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ぐっどもーにんぐ

作者: miya

 どうして、他人の家の天井はこうも見慣れないのだろう。


天井に張られた木の模様を目で追いながら思う。

誰かの家に泊まりに行ったとしても起きて目にする他人の家の天井には妙な威圧感と圧迫感を感じる。きっと俺だけじゃないと思う。

ほんの少し胸の内に沸く恐怖は、お泊りの定番だ。

大抵は瞬き二、三回で今自分がどのような状況に置かれているかゆっくりと把握する筈だが今の俺にそれは通用しなかった。

なぜならば、


「…どこだ、ここ」


目を覚ましたら、知らない天井。

そんな恋愛小説、もしくは売れない恋愛ソングの一節みたいな一言が今の俺の状況だ。知らない天井、知らない布団、ついでに知らない場所。

思いつく限り知らないことばかりでいい加減脳味噌はパンクしそうだ。

記憶は思い出そうとする所だけばっつりとギロチンにでもかけたかのように真っ黒。

つまり、全く持って記憶に無い。


まずは整理しよう。そう、落ち着くことが大切だ。落ち着け、俺。

変わらず天井の模様を目で追いかけながら、頭の中でゆっくりと声を上げる。


名前はキリノヨシ。桐野 芳。

今年で二十五なので四捨五入でもうアラサー。……もうアラサーか。

彼女いない暦が年齢とイコールで勿論未婚。出会いなんて一片も無かった。

淋しいって言った奴は表に出ろ。俺は仕事が恋人…、そうだ、仕事

近衛社編集室で自動車雑誌の編集が仕事。今は一週間の有給消化中。

住所は、八代市中区宮村…………駄目だ、思い出せない。クソ…大事な所が抜けてやがる。


自分について大分整理したところでやっと落ち着いてきた。

そこでやっと体を起こす。

くらりと一瞬眩暈がしたがそれ以外は問題は無い。

寝起き特有の体の気だるさを除けばいたって健康体の体だ。皆勤賞は伊達じゃない。

部屋の中はエアコンが効いているのか寒いとも暑いとも感じないので気温から時間は探れないので仕方なく部屋の中を観察した。


襖で隔てられた一室。

三段重ねられた箪笥が二組。大きな鏡のついたクローゼットが一つ

窓は二枚一組のもので、今はエアコンがかかっているからか閉まっている。

すりガラスから透けて見える空は、真っ青な快晴だろうというのが窺えた。

窓から視線を左にずらす。


そして、壁に掛けられ、目に入ったそれは


「嘘…だろ……」

それは一瞬にして俺の血の気を引かせ、じっとりと汗が体から滲み、体を冷やした。

もしもあれが、本物ならばとんでもないことになる。

かんかんと警報が響く。


真っ赤な電灯をつけた白黒の車が縦横無尽に走り回り、あれ、この車は、

ダダダ、と揃った足音。

そして揃って並ぶ、かっちりきっちりの濃紺の制服。

そう、それは。モノクロカラーの市民の味方、警察官。

「ま、待ってくれ…俺は無罪だ!」

布団から無様に這い出し、尻餅をつきながらみっともなく後ずさる。

どん、なんて鈍い音がして畳と体が擦れる音が止まり、鈍い痛みが背中に走る。

後ろには、三段重ねられた箪笥が高く、高く、聳え立っていた。

「えー、婦女暴行、青少年健全育児条例、及び不法侵入の現行犯として―時――分、現行犯逮捕する」

「違う、俺じゃない、俺じゃない」

警官の一人が滑舌良く罪状を並べ立て、もうひとりの警官が懐から―――




「――――…ハッ」

手首に冷たい金属がかけられるところまでを妄想して、我に返った。

目の前にあるのは、紛れも無い、元はれっきとした海軍の軍服。


セーラー服だ。

上下セパレートタイプの、夏服。赤いスカーフがよく映える。

生憎俺の通っていた学校はブレザーで駅で見かけるセーラー服のお嬢さんに淡い恋心を抱いた気がしなくも無いが、ってそんな話はどうでもいい。

つまり、この家に住んでいる人物は少なくとも「学生」という訳だ。

更に付け加えるならば「女性」というのも欠かせない。

「女子学生」と「おじさん」。

ゴシップ誌の見出しでよく見かける気がする。

勿論、よくない事件として。ハイエナ根性むき出しのパパラッチの格好の餌だろう。


限りなく越えてはいけない線を軽々助走付きで飛び越えてしまったような。



『自動車誌の編集K、セーラー服女子学生に手を出す!』

――まさか、K野さんがこんな事をする人だったなんて…確かに、女性を見る目はその…セクハラみたいでしたけど…(二十六歳 同僚)

