【Night 10】いわないと
「なんかまたお腹すいてきましたよぉ……」
「お前それ3回目だぞ」
ナギとテリカは、白い息を吐きながら話題を展開させていた。ヒカリとヨウタが向こうで話しているのがわかったため、視界から外れないようにした。2人が視界から消えたが最後、一瞬で全く離れてしまう。
テリカは、コンビニ出発時よりも少し軽くなったレジ袋を再び漁った。
「じゃ、この期間限定のフルーツサンドイッチでも……」
「ガチで食うのかよ!」
ナギがツッコむ。もうすっかり打ち解けているようだ。
「だって食べるために持ってきたんですからぁ。ナギさんも食べます?」
そう言って、テリカは2つあるサンドイッチの片方をナギの前に差し出した。
なんとも美味しそうだった。匂いはあまりしなかったものの、視覚だけでその味は予想できた。ふわふわのパンに、なめらかなクリーム、期間限定要素であろう甘々しいメロンに、アクセントのみかん。いくら機械が作ったとわかっていても、よだれで口が湿ってくる。
「……くれ」
ナギは、今までとは全く雰囲気の違う小さい声で言った。
「あははぁ。ナギさん、顔赤いですよぉ」
「うるせぇ!」
「もうその『うるせぇ!』も何回目かわかんなくなってきましたよぉ」
テリカは見よう見まねでナギの口調を真似した。全く似ていなかった。
「お前…」
「はぁ~」
テリカはナギを無視して遠くの方を見る。
「私、今すっごく幸せですよぉ」
ナギはそんなテリカを丸い目で見ていた。
「は? こんな気がおかしくなりそうな世界で? 冗談も休み休み言えよ」
「いや、確かにこんな世界は嫌ってときがほとんどですけどぉ……」
テリカはそこまで言って、ナギの方を向いた。満面の笑顔が、そこにはあった。
「たまに、こんな世界で良かったって思うんです。例えば今みたいに」
ナギは少し固まったが、やがて理解した。
「……だな!」
珍しく、ナギがテリカを肯定した。
「……あの2人に、ヒカリを家に帰せる力があるとは思えない」
ヨウタはさらに低く、暗い声でそう言い放った。
「……いいね? 君のためなんだ。君は家に帰りたいんでしょ?」
「うん……」
「じゃあ、行こう」
ヨウタはヒカリの手をつかみ、引いて歩いた。強い力だった。何か信念があるかのようで、反抗できなかった。
視界から外さないように努めてきた、ナギとテリカの姿が遠ざかっていく。何かを食べていることはわかった。
(なんで、きづいてくれないの……?)
絶望に似た何かを抱きながら、ヒカリはヨウタにつられていくしかなかった。
コンビニの夜───といってもずっと夜だが───を思い出す。その時ヒカリは、自分の意見を言えなかった。ナギが怖かった。怖いと言いたかった。
でも、言えなかった。
それが事実だ。
心の中でそう思っていても、口に出すことができなければ、第三者からすると、思考できないただの人形なのだ。
(いいのかな……ヒカリ、このままでいいのかな……)
ヨウタは相変わらずヒカリの手を強く引きながら、向こうに歩いている。懐中電灯を照らそうかと思ったが、やめておいた。
(……もう、どうでもいいや……このひとだって、ヒカリのためっていってるし……)
ヒカリは諦め、場の流れに身を任せるように力を抜いた。
その時。
───オレたちはもう仲間だろ? 気兼ねなく話せよな。
唐突に頭を過った、1つの文章。
それはまるで、流れ星のように。
(だめ)
ヒカリの脳内の考えは、すぐに上書きされた。でも、言えない。言おうと思ってるのに、口が開かない。
こんなんじゃだめだ。だめだ。
(がんばれ、じぶん!)
「……まって」
ヒカリはついに勇気を振り絞り、言った。
「なんだ?」
ヨウタが振り返った。やはり低い声が、ヒカリの耳に侵入した。その声に、ヒカリは怯えそうになる。
(だめ。だめ。いわないと)
今しかないんだ。
ヒカリは、大きく息を吸った。
「……戻りたい」
言った後で、またしても不安がヒカリに流れ込んだ。拒絶、怒り、強制……さまざまなことが、ヒカリの脳をかすめた。
風が体に当たる。高くて独特な音が通り過ぎる。今日はかなり吹き荒れている。凍えそうで、弱気になりそうだった。
ヨウタはヒカリの顔を覗き込むようにしゃがんだ。かと思うと、こちらに顔を向けた。口角が上がっていた。前にどこかでこのような体験をしたような気がするが、その時よりも、妙に安心感があった。
「……そうか」
ヨウタはそう言うと、ヒカリから手を離した。なぜか離された後の方が痛かった。
「……君、頭良いね」
「……え?」
「だって、僕に手を引かれてるときの君は、いろんなことを考えているようだった。小学生にもならないように見えるけど、大人のように、世の中の苦痛、葛藤、嫌悪を思い浮かべているようだった」
声が小さくて聞き取れなかった。多分大切なことを言ってるんだろうけど。
「……君、お父さんとお母さんは何ていう名前の人なの? それだけ大人びた考えをしているなら、きっと有名な人に違いない」
さらにそう言うと、ヨウタはヒカリにぐいぐいと迫ってきた。さっきまでの安心感はすぐに消え去った。
しかし、ヒカリはあることに気がついてしまった。
「あ、あの……」
「大丈夫。悪いようにはしない」
「いや、そうじゃなくて……」
ヒカリは後ろを指差した。ヨウタもつられて後ろを向く。
そこには、黒い影が、またしても佇んでいた。