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イヤフォン

作者: 玄子 承

普段イヤフォンで音楽を聴く私ですが、ふとそいつを使う時に思ったことがあったので、一つの作品にしてみました。


感想等ありましたらよろしくお願いします。

イヤフォン

 私は、イヤフォンが嫌いだ。

 だって、イヤフォンがないと、この退屈な日常から楽しい音色が聞こえることがないのだから。


 私はよく、イヤフォンをポケットに入れたまま洗濯してしまったり、使う場所を決めずに放り投げているとどこに行ったか分からなくなるし、イヤフォンがないと私は、私の心を平穏に保てないと思う程にまいってしまっている。学校からの帰り道、休み時間、駅のホーム。他の皆は一緒に帰ったり、誰かと一緒にご飯を食べていたりするが、私にはそう言った習慣も友達もない。最も腹の立つことと言えば、いざ音楽を聴こうと取り出したときに限ってぐちゃぐちゃにこんがらがって入れられていて、ほどくのに時間がかかることだ。焦って解こうとすればかえってその結び目はきつく締まり、誰がしたわけでもないのに、まるで、


 お前は音楽など聴くな。


とでも言われているような気分になる。

 駅のホームで取り出したときは大体そうだ。すっかりご機嫌が斜めなのかもしれないが、そのお前を見ているとこっちまで腹が立ってくる。平穏を保つために音楽を聴こうとしているのに、こいつが意地悪をするせいで、すっかり聞く気も失せてしまった。


 もう聴かない。もう聴いてやらない。

 お前みたいなひねくれたやつを通して音楽なんか聴いたら、こっちの耳までひねくれた音しか聞き取らなくなってしまうかもしれないし。

 頭の中でそんな風にイライラしているうちに、周りに座っていた人たちが立ち上がり、ホームの乗車口付近へと歩いていく。私もその動きに倣い、列に続いた。間もなくして地下鉄が到着し、乗車口のドアがぷしゅーと開く。

 1番出口が開くと、私はすぐに向こう側のドアのすぐそばに立った。いつもそこでお気に入りの曲をかけて、半透明のドアガラスから反射して見える人々の表情を覗くことが日課となっていた。ちらっと見えたのはスーツを着てうつむくおじさんとイヤフォンを耳に当てている大学生くらいの男の人くらいだった。街へ向かう方向だと人も混雑するのだが、今日はそんな雰囲気も感じられなかった。いつもはドアの端まで押し込められるくらいに乗るのに。

 体を押してくる人がいない、圧迫感のない地下鉄は心地よいものだったが、快適な分、なおさらイヤフォンがほどけていないせいでいつものルーティンが崩れていることを思い出し、それはそれで不機嫌な気持ちになった。


 「間もなく、~前、~前です」

 アナウンスの後に続いて降車口が開く。扉のすぐそばに立っていた私はその場で少しの段差に気を配りながらひょいっと降り、階段を上り、改札口を抜けた。

帰り道に歩きながらあいつをほどいていくか。


 エスカレーターに乗り、駅を出た私は、すぐさま右のポケットからぐちゃぐちゃになって言うことを聞かなくなったイヤフォンを取り出し、一つ一つわだかまりをほどいていくことにした。何重にもなり一筋縄ではいかないほどにへそを曲げたイヤフォンを、差込口の方から一つずつ、固まりをほどいていく。すると、同じポケットに入れていた自分の携帯が鳴った。

「もしもし?今日も仕事、遅くまでかかりそうなの。ご飯は冷蔵庫に昨日の残りあるから、それ温めて食べて」

 母さんからだった。母さんは最近仕事が忙しいらしく、夜ご飯をつくる時間すらないので、大体前日の残りか昼に作ったものが冷蔵されてある。つまり、私には帰っても暖かいごはんなんて用意されていない。電気だって帰ってから最初に着けるのはいつも自分だし、お風呂の用意だって、食べたものを洗うのだって全部自分でやらなければいけない。たまに一家団欒で食卓を囲み、暖かいごはんを家族みんなで食べるような風景を想像しては憧れていたが、今はそんな悠長なことは言っていられない。

 母は去年父と離婚した。兄は都会の大学に進学してまだ2年目だ。私と母は父から離れ親戚の家で暮らしていたが、その暮らしも長くは続かなかった。結局田舎で空き家になっていた家をたまたま知り合いに譲り受け、そこで暮らすこととなり、私は通っていた高校を転校することになった。それでも今はこうして母と二人でなんとか暮らしている。

 母は厳しく、私が一つでも食べた皿を洗わずに残してしまうと説教が始まる。

 食べて皿があったならついでに洗ってくれればいいじゃないか。それで済む話だ。

とは思っても口には出せない。だって口にしたらまた説教が長くなってしまう。そうならないためにも私はいい子でいなくちゃいけない。母さんにも苦労を掛けたくないし。

 

 この気持ちがわかるかい?イヤフォンさん。


 依然としてイヤフォンは知恵の輪より難解な結びつき方をしており、歩きながらほどこうと思っていた自分が何だか惨めな気持ちになってきた。いつもは帰り道にだって私の好きな音が溢れていたのに、今聞こえるものと言えば草原に潜む虫の鳴き声と空気がかすれる音くらいだった。当たりはすっかり暗くなり、等間隔に建てられた電柱に備え付けられた電灯だけが、私の歩いていく先を照らしている。

 今まで、こんな殺風景な景色を何にも思うことなく毎日歩いていたのか。ファーストフード店も、洋服屋さんも何もないこの道を、一人で何思うわけでもなく歩いてきたのか。なんだかそう思うと私も結構心が荒んでいたのかもしれない。

 今日だけは、家までの帰り道が、いつもより長く感じた。いつもより長い道と時間を、ただひたすら歩いたような、そんな気がした。

 いつもイヤフォンはこの世界と私を結びつけるかのように音を流してくれていたのかな。私が心配しないように、私が無事に家まで帰れるように。いまだにイヤフォンはほどけないままだけど、またいつか、私をこの日常からそっと、拾い上げてくれるのだろうか。

 そんな風に、私の無力さを、この真っ白なイヤフォンは教えてくれる。お前は一人じゃ何もできない、友達もろくに作れない、そんな退屈な日常にお前は生きているんだよ、と諭してくれる。

  

 私は、イヤフォンをほどくのをやめて、家に帰るまで鼻歌を歌いながら歩いた。いつも聞いている、お気に入りの曲を。

 これでもう怖くない。

 これで私は家までの道を楽しんで帰ることができる。

 もうお前なしでも楽しくやれるよ。


 私は絡まったままのイヤフォンをポケットにしまい、真っ暗な帰り道を歩いた。


 私は、やっぱりイヤフォンが嫌いだ。


 だってそれは、私をつまらなくさせる唯一のものだから。

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