――いや…我輩は実はいつかやらかすんじゃないかと思っていたよ。上司として、彼の様な有能な部下をなくすのは惜しいな(四十八歳 上司)

 このように、K野氏の評判はあまり良いとは言えずこの事件は起こるべくして起こったといっても過言では無い。ともいえるだろう。

被害者の女子学生は涙ながらにM村警察署から出てきて

「私の日常を、返して…!」と嗚咽を漏らしながら語り、母親に連れられて――――



じんわりと滲む、なんてレベルじゃない。

だらだらと滝のように体を汗が伝う感覚が普段なら気持ち悪く感じるはずなのに今は何も感じられない。雑誌のレイアウトから目元を隠した被害者の写真と車から下ろされる加害者、つまりは俺の写真。そして中の文章までが瞬時に脳内を駆け巡る。

雑誌編集者の性だろうか。お願いだから仕事の時に役立ってくれよ。

そもそもセクハラって、それはあれだろ、上司お前だろ俺に擦り付けんな。

あと同僚の女はいい加減ちゃんと書類出せ、年齢詐称する前にだ、知ってんだぞ俺。

と、妄想に暴言という名の突っ込みを入れながらぐるぐると歪む視界に思わず額に手を当てた。ああ、頭が痛い。階段から滑って咄嗟に掴んだ手すりに打ち付けたときと似たような、割れるような痛みだ。ズキズキ、と。


クソ、なんてったって、俺がこんな目に会っているんだ。

神様は俺が何したって言いたいんだよ


ズキズキはやがてぐわんぐわんに痛みのレベルを変える。

胸元から渦巻く吐き気がするが必死に飲み込んで、混ざりに混ざった露店で売ってる何が入ってるかも分からない緑のジュースのような思考を一つ一つ整理しながら、俺は思う。

「そうだ、過去を思い出そう」

未来ばかり妄想していて盲点だった。

全面は無理かもしれないが、断片的になら思い出せるかもしれない。

俺すごい天才だなんて興奮しつつ過去の記憶を思い返す。


まず、何故俺がこんな所にいるのか――の前にその前、昨日の記憶だ。


昨日は災難だった。

朝は寝ぼけていつもいつも乗る電車を間違って反対方向へと行ってしまった上に電車内で爆睡。終点まで行ってしまい追加料金を取られる始末。

ぎりぎり始業時間に間に合ったのは良いとして後輩は堂々と遅刻。一時間も遅刻してきた上に第一声は「ちぃーっす」だ。グーで殴り飛ばしてやりたかったがそこをぐっと堪えてとっととデスクに付かせる。

その後同僚の女に締め切りの催促をしてうざったいのを全面に出した蛇の如き視線で睨まれ、回収失敗。

ファーストフード店でセットを頼んだら子供にシェイクをぶちまけられる。ハンカチを忘れて紙ナプキンで全力で拭く。

昼が終われば自分のワークと平行して上司に謝り倒す。

「君もいい加減所帯ぐらい持ったらどうなんだ。そこまで甲斐性が無いわけでも無かろう」

「え、…えぇ。すいません」

「ほら、君のその鳩みたいに首を傾げる態度。すごくよくないよ」

「申し訳ないです…。」

嫌味なんて聞こえないふりで全部流して、なんとか自分の仕事を終わらせた時にはとっくに定時を過ぎて、ああ、あと一時間で日付変更なんて有様。


(よしよし、ここまでは完璧だ)

我ながら良く出来ていると思う。思い返すととんでもない日常だ。よくこんな日々で生きていられるな。さて、回想を続けよう。


軽くデスクの片付けをしていると床から栄養ドリンクを瓶を見つけてなんだか悲しい気持ちになったあと、がちゃん、なんて音がしたものだから振り向けば、むさくるしい筋肉達磨の同僚がべろんべろんに酔っ払っていて―――


