰でもいいじゃないの?お嬢ちゃん。ねぇ、憎くはないかい?」
「にく…く」
「お嬢ちゃんをこんな目に合わせるやつのこと。そして、それが許される世界が憎くはないかい?ずるいとは思わないかい?」
「ず・るい…、」
「ねぇ、お嬢ちゃん、ほんとに世界が憎くはないかい?」
「あな…た……は」
「僕はね、まぁ、名前なんていいじゃないか。」
―こ、こいつは、
「お嬢ちゃん、僕は君に、手を貸しきたのさぁ!」
「なーに、怖がらなくていいよ。」
「僕はね、いままで、何人も、な~ん人ものかわいそうな人に手を貸してきたからさぁ、」
「こんなにもかわいそうな君を見つけて、いたたまれなくてつい声をかけたのさぁ~。」
―ノイエ、駄目じゃ、こいつは悪魔じゃ!耳を貸すなぁ!
ぐたりと横たわるノイエの周りに黒い塊がいる。塊はまるでノイエに絡みつくようにノイエを覆い尽くす。
―これは、間違いない!悪魔じゃ!
「わた・し・が、」
―答えるな!ノイエ!いかんぞ、誰でもいいと言ったが悪魔はいかん!
「あぁ、君がかわいそうだから来たんだよ?」
「こんな、ものすごい怨念はみたことない。」
「生霊?怨霊かな?凄い執着心だね?いったい、どうすれば、こんな目に遭わせられるのか信じられないよ。」
「お・ん…ねん?」
―なんじゃと!誰じゃ!ノイエに、怨念だと!許さん!許さんぞ!
「ほら、君、わかるんじゃない?ここまで、君を憎む相手」
「わかん…な・い」
「本当に?」
「僕はね、君になにかしたりしないよ?」
「君とは、ただおしゃべりするだけさ!」
「ねぇ、教えてよ!君を憎しむやつの名前をね?」
「な・なま…え」
「悪いやつの魂を懲らしめる為にさぁ!」
「たま・し…い?」
「そう、こんな、ものすごい念を込める魂なんて見たことがないからね。」
「なん…で?」
「いいじゃないか?どうでもさぁ?」
「君、怨まれているのだよ。いいのかい?」
「君を助けたいのさぁ、心当たりあるでしょ?君が憎くてたまらない相手の名前を教えて?ねぇ?」
「な…え、」
「ほら、いま、分かりやすくするよ。前を見ててねぇ、3・2・1さぁ!ヒェ!」
「ぁっ、おじ…いさ・ま?お・じいさ・まぁ・ぁあ!」
ノイエェェエエエ!こいつの言うこと聞くな!こいつは悪魔じゃ!ただの悪魔なんじゃ!
「あく・ま・・?」
「あの、え?おじいさま?この人?ニックさんですよね?あの、え?なんで?この、怨念?」
うるさい!儂はノイエと話してるんじゃ!黙れ!
「はい!」
「おじい・・さま、わた・・し・、ごめん・・なさ・・いわた・・、」
ノイエェェエエエ!謝るなぁあ!いい、儂は、儂が許す。お前は、悪魔と取り引きしなかった。えらい、えらいぞ!お前は、優しい子だから、儂がわかっておるからなぁ!
「いや、あの、取り引きは、」
黙れ!ぶっ殺すぞ!悪魔!お前、いつまでそこにいるんだ!
「えっ!あ、はい!黙ります。」
「い・い…の?あぁ、おじ・いさ・ま、ありが・と・ぅ」
ノイエェェエエエ!いくな!ノイエェェエエエ!
最後の瞬間にかつての祖父を目にした安堵からか、ノイエは口からは世界への恨み言はなく、ただ感謝の言葉を口にした。ニックの絶叫が深夜の墓地に響く、そして、ノイエの体がまばゆい光に包まれ、弱々しかったノイエの呼吸が安定する。
なんじゃと!奇跡か?奇跡だ!
「あの、回復魔法を使ってますよ?いえ、黙ります!」
ギロリと睨み付けるられて、悪魔はいそぎ黙りこむ。
これは、奇跡なのじゃ!悪辣なる世界に、悪意に溢れる世界に可憐なる天使が殺されてはならんという、正義を示せという、天の意を果たせという天命じゃ!おい!悪魔!手を貸せ!
「えっ?あの、なにもしないので、帰っちゃ、駄目で」
ああん?
「はい!分かりました。」
まずは、情報を集めてこい!誰が、こんな非道なことしたのか、調べてこい!
「はい!分かりました。」
いや、待て、先に、ノイエを安全な場所に運んで看病するのじゃ!
「はい!分かりました。あ、どこに運びますか?」
探さんかい!早くせんか!いや、いい場所がある。
「あの、分かりました。」
「すぅー、すぅ。」