第2話-世界一小さな社交ダンス-
突然フラミンゴたちが現れて数日が過ぎた。
あれは夢…?
いや、夢じゃない!
私は自問自答しながらも、自分には子供の頃から、他の人には見えないものが、自分にだけ見えていたことを思い出していた。
会社で「何かいいことあった?」
なんて聞かれた。
フラミンゴとのヘッドバンギングのことを思い出していた。
そのとき、「飯田さん」上司に呼ばれた。
それだけで緊張してしまう。
「あっ、はい」
ダメ出しは毎度のことで、
「仕事が遅い」
「段取りが悪い」
「リズムが悪い」
言い難いことをズバズバ言ってくる。
帰りの電車の中で、何を考えるでもなく、ボーッと電車の窓を見ていた。
アパートに着いたとき、また黒猫が横切った。
確か、この前も黒猫に会った気がする。
この辺に住んでいるのかなぁ…私は、なんとなく黒猫が気になってきた。
部屋に入ると異変に気がついた。
何…?
何か音がする。
小さな音だけど、それはキッチンの棚の上の鍋の中から聞こえた。
私は、恐る恐る鍋をテーブルの上に置いた。
やはり鍋の中から音が聞こえる。
何?まさかフラミンゴ…?それはないよね。
もしかして…ゴキブリ?
鍋の蓋を持って、躊躇してしまった。
「えいっ!」
思い切って蓋を持ち上げた。
私は一瞬、止まってしまった。
鍋の中では二匹のネズミが社交ダンスを踊っていた。
二匹のネズミは、小さな手足をスーッと伸ばして流れるように優雅に踊っていた。
前回のフラミンゴで免疫がついたのか、私はすぐに冷静になり、二匹のネズミのダンスを見ていた。
しばらく二匹のネズミの、優雅で、素晴らしいダンスに見惚れていた。
私は、ふと上司の言葉を思い出した。
リズム感って、こういうことを言うのかなぁ…?と、思い、気がついたら「私ね、今日上司からリズム感が悪いとか、色々言われてね…」
と、ネズミたちに愚痴っていた。
すると、ネズミたちは踊るのをやめた。
「あっ、ごめんなさい、邪魔するつもりは、
なかったの…」
すると、慌てる私に、男性ネズミが手を差し伸べてきた。
女性ネズミは小さな手で拍手をしていた。
「えっ?」
私は意味がわからなかった。
ネズミは穏やかな優しい顔で、お手をどうぞ!
そう言っているようだった。
「いやいや、無理でしょ⁉︎」
私がそう言っても、ネズミは手を差し出したままだった。
私は、半信半疑で、静かにネズミの手に人差し指を乗せてみた。
そのとき、グラグラ…ッ…大きく揺れた。
地震?
いや、違う…。
次の瞬間、私の前には二匹のネズミがいた。
二匹のネズミは、何も言わず優しく微笑んでいた。
私はすぐに状況が掴めず、あたりを見渡した。
私の周りは三百六十度、白いホーローの壁。
天井には見慣れた蛍光灯。
私…今、鍋の中にいるんだ。少し状況が掴めてきた頃、男性ネズミが私の手をとって踊り始めた。
どこからか音楽が聞こえてきた。
ワルツだ!
白いホーローの壁だったはずが、気がつけば、広いダンスホールになっていた。
大勢のネズミのペアが踊っていた。
男性ネズミの黒いタキシード、女性ネズミの色とりどりの華やかなドレス。
そのダンスは圧巻だった。
私は、男性ネズミのリードで踊り始めた。
初めての社交ダンス。
何度もつまずいたり、ネズミの小さな足を踏んだりした。
「ごめん…ごめんね、大丈夫?」
私はしゃがんでネズミの足をさすった。
ネズミは、大丈夫だよ。と言うように、私の手をとり、また踊り始めた。
男性ネズミと踊っているあいだ、女性ネズミは、一…二…三…一…二…三…、と手拍子でリズムをとっていた。
なんだろう?この安心感。
細い腕なのに力強い。
それに、女性ネズミの小さな手拍子がハッキリ聞こえる。
優しくて、とても心地よかった。
さっきまでのぎこちなさは消え、足もスムーズに動いた。
男性ネズミの柔らかで、温かい手。
優しい眼差し。
傍で見守ってくれる、女性ネズミから伝わる温もり。
私は泣きそうなくらい幸せだった。
どのくらい踊り続けたのか、私はベッドで目を覚ました。
嫌な予感がした。
すぐに鍋の蓋を開けた。
「いた!」
二匹のネズミは、おはよう。と、言うように手を振っていた。
私はホッとした。
嬉しくて、冷蔵庫からチーズを取り出し、小さく切って渡した。
ネズミはチーズを両手で抱えてお辞儀をした。
「仕事が終わったら、すぐに帰ってくるからね。待っててね」
会社に着いた途端、私はもう帰ることを考えていた。
仕事中も二匹のネズミのことばかり考えていた。
一日千秋の思いで終業時刻を待っていた。
会社を終えると、私は近くのデパートに急いだ。
最高級のチーズを買おう。
帰って一緒に食べよう。
私はチーズを買って大急ぎでアパートへ帰った。
アパートの前で黒猫に会った。
また黒猫…?
黒猫は立ち止まって私を見てきた。
「えっ?」
黒猫が何か言いたそうにも見えた。
気にはなったが、私は急いでネズミの待つ部屋に帰りたかった。
「ただいまー!」
「お腹すいたよね、チーズ買ってきたよ」
そう言いながら鍋の蓋をとった。
ネズミはいなくなっていた。
あまりにものショックで、座り込んでしまった…。
次の瞬間、スマホから聴き慣れた目覚まし用の音楽が流れた。
はっ、と目が覚めた。
スマホの画面が点滅した、そして黒猫が映って消えた。
「えっ…いまの何…?」
「夢…?」
急いでテーブルの上の、鍋の中を見た。
中にネズミはいなかった。
私はしばらく呆然と鍋を見ていた。
そして、手に残るネズミの温もりを感じ、名残惜しむように手を包み込んだ。
そのとき、足元の絨毯の上に光るものが見えた。
拾って手のひらに乗せた。
それは、ピンク色の小さなビーズだった。
女性ネズミのドレスの飾りから落ちたのかもしれない。
それは愛おしくて、私を少し笑顔にしてくれた。
私は消えたネズミたちに言った。
「ありがとう。楽しかったよ。もう上司に『リズムが悪い』なんて言わせないからね」
「私、何度も足踏んじゃったけど、大丈夫?
慰謝料の請求に来てね。待っているからね」
そのとき、朝日に光るベランダの手すりに、一匹の黒猫がいたのを私は気づかなかった。




