【Night 48】クラヤミのなか
『……みんな、いなくなっちゃったみたい』
クラヤミは、暗く閉ざされた空間の中、だた1人の相手を哀れむように言った。
『ヒカリちゃんの大切な人……みんな……』
ヒカリはただ立ち尽くしていた。信じられない、と言わんばかりに体を震わせながら、じっとクラヤミを見ていた。
「うそ……ナギさん……テリカさん……ヨウタさん……うそだぁ……」
信じられなかった。あの3人が負ける? どんな死線も乗り越えてきた、あの3人が?
辛うじて口にできた言葉は、すぐに足下へと落ちていく。それはもう、どこにも届きやしなかった。
『これで、ヒカリちゃんだけになっちゃったね……わたしがヒカリちゃんを取りこめば、もうおわったもどうぜん。だから、わたしは……』
「やめて!」
すると、ヒカリがクラヤミの言葉を遮った。ヒカリは体を震わせながらしばらく立っていたかと思うと、ついに膝から崩れ落ち、手が地面についてしまった。
───大丈夫か!?
あの時のように体を支えてくれる人は、もういない。自分は、1人だ。
『……大じょうぶ。すぐにおわらせてあげるから』
クラヤミはヒカリに手を伸ばす。黒い物質に囲われたこの空間に、もはや逃げ場などなかった。
「……!」
ヒカリは追いやられるようにして逃げた。壁伝いに、できるだけクラヤミから遠くへ。
『……むだ、だよ』
クラヤミが静かに告げる。その言葉の通り、ヒカリはどんどん空間の隅の方へと追い詰められていた。
「っ……! たすけて! だれか!」
もう逃げられないと悟ったヒカリは、空間の壁の外に精一杯の声で叫んだ。誰でもいい。誰でもいいから───。
すると。
『あれ? 〈クラヤミ〉ちゃん? どうしたの?』
黒い壁の向こう側から、ナギの声が聞こえてきた。ヒカリはその一瞬だけ、目の光を取り戻した。
「ナギさん? ナギさんなの?」
ヒカリはその声の主に問いかけた。問いかけるというより、もはや懇願に近かった。頼むからナギであってくれと、一心に願い続けた。
だがその願いは、すぐに破綻する。
『あ、あの〈クラヤミ〉ちゃんにそっくりな人間か。ヒカリちゃんだっけ?』
「……え?」
『ナギちゃんは今、私の中だよ』
それが何を意味しているのかは、ヒカリでもすぐにわかった。
ヒカリはいよいよ、現実に打ちのめされた。彼女から力が抜けていくのが、クラヤミから見てもわかった。
『……どうやらあの女の子2人は、このビルの中にいたらしいね。ナギという人がヒカリちゃんに会いたいと強くねがったけっか、ここに来ることになったのかな』
クラヤミが呟く。それを聞ける場所にいたヒカリには、まるで聞こえていないようだった。
『……これい上くるしめたらかわいそう』
そしてクラヤミは、伸ばしていた腕をついにヒカリへと迫らせた。ヒカリは気づいていなかった。すぐそこに、その小さい体を握りつぶせそうなほど大きく黒い手が迫っている、その事実に。
その気になれば、クラヤミは容易にヒカリを掴むことができた。そのはずだった。
だが……彼女はなぜか、その手をヒカリの目の前で止めていた。
「……え?」
さすがに後ろの気配に気がついたのか、ヒカリは振り向いていた。そして、目の前の異様な光景に困惑する。
『………いいのかな』
「え……?」
『わたしは、これで……』
ヒカリはさらに困惑した。今までのクラヤミと、様子が違う。落ちついた雰囲気をしていたはずだった彼女は、今は震えた声で弱音を吐いている。
「……どうしたの……?」
ヒカリは、いつの間にかそう言っていた。同情など必要ないはずなのに。
『………』
クラヤミはやはり黙っていた。しかし、そのままヒカリを掴もうとする様子は見られない。
だが、その沈黙はやがて破られた。
『……こんなことを言うのはまちがってるかもしれないけど……さい後に聞いてほしいことが、あるんだ』
重々しく口を開いたクラヤミは、じっとヒカリを見ていた。獲物としてではなく。
『もうすぐわたしと入れかわるヒカリちゃんにだけ、言えるんだ……』
ヒカリは怖かった。もうすぐ取りこまれるという恐怖もあったが、今から何を言われるのか、またしても現実を突きつけられないかという不安に駆られていた。
『……わたしは、ヒカリちゃんのかげとして生まれた……そして、わたしがとくべつな力を持っていたから……みんなから「きせきの子」って言われた……ここまでは、ヒカリちゃんもわかってたよね?』
