【Night 50】我が家(後編)
私はまだ、幸せだった。
この世の中に籠もって幸福を享受し、外に目を向けることが無かったから。
このころ既に、影の能力は学会により全て発見されていると思われていた。″テレパシー″が主な能力であった。これを、人類でいう「会話」に使用していた。
私は仕事に出勤し、雑務をこなし、家に帰り、家族と時間を共にする。そうして過ごしていた。
あの運命の日も。
その日、私達の間に、娘が誕生した。
母親に似て、何とも可愛らしい女子だった。ただ奇妙なことに、顔に白く大きな「何か」があった。私達はそれが人類でいう「目」にあたり、視覚を司る器官だとわかっていた。なぜそんなものが人間である娘にあるのかと不思議には思ったが、特に気にすることはなかった。
妻が娘を抱き、私が娘を抱き、それが済むとこれからの生活について語り合った。いつこの子を連れて家に帰れるのか、予め買っておいた哺乳瓶は、気に入ってくれるのか。
そして、何よりも、名前を何とするか。
頭上で膨らむこれからの生活に、私は胸の鼓動が抑えられなかった。
しかし、そんなことを考えている私達を、尖った目で見ている者がいた。いや、今考えると、私達に興味は無かったのだろう。目的は、私達の娘にあったに違いない。私達が健やかに眠る娘を挟んで仲睦まじく「話している」所に、彼らはやって来た。
1人はやせて背が高く、もう1人は小太りで小さかった。2人は私達を取り囲むように立つと、私達にこのようなことを「言った」。
私たちは人間解放組合の者だ。この子には力がある。私たちをこの世界から、″人類″の支配から解放することができる。
言っている意味がわからなかった。人類やら世界やらについては幼少期に学習済みだったため、戸惑うことはなかった。字は酷似していても、人類と人間では意味がまるで違うためややこしく感じた記憶がある。確か、人間が私達のことで、人類が私達より上に住まいを立てている者達だったはずだ。
しかし、疑問に思うことは他にあった。
そんな人間解放組合の人間が、なぜ自分の元に?
私はそれを口にした。すると相手は、予想外のことを告げた。
その子だ。私たちにはわかる。その子は強い力を持っている。私たち人間の憎悪全てを凝集させたような、人類に対抗するための力を。私たち人間の希望となる力を。その子は、私たちの救世主だ。
そこまで聞いて、私は目眩のするような気分に陥った。おそらく妻も同じだったに違いない。
しかし目眩の意味は違ったと思う。
妻は、自分が産んだ娘がそんなにこの世界に影響を与えるということに気が遠くなったのだろう。それは私も同じだった。
だが私は、別の理由も持っていた。
私は再び、娘へと視線を移した。生まれて72時間にもならない娘は、ケースの中で静かに眠っている。
この子は、力を持っている。そしてそれは、この世界を、人間達を、救うことができる。
ならば、仮にこの子がこの世界を救えば、この子は世界中から祝福され、名誉を手に入れることができる。
そのことに、私は目眩と───笑みが、止まらなかった。
何とか目眩を抑えると、私は首を縦に振っていた。
まず最初に、娘の体に触れるように言われた。どうやらただ触れるだけではだめで、この世界を救いたい、人間達を解放したいという強い思いがないといけないらしい。
私は迷わず、思いを馳せた。2人から聞いた話をありありと思い浮かべ、ゆっくりとその柔らかい肌に触れた。
その瞬間、体中に電撃のような衝撃が走った。痛く、眩しく…それでいて、温かいような。そんな感覚が、体の奥で感じられた。
それ以降の私は、まるで別人だった。あらゆる能力を手にし、人間解放組合に尽くすことになった。得た能力の中には、学会がまだ発見していない物もあった。人間には効かないが、人類に対しては効果を発揮する洗脳能力だ。これを知り、組合の連中は歓喜した。私も満足だった。
また、私は神託のような物も受け取ることができた。いや、神託というよりかは、自分でそう勝手に思っていただけかもしれないが。どうやら人類の方にも、特別な力を持っている者がいるようだ。全部で4人。そのうち1人には名前がなかったが、あとの3人に光に関係する漢字が入っていたため、照香と名付けるように、「虫の知らせ」を送った。相手が目の前にいないため、通じているのか不安だった。
また、妻にも力を得させた。本人は嫌がっていたが、娘のためだと言うと、従うようになった。彼女は私とはまた別の力を分け与えられ、娘と同じ、白く大きな目を手に入れた。
やがて、娘の力を使えば、人類の世界と人間の世界を繋ぐことができるとわかった。定められた場所に行き、娘が地上に出たいという強い意志を持てば、道は開かれるのだという。
そして5年経ち、ついに、決行の日が到来した。私達はその場所に足を踏み入れた。
娘にその意志を持たせるのが意外と大変だった。だが私は、お前しかいないだとか、お前は人間の希望なのだと声をかけ続けた。このまま何もできずに、組合の人間を落胆させたくなかったのも、そんな行為を10分ほど続けられた理由になるだろう。やがて根負けしたようで、娘はその白い目を瞑った。
その時、私達の前を、白い光が通り過ぎた。
