【Ep.18】怒りと諦め
自動ドアは、ナギの姿を認識し続け、開き続けている。まるでもとから開いているドアのように、一寸のずれもなく静止し続けている。
ナギはいつの間にか、地面に倒れ込み、死んだように眠っていた。死んだように、と言っても、精神は死亡もしくは瀕死だった。この狂ったような世界において、こういう場所は息抜きになるかと思っていたが、現実は全く反対だった。
「……きて」
ナギの身体が揺れている。肩の感触から、ひとりでに動いているわけではないことがわかる。誰かが、ナギの身体を揺さぶっているようだ。ナギは鬱陶しく思いながらも、意志に反して目を開ける。
「……君、こんなところで何やってるの」
ぼやけた視界の中で、長髪の男が映った。ヨウタだった。
「……ヨウタ」
ナギは今の自分の状況をよく飲み込めなかった。なぜ自分がこんなところで寝ているのかさえわからなかった。
「……今何時だ?」
「さっきスーパーマーケットの時計は8時くらいだった」
「……そうか。それにしては、外は暗いままなんだな」
「……さっきから残りの2人の姿がないんだけど、何か知らない?」
その発言をきっかけに、ナギは昨日の出来事をだんだんと思い出していった。テリカの豹変。そしてヒカリの誘拐。
「……くそっ!」
ナギは地面のコンクリートを力任せに殴った。コンクリートには大したダメージを与えられず、むしろ自分の手が痛くなった。
「くそっ! くそっ! くそおおおおおっ!」
それでもナギは殴り続けた。一殴りごとに、手に熱いものが伝わってくる。この手の痛みで心の痛みを忘れられたらどんなにいいだろう、と一瞬感じた。
「……ねえ、何かあったの? 僕が寝ている間に」
ナギは答えられなかった。ずっと1人で地面と向かい合い、殴り、えずいていた。
すると、ヨウタはナギに近づいてきた。そして、ナギの背中をゆっくりとさすった。
「……何かあったんだね? 落ち着いてから、話して」
ヨウタがこんなに思いやりのある人だとは。ナギは少し意外に感じた。そのおかげで少し冷静になれた。
でも同時に、ナギは自分を恥ずかしく感じた。ナギは高校2年生だ。それに対し、ヨウタはどう見ても中学生かそこら。身長も、言葉遣いも、若干自分に酔ってる感じも、中学生特有のものだった。
高校生が中学生に励まされる。それも、背中をさするという親子みたいなことをされながら。
「……やめろって。落ち着いたから」
「……なるほどね。テリカが急に……」
ヨウタは納得のいったような素振りを見せた。
「……驚かないのか?」
「……うん。なんとなくそんな気はしてた」
「そんな気はしてたって……テリカは裏切ると思ってたのか!?」
ナギは再び頭に血が上るのを感じた。怒ってるのかといわれると、実はそうでもない。何だか不思議だった。
「……いや。それは僕も予想外だよ……ただ、この4人の中で一番裏切る可能性があったのはテリカだ」
「……はぁ?」
ナギはヨウタに詰め寄った。
「何でだよ?」
「……僕、思ってたんだ。なんで、『~ですかぁ』とか『~ですよぉ』っていう喋り方してたんだろうって」
ヨウタは立っている場所をぐるぐると歩き回っていた。おそらく意味はないのだろう。
「クセじゃないのか?」
「……確かに喋り方は人それぞれだからね。もちろんその可能性もある。でも、こうとも考えられる。『敬語のカギとなる語尾を強調していた』とも」
あらゆるものが静止するような感覚に襲われた。
1秒。2秒。3秒。まだ続く。
「……つまり何が言いたいんだよ」
ようやくナギが口を開いた。顔に恐怖が浮かんでいた。
「……つまり、敬語なのは『わざとそうしている』のであって、『本来の性格』じゃない。つまり、本当は普段敬語を使わないにもかかわらず、敬語を使っていたってことだ」
「……は?」
───ありがとうございますぅ……。
