魔族の襲来
アラン達は現在、ジェネクトリアから数十キロ離れた村、コッピロックで、獣や植物の採取を行いながらそれを換金したり、街から依頼された仕事をこなしながら、金銭を稼いでいた。
「ふう、今日も疲れましたね……」
「今日もお疲れ様、今日は三件の依頼をこなして、それでいて換金用の素材集め、だいぶ頑張ったね~」
女神はアランに野菜や薬草などの草花を擦って作った飲料が入った瓶をアランに渡すと、アランの頭を優しく撫でる。
「ちょ! やめてくださいよ!」
頬を夕日のように真っ赤に染めながらながら女神の手をどかすアランに、女神は少し残念そうな顔をするが、そのあとすぐに嬉しそうに笑った。それを見て、アランも頬を赤らめながら微笑むと、瓶のふたを開け、勢いよくそれを飲み干す。
「相変わらずとてもおいしいです! おいしいのに、栄養もあるなんて、こんなにも素晴らしいものが作れるなんて、女神さまもたまにはいい事をしてくださいますね!」
「一言余計……まあ、いいか。おいしいでしょ~私特製の野菜ジュース!」
「野菜、じゅうす……?」
アランは聞きなれない言葉に小首をかしげた。アランは魔術や言語学、歴史などの、学問においての知識はとんでもない量頭に入っているが、料理、は無縁である。何も知らないので、きっと料理を知っているものの中での用語のようなものなのだろうと思った。
「まあ細かいことは置いといて、とりあえず、早いところ村に戻って、依頼物の納品と獣の退治報告して、ゆっくり休も!」
アラン達は楽しそうに村へと向かい歩いてゆく、夕日が二人を見つめている。少し眩しがりながらも、アラン達はゆっくりと、家路をたどって行った。
夕日が落ちてうっすらと暗くなる。なのにまだ夕日は見つめている。外は暗いのに、陽は落ちていない。アランは何かを感じ取る。今まで感じたことのない気配。背筋だけが凍っているような、おかしな感覚がアランに付きまとう。アランは焦る。このおかしな光景に、おかしな感覚に焦る。恐怖がやってきた。アランはそう思った。一方、女神は冷静に、アランに状況を伝える。
「魔族だよ」
アランはその言葉に覚えがあった。かつて自分が戦うことになるはずであった、世界に突如として現れた、人類の敵。
「待って」
振り返って攻撃を仕掛けようとしたアランを、女神が止める。
「目を合わせないで。目を合わせたら……」
「死ぬ、ですか?」
「なんで先に言っちゃうのかな」
女神はいつものふざけているようなテンションではなかった。きっと本当はいつも通りのテンションで言いたかったのだろうがそんなことが出来る状況でも無かった。逃げることは不可能、かといって、目を合わせたら死。戦えるわけもない。
「でもおかしいです。魔族がこんなところに居るわけがありません。もし進攻してきていたら情報が各地に伝えられるはずです」
魔族が占領しているのは、こちらからはるか遠くに位置しているゴルーナシヴァリャ大陸。もし仮に進攻してきていたとしても、各地に必ず情報が行き渡る為、すぐに分かるはずなのだ。
「本来はそのはずなんだ。このシステムが発動するってことは、気づかれてるね」
妙なことを言う女神に、アランはどういうことかと聞くが、女神は顔を曇らせ、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
「でも早すぎる。いくらなんでも……今回は絶対に……」
その瞬間。魔族は退屈していたのか、待っていられないといった様子だった。「グオオオオオオ!」と低い唸り声を上げた。アランは魔族が何をしているのか分からなかったが、確実に攻撃を仕掛けてきている事だけはわかった。あの禍々しい恐怖感が、ぐんぐんと近づいていた!