クラヤミはヒカリに確認に近い質問をした。ヒカリは黙って頷くしかなかった。
『……それで、わたしはみんなからかつぎ上げられた。お前はおれたちをすくうヒーローだとか、わたしたちをかいほうしてとか言われた』
クラヤミはゆっくりと話を進めていく。時折、ヒカリから視線を外すこともあった。ヒカリには、クラヤミが何を話したいのかわからなかった。
『……そんなとき、どうすればいいと思う? すべての人のきぼうにこたえるべく、言いたいことをおしころすべき?』
クラヤミはそこまで言って、再び黙り込んだ。ヒカリはヒカリで、喋ることはできなかった。
そうしてかなりの間沈黙が続いていた。何時間にも、何日にも感じられた。ヒカリにはそれほど、長く長く感じた。どうやら、本当に質問の意だったらしい。
そう判断したヒカリは、最適解を出すために必死に考えた。もしかしたらこの回答次第で、自分は助かるかもしれない。この回答はかなり重要だ。
しかし、いくら答えを絞りだそうとしても、ヒカリの幼い頭からは何も出てこなかった。ドライフルーツから果汁を取り出そうとしているようで、ひどく無駄に感じられた。
「……わからないよ。だってヒカリは、ヒカリは……ふつうのおんなのこだもん……」
『ふつうの女の子……それだよ!』
ヒカリが辿々しく漏らした言葉。それに反応するように、クラヤミが声を荒げた。ヒカリの体はは思わず、小さく跳ねあがった。
『わたしがふつうの女の子に生まれていれば……こんなことにはなってなかった……ふつうに生まれていれば、ヒカリちゃんみたいに、ユースケくんがつくえに落書きしてたとか、マリンちゃんがえほんをひとりじめしてたとか、そんなことを考えるだけでよかった……なのに……こんな力を持って生まれたせいで、いきなり大人の人たちから、ヒーローとかえいゆうとか言われて……大ぜいの人間の自由をうばうことになった……』
「クラヤミちゃん……」
『ヒカリちゃんに神授人のことを教えたとき……わたしはヒカリちゃんを、わたしと同じ気持ちにさせようとしたんだ。ヒカリちゃんはとくべつだから……そのせきにんを感じさせようって……むだだとわかってたのにね……わたしは……もう自分がどうしたいのか……わからない……』
クラヤミはそう言い切ると、先程のヒカリと同じく、地に手をついてしまった。そこからまるで死んだかのように動かなくなった。
ヒカリはこの影に、何とも言えない気持ちを抱いていた。1人の影として、普通に過ごしたかった。そんな思いがひしひしと伝わっていた。敵だが、哀れにさえ思えた。何と言葉をかけたらいいのか、わからなくなっていた。
その時だった。
───オレたちはもう仲間だろ? 気兼ねなく話せよな。
ナギの言葉が、一瞬だけヒカリの頭を過った。
ほぼ衝動的に、口を開いた。
「クラヤミちゃん……」
『……ううん。だめだよね』
すると、ほぼ同時に、クラヤミが喋り始めた。先程までの落ち着きを取り戻し、元に戻っているように見える。
『……わたしは、みんなのきぼうだもん。みんなのきたいに、こたえなきゃ』
その時だった。
ヒカリの目の前まで伸びていた腕が急に動き出し、コンマ1秒もなくヒカリの胴を掴んだ。
「っ!!」
力が、強い。痛い。
ヒカリはそれでも、可能な限りもがいたつもりだった。だが動けない。逃げようとしても逃げられない。このままでは、自分は───。
『あばれないで…おねがいだから…』
クラヤミは弱々しく呟いた。声が震えていた。やはり落ち着きは取り戻していなかったようだ。
『おねがいだから、このまま大人しくしてて……』
「う、うわあああ!」
ヒカリは自分が助からないことを悟った。それと同時に、恐怖が喉の奥に流れ込み、声は出せるが、息が苦しいという矛盾した状態に陥った。
『……わたし、ヒカリちゃんの分まで、大切に生きるよ。自ゆうというものがなんなのか、しっかりと考えながら……』
クラヤミは暴れるヒカリの方を向き、泣きそうな声で言った。
『じゃあ、ね。ゆるしてね』
その次にヒカリが見たのは、クラヤミの腕が急速に縮んでいく様だった。そして、クラヤミの体が迫ってくる。
「あああああ!」
ヒカリの姿は、そっくりな影の中に、クラヤミのなかに、消えていった。




