最終話 四月桜花想
「ここなのかな東藤君の家は……」
司書さんが書いてくれた手書きの地図を見ながら私は一言つぶやいた。目の前には二階建ての立派な家がある。地図通りならここが彼の家だろう。
正直とても緊張する。もし彼がこの家にいたとしても私のことを覚えてはいないと思う。じゃあどう言おう。――借りてた小説を返しに来ました――っていうのがベストだとは思うけど。
その時だ。
「あら……。うちに何か用事?」
突然話しかけられた私はびくりと驚き声の方向に視線を向ける。そこには50歳くらいの穏やかそうなおばさんがニコニコしながら立っていた。
「あ……。何て言うかここは東藤君の家ですか?」
「そうよ。もしかして光ちゃんのお友達?」
まるで私の心の中をみているんじゃないかと思うくらいの正確さで彼女は私にそう言う。
「友達という関係でもないのですけど……。実は彼に返したい物がありまして」
「返したい物? ごめんね。光ちゃんは今、福岡にいるのよ」
「えっ……。福岡ですか」
この時、私の儚い想いが閉ざされた。そうだよね。ずっと実家にいるとは限らないよね。
「もし良かったらおばさんが預かっとこうか?」
「あ……。はい。これ前に彼から借りた本です」
そう言いながら私は本を渡した。
彼の家からの帰り際、私はふと足を止めた。
河岸に桜が咲いていた。その美しく咲き誇る姿に私はつい見とれてしまった。私達が住むこの日常はこういった発見の連続だ。今日、彼に会うことはできなかったけどこの桜を見ることができた。そう思うと少し元気がでた。
春の陽射しはとても暖かく一人で歩く私の心を暖かくしてくれた。
次の日の朝、私は少し早めに起きて実家を後にした。明日からいつもと同じ忙しい日々が始まる。結局、東藤君には会うことができなかったけどそれはそれで仕方がない。むしろ久しぶりに地元に帰れて良かった。私はそう自分に言い聞かせた。
電車が来るまでの時間を私は待ち合い室で過ごす。だいぶ暖かくはなったが朝はまだまだ寒い。私はホットコーヒーを買って手を暖めていた。
待ち合い室の窓からは電車を降りて目的地へ行く人々の姿が見える。
――よし、私もそろそろ駅のホームへ行こう――
私はゆっくりとドアを開けて歩きだした。
その時だ。
「これ、落としましたよ」
振り向くとそこには一人の青年がいた。
手には淡いオレンジ色のハンカチ。
「ありがとうございます。これ大切なハンカチなんです。助かりました」
「そうですか。それは良かった。俺、よく落とし物を拾うんですよ。昔、同じ色のハンカチを落とした人に小説を貸したこともあったんですよ」
「えっ……。その小説を貸した人の名前って覚えてます?」
「名前かぁ。たしか水瀬明子さんだったかな。また会いたいと思ってるんだけどどこに住んでるのか分からなくて」
青年は微笑みながら私にそう言った。