【Night 9】だから待ってた
「……そして、誰、君たち」
その少年は低い声で、飽きたように言い放った。
「……」
「……ごめん、怖がらせるつもりはない」
黙り込むヒカリを見て、怖がらせていると思ったのか、少年はすぐに謝った。以外と他人思いだった。
「あ、私、紫電テリカと言います」
「ヒカリ……です」
「……ありがとう」
少年は満足げに、ナギの方を向いた。と思うと、もう一度表情を戻して言った。
「……で、君は」
「……星野ナギだ」
「……そうか。僕は閃ヨウタ」
ヨウタはヒカリたちをぐるっと見回すと、こう言った。
「……君たちの目的は何なんだ?」
「えっ?」
場の流れを一変させるような発言に、3人は戸惑った。
「…おうちにかえること」
「……そうか」
すると、ヨウタは立ち上がり、ヒカリの方に歩み寄った。ヒカリには、全てスローモーションのように見えた。
「……帰れるといいね」
ヨウタはヒカリに、ぼそっと言った。耳元に空気を感じた。多分、ヒカリ以外の誰にも聞こえていなかった。ヨウタの口は、微かに笑っていた。目は髪に隠れてわからなかった。
「てかお前…なんでこんなところに座ってたんだよ? あ、もしかして、歩き疲れて動けませ~ん、ってか?」
「ナギさん…」
ナギの馬鹿にするような発言を、ヒカリが止める。年齢的に、普通は逆だろう。
「……僕は『この現象』が起きてから一歩も歩いていない」
「……ほう」
ナギは冷静さを保っていた。しかし、端から見ていた2人は、すぐにそれが見え透いた虚構だとわかった。明らかにヨウタの圧に押されていた。
「……君たちはずっと移動してたんでしょ?」
「ま、まあな」
「……例えば君たちが動き、僕も動いていた場合をAとしよう。反対に、君たちは動くけど、僕はじっと待つ場合をB、そして僕が今いる地点をPとする」
「あーだめだ、もうわかんね」
ナギは早々に理解を諦めた。少し情けなかった。
しかしヨウタは続ける。
「……Aの場合、もし君たちがPに着いても、もともとPにいた僕が移動しちゃってるから、会えない。反対に言えば、Bの場合は、君たちがPに辿り着きさえすれば、会える」
そしてヨウタは再び座り込んだ。ドサッ、という音が、なぜか響いた。
「……だから僕は待ってた」
ヨウタがそう言うと同時に、横風が吹いてきた。頬が冷たくなった。
「要するに、誰かと会いたかったんですかぁ?」
「……そうだよ。それが僕の目的」
「人と会って何か得するんですかぁ?」
テリカが続けざまにヨウタに質問する。当のヨウタは声には大きな変化は無かったが、少し顔が戸惑っていた。といっても口しか見えないのだが。
すると。
「いや、得するに決まってんだろ。人と一緒にいるってのは」
なぜかナギが口を挟んだ。
「ナギさん……じゃあ、どういったところが得なんですかぁ?」
「そんなもん口では言えねーよ!」
「でもヒカリも、ほかのひとといっしょにいたほうがたのしいよ!」
「そうですかぁ……ヒカリちゃんもですかぁ……」
ヒカリの同意を得られなかったからか、テリカは少し不満そうだ。
「……まあ、僕も君たちの目的が達成されるまでは一緒にいるとするよ。よろしく」
「お、おう、よろしく……」
(なんだかあっさりと仲間になったな……)
ナギは少し困惑した。彼女の感情の変化は、今が一番激しかった。
「で、ここからどーすんだ?」
「……君たちは家に帰りたいんでしょ? 前に進みなよ」
「えっ……全員がそうだとは……」
「は? テリカ、違うのか?」
「あ、えーと、えへへ……」
「誤魔化すなよ」
その刹那、ナギはテリカに急接近した。
「あっ……」
ヒカリから声が漏れる。
このままだと、コンビニのような展開になるのでは、と思ったのだ。
しかし、次のナギの行動は、予想をはるかに上回るものだった。
ナギはテリカの肩に手をぽんと置いて、励ますようにこう言ったのだ。
「オレたちはもう仲間だろ? 気兼ねなく話せよな」
「え……えーと……」
「ほら、言ってみろよ」
ヒカリは確信していた。テリカは、自分と同じように家に帰りたいわけではない。何か別の目的があるのでは、と。
だから、テリカの答えを期待していた。喉から手が出るほど期待していた。
その時、頭に軽い感触を感じた。
「?」
「……ヒカリ……とか言ったよね」
特徴的な低い声───ヨウタのものだった。
「……ちょっと、こっちに来てくれないかな。大丈夫。ここから数メートル離れるだけでいいんだ」
ナギとテリカがいる場所から、言われるがままに数メートル離れた。2人からは、視線を外さないように。外したら、2人は別の場所へ消えてしまう。間に繋がれたプラレールの線路が、別のものに変えられるように。
遠く離れるその足が、一歩一歩を踏み抜くたびに、硬い地面が足をえぐった。
「……ヒカリ」
「なーに?」
「……あの2人、信頼できるのか」
「え?」
初めて会ったにしては、かなり違和感のある質問だった。
でも、ヒカリはちゃんと答えた。もしかすると、幼児特有の純粋な心のおかげかもしれない。
「うん! さいしょはこわかったけど、はなしてるうちにいいひとだってわかったよ!」
「……嘘じゃない?」
「ほんとだよ!」
正直に答えたつもりだった。
しかし。
「……ヒカリ、あの2人は置いていくぞ」
え?
「………」
言っていることの意味がわからなかった。
あの2人を置いていく。少し前のヒカリなら、迷わずそうしただろう。
でも今は、選択以前に、なぜそんなことを提案してくるのかがわからなかった。
どうすればいいのかわからなくなって、ヒカリはヨウタの顔を見た。先程と表情は変わっていない。でも、変わっている。目の下の輪郭が、髪の隙間から見えている。
次に、遠くのナギとテリカを見る。こちらには全く気がついていない。もしかすると、公園で遊ぶときのほかの家族のように、こちらには無関心なのかもしれない。
「……なんで?」
ヒカリはおそるおそる訊いてみた。しかし、テリカの答えと違って、この答えは聞きたくなかった。
だが、運命とは無情なものだ。
「……あの2人に、ヒカリを家に帰せる力があるとは思えない」
またしても風が吹いた。さっきよりも、もっともっと冷たかった。
そして、その風に吹かれ、ヨウタの目が一瞬見えた。
ヒカリの目ははっきり捉えた。
ヨウタの目は黒かった。
閃という名字に似合わないほど、黒く濁っていた。