プロローグ
死体を踏みつけ――拳銃を構えた。
絶え間ない空腹感と脱水症状により、照準を正確に合わせられない。
左腕は負傷が激しく、拳銃に添えることも出来なかった。
ブレにブレた手で、何をしようというのか。
血塗られた眼球からは震える手元の背景に、微かに女性の姿だけが映る。
着ている服の色が、背景とあまりにも馴染み過ぎている。
今夜、降りしきる雨一つの銃声が鳴り響く。
それに気が付いた彼女は足を止めた。
その場で踵を返すと、オレを一点に見続けた。
床が軋む音は聞こえず、ただ血だまりに波紋が立った
「わたしを殺す‧‧‧‧‧‧?」
強くなにかを決意していた眼差しだが、声は震えていた。
緊張を紛らわすために拳を強く握っているようだ。
ビビってんじゃねぇか。
「敵を、逃すわけにはいかねぇ」
噛みしめる唇に血が滲む。
オレは麻痺した顔を引きつった。
痛いのか、いや、痛いだろ。
「もう、敵になったんだね」
震えでその場に立ち尽くすオレを見向きもせずに背を向けた。
オレはすかさず引き金に手をかけた。
「オレらの世界は捨てんのか‧‧‧‧‧‧?」
手の震えが加速していく。
引き金を引く決意が持てない。
撃つことに意味があっても、殺すことに意味はない。
感覚ではなく、確実に血が逆流している気がする。
彼女の背中は、なんとなく暗かった気もした。
首を横にして視線を下に落とす。
オレの声に呼応した小さい声が、オレの胸を刺激した。
「じゃあさ‧‧‧‧‧‧、助けてよね‧‧‧‧‧‧。」
自然と震えは止まった。
彼女の横顔には微笑が見えたからだ。
この言葉はオレがこの状況で助けられないという皮肉をうたった揶揄なのだろう。
だけどオレには、少しでも可能性があるならという一縷の望みに聞こえた。
でも、可能性はない。
だから、彼女は亡命を選んだ。
もうなんのために銃を向けているのかわからなくなった。
彼女はそう言い残すと、数少ない人影とともに霧の中に消えていった。
霧はだんだんと濃くなっていく。
「くそが。」
叫ぶ気力もない。
ノヴァ・アルケミストは死体に腰を下ろした。
拳銃を手から落とす。そして、垂れた前髪を握りしめ、涙をこぼした
全部失った。
視界の右上に見えるカウントダウンが赤くなっていく。
そのときは来た。脳内に再生されていく。
『地球――敗北。地球敗北。生き残った人数――一人。順位は13位。地球軍の帰還を開始します』
既視感のある魔法陣が足元で展開される。
その途端、オレは草の上に転移した。
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オレは涼風透。17歳独身、ピッチピチの男子高校生だ。
この年で独身はやかましいか。まあそんなことはどうでもいい。
単刀直入に言うが、この世界には剣と魔法が存在している。
すべてのものには魔力という特殊なオーラが流れていて、
それを人は糧として暮らしを営む。
そんな世界には、世界を厄災から守った七雄とか、
王国を闇の炎に包んだドラゴンをたった一太刀で葬り去った大剣豪とか、
こどものころに聴くような英雄譚がごまんとある。
だがこれは偉人の武勇伝にもならない、ちっぽけなオレの悩みごとだ。
オレはわけあってある人に弟子入りをし、この世界の最南端、
グランヴェルト大陸の森に暮らしている。
ボッロボロの木で作られた小屋に四年間もその師匠とともに暮らしていたオレだが、
師匠が突如姿をくらましてから早三か月と言ったところだろうか。
こんな辺境な地の家かもわからないボロ屋に、家賃と言うものがあったらしい。
しかしながら、この小屋の所有権はオレではなく師匠にあった。
だからオレはこの小屋の家賃という存在を知る由もない。
師匠がいなかった三か月間、
滞納された家賃を払えず、追い出されてしまった。
この三か月。
厳しい修行の反動で、狩りもせず倉庫の中にある保存食となけなしのへそくりで、
小屋に引きこもってたら、近くの依頼掲示板で依頼を一つももらえなくなっていた。
オレは暮らしているところは、一番近い村でも着くのに一日かかってしまう。
村に依頼を受けに行くには時間がかかりすぎる。
向かっている時間で依頼が何個こなせることか。
それを見兼ねた村の長がオレの小屋の近くに依頼を受けられる掲示板を立ててくれた。
依頼内容は行方不明になった誰かの飼い猫の捜索とかの簡単な依頼もあるんだが、
畑を荒らすモンスター討伐などの難易度が少し高い依頼まであった。
多分、最初の一か月目は一番近い村から夜遅くまで依頼書を貼りに来ていたはずなんだが、
どれもこれも面倒で無視していたら勝手にゴミニート格付けをされてしまい、
使い物にならない人間には依頼はやらないと、
次の週からはこちらに依頼を回さなくなったんだと思う。
このボロ屋の大家とやらには「金は今から集めます」って言った。
でも肝心の掲示板には依頼がなく、一日経っても結局は集められなくて大家ブチギレ。
小屋の私物を外に放り投げられてついでにオレも森に放り出された。
そして今、森を行く果てもなく歩いている。
(あなたは師匠から何を学んだのよ!!)
