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はじめに

「──私の見た「昭和二十年」の記録である。

 いうまでもなく、日本歴史上、これほど──物理的にも──日本人の多量の血と涙が流された一年間はなかったであろう。そして敗北につづく凄じい百八十度転回──すなわち、これほど恐るべきドラマチックな一年間はなかったであろう。」(2頁)


 山田風太郎『戦中派不戦日記』(番町書房、1971年刊。引用と頁数はすべて2002年刊の講談社文庫版による)の「まえがき」はこんな風に書き出されます。


 昭和二十年、すなわち1945年の当時、のちに”山田風太郎”というペンネームで呼ばれ戦後を代表する作家となるこの日記の書き手・山田誠也は23歳の青年で、東京医学専門学校(現在の東京医科大学)に通う学生でした。『戦中派不戦日記』は「当時作家でもなければ、そんなものになる意志も」(5頁)なかった、80年前の一医学生による日々の記録です。


 そこに書かれているのは、いまの私たちと同じように学業に励んだりなまけたりし、同じように友達と遊び、同じように悩む若者の姿です。


 ただこの日記が当時や現代の同世代の人の記録とおおきく異なるのは、周囲と自己の状況を見通す観察力と、それを言葉にする表現力がずば抜けていることでしょう。


 一般人──のちに作家となるにふさわしい眼をもった一般人──による1945年の記録というところに、『戦中派不戦日記』の唯一無二の特徴があるのだと思います。


 私は数年前、日記を書いたころの山田誠也と同じ20代前半ではじめてこの本を読んだ時、「ああ、ここにいるのは私だ。1945年に生きたかもしれない私がここにいる」と彼の感性に共感するとともに、同年代とはとても思えないその筆力に圧倒されました。


 わかるけれどわからない、共感できるけれど届かないというところに、『戦中派不戦日記』を読むおもしろさがあるように思います(もっともこのもどかしさは誰かの書いたものを読む時すべてに通じることかもしれません)。


 はじめて読んだ時から5年以上がたち、私は今年30歳を迎えます。『戦中派不戦日記』を書いたころの山田誠也から見たら少し年上の年代です。彼が書いたその後の日記(『戦中派焼け跡日記』『戦中派闇市日記』『戦中派動乱日記』『戦中派復興日記』)を読んで、23歳よりもあと、今の自分と同じ年ごろの考え方も知っているだけに、再びこの日記を読むと、昔の自分をふり返るようにして、初読時とはまたちがった感想が出てくるかもしれません。


 今年は『戦中派不戦日記』が書かれた1945年から80年の節目の年でもあります。今、もう一度新たな気持ちで『戦中派不戦日記』を読み直してみたいと思います。


 作家・山田風太郎ののちの作品に見える影響や当時の風俗についても補いながら、なるべく多くの人に『戦中派不戦日記』ひいては山田風太郎作品全般に興味をもってもらえるように書いていくつもりです。

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