「酔っ払って?」

この辺から記憶が曖昧になっていく。

まるで霞がかかったように、もやもやと。


筋肉達磨の硬い腕は首に纏わりつき、そのまま引き摺られるようにして会社を後にする。

連れて来られたのは、赤提灯揺らぐ居酒屋。


「ん、居酒屋?」

そうだ、居酒屋

泥酔した筋肉達磨に攫われて居酒屋に連行されたんだ。

俺はいやだといったがガハハとか笑って人の話なぞききゃーしない。

日本酒を注がれ一気コール。一人だったのが二人、三人と増えていき大合唱に煽られて透明なそれを喉に流し込んだ。

焼けるように熱かったのは覚えているが、それよりも耳を劈くような拍手が居酒屋中に満たされたのだったそこからはもう呑めや謡えのちんどん騒ぎ。知らない人まで巻き込んで、宴会。何本もきつい酒を開け、つまみを頬張り、意味も無く大笑い


そして居酒屋の壁に掛けられた時計が日付の変更を知らす鐘を鳴らした。

ボーン、ボーン、と馴染み深い、体に染み渡るような音。

酒でどろどろに溶けた思考にもスッと入ってきたから良く覚えてる。



違う、


響いてきたんじゃない、聞こえたんだ。

あんなにも喧しく騒ぎ立てていた居酒屋は鐘が鳴り始めると同時に水を打ったように静かに鳴って、物が、布が触れ合う音すら忍んで、ただ無音だった。

だからあんなにもよく十二時の音を覚えてる。

誰一人として話さなくなった店内で鳩のように首を傾げ筋肉達磨に目をやるが筋肉達磨は呆然と光の差さない目で虚空を泳いでいる。よくよくみればどの客もそのような感じだ。


「おい」

揺さ振る。そうすれば瞬き一つで何時もどおりの喧しいあいつに戻った。

「なあ、桐野」

「んだよ、俺そろそろ帰るぞ…」

「まぁ待てって。」

にやり、と歯を見せて笑う筋肉達磨。名前は思い出せない。

「ちょっと付き合えよ」

「何にだよ。俺帰るって」

「いいから」

机の上にお金が散らばる。奢りだろうか。

足早に席を立って店を抜け出す筋肉達磨のあとを、ひよこのように付いてった。

繁華街のネオンを掻き分け、雑踏を避けて、暗いところへどんどんと。

酒に浮かされた俺の頭は、まるで溺れてるみたいだなんて。

深く、暗いビルの隙間を掻い潜るようにして、時折は体を縦にして。

「お前どういう趣味よ」

「何が」

「馬鹿」

さっぱり何を言っているのか分からない。

「女の好み。お前ぐらいだろ職場でまだそーいうの無いの」

「………ほっとけ」

この筋肉達磨、二人の子供を持つ子煩悩なお父様だったりする。

対する俺は、―――やめておこう。

「それ位あんだろ?それともなんだ、お前ゲ」

「いやそれは無ぇから」

真夏の夜。汗はワイシャツを濡らし、気持ち悪い。

それに輪を掛けて意味の分からない発言をしてくる筋肉達磨に苛立ちすら覚えてきた。

「ロリコンとかそういう性癖か」

「………だから何なんだよ」

「いや……付いたぞ」

煌びやかなネオン。目がちかちかとする高い建物。

寄りそう男女がきゃっきゃと横を通り過ぎていく。

「女子学生。案外そういうところから行ってみれば良いんじゃないか」

「はぁ?お前、さっきから何言ってんだ」

「不幸なお前がかわいそうでかわいそうで仕方なくてな。」

俺の手に何枚か札を握らせ、筋肉達磨は痛いくらいの力で背中を押す。

「待った、俺は不幸なんかじゃ」

「桐野芳。お前は男だろ。男なら躊躇うな」

「だから意味わかんねぇって!」

ネオンが警報灯のように輝く。


「いってこい。」

いい声で、筋肉達磨が言う。

ああ、それで、目の前には、セーラー服の、









「うわぁあぁぁぁぁぁぁあああああああ!」


跳ねた。

長い回想だ。

思い出した。

これは夢か、現実か

全力で叫んだ所為か、外で鳥が羽ばたく音がする。

がくがくと全身の震えが止まらず、頭痛は二日酔いに積となり喚き叫ぶ。

俺は何をした。

そこの記憶は抜け落ちていて、恐怖が身を駆り立てる。


(思い出せ、思い出せ思い出せ、思い出すんだ、思い出せ、思い出せよ!)

