04.こんな私でも
「…………呆れたわ。本当に屑だったのねあの男」
「まあ今頃は、この王城の地下牢で厳しく余罪を追及されてると思いますけどね」
「そうね。まあ自業自得だわね」
お義姉さまはそう言って少し笑ったあと、立ち上がって私のそばにやって来た。
何事かと思っていたら、突然私の前に跪いたから驚いた。
「本当にごめんなさい。貴女のその身も誇りも、守ってやれなくて」
なんとあの、お義姉さまが頭を下げたのだ。
敬われたこともなく、蔑まれるだけだった、この私に向かって。
「お嬢様の苦しみを救って差し上げられず、申し訳ありませんでした」
私の侍女もそう言って深く頭を下げてきた。
「ただ見張っているしかできず、本当に申し訳ございません!守ることもできなかったこと、深くお詫び致します!」
護衛騎士まで跪いて頭を垂れてくる。
何がなんだか、訳が分からない。
「あの、お義姉さま……?」
お義姉さまは、敢えて私を泳がせてあの男の罪を増やしたのだと、そう言った。ただ単にあの男を捕らえて排除するだけならいつでも出来たのに、そうすると公爵家の醜聞にもなりかねなかったから、公爵家を守るために捕縛のタイミングを選んだのだと。
「分かっています、お義姉さま。それで正しかったのだから、お義姉さまがお詫びなさる必要などありません」
そう。滅びるのはあの男と、私だけでいい。
なのに。
「いいえ。我が家にここまで忠を尽してくれた貴女を傷つけたまま見捨てるなんて、そんな恥知らずなことが出来るはずがないでしょう?」
そんなことありません。
だって私はもう、全て失ったのだから。今さら守ってもらうものなどありません。
「貴女の純潔は戻してあげられないけれど、貴女のその傷ついた心だけは、どうか癒やさせてもらえないかしら」
「そんなことを仰られても、もう私の幸せなんて」
「私では、駄目でしょうか」
苦悩に満ちたその声に驚いて顔を向けたら、跪いたままの護衛騎士が憂いに満ちた顔で私に右手を差し出していた。
「苦しむ貴女を救うこともできず、ただ見ているだけしかできなかったこの身の不甲斐なさをどれだけ憎んだことか。言葉のひとつもかけられず、貴女を孤独と絶望に苦しませておいて何もできなかったこと、重ねてお詫び致します」
唐突に騎士に詫びられても、どうしていいか分からない。私がそうして戸惑っていると、彼はさらに言葉を続ける。
「貴女の犠牲と献身の甲斐もあってお嬢様と公爵家は守られました。⸺ならば、今度こそ私は貴女を守りたい。どうか貴女の心だけでも、守らせてはもらえないだろうか」
守る……?
私の……心を……?
「貴女は御身を穢されたことでもはや人並みの幸せなど望むべくもないと、そうお考えでしょう?であればどうか、私のこの手を取って頂きたい。私をどうか、お側に置いて頂きたい。⸺私に、貴女を幸せにするチャンスを頂きたい」
まさか。
まさか彼は、私を選びたいというの?
何もかも奪われて全てを失い、未婚の貴族子女が何よりも守るべき純潔さえも守れなかった、社交界でも鼻つまみ者の、寄り添うことにメリットなど何もない、こんな私を?
「悪い話ではないと思うのよ」
戸惑い固まる私に、お義姉さまが言った。
「彼は子爵家の三男で騎士爵を持っているし、実家の持つ男爵位も継げると聞いているわ。今まで通りの生活とはいかなくても、この先困窮することはないと思うの」
それは……私にこの人と婚約しろ、ってこと?
「で、ですが、私はあの男に何度も穢されて、もうこの身にはあの男の魔力が混ざっていて汚らわしいだけなのに……!」
「私はそれを、汚らわしいとは思わない」
「…………え?」
「貴女があの男のせいで何度も吐いていたことも知っているのです。それほどの嫌悪感を、貴女が貴女自身のその身に抱いていることも知っています。ですが、それでも!」
騎士は一歩にじり寄って、私の手をそっとすくい上げ、手の甲を撫でた。
それはとても優しい手つきと温もりで、訳もわからないのに泣きたくなった。
「それでも私は、貴女を守りたい。その壊れた心と穢されたその身も含めて、貴女の全てを愛しています。愛させてもらえませんか」
「そ……んな……」
視界が揺れる。騎士の姿もお義姉さまのお姿もぼやけてゆく。
なんで、そんな。こんな私に価値などないのに。
「彼ね。苦しみ悶えながらも独りで耐える貴女を見ていられなかったのですって。あの邸に突入して、貴女をあの男の腕から奪い返したいって、何度もそう直訴されたわ。⸺ねえ、これほど熱烈に想ってくれるのだから、委ねてみてもいいのではないかしら」
だって私は……あの男と共謀した罪人で……
「貴女があの男と共謀したのではないことくらい、私も彼も知っているのよ。陛下にもそのことは奏上するし、貴女が裁かれることなどあり得ないの。事の顛末も含めて公表して周知もされるから、貴女を『純潔を奪われた悲劇の令嬢』と憐れむ者はいても『乗っ取りの共犯者』だと謗ることなど許さないわ。ええ、公爵家の威信にかけても謗らせるものですか」
けど私は……そもそも公爵代理の浮気の挙げ句に生まれた愛人の子で……
「まあそこはその通りなのだけれど。公爵代理には家を出てもらうし、あの愛人にも居座らせるつもりはないけど、貴女の身は養妹として公爵家で請けてもいいわ。だって貴女は、わたくしと同じ父を持つわたくしの妹なのですから」
ああ、そうか。
彼だけじゃなかったんだ。
考えてみればお義姉さまも、私のことを一度だって蔑んだことなどなかったわ。いつだって憐れむような目で見られていたからずっと蔑まれていると思っていたけれど、違ったんだわ。あれは本当に、ただ憐れんでいただけだったのね。
「私……こんな私でも……」
「いいのよ」
お義姉さまはそっと私の左手を取った。
右手は騎士の彼の大きな掌に包まれて、左手もお義姉さまに取られて。
もう涙を堪えることなんてできなかった。
泣きだしてしまった私を、立ち上がったお義姉さまがそっと抱きしめて下さった。その身に縋りついて泣く私の右手には、彼がキスを落としてくれて。
そうしてふたりの愛に包まれて、私はいつまでも泣き続けた。