───私、今すっごく幸せですよぉ。
意味がわからなかった。
いや、理解が拒まれた。
もし本当にそうなら、テリカは3人に本性を隠していただけではなく、テリカこそが嘘をついていたことになる。
ナギは、体がかっと熱くなっていくのを感じた。そして次に、掌に何かが刺さったような、腕が締め付けられるような……いろいろな感覚に陥った。
「……どうしたんだ?」
「……嘘つきはどっちだよ……」
歯をギリギリと鳴らす。歯は、歯ではない何かごと削れていく。削れたものは落ちて、形を失っていく。
「……おい、ナギ……」
「……上等だよ、テリカ……お前みたいな矛盾だらけの最低な奴、初めてだ。こりゃ、やりがいがある……」
ナギが振り向く。復讐心の塊として。
「おい、ヨウタ! あいつに会いに行くぞ」
「……どうやって?」
「歩くんだよ! 歩いたらいつか会う……」
「無理だよ」
ヨウタが静かに告げた。
「止めんじゃねぇ! 行くっつってんだろ!」
ナギはヨウタにつかみかかった。テリカの時より重さを感じられなかった。認識できなかっただけのような気もする。
当のヨウタは、驚くほど落ち着き払っていた。さすがのナギも呆気にとられた。
「……僕たちが生き延びるのを優先すべきだ。テリカがヒカリをさらった理由もわかっていない」
「……口答えすんなぁ!」
すると、ヨウタは急に体を引いた。ナギの手からヨウタの服が離れ、逃げていく。服の摩擦で、指が熱くなった。
「……会うのはもう無理だよ。諦めて」
そう言うと、ヨウタはナギに背中を向けてしまった。
───そりゃあ無理だ。諦めな。
ヨウタの言葉は、どこかで聞いたことがあるようなフレーズだった。
「ん……」
体が上下に揺れる。
「ふぁぁ……」
ヒカリは目を覚ました。ハンバーガーショップではなかったが、ヒカリはさほど違和感を感じなかった。忘れていたのだ。
「起きましたかぁ?」
すると、ヒカリの前から声がした。
「……テリカさん?」
「はい!」
ヒカリはテリカにおぶられていることに気がついた。テリカは走っていた。何故走っているのかはわからなかった。
時間が経つたびに、ヒカリの脳内も目を覚ましていく。ヨウタとの出会い、その後の長い徒歩……だんだんと思い出してきた。
そして、ようやく重大な出来事に気がついた。
「……ナギさんは?」
ヒカリはさっと顔が青ざめていくのを感じながら言った。
「……ああ。死にましたよぉ」
……え?
……いや。
「嘘だ」
「ホントですよぉ」
ヒカリは、嘘だと思った根拠を言った。
「テリカさん、悲しんでない」
テリカはコンビニで、ナギに命を救われた。つまりテリカにとって、ナギは命の恩人だ。もし死んだのなら、悲しまないわけがない。
「テリカさん?」
テリカは答えない。
「……テリカさん?」
もう一度聞いてみる。先程より声が震えていた。
「……何でわかるんだよ」
「え?」
「いや、なんでもないですよぉ! 私だってそりゃ悲しいですよぉ……でも、我慢しないと……」
「そうかぁ……」
その時だった。
ヒカリは胴体に、急に強い感触を感じた。かと思うと次に大きな浮遊感に襲われた。気持ち悪い。
ヒカリの体は高度を増して、地上10メートルほどの高さまで上がった
「あっ!?」
テリカの声が小さく聞こえる。
「テリカさん!?」
ヒカリは体をジタバタと動かした。
すると、今度は上から声がした。
『たのむから、あばれないで……』
「……え?」
ヒカリは驚くしかなかった。
その声は、自分にそっくりだった。
まさか。
まさか。
ヒカリは自分の胴体を見るために、背中を丸め、覗き込んだ。
黒い手が、ヒカリの胴体をガッチリと掴んでいた。
「……あ」
『大丈夫だよ』
上を覗き込むと、そこにはヒカリとそっくりな黒い影が、文字通りの白い目でこちらを見つめていた。