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ハイヒールだって恋をする

作者: 鈴木叶緒

にわかファンですがよろしくお願いします。

 ロープの反動から前へと踏み出し一歩、二歩。顔を上げた時にはすでに避けられないほど近付いた肘が、喉元へと入る。

 背中から叩き付けられ、起き上がろうとするも咳き込みながら僅かに背をしならせるだけ。そしてカウントが始まった。

「1、2……3!」

 ブーイング混じりの歓声が上がり、体固めを解いて緩慢な動きで立ち上がる。レフェリーと共に腕を挙げながら、靴底で相手を押しやるように蹴ったのを見逃さない観客の怒号を聞き、覆面の下で口角が上がる。

 今日の対戦相手はデビューして間もない新人だった。脚本に縛られず試合が出来る楽しさはあるが、やはり物足りないと感じてしまう己の性。まだ経験の浅いお嬢ちゃん(ベビーフェイス)が、いずれ観客の期待するようなヒーローとなり悪に打ち勝つ。それこそが、真に自分が大衆から求められる時なのだから。




「すごぉい、本物の八太選手だあ! 私、大ファンなんですよ!」


 お客様の知り合いの知り合いのそのまた知り合いのお客様と共に来店したのは、長年憧れていたプロレス選手だった。自分を沼へと引きずり込んだお客様が引くほど彼を推していたため、サプライズとして連れてきてくれたのだろう。普段とは違う仕草や服装に、仕事だというのも忘れてドキドキしてしまう。

「本当に? いやー嬉しいなぁ、女性のヒールファンってあんまりいないからさ。」

「だって、カッコいいじゃないですか! プロレスを見ないってだけでも人生損してるのにぃ。」

「エリナちゃんはガチだからね〜。」

 側頭上部で結い上げた、明るい茶色の巻き髪が揺れる。シャンデリアの灯りを反射してきらめく指先で口元を抑えながら笑う姿に、まさかデスマッチも嗜むキャバ嬢がいるとは思わないだろう。

 観戦した興行、購入したグッズ、直接見られない試合は放送や配信があれば必ずチェックする。全て事実だが、お客様の気分を上げるのも大切な業務の一つだ。


「この前も女子プロ見に行ったんですよ。クイーン・アルマンディン対りりあ☆ナナの試合。」

「へー、アルマの。」

「平田様と同じ所属ですよね? ヒールの人って普段どんな感じなんですか?」

 思いがけず略称が出た事に顔が緩まないよう耐えるが、次の瞬間、口から出た言葉にエリナは絶句する事となった。


「あいつ、いつもこえーからなあ……。」




 その日、彼女は荒れていた。

 対戦相手をいつもより多めに回して放り投げる。勢いを殺せず場外に転げ落ちた相手の位置を確認し、くぐり抜けたロープに足をかけてラ・ケブラーダで追撃。腹部を押さえのたうち回るのを尻目に、おもむろにパイプ椅子を手にした。怒号も熱狂もお構いなしとばかりに脚を持って高々とかざして。

 誰もいない空間に振り下ろした。

 一発、二発とパイプ椅子の背もたれを床に打ち付ける様は縄張りを主張するゴリラか、はたまた八つ当たりするゴリラか。この試合を見ていた観客は後にこう語った。「いつものアルマが100こわいとしたら、今日のアルマは1000こわかった」と。


 そうこうするうちに平衡感覚が戻りつつある対戦相手がなんとか立ち上がったのを見て、役目を終えた椅子を先程のように投げ捨てる。

 助走を付けたラリアットを受けて倒れ込む。足を抱えられ体重をかけてきたのをブリッジから反動を付けて起き上がる。お返しにと胸元に張り手を叩き込み、相手が咳き込んだ辺りでカウントも半ばを過ぎたのでリング内へと舞い戻る。悪役らしく、ロープの内側から煽る事も忘れずに。

 戻ってきた相手に景気よくドロップキックをお見舞いする。髪を掴んで引き上げながら腕を拘束すると、体を捻りながら足をかけられ、体勢を崩しながら押さえ込まれる。こいつは確か柔道経験者だったか、そんな事を思い出しながら全体重をかけた責めから肩を浮かせ逃げ出す。スタミナはこちらが上、しかし絞め技では何度も落ちかけた事がある。


