家族
母さんのお気に入りのショッピングモールは、何でも売っていると言っても過言ではない。俺は本屋で漫画の新作でも読もうかと思っていたが、父さんに引き止められた。
「何だよ。本くらい見てもいいじゃないか」
「やめとけ、秀。母さんがここに来てるのには理由があるんだ」
「…ったく、わけわかんねぇ」
結局俺はこうして親、そして幸樹と一緒に歩き回ることになってしまった。
最初に母さんが向かったのは子供服売り場だった。
「なぁ母さん、まさか子供服って…」
「え、幸樹ちゃんのお洋服に決まってるじゃない」
やっぱりか。と思った瞬間、母さんは幸樹を抱き上げて試着室へと向かった。
「何をする!?」
「幸樹ちゃんの洋服を買うんだから、ちゃんと似合うか試さないと」
父さんがそれに反応して、幸樹に似合いそうなスカートやら何やらを選び出した。試着室に押し込められた幸樹が、必死で母さんに抵抗する声が聞こえる。
「やめろ、こら、服を脱がせるな!」
「この上から他の洋服を着るわけにはいかないでしょ?」
どうしていいのかわからず、呆然とそのばに突っ立っていたら、父さんに声をかけられた。
「何だよ」
「秀も何か洋服を選びなさい」
「俺にガキの服を選べと!?無理なご相談だね!父さんも俺のセンスが酷いのは知ってるだろ?」
すると父さんは俺の肩に手を置き、やたら目をキラキラさせてこう言った。
「大切なのは『心』だ、息子よ…」
「気色悪い真似するなっ!」
「あっ、殴ったな。いけないんだー。母さんに言いつけるぞー」
「うるせぇっ。気持ち悪いわ、馬鹿親父!」
「ちょっと、二人ともうるさいわよ」
振り向くと、母さんが立っていた。その横には幸樹。
「少年、そんな目で私を見るな」
幸樹が悪態をつく。何も見たくて見ていたわけじゃない。ただ、何と言うか、目が勝手に幸樹の方へ…。母さんが着せた洋服は、幸樹の白い肌に似合う、黒いワンピースだった。ところどころについている白い小さなリボンが、神秘的なオーラを放っている。これが子供服だというのは、いくらか信じがたいものがある。
「あと、お父さん、これも買うからお金よろしくね!」
そう言って母さんは薄いピンクのTシャツと白いロングスカート、その他大人っぽいデザインの服を父さんに渡した。
「母さん、今月のお小遣い、これで終わり…」
「家に帰ったらもう少しあげるから。500円くらい」
いくらなんでもそれは酷いと思うぞ、母さん。
「じゃあ幸樹ちゃん、元の洋服に着替えようか」
「早いところそうして欲しい」
その後、俺達は幸樹の靴を見、昼くらいまで買い物を楽しんだ。といっても、恐らく楽しんでいるのは母さんくらいだろうが。それから、ショッピングモール内で一番高級なレストランへと向かった。
「おい母さん、金あるのかよ。父さんさっきので金使い果たしたって…」
「大丈夫よ。今日はお母さんの貯金持ってきたから」
「いわゆるへそくり」
幸樹が突然口をはさんだ。すると母さんは少し嫌な笑みを浮かべて幸樹を抱き上げた。
「そうよー幸樹ちゃん。女にへそくりはつき物なのよー」
「幸樹ちゃんに変なこと教えるなよ、母さん」
「あら、いいのよお父さん。だってここにも、ホラ」
そう言って母さんは水色の封筒を取り出す。
「ああっ、それは駄目!」
どうやら父さんのへそくりらしい。だとしたら今日がそのへそくりの命日だな。一見楽しそうに見えるこの会話だが、随分と現実味を帯びているから恐ろしい。
値段が高いからか、そのレストランはお昼時でもすんなりと入れた。中にいる客といえば、どこを見ても金持ちそうな大人ばかり。まず、自分達のような家族連れはどこにも来ていない。
俺達は各自好きな料理を頼んだ。喜んでいいのかわからないが、珍しく値段は気にせずに。
「私はいらない」
「幸樹ちゃんもちゃんと注文するのよ」
「必要としない」
「駄目。じゃないとお仕置きよ」
「風渡りは物理的なダメージを恐れない」
「こちょこちょするわよ」
「くすぐったいという感情は持たない」
「とにかく頼みなさい!朝だって食べなかったでしょ?」
「…オムレツ」
「あら、そんなのでいいの?」
「どうせ必要のしないことなのだから、コストは低く抑えるべき」
「そんなことまで考えるなんて…いい子ね。でも、我慢しなくていいのよ?」
「私には我慢という感情はない」
結局幸樹はオムレツを注文した。俺はステーキ。父さんはラザニア。そして母さんはスパゲッティだ。いや、そんなことはどうでもいい。
問題は料理が届いてからだった。
「じゃあ、新しい家族に乾杯!」
そう、母さんは幸樹を家族として引き入れると言い出したのだ。待て、婆ちゃんがいないぞ。いや、だから本当にそんなことに突っ込んでいる場合じゃない。
「私は家族を必要としない。普通、風渡りは一人で生活するもの」
「確かにあなたは風渡りよ。だけど、特別な風渡りなの」
「人間は全員が特別であり、私だけが特別なわけではない」
「…随分と道徳じみたことを言うのね」
「感情を持たないが故の脳の働き」
「…それでもこっちも譲らないからね、あなたは家族の一員」
「拒否する」
「異議は認めない!」
「拒否」
「否認!」
「拒否」
「否認!」
何だったんだろう、今の戦いは…。結局母さんの押しに負けて、幸樹は素直に従っていた。
父さんと俺も、抵抗しようが恐ろしくて抵抗できない。幸樹も怖いが、母さんも怖い。この家族はどうやら男が弱いようだ。情けない。
「幸樹ちゃん、ホラ、ちゃんと言うの!」
「アタラシイ カゾクノ イチイン」
だんだん母さんのテンションが大変なことになってきた。一応ここはレストランという公共の場だ。目立つことはやめて欲しい。それにしても、海外留学でのホームステイ初日ってもんじゃない。もっと酷い。
「あぁっ、もう、母さん!やめろよ!」
「でも、幸樹ちゃんは新しい家族なんだし」
「押し付けじゃないか!」
「そんなことないわよ」
「さっきだって無理矢理言わせてたじゃないか!」
「それは…。と、とにかく幸樹ちゃんは家族なのよ!」
やっぱり母さんには誰も勝てない。一度は俺を殺そうとした幸樹さえもが従ってしまう。俺はオムレツを無表情で食べる幸樹を見て、溜息をついた。