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【Night 45】ナギ(前編)




目が覚めると、ナギは自分が座っていることに気がついた。自分の姿勢をだんだんと自覚していく。ナギは、ベンチのようなものに座っていた。

「……あれ……?」

ナギはふと立ち上がる。

「オレ、死んだはずじゃ……」

ナギの視界に色がついていく。何もなかった眼前の空白に、徐々に景色が広がっていく。

遠くの方では、少年と少女が3人、公園のような場所でたわむれていた。1人の少女が、少年と少女1人ずつを追いかけている。鬼ごっこでもしているのだろうか。

ふと、ナギは先程までの自分を振り返った。

自分は確かに死んだはずだ。影に捕まった。何の抵抗もできずにやられた。おそらくテリカもそうだろう。自分はまたしても、何もできなかった───。

………。

……。

しかし、その悔しさも、だんだんと薄まっていった。絵の具が水で薄められていくように、どんどん小さくなっていった。

もしかして、こっちが現実で、あれは夢だった?ヒカリもテリカもヨウタも、自分が作り出しただけで、さらに言えばあんなこともなくて、自分はずっと平凡な人生を享受してた。自分は長い夢を見ていたのでは……? ああ、そうだったら、どんなに良いだろうか。

そんなことを考えていると。

「みんな元気そうだね」

後ろから声がした。聞き覚えのある声だった。振り返ってみると、そこには長い黒髪にきっちりした制服姿の少女がいた。

「……エンリ」

「あの頃はまだ楽しかったなあ。みんな何も考えてなかったから」

エンリは遠くの3人を見て言う。どこか寂しそうな表情を浮かべている。

ナギは彼女の前に立つと、訴えかけるように言った。

「本当に、本当にすまなかった! 置いてったりなんかして……」

どうしてここにエンリがいるのかわからなかったが、彼女に謝らなくてはならないことは変わらない。

「ナギ、久しぶりだな。何してんだよ?」

すると、エンリの返事が返ってくる前に、後ろからまた声がした。今度は低い男の声だった。

「ショウタ……」

今度は、自分達よりはるかに小さな、幼い少年が立っていた。半袖半ズボンに、青い帽子。彼はいつも、この格好だった。

「とりあえず座ろうぜ、オレたち、疲れちまったよ」

ショウタはナギの3分の4にもならない背丈を持ちながら、2人に促す。2人は何も言わず従った。エンリはなんだか嬉しそうだ。無理もない。

ベンチに再び座ると、遠くの3人はまだ走り回っていた。追いかけている子供が先程と違う。鬼が変わったのだろう。

「こうやって見てると、悲しくなってくるよね」

「ああ。この頃はまだ、知らなかったもんな」

「………」

ナギは黙って見ていた。遠くの3人が自分たちであることは、とっくにわかりきっていた。

そうだ。ショウタの言うとおり、この後自分たちには悲劇が襲いかかる。

もう一度見ることになるのか。

ナギはゆっくりと目を閉じた。




まず、ヒカリには嘘をついていた。それも、1つではなく、何個も。幼い少女にあれだけの嘘をついていたことが、ナギを余計に苦しめた。

エンリとの関係は、高校に入ってからではなく、小さい頃からずっとだった。そこにショウタを加えた3人は、同じマンションに住んでいたこともあり、すぐに仲良くなって、住宅街の中にある小さな公園で毎日一緒に遊ぶような関係になっていた。何度も、何度も。鬼ごっこの結果がいつも変わらなくても、いつもエンリが負けることになっても、毎日が楽しかった。

小学4年生になったその日も、ナギたちは鬼ごっこをして遊んでいた。いつものように宿題を迫る母親を振り切り、マンションを飛び出し、階段を駆け下りる。

「おせーぞ、オレたち、結構待ったぞ」

「ナギちゃん、最後だよ!」

先に公園に着いていた2人にそう言われるのも、どこか面白かった。

鬼はエンリだった。絶対捕まえられないと嘆くエンリをよそに、ナギとショウタは走った。案の定、ナギは追いつけない。まだ小学4年生だったこともあり、2人が自主的に鬼になりにいくことはなかった。

