ep6 恋人
「さ、さっきはありがとうございます」
コハクは椅子に座るなり腰を浮かせてナイジェルへ謝意を示した。
「こちらこそ母が失礼なことをして申し訳ありませんでした」
ナイジェルはコハクが腰掛けたのを確認してから、自分も斜向かいの席に座った。
ここはナイジェルの屋敷の私用室。ここなら余計な連中が入って来ることもないと、ナイジェルがコハクをここまで連れてきたのだ。
実際、今部屋の中には二人しかいない。
「静かなんですね、ここ......」
「俺が認めた人しか入れないようにしているので。安心しておくつろぎください」
ナイジェルは微笑んだ。
良い人だな、とコハクは思う。ナイジェルは善良な紳士に見えた。だが、先ほどの事もあるので警戒心は残る。
ーーボクは今、女の子なんだ。そして相手は男の人。何か目的があるのかも......。
「あの、ナイジェルさんは、なぜボクのことを......」
「お話の途中で申し訳ありません」
唐突にナイジェルが扉の方へ顔を向けた。
「ちょうど来たようです」
コハクもつられて視線を運ぶと、扉が開いて一人の大人の女が入ってきた。
女はコハクの姿を確認するなり感動を露わにし、跪いて挨拶する。
「お目にかかれて光栄でございます。私はアンと申します」
「コハクお嬢さま」
ナイジェルがさっそく説明する。
「彼女は俺の、将来を約束した恋人です」
「えっ、そうなんですか?」
コハクが目を丸くして女を見つめると、女はほんのり頬を赤く染めた。
彼の恋人アンは、二日に一度、コハクが眠っていた〔魔女のほこら〕に訪れては掃除や魔法陣のチェックをしていた人間だった。
「私はその能力を買われ、抜擢されたのだと思います」
そう言ってナイジェルの隣に座ったアンは、優しく微笑んだ。
「今日のアンは非番だったのですが」
ナイジェルが言う。
「魔女のほこら付近で魔力の揺れを感知したって言うんです。それで俺が魔女のほこらへ向かったところで、あのような神秘的な光景に出くわしたということです」
「魔力......」
コハクは神妙に自分の掌を見つめる。
未だにピンと来ていなかった。すでに魔法としか言いようのない超常現象は体験しているが、実感が伴わない。魔女のほこらとやらを跡形もなく吹き飛ばしておいて今さらだが......。
「あの、コハクお嬢さま」
アンがコハクを慮るように口をひらく。
「もしよろしければ、気が済むまでこの屋敷でお過ごしください」
「えっ、いいんですか?」
コハクの声には自然と嬉しさが混じった。
コハクは領主の屋敷へ住むことになっていた。しかし先ほどのことがあり、領主邸には行きたくないと思っていた。
「実はアンは......」とナイジェルが頬を緩める。
「眠っている貴女のお側で仕事をするうちに、ただならぬ親愛なる思い入れができてしまったようで」
ナイジェルの言葉にアンは恐縮しつつも微笑みを浮かべた。
ナイジェルは続ける。
「それは俺にも多分に影響を与えています。もちろん〔マギアヘルム〕の人間として、貴女へ特別な想いを抱くのは当然と言えば当然ですが。それは母も同様です」
「領主様も......」
「貴女が目覚めてもっとも歓喜しているのは母だと言ってもよいでしょう。だからこそ、いきなり貴女へ婚約者を勧めたのでしょう。母はそういう人なんです」
「悪気があるわけではない、と」
「だからといって看過できないこともあります。今のコハクお嬢さまへあのようなことをするなど、コハクお嬢さまを不安にさせるだけです」
「ナイジェルも同じようなことをされたからよくわかるのよね」
アンが補足する。
「実は私とナイジェルが恋人同士になったきっかけは、ナイジェルが領主さまから無理矢理に縁談を勧められたからなんです」
「そんなことがあったんですか?」
「そのとき俺は十六歳、まだまだガキでした」
ナイジェルは苦笑する。
「それなのに......いや、まだ息子がガキの時分に決めておきたかったのでしょう。母の意向通りにするためにね」
「そして告白されたんです」とアン。
「アンと俺は幼馴染でした。お互いそういう感情をどこまで意識していたかはわかりませんが、少なくとも俺はそのとき思ったんです。彼女以外の誰かと一緒になるのは嫌だって。彼女が俺以外の誰かと一緒になるのはもっと嫌だって」
ナイジェルは少し照れくさそうに頬を掻いた。
隣のアンは幸せそうな微笑を浮かべていた。
「素敵、ですね......」
コハクの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
恋は、どの世界でも人を輝かせるものらしい。
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