004 第四話
眷属の魂が盗まれた上に、異世界から人間一人を召喚するための触媒にされたと告げるサナフィルの声は苦々しさを隠そうともしていなかった。
それが余計に彼女の内情を表しているように思えて、悠奈は無意識に自分の心臓があった場所の上に手を這わせる。
「下位神族がそれぞれに守護する種族を持つように、私たち最高神と呼ばれるものたちは世界そのものを守護する役目を持っている。そして、世界を守護するために私たちは自分たちで生み出した眷属を地上に送り込むことがある。彼の者が触媒として使ったのは、私が新しく生み出していた眷属の魂だったんだ」
重々しくため息を吐き出したサナフィルは、胸の前で腕を組み合わせて頬に手を添える。
「君と同じく、ふたつの世界が完全に分かたれれば魂を補修して地上に遣わせることはできなくはなかっただろうけど……その場合、欠けた状態の魂が摩耗しないとも限らなかった。己の本分を忘れ、世界に害を成す存在に成り果てる可能性だってあった」
「そ、そうなんですか……?」
「あくまでも可能性の話ではあるけれどね。けれど、君がこちらに来ることを承諾してくれたことでその心配はなくなった」
「……どうして?」
引きつる喉を何とか動かして問いかければ、サナフィルが一歩前へ足を踏み出した。
重力を感じさせない足取りで滑るように手の届く場所まで近づいてきたサナフィルは悠奈の胸の上、ちょうど鳩尾にあたる場所に優しく手のひらを押し当てた。
「奇跡……としか言いようがないのだけれども。二つの世界をつなぐ楔にされた我が眷属の半分は、いま君の中にある」
「……ふぁ?」
「どうしてそんなことになったのか、再現可能かは別として。君の欠けてしまった魂を補うように、我が眷属の魂は君の中にある。異なる理の縛りがあるから同化はしていないみたいだけれど、君の中にあるおかげで大きく摩耗することもなかったみたいだ」
ほころぶような微笑みを浮かべたサナフィルの手のひらから伝わってくる暖かな熱は、まるで母に撫でられているかのように心地よいもので不思議と不快感には結びつかなかった。
「これなら、補修に使うために集めていた分で君に加護を与えられそうだ。流石に、好きな種族に生まれ変わらせてはあげられないけれどね」
「人間に生まれ変わるわけではないんですか?」
「申し訳ないけど、人間に転生させるのは無理だね。私は創造神ではないから、自由に創り出せはしないんだ。私が出来るのは、あくまでも私の眷属として地上に送り込むことだけだよ」
「それって、もしかして……」
てっきり人間として生まれ変わるのかと予想していたのだが、サナフィルが肩を竦めながら告げる言葉に確信にも似た予感を抱きながら声を上げる。
すぐ近くで、金に縁どられた赤い瞳がまばたく。
「君には『神竜』の片割れとして転生してもらうことになるね」
「や、やっぱり……」
予感が的中したことに声を震わせた悠奈に、サナフィルは鳩尾の上から手を離して小首を傾げる。
「悪い話ではないと思うよ? 言っておくけど、君がいた『地球』と違ってこの世界は神が近しい神秘の息づく世界だよ。数は多いけれど、個としての力は劣る人間に生まれたら生きていくだけでも大変なんだよ?」
「確かに、剣と魔法のファンタジーな世界観ってことは、魔物とかもいるってことですよね……」
「『地球』よりも文明レベルも低いし、世界の『歪み』から生まれるものが跋扈しているせいで命の価値も低い。人間だけでなく、多くの種族は絶えず縄張り争いで一進一退しているような世界だよ。そんな世界に、どんな強大な力を与えても劣る種族として転生しろなんて言うわけがないでしょう」
腰に手を当てて頬を膨らませながら、そんなひどい扱いをするつもりはないと言い募るサナフィルに詰め寄られて、ぎこちなく頷く。
言っていることは確かになるほどなぁと思うことで、納得できないわけではなかった。
「役割も使命もなく地上に眷属を送り込むことはできないから、ある程度『役割』は担ってもらうけれど『神竜』として転生するなら十全に加護も与えてあげられるし、『役割』以外は自由に生きてくれて構わないよ」
「……その『役割』ってどんなことをすればいいんですか?」
まさか、人々を導いて魔物と率先して戦えとか言われたりしないだろうかと不安に思いながらも訊けば、顎に人差し指を添えながらサナフィルは首を傾げてほんの少し考えるそぶりを見せる。
「私が眷属に求める『役割』は、世界の『歪み』への対処だけれど……対処と言っても、私の力で『歪み』を治すから……ぶっちゃけ言ってしまえば、地上に存在してくれるだけでいいんだよね。まあ、もちろん効率を考えた上で『歪み』の傍に行ってもらうことになるだろうけど、『神竜』の身体能力なら同等かそれ以上の存在以外には傷一つつけられないと思うし」
