旅立つ時〜想いをのせて〜
お読み下さり、ありがとうございます。
仙道様の素晴らしい楽曲に合わせてお読みいただけたら、とても嬉しいです。
朝露に濡れた草をギュッギュッと踏みながら、草原を進んで行く。
見晴らしの良い丘へ着くと、男は風を体に受け褐色の髪を揺らす。朝日に目を細め……目印となる大木へ向かって歩き出した。
目的の木の下まで来ると、大切な者の名が刻まれた墓石の前で膝をついた。
「……お別れを言いに来たんだ」
今にも泣きそうな笑顔で、そう語りかけた。
◇◇◇◇◇
『どうして人間がいるの?』
『ほら、おきて、おきて』
『すぐにオオカミがきてしまうよ』
『にげなきゃ食べられちゃう』
森の小さな生き物たちは、必死で訴えている。
(……だれか、いるのかな)
見窄らしい姿の子供は、草むらに横たわり重たい目蓋を開く。だが、聞こえたはずの声の主は見つけられない。
(そら耳……?)
朦朧とする頭は考えることを放棄し、再び目を閉じた。
――ガサッ! ガサガサガサ……
「なっ! 馬鹿な……なぜ人間が!?」
草を掻き分けやってきた男は、ギリッと歯を鳴らし、憎らしげに瀕死の子供を見下ろした。人間の臭いが鼻につき、怒りで瞳は赤くなる。
いつの間にか、半狼の姿になった獣人は子供の喉に向かって牙を剥いた。
その首に触れるか触れないかのところで、子供はうっすらと目を開ける。弱々しい笑みを浮かべると、ポソリと呟き、そのまま意識を失った。
◇
褐色の狼は、人間の子供を背中に乗せて森の中を走っていた。自分の胴にツタで子供をくくりつけて。
(……何をやっている、俺は!)
狼は自問自答しながら走り続ける。
人間は、敵。獣人を……魔物だからという理由だけで、排除しようと嫌な罠を仕掛けてくる生き物だ。
(それで、大切な妻の命も奪われた。俺の身代わりになって。なのにっーー)
『お……とうさん……』と呟いた子供の声が耳に残っている。その言葉で、男は理性を取り戻した。
聞く事の出来なかった、妻の腹の中にいた自分の子の声。
(こいつは、人間で俺の子じゃない)
そんな事は分かりきっているのに。親と勘違いしたのか、人間の子供は……愛おしそうに獣人の男を見たのだ。
男は、自分の子の姿を人間に重ねていた。
◇
「おい、ラウル! サシャは居るか?」
「ロラン様、すみません。サシャは洗濯に、川の方へ行っています」
「ああ、そうか。ならば、帰ったら渡してやれ」
ワーウルフの長であるロランは、ラウルが連れ帰った人間を受け入れてくれた。
もともと、人間との争いを望まなかった長。
寧ろ、連れ合いを亡くしたラウルの方が人間を憎んでいた。
実力主義の獣人の世界。
長のやり方に納得出来ずに、何度もラウルは戦いを挑んだが……全く歯が立たない。そう、力も器も。
突然人間の子供を連れてきたラウルに、理由も聞かず仲間を説得し居場所を作ってくれた。
(……やはり、長には敵わない)
ラウルは、ロランから受け取った麻袋いっぱいの果物を、涼しい場所に置く。
サシャは、名前以外の記憶は無かった。あんな状態だったのだから、酷い暮らしをしていたのだろう。
口下手なラウルと違い、ロランは人間のサシャと直ぐに打ち解けた。
ラウルよりも、ロランの方がよほど父親の様だ。
「ただいま、お父さん!」
元気よく帰ってきたサシャに、複雑な胸の内を悟られないよう、ラウルは微笑み「お帰り」と言った。
◇
――それから数年が経ち、サシャはすくすくと成長し、少女から女性になっていた。
人間とは違い、長命の獣人族は、初めてサシャと会った日から殆ど外見が変わらない。
小さな頃は、ラウルに少しでも追いつきたくて喜んでいたが。それの意味を理解し始めたサシャは、時折……何かを思い詰めた表情をするようになった。
