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一月一日

「 ○運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ。」(11頁)


「運命の年明く」。『戦中派不戦日記』最初の言葉は、この昭和20年、1945年の日本を記録した日記の巻頭におかれるものとしてふさわしいものでしょう。


 この時日本は1937年に始まった日中戦争、1941年に開戦した太平洋戦争の真っ只中でした。1931年の満州事変から数えれば実に14年近くの戦時下です。その中で育った山田誠也の念頭には、他の多くの若者たちと同じように「祖国」のことが浮かんでいたことがわかります。


 そして、存亡はこの一年にかかるというように、彼は戦局が大詰めを迎えつつあることもまた理解していたようです。


 実は運命の年という言葉は、『戦中派不戦日記』の締めくくり、十二月三十一日の項にもう一度出てきます。


 一月一日と十二月三十一日のこのきれいな対照が、元からのものだったのか、あるいは日記を刊行する際に風太郎が手を入れたものだったのかは確かめようがありませんが、1945年が日本の、またのちの作家・山田風太郎の運命を左右する決定的な年になったことはまちがいありません。


 ちなみに風太郎は「あとがき」の中で、日記の出版にあたっては無用な記述を削除したり注釈を入れたい衝動を感じたが、「現在手を入れては無意味なものとなり、かつ取捨そのものが一種の虚偽となるおそれがある」(681頁)ために全文を収録したと語っています。


 しかし、風太郎の没後に刊行された1946年の日記(『戦中派焼け跡日記』)と読みくらべてみると、『戦中派不戦日記』に1946年の日記の記述を挿入した箇所が見つかるのです。詳しくはその日の記事を読む際に解説しますが、それは大切な友人の死についての記述で、戦争を記録したこの本の中に挿入したかった気持ちが推し量られます。他にもいくつかの重要な箇所には、『戦中派不戦日記』を刊行した1971年時点の山田風太郎が手を入れているのではないか……と私は推測しています。


「 ○昨夜十時、午前零時、黎明五時、三回にわたりてB29来襲。除夜の鐘は凄絶なる迎撃の砲音、清め火は炎々たる火の色なり。浅草蔵前附近に投弾ありし由。この一夜、焼けたる家千軒にちかしと。」(11頁)


 おおみそかから元日にかけての空襲の記録です。東京が本格的な空襲を受けるようになったのはこの前年1944年からなので、この夜は東京市民が空襲下で過ごした最初で最後の年明けということになります。


 この時の誠也の下宿は目黒にあったので、被害が大きかった浅草とは東京の西と東で距離がありますが、砲音を除夜の鐘にたとえられるくらいには空襲が身近に迫っていたようです。


「 ○午前高輪螺子(らし)にゆく。振袖にかっこ下駄の愛らしき少女いずこへ消えたりや。凄涼の街頭、ただ音たててひるがえるは戸毎の国旗のみ。高輪螺子にて先日の鶏、その他くるま海老、豚などにて飲み、酔いて帰る。午後より家にてまた飲み、夕ついにエルブレッヘン(嘔吐)し、泥のごとく眠る。」(11〜12頁)


 冒頭の勇ましい決意とは裏腹に、新年一日目はよっぱらって過ごしたようです。鶏、豚、くるま海老とくれば、なかなか豪華なおせち料理のようにも思えます。


 医学生らしくエルブレッヘンとドイツ語で書いているところがかわいい。


 高輪螺子は誠也が下宿している高須家と関係のある町工場で、鶏は昨年末に預けて料理しておいてもらったものでした。ついでに言えばこの高須さんは誠也が医学校に入学する以前、品川にある沖電気の工場で働いていたころの上司で、東京で身寄りなく暮らしている誠也を気遣い、家族のように迎えてくれた人でした。この後も高須家の人々は日記の中にたびたび登場します。


 高須さんやその家族、医学校の友人たちなど、日記から見える誠也を取り巻く人々の人間模様も『戦中派不戦日記』のおもしろポイントの一つです。

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