首輪
翌朝、俺は真っ先に自分の首が体についていることを確認した。幸樹はまだ寝ていて、その隣に置いてある鎌が妙に不釣合いだった。
「秀、ちょっと来なさい」
母さんに呼ばれて、俺はアパートの床をギシギシ言わせながらキッチンへ歩いて行った。
「何?」
「『何?』じゃないわよ。何なのあの子?どこから連れて来たの?」
「勝手に付いて来た」
「あの子の親はどこにいるの?きっと心配しているわ」
「知らない。それに幸樹は風渡りだから親とかもいないはず」
「風渡り?まさかあんな小さい子が風渡りなわけないじゃない」
「でも本人がそう言ってたし、あのでっかい鎌は何なんだよ?」
「きっと『ごっこ遊び』よ。最近の子供もマニアックねぇ」
「あんな重くてでかい鎌、ごっこ遊びのたびに振り回すガキなんていないだろ!」
「…それもそうねぇ。まぁ、あの子が起きたら朝ごはんを食べさせながら親の住所をきこうっと」
ちょっと頭にきて、俺は父さんにイタズラをして起こしてみた。鎌がどうのこうのって耳元で喋ってやったら、大慌てで跳ね上がったから面白い。
「…心臓に悪いことするなよ」
「知らない。それに、いくら今日が日曜だからって、もう11時だぞ。いつまで寝てるつもりだ?」
「そんなの関係ないだろ。昨日はお前のせいで、怖くて朝方まで眠れなかったんだぞ!」
「嘘つけ。布団に入ってから数分で寝たくせに」
「何の話かな?父さんわかんないよ」
「誤魔化すな!」
「あぁ、わかったわかった。それにしても、幸樹ちゃんはまだ起きないのか?昨日の母さんの攻撃が効き過ぎたかなぁ」
「…母さんよりも幸樹の安否が心配になってきたよ」
朝ごはんは目玉焼きだった。母さんはずいぶんと命知らずな奴で、素手で幸樹を起こしに行った。俺は昨日みたいに首を狙われるのは嫌だったから、先に父さんとテーブルについて待っていた。
「幸樹ちゃん?朝よ」
「…」
「朝ごはんできてるわ。一緒に食べましょう」
「…」
「さぁ、早く早く!」
「…」
母さんは返事も何もしない幸樹を抱き上げて、強制的にテーブルにつかせた。
「食べましょう!今日はせっかくお母さんが料理したんだから!」
「…確かに、母さんの料理なんて何年ぶりだろうな」
昔から母さんは料理をしない人だった。それに、ここ数年間は別居していたため、料理を食べることなんてなかった。たかが目玉焼きでも、それはなんとなく嬉しい。
「あら、幸樹ちゃん食べないの?」
「風渡りは物を食べることを必要としない」
「でも、食べられないわけじゃないでしょ?」
「必要のないことをわざわざする必要もない」
「それもそうね。ところで、幸樹ちゃんは何でこんな小さいのに風渡りなんてやっているの?」
「小さくなんかない。もう何年もこうしている。私はこの少年よりも年上」
そう言って幸樹は俺のことを指差した。一瞬カチンときたが、とうてい文句を言う気にはなれなかった。
「おい幸樹、風渡りって成長しないのか?」
「風渡りは幽霊に分類される。但し成仏することもなければ、死ぬこともない。不老不死」
「じゃあ幸樹ちゃん、世界は風渡りだらけになっちゃったりしないの?」
「風渡りは裏切り者を放っておくことはしない。人数が増えれば、裏切り者も出る。裏切り者は政府の手によって存在そのものを消される」
「何だか怖いな…」
「怖くなんてない。裏切ったり、間抜けなミスを犯さなければいいだけ」
「なるほど」
結局幸樹は何も食べなかった。俺は空腹だったため、自分の前に置かれていたものは全部たいらげた。それをとても懐かしそう、あるいは不思議そうな目をして幸樹が眺めていた。
「ねぇ幸樹ちゃん、あなたは本当に風渡りなの?」
母さんが突然きく。
「えぇ。私は確かに風渡りの一員」
「本当にね?」
幸樹が首を縦に振る。
バチン
聞きなれない音と同時に、幸樹は慌てて自分の首に手を当てていた。さっきまで幸樹から1メートルは離れていたであろう母さんが、一瞬で幸樹の背後に回っていた。
一方幸樹は首についた何かを外そうと、必死で指を動かしていた。その瞳には、今までの彼女には似合わない焦りの色が見える。
「あなた、何をしたの!?」
首についている何かを必死で外そうとしながら、幸樹は母さんを睨み付けた。しかし母さんはそれに相応しい、冷めた目で幸樹のことを睨み返した。
「その首輪は私の手によってでしか外せない。幸樹ちゃん、あなたにはずっとここにいてもらうわ」
「…風渡りのこと、見下してるのかしら?」
「いえ、見下してなんかいないわよ。例えあなたを放置したところで、秀の命を狙ってくることに変わりわない。だったら、私の監視下に置かなくてはいけないと思ったからね」
「母さん!そんなことしたって、コイツは一種の妖怪なんだぞ!?母さんなんかに押さえつけられるわけがないじゃないか!」
「大丈夫よ、秀。この首輪は人間や動物、そして幽霊やその類を『縛り付ける』力があるから」
「『縛り付ける』って…どういうことだよ?」
「一定のエリアを指定すると、そこから外へは出られなくなるの。エリアは常に私の意志によって変更できるわ」
「…そんなものがあったのか」
「これでも、オカルトマニアの端くれだからね」
「…」
そのとき、母さんが急に声のトーンを変えた。
「じゃあ、早速、皆でお買い物でもしましょう!」
「はっ、はぁ!?」
「あーら、せっかくの休日なのよ?遊ばなきゃもったいないじゃん!」
「何考えてるんだよ!まさか幸樹も連れて行く気か!?」
「もちろん。今は私から半径10メートル以内に設定されているからね。逃げても、首輪が元のエリアへと引っ張って行くわ」
「…危ないと思うぞ」
「ここに鎌を置いていけばいいでしょう?」
「まぁ、それもそうだが」
その会話に幸樹も入ってきた。
「ここで待っている」
「だめよ、幸樹ちゃん。一緒に来なさい。留守中に夕飯の材料、つまみ食いされたらたまらないからね」
「…風渡りは物を食べる必要などない」
「あら、そうか。でも、小さい子を1人にするのは危ないし」
「私はここの少年よりも年上」
さっきのように、幸樹が俺の方を指す。流石に2度も言われると何か心にチクッとくるものがあったが、今度も怒りはしなかった。
「…と、とにかく一緒に来なさいっ!」
母さんが指定した行き先は、少し離れたところにあるショッピングモールだった。何をするかは知らないが、父さんはそこへ向かって車を走らせた。