 固めては抜け出し、蹴り出した足を掴まれては捻り落とされる。膝をかばいながら身を屈めてエルボーを避け、返ってきたのを正面からぶつかり押さえ込む。お互いに息も上がってきたが、身をよじって拘束を解く側も、頭突きされ離脱する側も会場の熱気を受けて立ち上がる。

 順調だ。そろそろ頃合いか。頭を抱え込み床に落とす。一度エプロンサイドに出てからコーナートップに登る。観客席を向いてロープに足を乗せ、屈伸の後に勢いよく蹴った。リングに沈む対戦相手が身じろぎする。その場所目掛けて、ムーンサルト・プレス。

 着地の衝撃と共に、そこには誰もいない事を知った。




「よう、お疲れさん。」

 更衣室を出ると、声をかけてきたのは平田だった。膝にテーピングをしてから出たので自分の他にはもう誰もいないのだが、ずっと待っていたのか。

「お疲れさまです。」

「良かったぞ、今日の試合も。」

「ありがとうございます。では。」

 所属する団体は最大手ではないが、人数に差はあるものの男女共に選手が在席する団体としてそこそこ知名度はある。今日は女子のみの興行だったが、手伝いがてらこうして他の選手が見に来てくれる事もあった。

 しかし、会話を続ける気はなくさっさと通り過ぎようとする。それに合わせて平田も付いてくる。


「お前は飲み行かねえの?」

 競い合うとはいえ同じ会社、プライベートで仲の悪い選手などほとんどいない。しかし、彼女が人付き合いを避けている事は周知の事実だ。それも特定の相手ではなく、団体の皆に等しく。

「今日は参加しないと伝えてあります。」

「今日も、だろ。今時アフターファイブとか言わねえけどさ、たまには顔出してもいいんでないの。」

 興行の後には選手同士で打ち上げをする事が多い。近年では飲み会の強制参加がハラスメントに当たるとはいえ、それが男女関係なくとも、地方の興行でも、今までに彼女が参加した飲み会はなかった。

「練習生の子がさ、お前の事、なんか取っ付きにくいって。ヒールの人って普段からあんな感じなんですかって聞かれちゃったよ。」

 話に上がったのは、半年ほど前に入ってきた若い女の子だ。昔ほどブームではないが、プロレスに憧れる女性はまだまだ多い。あの子も十中八九アイドル路線を目指すのだろう。元より親しくするつもりはないので取っ付きにくくても全く構わないのだが、それを先輩である平田から言われると特に腹が立つ。

「今日の試合も完璧だったよ。お前は演じる事も細やかな配慮も出来る。俺らヒールにとって大事なものを、お前は最初から持ってた。なんか今日は一段とこえーなって思ったけど。」

 その一言につい反応してしまう。SNSで交流しているファンの事。見せられた自撮り写真に写っていたのは、純粋にプロレスを楽しむ、痛みも苦労も理不尽も知らなさそうな可愛い女の子。客商売のプロだからと、程よい距離感の保ち方や返信のコツなんてアドバイスを求められた時の歯痒さと言ったら。

「なあ、なんかあったのか。別に話したくないなら聞かねえけどさ。」

 その癖、他人が気付かない機微にも敏感で、それとなく心配してくる優しさも。

「別に何でもありません。問題を起こしてる訳じゃないし、心配しなくても大丈夫です。『みんな』から『こわい』って思われてるのは知ってますし。」

 あなただって、そう言っていたじゃないか。つい出てきそうになる場違いな恨み言を飲み込んで、また歩き出す。今度こそ平田は付いて来なかった。マスク越しにでも、こんな顔をしているだなんて知られたくなかった。


 彼に憧れてプロレスラーを目指した事など、一度も言った事はない。ただ追いかけるだけのファンではなく、同じ目線で立つ仲間になりたかったから。

 それが恋でも、叶わなくてもいい。自分のなりたかった自分はここにいると、誰よりも自分が否定したくなかった。それでも。


(どうせ私は、可愛くなんかなれねえよ!)


 キャバクラ勤めのエリナは、世を忍ぶ仮の姿。

 覆面ヒール女子プロレスラー、クイーン・アルマンディンは心の中で吠えた。


女子プロ見に行きたいです。

田舎だから興行なんて滅多に来ないんだよ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/14 07:20 退会済み
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