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キミと真面目にファーストキス

作者: 山本 歩乃理

 私の耳に温かく響くハイ・バリトン。

 声の持ち主は私の彼氏、壱樹(いつき)

 優しい壱樹が大好き。ちょっと真面目すぎる面もあるけれど、そこも含めて。

 中学卒業式の当日に告白、というベタなこともやってのけてくれた。

 私はスマホを右手から左手に持ち替えつつ、『うん、うん』なんて頷きながら、壱樹の声に聞き惚れていた。

 この声で『ずっと前から彩葉(いろは)のことが好きだった』って告白してくれたんだよね……

 あれから早3ヵ月半が過ぎようというのに、未だに壱樹から『彩葉』って呼ばれる度にいちいちキュンとしてしまう。


「それで……次のデートでキス……していい?」


 えっ、今『キス』って言った? まさか壱樹が?

 う、ううん、聞き間違いかもしれない。私の願望がとうとう幻聴になって聞こえてきたとか……


「……ダメ、かな……?」


 その囁くような小さな声に心臓が跳ねた。

 聞き間違いなんかじゃない!

 ゴキュ……

 ぎゃっ、どうか唾を飲み込んだ音が壱樹に届いていませんように!


「キ、ス……」

「うん」

「したい、の? 私と……」


 頭が痺れてしまって何も考えられないのに、自然と口が動く。

 大胆なことを聞き返す自分が信じられなかった。


「うん、したい、彩葉と」


 きゃー、生まれてきてよかったー!

 全身が脈を打つ。


「私も壱樹とキスしたい……」


 壱樹の吐息が聞こえた。

 耳に温かい息がかかった気がした。

 くすぐったくて、スマホを握る手に力が入る。


「じゃあ、またデートのときに……」

「うん……またね」


 通話が終了したあとも、スマホを耳に当てたままでいた。

 心臓の音が聞こえていた。


…✩…✩…✩…


 ウクレレを片手に、意気込んで視聴覚室のドアを目いっぱい開いた。

 私は吹奏楽部でも軽音部でもなく、ウクレレサークルに所属している。

 活動は週1回のみ。軽音部が休みの水曜日に、視聴覚室を貸してもらって活動している。


「こらー、エアコンの冷気が逃げる!」


 挨拶もしていないうちに、2年生の友歌(ゆか)先輩から注意されてしまった。

 私は慌てて中へ一歩入ると、ドアを閉めた。


「どうしたの? 何かいいことでもあった?」


 私と同じ1年の陽帆(あきほ)が聞いてきた。

 友歌先輩と陽帆は机を向かい合わせにして座っている。

 私と陽帆が入会すると、3年生の先輩はお役御免! とばかりに早々に引退してしまったので、サークルメンバーは現在この3人のみ。

 毎週ウクレレの練習はそこそこに、大半の時間を雑談へ割いている。


「とりあえず座ったら?」


 陽帆が、友歌先輩の正面、自分の隣の席の椅子を後ろに引いてくれた。

 派手に登場してしまったけれど、これから相談しようとしている内容を考えると、小さく固まってコソコソ話したほうがいい。

 私は素直にその席に腰掛けた。

 そして、もっと友歌先輩と陽帆に近づくために、上半身を斜め前に倒した。

 それだけの動作でふたりにも内緒話だということが伝わったらしい。好奇心でウズウズしだした。


 昨日の通話のときほどではないけれど、私もドキドキし始めた。


「それで? 焦らさないで話して」


 友歌先輩に促されて、ゆっくりその言葉を発音した。


「キス、」


 ふたりして大きく目を見開いた。


「したことありますか?」


 友歌先輩は途端にガッカリした。


「あるわけないでしょ? 彩葉がサークルに入ってきたとき、私と3年が大騒ぎしたの覚えてない? 『モテないウクレレサークルにもついに彼氏もちが!』って」


 しかし陽帆が突っ込んできた。


「ひょっとして、彩葉はキスしたの?」

「う、ううん、ううん!」


 私は両手を広げて大きく左右に振った。


「でもそんな質問してくるってことは……」


 きゃー、ヤバい!

