第7話「未知の環境、狂い出す軌道」
離昇から約80秒後。高度は約100キロメートルに達しようとしていた。
そこは、もはや地上とは全く異なる、大気が極端に薄く、星々の光が直接降り注ぐ冷酷な領域だった。
「……ん? 待て、なんだこれは」
歓喜に沸いていた管制室で、レオンの指が再び計器盤の上で硬直した。
機体の姿勢を示す水晶板の光点が、突如として不自然な揺れを見せ始めたのだ。
「レオン、どうした? 推力に異常はないはずだぞ!」
ガルドが血相を変えて水晶板を覗き込む。
確かに、推進炉からの魔力炎は安定して燃焼を続けている。しかし、機体の頭の向きが、予定された軌道から少しずつ、しかし確実に逸れ始めていた。
「姿勢制御システムに……異常が発生しています! 機体が、回転し始めている!」
青年の悲痛な叫びに、管制室の空気が一瞬にして凍りついた。
飛翔体は、底部のノズルから噴き出す魔力炎の向きを微妙に変えることで、空中の姿勢を制御している。そのノズルを動かすための電動アクチュエーターと、ノズルの角度を測るセンサーが、何らかの理由で誤作動を起こしているのだ。
「なぜだ!? 地上の試験では、あんなに完璧に動いていたじゃないか!」
ドルトンが怒鳴ったが、レオンにはその理由が分からなかった。
『地上の試験環境と、実際の空は違う。強烈な振動、凄まじい加速度、そして薄い大気と未知の電磁波。それらが複合的に絡み合い、想定外のノイズをセンサーに与えているのか?』
レオンの脳裏で、無数の仮説が浮かんでは消えていく。しかし、それを検証している時間はなかった。
機体はすでに、錐揉み状態に陥りながら、らせんを描くように狂った軌道を飛び続けている。
「姿勢、回復不能! このままでは、予定された軌道に積荷を投入できません!」
彼が叫んだその時、再びあの無機質な緑色の文字が水晶板に浮かび上がった。
【計画軌道からの致命的乖離を検知。第2種危険事態と認定】
【地上への二次被害を防ぐため、自律破壊手順に移行します】
「くそっ……! またか、また結界が……!」
レオンは計器盤を力任せに殴りつけた。
結界の判断は正しい。狂った軌道で飛び続ければ、いずれどこかの陸地に墜落する危険がある。それを防ぐために、彼自身が組み込んだシステムが、再び機体に死を宣告したのだ。
離昇から、187秒後。高度約111キロメートル。
宇宙の入り口とも言えるその高みで、2号機は自律型安全結界の作動により、静かに爆散した。
搭載されていた5機の観測魔導具もろとも、キイ南方の海の上空で光の破片となり、2度目の夢が海の底へと沈んでいった。
管制室には、初号機の時と同じ、いや、それ以上の重苦しい沈黙が降り下りた。
第1段の分離、第2段の点火、そしてフェアリングの開頭まで成功していた。あと少しで、本当にあと少しで、星の軌道に手が届くところだったのに。
「……また、失敗したのね」
アリアが、力なくつぶやいた。彼女の目から、今度こそ大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「失敗ではない、と言いたいところだが……さすがに、2度目はきついな」
ドルトンが、壁に背中を預けて深くため息をついた。
ガルドもまた、自分の髪をかきむしりながら、呪文のようにつぶやき続けている。
シルヴィアは無言で計算機を見つめていたが、その手は微かに震えていた。彼女は、この2度目の失敗がもたらすであろう、投資家たちからの凄まじい非難の嵐を想像していたのだ。
しかし、レオンだけは、初号機の時と同じように、真っ赤に染まった水晶板から決して目を逸らさなかった。
彼の顔には、絶望ではなく、未知の領域に対する凄絶なまでの執念が浮かんでいた。
『フライト環境の罠。地上では決して再現できない、空の厳しさ。俺たちは、教科書やシミュレーションでは決して得られない、血の通った技術的資産を、この2度の喪失によって手に入れたのだ』
彼は、震える手で羊皮紙を手に取った。
そして、静寂に包まれた管制室で、岩のように固い声で宣言した。
「原因を究明します。なぜセンサーが誤信号を発したのか。フライト環境の何が、システムを狂わせたのか。そのすべてを解き明かし、次こそは絶対に、星の軌道へ荷物を届けます」
その言葉は、もはや単なる技術者の決意ではなく、空という強大な敵に対する、不屈の宣戦布告だった。




