【Night 52】万全
黒い影が、ヒカリの目の前に存在する。ヒカリはそれを押しのけるように走り去る。そんなことが、幾度となく繰り返されていた。
息が切れる。というより、とっくに切れている。その影響で何度も止まりそうになる。でもその度に、思い出したかのように再び足が進む。何かに導かれているようで、不思議な感覚だった。
「はぁっ、はぁっ……」
ヒカリは息を切らしながら、どこでもない場所へ向かう。しかし目的はわかっていた。
みんなを、助けるためだ。
自分にしかできないと思ったし、自分がやらないとだめだと思った。みんなが自分を助けてくれた。だから、今度は自分の番。どんなことがあっても、必ず助けてみせる。
ヒカリは心の中で、そう誓っていた。
すると、ヒカリの足が自然と止まった。
何かがあるのか、と、まるで他人事のように前方を見た。
『これって……』
『〈クラヤミ〉が言ってた……』
目の前には、もうこの何日かですっかり見慣れた影が2人いた。2人とも、ヒカリより少し大きいくらいの子供のように見えた。
ナギでもなければ、テリカでもない。そして当然、ヨウタでもなかった。
しかし、ヒカリはこの2人に、深く共感できるような気がした。何日もの苦しみ、葛藤、そして悲しさを理解できると思った。
すると、ヒカリは急に、その影に飛び込んだ。
なぜそうしたのかもわからなかった。ただ、「できる」と思った。急に、そうせずにはいられなくなったのだ。
『!?』
突然の出来事に2人は驚く。しかし、それだけだった。2人が特に危惧することはなかった。人間が影に飛び込んできても、対応する人間以外ならばすり抜けるはずだったからだ。
ところが、そうはならなかった。
ヒカリの体は、吸い込まれるかのように、影の体内へと入っていったのだ。
『……え?』
2人はもう一度驚くことになった。そしてようやく、危機感を感じ始めた。
光が届かない。
その上、どこに向かえばいいのか見当もつかない。まるで、全く光源のない洞窟の中を歩いているようだ。
「………」
ヒカリは途方に暮れた。しかしそれは、果てしない暗闇に絶望したのではない。多すぎるやるべきことを、落ちついて整理しているだけだった。
大丈夫。
みんなを助けるんだ。
「……いる? きこえたら、おへんじして」
大して大きくもない声が、闇に溶け込んだ。
「だれか……いる?」
もう一度言ってみる。しかし、その声は虚空にこだまするだけだった。返事はない。
「……いない……?」
やがてヒカリはそう呟き、諦めようとした。
すると、その時。
───だれ?
ヒカリの身体全体に、冷たく抑揚のない声が響いた。心臓が震えるような感覚。ヒカリは思わず後ずさりしようとした。
「……ヒカリ」
───帰って。
ヒカリの返事を待っていたかのように言葉が返ってきた。そのあまりにも素っ気ない言葉に、泣きそうになる。
しかし、ここで負けるわけにはいかなかった。
「かえらない」
───……。
それっきり、ヒカリの相手をしていた誰かは黙り込んでしまった。ヒカリ自身も、それに続ける効果的な言葉を見つけられなかった。そうして、沈黙がしばらくの間流れることになった。
「………」
子供には筆舌しがたい無の時間を過ごしながら、ヒカリは思考を巡らせていた。
この人は誰だろう。多分、自分は会ったことがないような気がする。
しかし妙に温かみを感じた。まるで、ずっと行動を共にしてきたような。
───何がしたいの?
すると、耐えられなくなったのか、向こうからヒカリに訊いてきた。少し苛立っているような声だった。
ヒカリは少し考えた後、言った。
「……みんなを、たすけたいの」
───どうやって?
AIの機械的な返答のように、すぐに返事が返ってくる。そのせいもあり、今誰と話しているのかわからなくなる。
だがヒカリは構わず続けた。
「……それは、まだわからない……でも、たすけたいの。ナギさんや、テリカさん、ヨウタさんを……」
その時だった。
───ヨウタ……?
その声が、一瞬何かに反応するように震えた。
───ヨウタ兄……。
「……ヨウタさんを、しってるの……?」
ヒカリは目の前が少しだけ明るくなったように感じた。
───………。
しかし、その声はそこからぴたりと口を閉ざしてしまった。
「……どうしたの?」
それ以上答えてはくれなかった。
ヒカリは、ナギの言葉を思い出した。
「……だいじょうぶだから……いってほしい。なにかあったの? わたしにできることなら、てつだうから」
その若干ナギを模倣したともとれる言葉は、実は、その声の主にひどく印象を残していた。言っていることはただのきれい事に聞こえるだろう。最初は声の主もそう感じていた。しかし、この妙に温もりを感じるヒカリの声は、声の主に引っかかり続けた。
そして、それに負けたのか、とうとう言葉が続いた。
───ヨウタ兄……しんじゃったの……?
「……ううん、だいじょうぶ。たすけられる」
ヒカリは言い切った。自信に満ちあふれていた。
「だから、おねがい。ちからを、かして」
一文字一文字を、噛みしめた。通じるかわからなかったが、できることはやった。あとは、あの声の持ち主次第───。
そう考えた時。
ヒカリの目の前が、急激に変化しはじめた。視界がどんどん白く染まっていく。まるで、闇の中に微かにあった光が、みるみると広がっていくように───。
「……ん……」
目を開くと、まず最初に、大きく輝く月が目に入った。そしてその周りの星々も認識できた。徐々に見ることができる範囲が広がってくると。
そこには、心配そうにヒカリを見つめる男の子と女の子がいた。
「……えっと……」
「……さっき、話しかけてくれた子だよね?」
ヒカリが状況を理解しようとしていると、男の子の方が口を開いた。
「……よくわからないけど、助けてくれて、ありがとう」
「どういたしまして……えっと、『よくわからない』?」
ヒカリは首をかしげた。すると今度は、女の子の方が口を開いた。
「わたしたち、家でヨウタ兄とゲームしてたら、いきなり真っ黒な子におそわれて……多分、キミが助けてくれたんだよね?」
「うん……」
ヒカリは少しだけ誇らしげな気分になった。同時に、この2人はヨウタの弟と妹なのだろうか、と感じた。そうであれば、もしかするとヨウタを助ける大きな鍵となるかもしれない。
すると。
『……何でだ……』
『何がおきてるの?』
後ろからも、2人の声が聞こえてきた。声の主は言うまでもない。
「……いこう。あの2人が、きてる」
そう言うと、ヒカリは2人の手を取り、地面を駆け抜けた。両手の2人も足を必死に動かしている。
準備は万全だ。
あとは、みんなを助けるだけ。
目指す方向に、走るだけだ。