「それだけでいいんですか?」
「私たちは非常事態を除いて、あまり世界に過干渉してはいけないことになっているからね。特に、異世界から召喚された人間が齎した発明そのものを『なかったこと』にするために私以外の最高神が地上への干渉を行って、大変なことになった後だし」
「……なんて?」
何気なくサナフィルが漏らした情報に幾度目かの嫌な予感に思わず素のままで訊き返してから、慌てて口元を押さえる。
いくら何でも、兄や姉たちと接するときのままの口調で話しかけるのは失礼だろうと思ったのだが、サナフィルは口元を押さえながら伺うようにそっと見上げる悠奈に小さな笑い声をあげただけだった。
不快に感じた様子もない。
「別に、無理して敬語を使わなくていいんだよ?」
「神様を相手に、そんなわけには……」
「ああ、君の国における『神』とは畏れ敬うものだったっけ。なら仕方がないけど、もうちょっと楽にしてくれていいよ。それくらいで怒るような狭量ではないつもりだからさ」
ひらりと袖を揺らしながら楽にしていいと告げたサナフィルの様子に、どうやら不敬だと不快感を持たれた様子はなさそうだと口元から手を離せば、柔らかく微笑む朱金の瞳に見詰められていたことに気が付く。
「さて、君が聞きたいのはさっき説明した地上への干渉についてかな?」
確認するように問いかけられ、首を縦に振ることで肯定を返す。
「詳しくは話せないのだけど、彼の発明は文字通り『世界を変えた』んだ。それまで常識であったことが塗り替えられ、地上の序列が入れ替わる程度には。けど、それは世界のバランスを崩すほどの影響力を持っていた。君が暮らしていた『地球』でもあっただろう? 一つの発明が、世界そのものを脅かす現象が」
そう言われて、頭に浮かんだのは『産業革命』だった。
蒸気エネルギーの発明によって革命と呼ばれるほどに人類の文明が進化した大いなる一歩であり、現代の礎を築いたと言っても過言ではない歴史上の出来事。
「確かに……」
「人間というのは爪も牙も持たず、空を飛ぶ翼も術も持たず、丈夫な毛皮も持っていないけれど、頭を使う種族だよね。けれど、すべてを見通せるほど感知能力が高くもないが、自分の利になるものはどんなものであっても利用する強かさも持ち合わせている。一度は下位神族を通して、神託によって発明を利用することを禁じてみたけれども、自分たちの益となるそれを何故禁じるのだと神託ごと無視されてね。仕方なく、地上に広がっていた文明もろともすべてを無に帰すために最高位に在る神たちが干渉を行ったんだ。世界をひっくり返すような大騒動になってしまったけれど、あれが残っているよりはずっとましだったからねぇ」
「そんなにやばい発明なんですか……」
「人間が手のひらサイズのもので世界のバランスを崩壊させかねないような発明、としか教えてはあげられないね。ああ、そうだ。一つ説明を忘れていたけれど、君が転生するときにはこちらの世界に馴染めるように少しだけ手を加えさせてもらうよ。あんな騒動は一度で十分だからね」
ため息交じりに語るサナフィルの様子から、よほど騒動になったらしいと窺い知ることができた。
「ちなみに、最高神たちが起こした干渉の結果、地上にあったありとあらゆる文明は崩壊したから文明レベルは全くと言っていいほど成熟はしていないよ」
「文明崩壊って、よっぽどですね」
「あの発明を地上に残しておくわけにはいかなかったからねぇ」
「……もし、偶然私が同じ発明にたどり着いてしまった時はどうなります?」
「そうなったときの対処はしてあるから、心配はしなくていいよ。万が一にも、同じようなことにはならないさ。さて、それじゃあそろそろ転生の儀を始めてもいいかな?」
心配しなくていいと告げられた言葉に安堵の息を零せば、流れるような動きで悠奈の手がサナフィルの手にすくい上げられる。
なめらかで傷一つない暖かな手のひらが少し強めに悠奈の手を握りしめる。
「まずは、君の中に保護されている我が眷属の魂を分離させる。分離したら、すぐにこちらの世界で見つけた君の魂を戻し、私の眷属にするための儀式をする。その後、地上に転生することになるけど、ここまでで質問はある?」
「いえ、特には……」
「あっと、始める前に君がこちらの世界のものとなった証として、名を贈ろう。その名をもって、君はこちらの世界に完全に定着することになる」
「名前……悠奈じゃダメなんですか?」