けたたましい音と共に、アラン達が立っていた地面に深い穴が生まれる。アランは咄嗟に女神を抱きかかえ回避をしていた。女神は無傷だったが、アランは魔族の打撃に掠る程度に当たってしまっていた。服の背中部分は破け、そこからは血液が勢いよく流れていた。
「うぐッ……」
アランのその声を聞いた女神はようやく我に返った。そして現在の状況を目の当たりにし、目を見開く。自身の純白のような肌は、人間の血液が付着していたのだ。
「あ、あア……ラン?」
女神は何故か安否確認を取った。どういう状況下に立たされているか分かっていた。受け入れられなかった。この出血量だと、アランは持ってあと数分といったところ。その数分の内に魔族を撃退し、アランの止血をしなくてはならない。しかし止血の為の包帯もない。薬もなければ縫い針もない。ガーゼなんてこの世界にはない。女神がそんなことを考えている間にもアランは噴き出す。命を液状にしたものを。
「だい、じょうぶ……です。動けます……」
アランはそう言っていたが、表情は本音を漏らしていた。依頼をこなしたりなどによる疲れに、激痛と出血、今すぐ休みたい。早く楽になりたい。と。
「とにかく、絶対そいつの事を見ないで! 痛みと疲れの軽減くらいなら……」
女神は赤く染まった両手を組み、目を瞑ると、何か歌のようなものを口ずさみ始めた。言葉などではなく、一定の間隔で「あー」というだけだ。やがて、女神の体中がふわふわと光始めると、その光がどんどん、アランへとくっついていく。
「何が……」
何が起こっているのか。そう言おうとしたが、アランは途中でそれを辞めることにした。わかってしまったのだ。痛みがない。疲れもない。神の力が自身に宿っているのだと理解した。
「痛みと疲れをなくしただけ。血は止められないから長くは持たない。魔族を撃退してからじゃないと止血をする時間もない! こんな危険なことはさせたくないけど……アラン、目を瞑って!」
女神に言われた通り、アランは目を瞑った。まさか、とアランは一瞬嫌な予感がしたが、自分はこの女神と出会った際、命を賭けると契約している。この程度でひるんではいられないと、覚悟を決めることにした。
「私が指示を出すから、アランはその通りに動い……」
女神が説明をする間もなく、魔族がアランめがけて拳を振るった。
「左に避けて!」
アランは瞬時に理解した。指示を出すからその通りに動けということだと。アランは女神に言われた通り、左へと軽快に飛び跳ねた。アランは先程の魔族が地面を殴った際の音を聞いて、その範囲などをおおまかに把握していた。普通の状態では回避不可と判断し、あの瞬間、身体強化魔術を使用し、身体能力を大幅に増強させることで、回避を試みた。地面に跡が着くほどに、力強く、地を蹴る。回避は成功したのだろう、体に衝撃を感じることは無かった。しかし、目が見えない為か、着地に失敗してしまったのだ。足首が「ゴキッ」と嫌な音を立てるが、今は痛みを感じない。すぐに体制を立て直し、女神の指示を待つ。
「アラン! 姿勢を低くしてそのまま前に走って!」
女神からの声を聞き、アランはすぐに少しだけ背中を曲げ、そのまま勢いよく前へと走り出した。背を曲げながら走るというのがこれほど走りにくいのかと思ったが、その程度の事で姿勢を戻そうものなら、自身の体がどうなってしまうのか、アランはわかっていた。死だ。
「そこで飛んで! なんでもいいから魔術を!」
アランは言われた通り思い切り地面を蹴り、空へと舞う。しかし、ここでアランの脳裏に、過る。本当にこの方向で合っているのか。もし間違えてしまった場合、別の被害を生んでしまうのではないか。と。アランは空中にいることもあってか、方向感覚が狂っていた。左も右も、上か下かもわからない、そんな状態で魔術を撃ち放って大丈夫なのか。と、本来、気にすべきではないことが、過った。しかし、その過った思考は、次の瞬間、自身に走ったものすごい衝撃と共に、遥か空へと吹き飛ばされた。
鈍い音と共に、アランは自身が魔族の攻撃をもろに食らってしまったこと、そして、思い切り吹き飛ばされている事を理解した。痛みは無かったが、衝撃や風は感じることが出来る。アランは、これはチャンスなのではないかと思った。衝撃は自身の左から右へと駆け抜けた。そして現在、風の感じ方から想像するに、右へと飛んで行っている。つまり、魔族がいるであろう方向は、自身の左側。この勢いからしてそこまで速い速度で飛ばされていない。そして幸いなことに、自身の体は回転していない。
「そこにいるんだな!」
それ以上、考えることは無かった。アランの中で、既にこの問題は解けていたのだ。右手を魔族がいるであろう方向へと向け、頭の中で何かを浮かべる。それはやがてアランの手のひらへと蓄積されて行き、一つの塊のようになってゆく。その蓄積したモヤのようなものを、アランは自身の手のひらから解き放つように、すっと頭を空にする。モヤはまるで、酷いことをする飼い主から逃げられたことを、自由になれたことを喜んでいる子犬かのように、魔族の方へと駆けてゆく。強い衝撃と大きな音と共に、魔族が先程とは違う、うめき声のようなものを上げる。
成功したと、アランは理解した。そして目を見開いた。あの謎の恐怖がどんどん小さくなっていく。辺りには、キラキラと光の粉のようなものが俟っていた。そして、アランは自身の体を目の当たりにすることになる。骨が粉々になったのか、変な方向に曲がっている左腕、胸を突き破って出ている肋骨、その衝撃のせいか、左の脇腹のあたりに穴が開いて腸が飛び出ていた。そして、そのまま地面にたたきつけられる。痛みは一切感じなかったが、地面に打ち付けられたのか、肺が圧迫され、一瞬息が出来なくなる。
アランは酸欠になったのか、それとも出血しすぎたのか、目の前が徐々に暗くなってきているのを感じていた。死ぬ。そう思った。少しづつ意識がどこか、深いところへ吸い込まれてゆく。そして……
意識が完全に無くなった。
* * *
目が覚めると、そこは白い部屋だった。窓から指す光が少し鬱陶しい。ふと横を見ると、誰かがいる。誰高はわからない。
「――――――?」
誰かは何かを話しているが、全く理解できない。何も聞こえない。
「――、―――――――。」
それに返答をする。
「――――! ―――――――?」
誰かは少し嬉しそうに、言った。