そんなある日。
森に戦火が降り注いだ。もちろん人間の仕業だった。今までの罠とは違い、明らかに獣人を狩りに来ていた。
どうやら、目的は魔物から取れる素材。弱い者は生きたまま捕らえて、奴隷にするつもりだ。
ロランとラウルについて、サシャも仲間を守る為に必死で戦う。普通の人間でしかないサシャは、2人に剣を教えてもらい、腕前もかなりのものだった。
相手が同じ人間だとしても、サシャの家族はラウルだけ。迷いなどない。
やっと、人間達が撤退をしだすと、サシャの肩から力が抜けた。
(あとは皆と合流するだけ……)
「サシャ! まだだ!」
ラウルの叫び声が聞こえた時には、サシャに向かって大量の矢が放たれていた。
◇
その後、戦いは終わった。
いや、今回の襲撃が終わったと言うべきか。
長であるロランは、人間に壊滅させられた村を捨てる事にした。
仲間の命を守ることを最優先とし、魔界への移住を決めたのだ。勿論、反対する者など誰も居ない。
たとえ、日の光を浴びる事ができなくなったとしても。
自らを盾にし、背中に無数の矢を受けながら、仲間を護り戦いぬいたロランは……長と言うより英雄だった。
◇
「ラウル、お別れは済んだか?」
いつの間にか、ラウルの背後にはロランが立っていた。
「どうして、ここだと?」
「黙ってお前が居なくなるとしたら、此処しかないだろう? 俺も、彼女にお別れを言わせてもらおう」
ロランも膝をつき、しばらく2人で思い出話に花を咲かせた。
「あー、やっぱりここだった。お二人だけでズルいです!」
息を切らしながら、スカートを摘まんで走って来たのはサシャだった。
「いやな、母さんとゆっくり話がしたくてな」
バツが悪そうにラウルは言った。
「あ、ロラン様。移住の件で皆んなが探してましたよ」
「そうか、悪い悪い」と頭を掻きながら、ロランは村のあった場所へと戻った。
「私も、お母さんにお別れさせて下さい」
サシャは、両膝をつき手を組んだ。
「……サシャ。随分と長くないか?」
「ふふっ、そうですか? たくさん伝えたい事があったのです」
サシャに向かって放たれた矢は、咄嗟に飛び出したラウルの背によって行手を阻まれたのだ。
更に、その背後にはロランが居て2人は助かった。
「お父さんに助けてもらった事とか、たくさん」
「……いや、あれはロラン様が」
「違います。お父さんが私を守ってくれたのです。初めて会った、あの日からずっと」
サシャは、絶望感から生きることを諦めていたのだ。
けれど、首に噛みつこうとした狼を見たら……自分より余程辛そうだった。無意識に、大好きだった父親の姿を重ね『泣かないで』と微笑んでいた。
「一緒に居て……お父さんは、私のお父さんじゃないとよく分かりました」
(俺は、父親の器でも無かったのか……)
サシャの言葉に、ラウルはグッと拳を握る。
「だから、今お母さんにお願いしました」
「………」
「お父さんを、いえ。ラウル様を私に下さい、と」
「ああ……ん? ええっ!?」
真剣なサシャは、ラウルから目を逸らさない。
「本気か?」
「お母さんの前で、こんな嘘言いません」
ラウルもまた、自分の想いに気付いていた。サシャと仲の良いロランに嫉妬していた事も。
「私をラウル様のお嫁さんにして下さい」
「……ああ」と呟いた口下手なラウルは、震える腕でそっとサシャを抱きしめた。
◇◇◇◇◇
獣人の一行は、ぞろぞろと魔界に向かって歩き出す。
草原の丘からの風は、大量の花びらを乗せて優しく吹いた。皆の門出を祝うかのように。
サシャは、丘を振り返ると嬉しそうに笑みを浮かべた。
(お母さんのように、今度は私がラウル様を守ります! 見ていて下さいね)