「ダメじゃないけど、それは『地球』での名前だからね。コチラでの名前がないと、存在が固定化できなくて面倒なことになると思うよ」
面倒ごとは少ない方が心の平穏のためにもいいだろうと判断して、サナフィルに「お願いします」と頭を下げた。
口元に笑みを浮かべたサナフィルは、ゆったりと了承すると楽しそうな笑みを浮かべる。
「実は、君の名前を聞いたときから決めていたんだ。君の名は『 』だ。これは所謂、真名って奴だね。普段は字として『ユーナレア』を名乗るといい」
一瞬、ノイズが走ったように声が聞こえなくなる。名前らしきものを呼んだのは分かったが、音として聞こえていなかったため何と言ったのかわからない。
聞き返す前に告げられた耳に馴染みある響きを持つ名前に目を見開いて、目の前に立つ少女姿の神を見詰めた。
両親につけてもらった名前を、響きだけでも残してくれるとは思っていなかった。
もらった名前であれば、愛称として『ユーナ』と名乗っても違和感はないだろう。
「ありっ、ありがとう、ございます」
「気に入ってくれて何よりだ。っと、始める前に君の片割れになる子を紹介しておこうか」
忘れていたと声を上げ、片手を上げたサナフィルが何かを招くように手を動かせば悠奈からさほど離れていない場所から光の膜につつまれて眠る子供が浮かび上がってくる。
金蜜色の髪をした整った容姿の少年らしいその子供を見て、何故か懐かしさが胸に広がる。
「この子が君の片割れ。名は『 』で、字は『リヒャルト』と言う」
「リヒャルト……」
「仲良くしてあげてくれ。たったふたりだけの同族だ」
眠り続ける少年をじっと見つめていた悠奈は、仲良くしてあげてほしいと告げるサナフィルに視線を戻して力強く頷いた。
嬉しそうに満面の笑みを浮かべたサナフィルが少年が眠る光の膜を手招くように手を動かすと、そのまま悠奈の両手を握る。
「それじゃあ、始めるとしよう」
高らかに宣言したサナフィルの瞳が、金の光沢を放ちながら赤く光り輝く。
まるで太陽を直視したときのような強烈な光に思わず目を閉じれば、すうっと吸い込まれるように意識が眠りに落ちていった。
「次に目が覚めたときには、君は地上にいるだろうね。絶対に痛くしないから、ゆっくりおやすみ」
微睡む意識の外から、そんな言葉が掛けられたような気がした。
目を閉じて横になった悠奈を前に、サナフィルは「さて」と気合を入れるように声を上げた。
何かをすくい上げるように右手を上に向かって動かせば、横になった悠奈の周りに光の珠が浮かび始める。
光の珠と共にその身体が浮かび上がれば、少しずつ体の輪郭が朧げになっていく。
それと同時にリヒャルトと呼んだ少年が眠る光の膜も浮かび上がり、その体の輪郭も朧気に解けていく。
悠奈の身体から浮かび上がった光の珠の中に、重々しい力を感じさせる焔が現れ始めるとサナフィルは左手で何かをつかむような仕草をした後、それを空中に放った。
すると悠奈の隣に浮かび上がっていた光の膜が、青白く燃える焔の珠に変わる。
焔の珠は悠奈の身体から浮かび上がってくる焔を吸収するのと同時に、その焔の中から光の珠を浮かび上がらせる。
焔から立ちのぼった光の珠は、焔とは逆に悠奈の身体に吸い込まれるように集まっていく。
その様子を眺めていたサナフィルは、数度指先を揺らして変化がないかを観察するために間を開けてから、眉をわずかに寄せた。
「……やっぱり、完全に分化するのは無理かぁ」
悲しげな呟きを零す彼女の視線の先には、流動する光の珠と焔が輝きを放っていた。
輝きの奥で、浮かび上がってこない珠が宿主の中に溶け込んでいくのを朱金の瞳で捉えたサナフィルは小さくため息を零す。
「多少『混ざる』だろうけど、問題はないか。記憶や自我に影響するほどの量でもないし」
ひとりで呟くサナフィルが視線を向ければ、焔の珠を吐き出していた少女の身体は完全に元の形を無くしていた。
それだけではない。焔の玉もその形を変えていた。
代わりにそこにあったのは、輝きを放つ二つの球体だった。
悠奈の身体がすっかり輪郭を失い、光の球体となった頃には青白く燃える焔は悠奈だった光の球体とほとんど同じ大きさにまで成長していた。
サナフィルが満足げに一つ頷いて、そっと手を差し伸べればふたつの球体はゆっくりとその腕の中に降りてくる。
少しの間眩いほどの光を放っていたふたつがゆっくりと輝きを失っていくと、サナフィルの腕には人間の胎児ほどもある卵がふたつ抱えられていた。
しかし、その二つの卵は現れてすぐに空気に解けるように消えていく。
「我が眷属に、幸多からんことを」
あとには、残されたサナフィルの声だけが響いた。