【Night 3】彼女が失ったもの
「うわあああああ!」
ヒカリは今、高速で移動していた。歩いてるわけではないし、走っているわけでもない。それなのに、顔にはありえないほどの風圧がかかっていた。まるで、巨大な扇風機の前にいるようだった。少し手を離せば、吹き飛ばされてしまいそうだ。
それもそのはず、ヒカリはナギのバイクに乗っていたのだ。
「しっかり捕まってけよ。さらにスピード上げるからな」
ナギは挑発するように叫ぶ。ヒカリには、この狂った世界に残された状況を楽しんでいるように見えた。慣れない二人乗りも、ものともしていないようだ。
バイクはさらに高い音を上げ、勢いを増し、2人を襲う風はより強くなった。
「ウヒョー! 動いてる車が無いから好きなだけ飛ばせるぜぇー!」
景色が前から後ろへカッ飛んでいく。
(おとーさんとおかーさんでのったくるまよりも、けしきがみえない……)
でも、楽しそうなナギを見てると、思わずヒカリまで笑顔になった。
すると、ナギはあるものに気がついた。
「おっ、駅あんじゃん! しかも電車あるくね? おいヒカリ、行くぞ!」
バイクが脇道に入り、民家の壁がいっそう近づく。しかしバイクはスピードを落とす気配もなく、細い道をぐんぐん突き進む。
「うわーっ! ぶつかるぅ!」
ヒカリは叫んだ。恐怖というより、興奮だった。
すると、バイクのスピードがだんだんと落ちてきた。かと思えば、あっという間に止まってしまった。
「どーしたの?」
「チッ……ガソリンが切れやがった……これはもう置いてくしかねぇなぁ……おいヒカリ、歩いていくぞ」
「えっ…う、うん」
そうこうしているうちに駅に着いた。2人とも、息を切らしていた。
「誰かいるといいんだがなぁ……」
2人は駅のホームを目指した。
「越中三郷駅か……越中ってどこだったっけ……」
越中三郷駅は、瓦屋根が綺麗な駅だった。日が明るければ、もう少し満喫できただろう。
「誰かいませんかー」
ナギはホームに着いた途端、大声を出し始めた。ヒカリが初めて見た、ナギの丁寧な口調だった。
しかし、構内にナギの声が響くだけだった。
「……電車内は……」
ナギは電車内に飛び移った。
「くそっ……!」
「どうしたの?」
ヒカリも遅れて電車内へ入る。
「見てみろ」
言われるままに見てみると、驚きを隠せなかった。
電車内に、人は1人もいなかった。
そのかわり、乗っていた人のものと思われる鞄や靴、手袋などが、座席や床に散乱していた。
まるで、何かから逃げているように。
「やっぱりいねぇ……!」
ナギは悔しがったように呟いた。
ヒカリには、誰もいない原因は、あらかた予想がついていた。
「ナギさん……」
「あ? なんだ?」
「ナギさん……あのばけもの、みた……?」
そう、あの黒い影のことである。あの影が電車内の乗客を襲ったのでは、と、ヒカリは幼い頭で考えていた。
「……」
「ナギさん……?」
すると予想外なことに、ナギは黙り込んでしまった。
「だいじょうぶ……?」
「……ああ、大丈夫だ」
ナギはやがて気を取り直した。
「見たよ。てかオレ、そいつに友達がやられたんだ」
それからナギが話したことは、だいたい次のようなものだった。
◆◆◆◆◆
「いっけねー、遅くなっちまった」
星野ナギは、高校2年生だ。テニス部に後輩が入部してから、もう半年以上経つ。なのに、先輩としての風格は全く出てこない。
「そうだね。早く帰らないと。ていうか、よくジャケットで学校に行けるね……」
「下に制服着てるから良いだろ」
隣にいるのは、花村エンリ。ナギの唯一の理解者で、乱暴な口調を怖がる女子生徒とは違い、ずっとナギに話しかけ続け、彼女の信頼を得ていた。
そして2人は、部活帰りに、暗い道を辿っていた。2人は幼なじみで、住んでいる場所も近かった。