何も知らずにそんなこと言いやがってよ。
エルフだからと言って、人の苦労も知らず口を開くなよ。
オレもお前の苦労知らないけど‧‧‧‧‧‧。
だけどな、オレはこの四年間で必死こいて学んことが複数ある。
その一個が――命の儚さだ。
人を初めて殺したいと思ったのは、小さい頃にいじめを受けた時だ。
そのときオレは泣くことも出来ないまま血まみれになるまでボコボコにされた。
あのときの傷が今でも残っている。痛みも。
そこでオレは師匠に初めて弟子入りを頼んだ時、
強大な力を持てばすべてが楽になると思っていた。
魔法も、剣術もすべてマスターすればあいつらを見返すことができる。
そう思っていた。
そんなオレを師匠は諭した。
強い奴の本質は、その力ではなく寛大な心にあるということを教えてくれた。
誰もが強さを求めるなかで、勝ち抜くことができるのは人を許せる人間だと。
みんなに認められる強い人間になりたいなら、剣を復讐のために握るのではなく、
新たな未来につなげるために振るへと。
小さいときはよくその言葉を理解できなかった。
だが、今になってようやくわかった。
オレがこの四年間で学んだことは――クソということだ。
何が寛大な心だ。
毎日五時間も座禅を組まさせて心を感じろって言われても、
わかんねぇに決まってんだろ。
だってあんた無心で座れって言ったからな。
本当になんにも感じなかったわ。
それに何が人を許せる人間になれだ。
あんたのせいで家追い出されるわ、剣を泥に投げられるわ、災難だったわ。
冒険者にも‧‧‧‧‧‧成れなかったしな。
師匠はお前には魔法の才があるって言ったけど、
今でも魔力はまともにコントロールできずに自爆する。
唯一ためになったことは剣を持ち歩けばモンスターに襲われないということだけだ。
オレにもっと才能があればなぁ。
反動ったって、もっと修行が楽しくて自分の成長を感じれるものだったら、
オレはこんな生活を送らなかったと思う。
師匠が一概に悪いとは言えないが、学んだことがあまり役に立ってないのが鼻に着く。
あんたはオレに何をしたかったんだ。
もう日が暮れてきたな。
もうそろ野営の支度をするか。
師匠は見て学べてって言ってたけど、
魔法を使われたら見ることも出来ない。
本当に終始謎な男だったな。
――バコーン!!
赤い閃光とともに、けたたましい音が神経を揺らした。
「なんだ!?」
オレが見れるってことは魔法じゃない。
じゃあ、なんの光だ?
この方向‧‧‧‧‧‧。
ローンリー村か?
小屋から一番近い村だ。オレに依頼を届けてくれていた村。
この三か月、オレは一度も立ち寄ったことがなかった。
嫌な予感がする。
少し見に行くか‧‧‧‧‧‧。
焦げた匂いが、鼻の奥にまとわりつく。
村の入り口に立っただけで、胸の奥がざわついた。
嫌な予感が、的中したようだ。
「マジかよ。」
焼け焦げた村がオレの目に入った。
どこかで井戸の跡を見つけたが、水なんてもう残ってない。
代わりに目に入ったのは、多くの足跡。
小さいのに大きいのまで幅広くまばらにある。
でも、すべて一点で途切れている。
連れ去れたか、それとも‧‧‧‧‧‧。
とにかく、生きてる人がいるかもしれない。
オレは無意識に剣の柄に手をやる。
「誰かっ!! 誰かいないのか!!」
どの家も骨組みしか残っていない。まるで骸骨だ。
オレはそこまでこの村に思い入れはない。
修業期間はずっと森にこもっていたし、この村に立ち寄ったのも数回だ。
そこまで見慣れていない風景だが、ここではまったく異質に見える。
何度かここに来たとき、ここには確かに人が住んでいた。
子どもが泣き、誰かが笑い、朝には井戸の水を汲み、
畑を耕して、灯をともして夜を越えていた。
そういう、ごく当たり前の生活があったはずだ。
それを想像するのは簡単だった。
だからこそ、今のこの静けさが不気味でならない。
おかしいだろ。こんだけ被害があんのに誰一人として人がいねぇ。
死体すら‧‧‧‧‧‧ねぇぞ。
それじゃあ、さっきの光は誰が‧‧‧‧‧‧。
オレは立ち止まり、床に這いつくばるように耳を近づけた。
――カラッカタッカラッカラッカタッ
小さな音が二つ。
四つの足音に複数の回転音。
馬車か?