「ほらっ、ほらっ! こっちだよ!」

エンリをからかいながら、ナギは後退する。エンリが伸ばす手をギリギリでかわす。ショウタもそれに加わり、2人で避け続けた。エンリは悔しげな表情を浮かべている。



「ほら、もうちょっとであの瞬間が来るぞ」

鋭い声に叩き起こされた。慌てて目を開けると、そこにはショウタの顔があった。

「ナギがやらかした瞬間だ」

2人は3人の子供の方を見る。ナギは見ていないが、おそらく今は自分とシュンタがエンリから逃げているのだろう。


すぐ後ろに公園の出口、そして道路があることも知らずに。


「ナギ、そういやまだかわいい口調をしてたよね、この時は……」

「……やめろ」

ナギの口から、その一言が漏れた。

「?」

「……やめてくれ」

彼女は下を向いて、浅い息を繰り返している。その間隔は、だんだんと短くなっていく。

「お前ら、何のためにこんなこと……」

「決まってんじゃん」

すると、エンリが口を開いた。ぞくりと寒気がした。

「あんたのやったこと、思い知らせるためだよ」




ナギは面白がってエンリの手を避け続けた。シュンタも一緒だ。当のエンリは、やけになってこちらにどんどん迫ってくる。

「捕まえてみてよ! ほらっ!」

ナギは調子に乗って、後ろも見ずに後退していた。

「おい、ナギ……」

さすがに危ないと感じたのか、シュンタは静止した。青ざめた目でナギを見ている。

「すきありっ!」

「あ!」

その瞬間、シュンタがタッチされた。エンリが幼い子供のように飛び跳ねる。シュンタは呆然とするしかなかった。

「あはは! シュンタ君、タッチされてる!」

ナギは笑った。余裕を持っていた。だから、まだ後ろに下がり続けていたのかもしれない。


だから、公園の出口の段差に、かかとが引っかかったのかもしれない。


「────あ」

ナギの視界から、エンリとシュンタが下にずれていくとともに、青と橙が絶妙に混じり合った空が見えてくる。何でこうなっているのか、ナギには理解できなかった。

そして、ナギの左横から、何か重々しい音が聞こえてくる。

車のエンジンだ。とっさに顔を横に向けると、紺色の乗用車がナギに向かってに走ってきていた。ヘッドライト部分が鋭い目に見える。車の顔がこんなにも怖いと思ったのは初めてだった。

死ぬ、と思った。車にかれたら死ぬことくらい、小学4年生の頭でも理解できた。

その時だった。

空中に浮かんでいたナギに、強い衝撃が走った。轢かれた? いや、違う。轢かれたらもっと冷たいはずだ。それなのに、温かい感触がした。

ナギは地面に放り出された。その後頭を抱え、うつ伏せになったまま必死に防御態勢を取り始めた。無駄なことはわかっていた。

しかし、ナギが轢かれることはなかった。自分は助かったのだと理解するのに、しばらく時間がかかった。

そしてすぐ、その代償を知らされることになった。

車の下から、誰かの頭が出ていた。シュンタだった。あの時ナギは、シュンタに突き飛ばされた。身代わりとなる形で、シュンタがかわりに轢かれたのだ。地面にうつ伏せになっていたこともあり、表情まではわからなかった。

当のナギはというと、何も感じなくなっていた。いまいち、目の前の状況が理解できなかった。運転手らしい男性が降りてくる。大丈夫か、怪我はないかと言っていた。車の下敷きになっているシュンタを発見すると、急にひどく慌て、どこかに電話をかけていた。

「ナギちゃん……!」

すると、遠くの方でエンリがナギの名を呼んだ。顔が青ざめているのがわかった。

「ナギちゃん……! 救急車……!」

それだけ聞いて、ナギはようやく焦りを覚えた。そして、エンリの顔とシュンタの頭を交互に見る。

息遣いがひどい。自分でもわかる。

そして、判断を下せずにいる。




「………」

ナギは唖然としていた。見てしまった。自分の過去を。目を背け続けてきたというのに。新しく会ったみんなのために、何があっても思い出さないようにしていたのに。

「まあ、ここでオレは死んだんだよな」

他人事のようにシュンタが呟く。それだけで、ナギの心がズキズキと痛んだ。

すると、ナギはとあることに気がついた。

「……ここ、どこだ?」

自分たちはいつの間にかベンチではなく、茶色い椅子に座っていた。そして目の前には縦6人、横6人、計36人分の机。その真ん中の机で、小さい頃のエンリが泣いている。

これは……学校?

「私たちの小学校だね」

エンリが口を開いた。

何で学校に、とナギは言おうとしたが、やめた。ここでも、あったはずだった。自分の、何かが。




エンリはずっと泣きっぱなしだった。シュンタの葬式の時から、涙が床を濡らさない日はなかった。

ナギは怖かった。シュンタと引き換えに生き延びてしまったこと。シュンタの死を前にしても、涙を一つも落とさなかったこと。エンリに非難されるであろう要素はいくらでも持っていた。

その日もそうだった。エンリは誰もいない教室で、1人涙をこぼしていた。ナギはそれを教室の出口で隠れながら見ていた。ナギの前では元気を装っていた分、辛かった。

自分は取り返しのつかないことをした。調子に乗ったあげく、勝手に死にそうになって、その結果シュンタが死んだ。

そしてさらに、エンリはシュンタを失ったことで泣いている。ひょっとすると、シュンタより自分が死んだ方が良かったのではないか。自分よりシュンタの方が、エンリにとって価値が高かったのではないか。

どうすれば、自分は償うことができるのだろう? どうすれば、エンリはまた笑ってくれるようになるだろう?

考えに考え抜き、そして幼い頭で1つの結論に辿り着いた。

ナギはエンリの元にゆっくりと歩いていった。空気が冷たく感じた。

エンリはギリギリまで彼女に気づかなかった。気がつく頃には、ナギはエンリの目の前で静止していた。

「……エンリ」

初めて呼び捨てした。違和感がひどかった。エンリも驚きからか、涙を止めてしまっている。

だが構わない。ナギは続けた。

「……ごめん。今日からオレが、オレがシュンタの代わりになるから……」

一か八かだったと思う。下手すればさらに嫌われる可能性があった。

でも、信じられないことにエンリは許容してくれた。ただ何も言わず、ナギを涙目でじっと見ていた。そして、小さく頷いた。

この日から、ナギはショウタになった。

そして、エンリを守っていくつもりだった。

7年後……また間違いを犯すまでは。

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