爪が食い込むほどきつく腕を握り、暗転した記憶を辿る。

自分が何を違い、誤ったのか、なにをしたのか。宇宙よりも暗く塗りつぶされている。

酒は呑んでも呑まれるな。筋肉達磨の言う事は聞くな。

散々だ

こんなのおかしい

目の前の制服が、視界が滲んでくる

こんなことで俺の平穏が崩れるなんて、

最後に彼女の一人ぐらい欲しかった

幸せな家庭ぐらい欲しかった。

父さんと母さん、悲しむだろうな。俺が刑務所行きなんて。

兄貴の件でこりごりだったろうに、ごめんな。親不孝な兄弟で

仕事はどうしようか、もう復帰できるような世界じゃない。

貯金もそんなに残って無いはずだ、まさに何も見えない。

お先真っ暗。グッバイ現世よろしく来世。

目頭が熱い。布団を握り締めて全てを投げ捨てる。

桐野芳。ホームレスになる。



全てが壊れたその時、


「ふぁー…あ、」

襖が開く。

砂糖菓子の様な声音が気の抜けた音を吐き出した。

「あ…」

セーラー服の似合いそうな、少女。

今はスウェットにTシャツなんて格好だがそれでも自分よりは遥に年下なのは見て取れる。


「あ――」

「―――すいませんッ!」

少女が声を発する前に、瞬時にその場で正座をして額を畳に打ち付けた。

頭はぐっちゃぐっちゃと巡り、廻り、そんな事を気にする暇も無く叫ぶ


「俺、酔っていたとはいえほんと、謝って許されるなんて思ってません、死んで償う覚悟だって出来てます。でも、どうか命だけは…!たかが自動車雑誌の編集者の首ひとつ落としたところで貴方の気が晴れるなんてこれっぽっちも思っていません、奴隷にでも狗にでもなりますから、どうか、どうか、刑務所だけは…!」


返事は無い。

もしかして俺、海とかに沈められんのかな。

蟹の入ったドラム缶に押し込められてじわじわ食い殺されていくのかな。

黒服にあっさり拳銃でスパーンとかやられたりすんのかな。

むしろそれだったらどんなに楽な事か。「何言ってるの?」ああやっぱりそんなに甘いわけないですよね。嗚呼コンクリートに砂糖を入れると固まりにくくなるって本当かな。


「お父さん」


「――――――へ?」


真っ黒だった頭が、真っ白にジョブチェンジ。

勢いよく顔を上げて、目の前の少女をまじまじと見る。

どこかで、みたことあるような

というか、毎日見てるような


あれ?


「もう、お父さんったら寝ぼけてるの?」

「おとっ、お父さん?」

「…まだ酔っ払ってるのかな。」

鳩のように首を傾げるそのポーズは前に俺が上司に注意された癖そのもの。


「……百合?」

「何、お父さん。」

おかーさん、と襖の向こうに叫ぶ。


そうだ、俺は。

「百合、だよな。」

「?…私は桐野百合だよ。お父さんったら何言ってるの?」

「そうだ、百合、百合だ。」

「ほらお父さん、早く行かないと。っていうか早く出て。私、制服そこにあるんだから」


指差す先は、魅惑のセーラー服。

「お父さんったら、昨日大変だったんだから。」

「え?」

「男の人がさ、泥酔ってレベルのお父さんを運んできて連れて来てくれたんだよ」

「筋肉達磨が…」

どこからどこが夢か。

俺は、十七年前に職場の同僚と結婚して、娘を授かった。

その娘ももう高校生。毎日順風満帆とは言わないが嬉しそうに学校に通っている。


ごっちゃごちゃだ。

だけど、言い表しようの無い安堵感が体を包み全身の力が抜けてへなへなとなった俺はそれでも確かに笑っていた。

良かった。過ちなんて犯してない。

なにも間違ってない。何もおかしくない。

俺はこれからもこの家族と一緒に居れる、この上ない幸福だ。


「百合」

「なあに、お父さん。私忙しいの、早く出て!」

「…おはよう。」

ぱちくり、と一度大きく瞬いて。

なんにもないように、されどかすかにはにかんで百合は言った。


「おはよ、お父さん」



(おはようございます)(おはよーっ)(あれ、筋肉達磨さんは)(筋肉達磨?)

(ええーっと、名前…なんて言ったかな。えーっと、あー?)(やだ、桐野さん病気?)

(いやほら、筋肉の塊みたいな豪奢な人…)(そんなの、うちの編集部にいましたっけ?)

(えっ?)(えっ?)


以上、お粗末さまでございました。

後味の微妙な仕上がりですが、皆様のご想像にお任せします。

ところで、可愛らしいおじ様は好きですか?


ご観覧、ありがとうございました。

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