 いくらふたりでも、壱樹から『キスしていい?』と聞かれたことはバラせない。

 自分の預かり知らぬところで、彼女がそんなことをベラベラ喋っていたら嫌なはず。


「わ、私、彼氏とキスしたいんですー!」


 声が裏返ってしまった。

 友歌先輩は驚いた顔をすると、廊下側に耳を立て、誰もいないことを確認した。


「声が大きいよっ」


 しまった、つい……

 視聴覚室だって、完全防音ではない。

 私は無言で頭をぺこりと下げた。


「壱樹と……」


 私は声を落として説明し始めた。


「キスしたいんですけど、何せ初めてだからどうしたらいいのかわからなくて。でもファーストキスって1度切りだし、ステキな想い出になるキスにしたいんです」

「なるほど」

「乙女だね」


 友歌先輩と陽帆は真剣に見つめ合った。


「……私たちも経験はないけど」

「……一緒に勉強してみましょうか」

「勉強? 何を? ま、まさかキスの仕方を!?」


 戸惑う私を尻目に、ふたりは大きく頷き合った。


「次のデートはいつ?」


 友歌先輩は私よりも前のめりになった。


「8月の第一土曜です。『花火大会に行こう』って約束してて……」

「いいね、花火大会の帰りにキスって。それ、狙っちゃえ!」


 狙うまでもなく、とうに約束済みだ。話が都合のいい方向に進んでくれて有難い。

 陽帆はスマホを取り出し、カレンダーを確認した。


「今週末から夏休みに入りますが、そこから2週間あります」

「夏休み…… ちょうどいいじゃない」


 友歌先輩はニンマリした。


「だって、軽音部と時間を調整すれば、平日は毎日サークル活動ができるから。昨年は涼しい視聴覚室で夏休みの課題をワイワイしながらやったんだけど、今年はキスの勉強会をおこなうことにしまーす!」

「ええっ、いいんですか?」


 自分から持ちかけた相談とはいえ、貴重な夏休みの2週間を私のために使うなんて……


「私と陽帆にも勉強会の成果が役に立つ日がいずれは来るはずだから!」

「そうだよ。面白そうだしやってみよう!」


 ふたりのやる気が私にも伝播した。


「そうですね、よろしくお願いします!」


…✩…✩…✩…


 夏休みの視聴覚室には、形ばかりのウクレレケースを肩にかけて通った。

 初日はネット検索して、おののいた。


「失敗談、多っ! ファーストキスで失敗してる人ばっかじゃないですかー!」


 友歌先輩と陽帆に慰める気はないようだった。


「それ、どっちも初めてのケースみたいだよ? 彩葉の彼氏はキス経験済み?」

「ええっ、知りませーん」


 あの真面目な壱樹が私以外の誰かとキスしていたら……と思うと胸が潰れそうになる。


「それなら出たとこ勝負になるんだね。もし彼氏さんも初めてなら彩葉ががんばろ」


 壱樹も初めてだったらいいなと思うけれど、その場合ステキなキスをするためには私がどうにかしないといけないなんてー!


