【Night 47】ナギ(後編)
その小さな女の子の名前は、ヒカリといった。どうやら親に黙って外に抜け出したら、帰れなくなったようだ。やはり、異変が起きているのは、自分だけではないらしかった。
「え? ひと……?」
ヒカリは戸惑っていた。自分のことをあの「何か」だと思っていたのだろうか。
「おいおい、いきなり何すんだよ」
ナギは余裕ぶってみせた。自分が途端にダサく思えてきた。最低な奴だと感じた。
気がつけば、ナギは乾いた笑い声を出していた。自分の経験に比べればヒカリのことなどまだましに思えたのか、それとも自分のことを嘲笑していたのかはわからなかった。
そして、ナギは遠くの方を見た。正確には、地平線間際にあった2つの星を見ていた。その2つだけが、他の星から離れて孤立している。ナギにはその2つが、とある2人の人物に見えた。
……シュンタ。エンリ。オレはどうすればいい?
答えは帰ってくるはずもなかった。帰ってきたら苦労しなかった。ナギはそれに対して、どういうわけかいらついた。
だから、最初は、この幼女に現実という物を思い知らせてやろうと思っていた。帰りたいと願うこの子に、無理だとはっきり言う。そうして自分と同じように、絶望のどん底に落としてやろう、と。ヒカリという名前も、覚えておくつもりはなかった。
今思えば最低なことをしていた。いい年した高校生が、幼稚園児に言い放つことではなかったと後悔している。シュンタが好きだったプラレールの話題まで持ち出してする話ではなかったと感じている。
そうしてナギはその場を離れようとし、エンジンをふかした。これでいい。これでいいんだ、と。必死に自分に言い聞かせていた。
その後、予想外のことが起こるまでは。
「ううっ……うわあああ」
猛烈に音を立てるエンジン音を通り越して、ヒカリの泣き声が聞こえてきたのだ。
無視するのは簡単だった。ただそのまま、足を踏み込むだけでよかった。そうすれば、ヒカリの元からは離れられた。
だが。
ナギの頭にはまたしても、あの声が纏わり付いていた。
───待って! ナギ、行かないで……!
「………」
自分はここでも、無視するのか?
自分はここでも、保身のために逃げるのか?
ナギはゆっくりと振り返る。目線の先には、泣き顔でこちらを見ているヒカリが映る。
「……はぁ」
ナギは大きくため息をついた。
「わかった、わかった。来ていい。来ていいから泣くな」
結局、ナギは彼女を仲間に迎えることに決めた。逃げるのではなく、ちゃんと、守るべき対象として。もしかすると、ナギ自身が望んでいたことなのかもしれない。もしかすると、リベンジの機会を求めていたのかもしれない。
シュンタ、エンリ。オレはもう逃げられないっぽいな。この運命からは───。
テリカという人物にも出会った。エンリのような優しい目をしながら、それでいてどこか執着心の強い雰囲気を出している少女だった。
その少女の喋り方は独特だった。敬語を常に使用して、なおかつその語尾も特徴的だった。どこか抜けているというか、ぼんやりしているというか、何と言えばいいのかわからなかった。
ただ、ナギはその平和ボケしたような口調が気に食わなかった。こんな状況でのんびりしているとは。自分の境遇も知らないで。
ナギはそのことを、少女に言った。すると、鋭いことに、その少女もナギの口調を指摘した。
ナギは憤慨した。ショウタを馬鹿にされたような気がした。今すぐ発言を撤回させたいと思った。
でも。
───それでも、間違った選択をしないように…。
間違った選択をしないように、正しい判断を下さないといけない。もう二度と、間違った選択をしないように。
テリカが襲われていた時に影に向かっていった。
ヨウタの影が2人を追い詰めていた時にも突進した。
自分が、後悔しないために。
自分が、納得するために。
───今度は、オレのターンだ。
───行くぞ! ついてこい!
無理して立ち向かって。
───ナギさん?
───あ、すまん。
困ったときは人に訊いて。
そんなことばかり繰り返していた。
テリカ。
オレもお前と同じだった。
お前と同じように、本来の自分の喋り方じゃなかったんだよ。
ヨウタ。
オレもお前と同じだった。
お前と同じように、大切な人を目の前で失っているんだよ。
ヒカリ。
オレもお前と同じだった。
お前と同じように、帰りたかったんだ。
あの平和な日常へ。
……ただ、オレがお前らと違うところが1個だけある。決定的すぎる1個が。
それは、お前らがそれを克服できているけど、オレはずっと引きずったままでいることだ───。
「……そして、今の今に至るってわけね」
エンリは地に手をつくナギを見下すように言った。地面ばかり見ていたナギは、2人がどんな目をしているのかわからなかった。
「罪滅ぼしのつもりだったのかな?」
足音が聞こえる。一歩一歩が地面を抉っているようだった。
やがて、その足音はナギのすぐ前で止まった。
すると、次の瞬間。
「!?」
ナギの髪が、上にぐっと引っ張られた。ものすごい力だ。何かクレーンのようなもので引っ張られているのではと感じるほどだった。
俯いていたはずのナギの頭は上に上がり、前を向いた。エンリと目が合った。腕の様子を見るに、エンリがナギの頭を引っ張り上げたようだ。
「でも結局、誰も守れてないじゃん」
心臓に穴を開けられたような気がした。呼吸ができない。ただ目を見開き、震えることしかできない。
「自覚してよ。あんたには人を守る力なんてないんだよ」
大人しげなエンリの口から出たとは信じられないほど、冷たく鋭い言葉だった。その言葉のナイフが、ナギに追い打ちをかける。ナギはもう自力では立っていられなく
「じゃあ、大人しく影の身体の中で過ごしてなよ。そうすれば、誰も傷つかなくてすむから」
ナギの頭から力が抜ける。それと同時に、ナギは地面にへたり込んだ。
「……!」
だがすぐに、意識を取り戻すかのように、ナギは顔を上げた。
「待っ……!」
だがそこには、何もなかった。エンリも、ショウタも、移り変わっていた景色も。
ただあるのは、暗闇のみ。墨汁の中に、自分だけが浮かんでいるようだった。
「……!」
ナギは立ち上がり、走ろうとした。2人を見つけ出すためだ。
その時だった。
ナギの身体が痺れた。
(っ!……なんで……?)
何かを口に出そうと思った。しかし、口が動かない。身体も言うことを聞かない。糸が切れたように、自分の身体が倒れていく。
(嘘だ……ここで……終わるなんて……)
やがて視界が途切れ、何も感じなくなった。
ナギはいよいよ自分の終末を自覚し、そして……諦めた。
───自覚してよ。あんたには人を守る力なんてないんだよ。
ついさっき言われた、エンリの言葉。
でも……確かにそうかもしれない、と一瞬だけ思考してから、ナギの意識は完全に失われた。




