第七話 急襲
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滅茶苦茶ビビっております。
更新が滞ったのはそのせいです。すみません。
地下の武闘場は、思っていたよりこじんまりとした場所だった。入口近くに木剣があり、中央には白線で囲われた闘技場がある。それだけの場所だった。しかしそれ故に静謐な雰囲気に包まれた場内は、いたずらに声を発するのは許されないような張り詰めた空気があった。
恭哉は何となく礼をして闘技場の線をまたぐと、徐に先程譲り受けたエスパーダ『紅蓮』を抜いた。黒い鞘から赤い刀身が出てきたその瞬間、恭哉は全身が一瞬身震いするのを感じた。プロトタイプとは比べものにならないような勢いで魔力が流れ込んでくる。
「ぐっ」
恭哉は足に力を入れて踏ん張った。そうしないと倒れてしまいそうな気がしたのだ。もしかしたら玲二は刀の扱いだけでなく、この魔力の奔流に慣れるために恭哉を武闘場に行かせたのかもしれない。
少しすると、魔力が循環し始めたのか急に体が楽になった。恭哉は『紅蓮』を抜き、横一文字に振った。ブンと重たい音がする。
一つ息を吐き、もう一度横に振る。思い出すのは昨日見たメイサの動きだ。あの一撃を恭哉は細かく覚えている。腕を引き絞ったときの上体のひねり方、大剣を振るときの手首の動き、はためくセーラー服までも恭哉は一瞬で記憶していた。
「さすがに目が良くなっただけじゃ済ませられないな……」
視力が上がったのは事実だ。今日の授業中、いつもは見づらかった黒板の小さい字が楽に見えたのを覚えている。しかし、人の動きをまるで動画で撮影していたかのように思い出せるのは視力だけでは説明できない。これは明らかに恭哉のスキル『魔眼』の力に起因している。
横に何度か振った後、今度は縦に斜めに下からと様々な方向から刀を繰り出す。昨日の筋肉痛で初めは強張っていた身体も徐々に解れてきた、そんな時だった。
大きな音がしたと思ったら武闘場が、いや地下全体が少し揺れた。地震ではない。
「……なんだ?」
その揺れは断続的に続き、音はどんどん近付いてくる。それが何かの足音だと気付いた時には、武闘場の壁が砕け散っていた。土煙の奥からギラリとした目が覗く。狂気を宿す瞳は二つではない。六つの眼光が未だ事態を摑めていない恭哉に向けられていた。
『お知らせします。たった今地下の実験室から被検体のケルベロスが脱走しました』
武闘場に取り付けられたスピーカーからそんな声が聞こえる。脱走した割には声が落ち着いてる。さすが守護者の名家だなと恭哉は関係ないことを考えた。
「ゴブリンの次はケルベロスですか……」
ケルベロスと呼ばれたそれは、一つの胴に三つの頭がついた黒い狼のような化け物だった。地球の狼とは比べものにならないくらい巨大で、頭の位置は恭哉より五十センチは高い。太く大きな牙が覗いており、噛み付かれたらひとたまりもないだろう。
落ち着け、と自分に言い聞かせるまでもなく恭哉は落ち着いていた。人間、驚きすぎるとかえって冷静になるのかもしれない。
この状況、逃げるのが最善手だと恭哉は思う。しかし、ケルベロスはちょうど出入口の前にいる。あれを突破するのは少し厳しい。突き破られた壁の穴に入ることも考えたが、それは一つの賭けだ。穴の先がどうなっているか分からない。もしも細い一本道だったら逃げても追いつかれて終わりだ。
「ベストじゃないにしても戦うのがベター……か」
恭哉が刀を構えると同時にケルベロスが襲い掛かってきた。よだれを垂らしながら大口を開けて噛み付こうとしてくる。恭哉はそれを前に出ながらかわし、ケルベロスの前足を斬りつけた。
「ガアアアア!」
踏み込みが浅く深い傷ではなかったが、ケルベロスを怒らせるには十分だったようで、ケルベロスは狂ったように叫び声を上げて猛攻撃しかけてきた。
次々に出てくる牙と爪の嵐、それを何とか凌ぎながら、恭哉は『紅蓮』を貸してくれた玲二に感謝していた。魔力量もさることながら、『紅蓮』の強度は凄かった。襲い来る牙と爪を受けても折れる気配はない。それどころかケルベロスの爪の方が削れている。恭哉が今持っているのがプロトタイプだったらと思うとゾッとした。
猛攻の一瞬の隙、それを恭哉の目は見逃さなかった。少し大振りになった爪の攻撃、その振り終わりを狙って恭哉はケルベロスの牙を下から斬り上げた。突き上げるような一撃にケルベロスがのけ反る。
しかし、ケルベロスは怯まずに突進してくる。恭哉はそれを狙っていた。ケルベロスがのけ反った一瞬で体勢を整えた恭哉は横に大きく跳んでその突進をかわした。
この武闘場はさほど大きくない。ケルベロスは壁に頭から突っ込み、くらりとよろけた。大きな隙だ。恭哉は大上段に刀を振り下ろした。
「ギャン!」
短い声を上げたケルベロスは、脇腹から血を垂れ流しながらも倒れることはなかった。しかし、ダメージはあるようで微かに足が震えている。あと一撃入れれば倒せる。そう思ったとき、背後の壁がまた突き破られた。
「おいおい、嘘だろ」
壁に二つ目の穴を開けたのは黒い体に三つの頭、二体目のケルベロスだった。
「くそっ」
恭哉の決断は早かった。恭哉は傷付いたケルベロスを捨て置き入ってきたばかりのケルベロスに狙いをつける。
地面を踏み砕き、トップスピードでケルベロスに肉薄する。ケルベロスが驚きに目を大きくした。恭哉も驚いていた。ここまでのスピードが出るとは、『紅蓮』の力を恭哉はまだ十分に引き出せていないのかもしれない。
「ふっ」
ケルベロスの首元を斜め上から斬り付ける。先程と同じく絶命には至っていない。もう一撃だ。ケルベロスに反撃してくる様子はない。返す刀で下からの斬撃。
「っ!?」
恭哉はそれを緊急停止させた。そして、強引に上体を反らして後ろに倒す。一瞬後に恭哉の目の前をうなりを上げてケルベロスの爪が通り過ぎた。それは傷付けた方のケルベロスの前足だった。流れる血に構わず背後から仕掛けてきたのだ。全く気付かなかった。
では、何故避けられたのか。答えは「くるような気がしたから」だ。いや、少し違う。より正確に言うと「くる直前に体が勝手に動いていたから」だ。しかしこれはおかしい。背後からの攻撃だ、そもそも見えるはずがない。
恭哉が刀を振ろうとしたとき、脳裏に一つの映像が浮かんだ。ケルベロスの爪が恭哉の頭を砕き、恭哉が倒れ伏す映像だ。それが一瞬浮かび、そして一瞬で消えた。それを見たとき、恭哉の体は動いていた。
何だったんだ?今のは……これも『魔眼』の力か?
疑問は尽きないが今は考えている場合ではない。かわされるとは思わなかったのか、ケルベロスは動きを止めている。その絶好の機会を恭哉の目が見逃すはずがなかった。