まだだ、もっと音を絞れ。
――カラッカラッ
違う。
――だれ、か‧‧‧‧‧‧たす‧‧‧‧‧‧けて
人の声だ。助けてって聞こえるぞ。
それだけじゃない、他にも助けを求める人の声が聞こえる。
オレは剣を左手に携え、音の聞こえた方向に走り出した。
かなりの人が馬車に乗ってるな。村の住民人数は三十人程度だったはずだ。
それだけの人間を押さえているんだ、敵も少なくない。
待ってろよ、今助けてやる。
オレは足を加速させた。
「助けてぇええ!!」
「うるせぇ、黙れ餓鬼っ!! 殺すぞ!!」
「やめてくださっ!!」
「黙れって言ってんだ!!」
「きゃあああ!!」
村長の声だ。
ようやく見えた。みんな無事みたいだ。
村の住民を乗せた大きな馬車が一台と敵影四人、一人は手綱を引いている。
フル装備の戦士だ。魔法使いはいない。
前衛のみのパーティー。
正面から堂々と戦うのは人数負けするから駄目だ。
なら奇襲を仕掛けて徐々に数を減らそう。
オレは木に飛び移り、勢いよく馬車に向かってとびかかった。
網目の木の牢屋に張り付くとオレに気づいた村長が声を上げた。
「とおる!!」
「シィィ!」
「わるかったのう」
「はぁ。みんな、オレが来たからもう安心だ」
「助かった」
「とおるちゃん」
笑顔がオレを照らした。良かった、元気みたいだ。
一部を除いては‧‧‧‧‧‧だが。
「むりだよ。もう助からない」
「私たち、魔法を使ったけど勝てなかった」
「歯向かった人たちは全員焼き殺されたんだ」
少しは思ったが、信じたくはなかった。
やっぱり殺されてたのか。あの村の焼け焦げた床の塵は村の人のだった。
絶対に許さねぇ。
「大丈夫だ、オレが全員ぶっ飛ばして、絶対に仇をとってやる。
だから、オレの頼みを聴いてくれるか?」
みんなは少し諦め気味だったが、最後の抵抗で頷いてくれた。
オレは作戦を伝えた後、後輪に回った。
そして、村長に合図を送る。
「「「だれかあああ!! 助けてくれええ!!!」」」
みんなが一斉に叫ぶ。
それに気付いた監視が目を向けた隙に馬車の上から一人を引きずり下ろした。
「なんだっ!!」
「誰かいるぞ!!」
マズイ! バレたか!!
最悪だな、作戦失敗だ。
「おまえええ!!」
「あぶねっ!」
しがみついているオレは上から斬りかかられたが、間一髪で横に避けて素早く登った。
「お前ら、村のみんなに手ぇ出しやがったな。絶対に許さねぇ!!」
「敵襲だっ!!」
「はぁあああ!!」
オレは剣を構えると、相手の上段振り下し攻撃を力強い踏み込みで、
振り下ろされる前に腹のあたりを斬り払った。
馬車から落ちたそいつからは断末魔が聞こえた。
「次だっ!!」
「おらああ!!」
次に相手の太刀を剣で左に受け流す。
そして、前足を蹴って体勢が崩れた瞬間、前に来た顔をそのまま体を捻って蹴り飛ばした。
三人は床に転がり落ちた。
残すは一人だ。
「うわあっ!?」
馬車が急停止してオレは前方向に飛んだ。
体が床に叩きつけられる。
「イテテッ‧‧‧‧‧‧」
誰かがこちらに向かってくる。
フードを被っている。左手には刀を握っていた。
最後の一人。
オレは立ち上がり、服の砂を振り払った。
「お前が最後だな」
「‧‧‧‧‧‧」
返事はなしか。まあいい、ぶっ飛ばす奴の声なんて聴きたくねぇからな。
オレは剣を構えた。
――パリンッ
剣が刺激を受けたように一部分からひび割れていった。
は‧‧‧‧‧‧? 剣が‧‧‧‧‧‧砕けた‧‧‧‧‧‧?
それほど刃こぼれはしてなかったはずだ。
まさか‧‧‧‧‧‧壊されたというのか?
オレは剣が砕けたのに驚きを隠せなかった。
しかし、一番驚いたのは目の前の男がオレの背後にいるということだった。
なんでコイツ、オレの後ろにいるんだ‧‧‧‧‧‧?
一度の瞬きで二度の出来事が同時に起こったぞ!
速い、速過ぎる!!
冷や汗が流れ落ちる。
熱は身体中に広がり、魂に危険信号を放つ。
「はぁあああ!!」
オレは即座に振り返り左拳で殴りかかった。
「『ヴォルテラ』」
オレの拳を屈んで避けると、掌底を構えてオレのみぞおちに打ち込んだ。
「がはっ‧‧‧‧‧‧!」
ヴォル‧‧‧‧‧‧テラ? 今、ヴォルテラと言ったか?
嘘だろ、嘘と言ってくれよ。
その魔術は――師匠のオリジナル魔法だぞ!!
クソッたれが!!
オレは息をする間もなく気絶した。