「もうすぐ受験生かぁ……嫌だなぁ……」
エンリは独り言を呟いた。独り言ではなかったのかもしれない。
「オレは勉強する気なんてねーけど」
「またそんなこと言って! 将来どうやって暮らしていくの?」
「そん時はそん時だよ。今日のことを考えながら生きていけば十分さ」
「確かにそれはそうだけど……え」
「?」
「いや……あたしたち、気付いてなかったけど……ここ、どこ?」
気がつくと、2人は見知らぬ場所に立っていた。先程まで通っていた道はいつの間にかさらに暗い細道に変わり、左右には水田が広がっていた。照明も全くないと言っていいほどだった。星明かりだけが、2人を照らす光だった。
「え……オレたち、さっきまでいつもの道通ってたよな。なんでこんな田舎っぽい場所にいるんだ? なあ!?」
ナギはパニックになったのか、エンリの肩を掴み、揺さぶった。
「お、落ち着いて……わからないよ……」
エンリはなお冷静さを欠いていなかった。なんとかしてナギを落ち着かせようとしていた。
すると、その時。
「あっ」
エンリから、急に謎の声が漏れた。
「エ、エンリ?」
「ぐ…」
「エンリ、どうしたんd……」
そこまで言った後、エンリの胴体に違和感があるのに気がついた。
何か黒いものが、エンリの胴体にまとわりついている。
その黒いものの発生源を辿っていくと……
「ひっ…」
2メートルほどある黒い影が、佇んでいた。
「うわあああああ!?」
黒い影はエンリを掴んだ手を、自らの体の方へと引いた。
「くそ、このやろ、エンリを離せ!」
ナギはエンリを助けるべく、黒い影に立ち向かった。
しかし、影の反対側の手が、ナギを襲った。
「ぐはっ…!」
ナギは地面に倒れ込んだ。
「エンリ────」
「……ナギ、逃げて……」
彼女はすぐに体を起こした。
「─────え」
しかし、もう遅かった。
エンリは、黒い影に喰われていた。
いや、取り込まれていた、と言った方が正しいかもしれない。
黒い影は、エンリを自らの体に押し当てていた。しばらくそうしていたかと思うと、エンリの体は黒い影に押し込まれた。
そして、影の中に消えた。
「……」
呆然としていると、影は、今度はナギの方に迫ってきた。
「くっ……!」
ナギは逃げた。逃げ続けた。
あの影に捕まったら死ぬ。エンリと同じように、影自身に押し込まれて。
唐突に、恐怖が襲った。
無我夢中で、水田の道を走り続けた。
すると、水田を抜けたあたりで、古いバイクが壁にもたれかかっていた。何を思ったのか、ナギはバイクを起こし、乗った。もともとバイクの知識はあったので、さほど苦労しなかった。
そして、行くあてもなく走り続けた。
◆◆◆◆◆
「……だから、あいつらには敵わないんだ。オレごときの力じゃな。だから今は逃げ続ける」
ナギは唇を噛みしめた。幼稚園児を前にしての行動とはとても思えなかった。
「だからお前も………って」
ナギはそこで話をやめた。別にヒカリに解釈を求めたわけではない。もっと単純な理由があった。
「……お前、話聞いてたのか!?」
ヒカリはしゃがみ込み、ホームに落ちている石をいじくっていた。
「うん……ナギさん、かわいそう……でも、おなか、すいた……」
「そんくらい我慢しろよ!?」
ナギはヒカリに少し腹が立った。
しかし。
夜の静寂を破るような音が、ナギから鳴った。
同時に、腹も鳴ったのだ。
「……はぁ」
ナギはまたしてもため息をついた。これで何度目だろうか。
「しゃーねー、どっかメシでも食える所を探すぞ」
「やった!」
「おい、急に元気出すんじゃねぇ!」
2人は先程の雰囲気とは打って変わって、笑いながら進んでいった。
しかし、ナギの目からは、どこか後悔めいたものを感じられた。
ナギ自身は、気がついていたのだろうか。それは、わからなかった。