そして気がつくと、見知らぬ場所に倒れていた。起き上がって周りを見渡すと、後方にはブラックホールのような禍々しい穴があり、そこら中に組合の人間が倒れていた。しかし時間の問題だったようで、皆すぐに起き始めた。
皆、するべきことはわかっていた。
それを再確認したように頷くと、組合の人間達は四方に散らばっていった。そのうちの1人は、あのブラックホールのような穴に入り、しばらくしたかと思うと、気が遠くなるほどの人間を連れて帰ってきた。
そこで私は、ああ、もう決行なんだと改めて実感した。あの白い光が通ってからというものの、しばらく寝起きのようにぼんやりとしていた。
私は妻、そしてクラヤミと名付けた娘を連れ、私と瓜二つの者がいるという住居へと向かった。その途中、小さな公園を見かけた。それが妙に自宅の近くの公園と似ていて、何とも言えなくなった。
私は深呼吸をしながら、いつの間にか着いていた目的の住居のドアをすり抜けた。
妻は後ろから私を心配そうな目で見ていた。そしてそのさらに後ろでは、クラヤミが何か言いたげな目でこちらを見ていた。私はそれ以上、2人を見ないことに決めた。
ドアを抜けると、これも予想外のような、でも予想通り、私とそっくりな男が立っていた。
「……やあ。待っていたよ」
その男は私達に何の驚きも、敵対心もなく、穏やかに語りかけた。脳に響かない、彼らの話法。違和感が渦巻いていた。
「……あれからいろいろ頑張ってみたんだ。頑張って愛妻も見つけ、子供もできた。でも……そのたびに思った。この子達も、私がそうだったように、人間に淘汰されないか。人間に踏みにじられないか…それが不安だったんだ。だったらいっそのこと、あなたたちに全て任せたほうが……いいのかなと……」
そう言い切ると、彼は俯いてしまった。
「だから…あとは…よろしくお願いします…この先のリビングに…妻は…います…」
私は心に決めていた。
とっくの昔からか、今なのか、それはわからなかったが。
『…承知した』
気が動転していたんだと思う。
私の記憶から、その後のことは抜け落ちてしまっている。だが私はその間、ちゃんとした行動をできていたのだと思う。
なぜなら、次にするべきことの対象が、目の前にいたから。
「………誰?」
夕の妻は、不審者でも見ているかのように警戒心の籠もった声で言った。よく見ると、微妙に後ずさりしている。
『……何も知らされてないのか?』
「……?」
私が言うと、彼女は、それこそ意味がわからない、と言わんばかりに汗を流した。
この時、私は理解した。
人間が憐れだということを。
数々の諸悪を、気がつかぬまま生み出している。夕を取り込んだ私にはわかる。取り込んだ者は取り込まれた者の思考がわかる。彼を苛めた者も、我々人間から自由を奪ったことも、人類は全て「無意識」にやってきたのだ。だから、その代償を払うまで気づかない。
『……私達は……生まれたときから、自由を奪われていた。日中は自分の意志ではどこにも行けず、自分の意志では食べることもできない。私達の選択は常に人類の選択であった。そんな選択を受け入れるしかないのか?』
私はそこであえて言葉を区切った。彼女は私を見ておらず、ずっと私の後ろに目をやっていた。
「えっ…」
私の後ろの妻がそっくりだと気づいたのだろう。
私は大きく息を吸い、そして。
『いや違う! 我々だって外に出たいんだ!』
そこから次の発言まで、どれほど時間があったのだろうか。残響が数秒間なっていたような気もするし、すぐに彼女がそれを掻き消したかのようにも思える。私にはわからなかった。ただ私にも冷や汗が流れていることはわかった。
「で、でも……」
すると、何かを絞り出すように反論しかけた彼女は、そこで発音をやめた。
そして、私の後ろ───おそらく私の妻と娘よりも後ろ───を見て、希望を持ったように呟いた。
「……逃げて……」
私は即座に振り向いた。2人の後ろには、ただドアがあるだけだった。茶色いフレームに、ガラスがはめ込まれている。
彼女はこのガラス越しに、何を見たのか───。
『……もしや……』
私はドアをすり抜け、暗い廊下の中、必死に幼い影を探した。クラヤミの力で、この世界には一日中太陽を昇らせないようにしていた。
しかし、何も見つけられなかった。
『もしや……光が逃げた……?』
光。彼女は人間のクラヤミと違い知能は劣るが、人類で力が使える数少ない者だ。
そんな者を逃がしたら───。
私の脳に、不気味な湿り気が生じるのがわかった。
『……クラヤミ。ヒカリを追ってくれ』
私は娘に───クラヤミに、そう言った。
……なぜ本人にやらせようとしたのだろうか。
私がやれば、済むことなのに……。
『……わかった』
クラヤミはそれ以上何も言わずに、壁をすり抜けていった。あとは、彼女は最初からそこにいなかったかのような、空虚な感覚が残された。
そしてリビングに戻ると、そこに夕の妻はいなかった。
どういうことか、すぐにわかった。
『……これで、本当にいいのよね……? あの子のために……』
妻は苦しそうだった。
私はこれ以上ない罪悪感にとらわれると同時に、これ以上ない責任感を感じた。そうだ。これは娘のためなのだ。娘の力で人間を開放して、娘を英雄にするため。
ただ、それだけ───。




