竹の音
もう、何十年も昔の話だ。
私は農家の末っ子として産まれた。昔の家がそうであったように、私には多くの姉や兄がいた。もっとも、彼らは私がまだ幼い頃に早々と家を出てしまった。出てしまったというが、それが、まだ貧しい時代の農家ではほとんど当たり前の出来事だった。
父は、わずかの田畑といくつかの山。そして、時折牛を飼って、我々子どもを養育した。多少は政府が農家に補助金を出すようになっていたが、それでもやはり農業で暮らしを立てていくのは難しいことだった。父はろくに着るものも持たず、日々泥まみれになって土と暮らしていた。そんな時代のことだ。
その時、私たちは父の母、つまり私にとっては祖母に当たる人と一緒に暮らしていた。この祖母も、毎日父と共に田畑に出て、相当な年齢となっていたが、土を耕し、作物の手入れをした。そして私の母も一緒だった。今と違って、そのころは、誰もが畑に出て、日々働いていた。幾ら働いても仕事はいくらでもあった。そんな、貧しい時代だった。
朝、畑仕事を終えた後、祖母はリヤカーを引いて町に出る。リヤカーには山のように野菜が積み重なっていた。全て、市場には出荷できない程度の品物だった。祖母はそんな野菜達を持って、町屋の人々の間を回り、幾らかの収入を得ていた。多少多く野菜が売れた日には、私に少しの駄菓子を買って来てくれた。一円や二円といった、今の生活からすれば考えられない値段の駄菓子だったが、私にはそれが幸せな時間だった。
ある年のことだった。もう祖母は相当な年齢になっていたはずだ。私も小学校に上がっていて、一番上の姉にはもう子どもが産まれていた。町で暮らしていた二番目の姉がまもなく嫁に行くというような話が出ていた。そんな時期だった。野菜を売って帰った祖母が、家に帰る前に、時折裏の竹藪へと足を進めるのを私は見た。
不思議だった。祖母はまるで人目を避けるようにしていた。家の横には藪路があり、大きな竹藪が山の斜面に沿って広がっていた。祖母はそこに消えていくのである。もっとも、長い時間ではなくて、まもなく降りてくるのだが、子ども心ながらそれが不思議だった。
五月の風が涼しい季節だった。その日は学校が早く終わり、私は昼前に家に帰った。母が作り置いて水屋に入れていた昼飯を平らげていると、丁度祖母がリヤカーを引いて帰ってきた。リヤカーを納屋に置いて、彼女の姿は竹藪の方へと消えていった。
まもなく、彼女は戻ってきて、家の裏口で、井戸の水を汲んで手ぬぐいを洗う音が聞こえてきた。祖母のいつもの習性だった。私はふと思った。祖母が何をしていたのか知りたいと思った。私は草履を履くと、正面の玄関から飛び出して、家の横の路を走り、竹藪へと向かった。
五月の竹は、もう筍の季節を終えて、硬い青竹へと姿を変えている。しっかりとした太く長い竹が何本も斜面に林立している。薄暗い視界の上の方が、葉の隙間から広がって青い空が見えていた。
初夏の涼しい風が吹き付けてきた。頭上の方で竹の葉が風にそよぐ音がする。それが子どもの私には不気味に思え、思わず肩を縮めた。
そんな、葉が風にそよぐ音に混じって、どこかで笛のように、美しく澄んだ音がする。
(なんだろう)
子どもらしい好奇心に動かされて、私は右往左往した。風が吹く度に竹の葉が揺れ、幹が揺れる。そして、澄んだ音色が風と葉の音に紛れて、ある一定のメロディーを醸し出していた。
私は何度も辺りを見回し、耳を澄ました。そして、見つけた。ある古い竹の一本に、切れ目が入れてあるのを。そして、風がその切れ目を通る度に、あの美しい音色がするのだった。
(この、竹は?)
私はその竹の幹を押した。子どもの力ゆえ、そう大きく動かせたわけではない。それでも、幹は揺れ動いた。動いた時に、チャリンと音がした。何か、硬化のようなものが動いた感じだった。
(お金?)
そうだ、と思った。そして、それが何だが判った。祖母は、わずかな稼ぎを少しずつ、この竹の内側に隠していたのである。祖母が売る野菜は、中身はともかく形は悪かったから、値段も安く、従って稼ぎも安いものだった。祖母はその売り上げのいくらかを私の母に渡しているようだったが、余った分を何に使っているかは知れなかった。彼女は贅沢などまったくしない人だったので、その金がどこに消えているか判らなかった。しかし、その謎は今、氷解したのである。
だからといって、私がどうにかするはずもなかった。竹の幹は丈夫なものだったし、私もまた、祖母のお金に手を付けるようなふしだらでもなかった。私はただ納得するだけで満足した。
私が家に戻ると、祖母は相変わらず裏口の井戸で野菜を洗っている所だった。
「今日はあっという間に売り切れてな。もう一度、出かけてくらぁ」
私を見ると、祖母はそんなことを言った。その後、私は言われたままに、おとなしく留守番を務めたのである。
祖母のお金の使い道はやがて知れた。その秋になって、二人目の姉が結婚することになった。昔は冠婚葬祭全てを家で行い、この時も姉の夫となる人の家で、婚儀は行われたらしい。らしいというのは、子どもの私はそれに出席していなかったからだ。
ただ、その婚儀に出かける時に、父が立派な背広を着ていたのを、私はよく記憶している。そしてその背広は、貧しい暮らしをしていた父が、今まで一つも持っていないものだった。
祖母は、わずかな稼ぎを溜めて、父のために一着の背広をあつらえたのだった。
その婚儀の晩に父はへべれけになって帰ってきた。そして、帰るなり言った。「誰もがな、俺の背広を、誉めてくれるんだ。おかげで、あの子にも恥をかかせないですんだ」と。
その頃の農家は背広を持っている者などまずいなかったから、父がいかに面目を施したかよくわかる。それには祖母の、息子を思う温かい気持ちがあった。
その婚儀から数年して祖母は亡くなり、父も私が成人する頃には世を去った。私も社会に出て働き、毎月決まった額の給料をもらい、一人残された母の面倒を見る暮らしとなった。
たまに休日、私は竹藪に入る。初夏になると、あの時と変わらない風が吹く。もう、竹を鳴らす音はしないし、祖母も父もいない。しかし、その度に私はあの時のことを思い出して、子ども時代の心に戻る。そして、もうすっかり年老いた母の元で、一人の子どもに戻って時を過ごすことができるのである。
(終)