「まあまあ、初日からそんなに落ちこまない」

「そうそう。勉強が進んでいけば、解決策が見つかるかもしれないしね」

「ほ、ホントに?」


 2日目は恋愛漫画を、3日目以降は恋愛映画のDVDを持ち込んだ。

 部室が視聴覚室というのは、最適な環境だった。

 プロジェクターを使って、キスシーンを大きく映せた。

 それと夏休みには誰も通り掛からないような校舎内の僻地に位置しているのもよかった。

 私たちは思う存分、大声を出せた。


「あの、ここ見切れてますけど、ヒロインの腕はどうなってるんでしょう? 私はどうしたら……」

「よし、再現してみよう。私と陽帆でやってみるから、彩葉は見てて」


 私は問題のシーンを戻してスロー再生にした。

 友歌先輩と陽帆は向き合って立ち、スクリーンを見ながらキス直前のカップルの距離を測った。


「こうかな?」


 陽帆が友歌先輩の体に手を添えた。


「ぎゃっはっはっ、くすぐったーい! 脇腹触んないでっ」

「えっ、でもヒロインは肘を曲げてますよね? その先はどうしたら……」

「腰、腰まで回して! あとしっかり力入れて!」


 陽帆は指示された通りに腰に腕を回し、グッと力を入れた。


「えっ……私がそれを壱樹にするんですか? いかがわしくないですか?」

「何言ってんの。これからキスなんていかがわしい行為をしようとしてるくせに」

「いくら友歌先輩でも聞き捨てなりません。キスはいかがわしくないです!」

「いかがわしいよ!」


 友歌先輩と言い合っているうちに、スクリーンのほうは着々とキスに向かって進んでいた。

 ヒロインの動きを追いかけていた陽帆が、首を傾けた。


「待って、女性側も傾けるの!?」


 スクリーンを確認すると、ヒーローに比べてその角度は小さいものの、ヒロインの首も傾いていた。


「ハリウッド女優じゃないんだから、彩葉は傾けなくてもいいんじゃないかな? 彼氏さんにだけやってもらったら?」

「もし壱樹も傾けなかったら?」

「そのときは彩葉が傾ければ? 臨機応変にいこうよ」

「壱樹が傾けないのに、私だけ傾けたら上級者っぽくない? 誤解されたくなーい!」

「なら、あえて鼻をぶつけるしか……」

「それも嫌っ」


 友歌先輩が割って入った。


「さっきから聞いてればワガママだなー。でもこれは確かに難易度が高いかも。明日以降はもっと初心者向きなキスシーンの映画を探すことにしまーす!」


 …………

 ……………………


 結局こんな調子のまま、勉強会は最終日を迎えた。


「彩葉、成功を祈ってる」

「報告を待ってるね」

「生々しい報告はしないから!」


 私の胸には不安しかなかった……


…✩…✩…✩…


【報告会】


 花火大会は、正直それどころではなくて……

 一応、『わあ』とか『きれい』とか呟きながら見てはいたんですけど……

 こんな人混みの中でキスされるはずがないってわかっていても、隣にいる壱樹のことばっかり気になっちゃいました。

 10センチくらい離れて座っていたんですが、壱樹の体温だけじゃなくて緊張まで伝わってきて……

 でも、きっと壱樹の頭の中もこれからするキスのことでいっぱいなんだろうなって思うと、それはおかしかったです。

 だって壱樹ってちょっとお堅いタイプなんですよ。まあ、そういうところもまたいいんですけど……


 えっ、『そんなことよりもキスの話をして』って?

 ……『顔が赤くなってる』とかそういう冷やかしは要らないですっ!

 んん、コホンッ!


 ……花火大会が終わったあと、『時間が遅いしお互いの家も近いから』って、壱樹が送ってくれることになったんです。

 途中、公園を通り抜けたんですが、『覚えてる?』ってやや低めの声で囁かれて……


 ち、ちょっとふたりとも騒ぎ過ぎですよっ。

 『えっ、覚えてるって何を?』って、まあ、そこは何だっていいじゃないですか!

 それと、ここからは割愛させてください。ふたりだけの想い出にしたいっていうか……


 腕? 腕がどうかしました?

 ああ、それは適当に……

 やっ、違いますって! とぼけてるわけじゃないんです。

 確かに腕を気にしてたのは私ですけど、腕なんて重要じゃなくて……

 あのときは勉強会の内容なんて、完全に飛んじゃってました。そんな余裕なかったです。 


 『失敗か成功かだけでも教えて』ですか?

 どういうファーストキスが成功なのかはわかりませんが、とりあえず失敗ではないです。

 『どうして?』って、それは……

 えへっ、壱樹の気持ちが伝わってきたんです。私が好きって。

 キスのあとで私も壱樹もめちゃくちゃ照れちゃったんですけど、壱樹の照れ笑いから、私の気持ちも壱樹にしっかり伝わったことが読めました。


 あはは、『勉強会のお陰?』って、ぶっちゃけあれは何の役にも立たなかったです!

 だけど勉強会が楽しかったことも含めて、ファーストキスはステキな想い出になりました。

 友歌先輩も陽帆もありがとうございました!

 ええっ、ふたりにアドバイス? そんなのないですよー。

 大丈夫ですって、好きな人となら! 大事なのは気持ちです。

 『無責任』って言われても……そのときが来たら臨機応変に対応してください!



END


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