人殺しの腕輪(大切な人からの贈り物)
窓から差し込む日差しと、積み荷を運ぶ馬車馬の鳴き声と、積み荷を確認している人の声。鳥が屋根の上を歩き回っているのか、コツコツパタパタと、歩き回る音が聞こえてくる。少年は既にベッドを整頓し、毎日掃除をしているであろう綺麗な部屋の隅に置かれた椅子に腰を降ろし、紙の角の方がめくれている本を片手に、ほんのりと葉の香りが混じった湯気が出ているカップに注がれた紅茶を啜る。
「昨日勉強したところは……覚えてるな。良い調子!」
少年はパタリと本を閉じ、本棚へ戻すと、身支度を始める。動きやすそうな服に着替え、ジェネクトリアの紋章が刺繍されたローブを羽織り、首には魔力結晶という、魔力の維持や放出などの、魔力操作をする為の結晶を加工して造られた真珠の首飾りを着け、扉のすぐそばに置かれた姿見を見つめる。少年は小さく頷き、部屋を後にする。丁寧に扉を閉め、そのまま外に出る。まだ日はそこまで出ているわけではなく、眩しさは感じなかった。少年は、すれ違う全ての人々に挨拶を交わし、時に軽く談笑し、時に無視され、様々な反応を楽しみながら、目的地であるジェネクトリア城へと歩んでいった。本日は、少年にとって特別な日であった。ジェネクトリア王国トップレベルの実力と実績を持つ、世界最強と謳われた冒険者パーティでの初仕事。少年は緊張などはしていなかった。
「お、来たな。一番乗りだぜアラン」
城門の前には、その冒険者パーティのリーダーにして、ジェネクトリア王国名誉騎士、勇者と呼ばれる十五の少年、レペアートが、本を片手に城壁に寄りかかっていた。
「あったくよぉ……新人が先に来るとか、同い年とはいえ、アイツら先輩としての威厳はねぇのか? もうすぐ本が読み終わっちまうよ」
「あはは、まあまだ予定時間の十分前だし……」
「にしたってよぉ……お、噂をすればなんとやらだな」
アランはレペアートのその言葉を聞いて、誰か来たのだろうと辺りを見渡したが、人ひとり見えなかった。その様子を見たレペアートはちょいちょいと上を指さしていた、最初は理解が出来なかったが、すぐにアランは理解する。
「魔術ってホント便利よね~。火は起こせるわ水はだせるわ、空も飛べるわで、完璧ね」
飛行魔術、風の魔法を様々な強さで、様々な方向から発生させた後、環境と浮かせたい物質の質量にを魔術式に組み込むことで鳥のように飛行が可能になる。しかし、詠唱するとなるとそれだけで一時間はかかるし、魔力の放出量も高い為、正直なところ、歩いたほうが効率的である。
「でも魔力出しすぎるとぶっ倒れるぞ。あと身長も伸びねーらしいぜ」
「関係ないわ! 一言余計よ、死になさい!」
デイヤは顔を膨らませながら、ゆっくりと地面に降りてくる。
「あっはは! 風船みてえに顔膨らませてんのに、なんで降りてきてんだよ!」
「ほっんとにうざったいわね……その性格も魔術で治せれば素晴らしいのに」
「俺の性格治すより先に、身長を伸ばす魔術でも研究しときな」
デイヤはやり返そうとするが、レペアートに更に大きいカウンターを喰らってしまう。やわらかそうな頬がうっすらと赤く染まると、肩をすくめながら、腕を小刻みに震わせていた。
「全く、朝から仲がいいな」
「お二人、まだ寝ていらっしゃる方がいますから、お静かに~」
レペアートとデイヤの痴話喧嘩を止めるように、テメットとローリエも到着する。
「ようし、揃ったな! それじゃあ、まずは、俺達の新しい仲間に、今一度感謝と歓迎をしよう!」
先程まで壁に寄りかかりながら、デイヤと無邪気騒いでいた少年の姿は消え、そこには、冒険者としてのたくましく、誇らしい勇者の姿が現れる。アランは一瞬戸惑うが、自分の憧れの存在を前に、体を震わせる。抑えきれない歓喜を、アランは深呼吸で外へ逃がした。
「さて、アラン・ヒルヴァベル。これからお前は、自身の命を賭け、世界を守る使命が授けられる。それを誇りに思い、これからの困難と苦を乗り越える覚悟はできているか?」
アランの答えは決まっている。物心着いた時からの夢だった。何がきっかけで夢が決まったのかはわからない。だが、そんなことはどうだっていいのだ。今重要なのは、自分がこの誓いを了承できる器に達したのかを確認し、勇気を持って一言発することが出来るかだ。勿論そんなの決まっている。出来るとも、出来るに決まっている。
「覚悟……出来てます!」
瞬間、その一言を合図に、周りに魔力から生まれた炎が空を舞い、風がアランの想いを世界中に伝えに行くかの如く吹き、水が弾ける。デイヤによるものだろう。ローリエとテメットはアランに対して、笑顔と拍手、そして敬意を送った。新しい世界の始まり。その世界の空気は、今まで自身の肺に入っていた古い世界の空気を全て吐き出させ、入れ替わる。デイヤの水魔法の影響か、空には虹が架かる。
「それじゃあ、アラン、お前に、このチームのメンバーを代表して、そして、冒険者として、友人として、お前にこの腕輪を送ろう。世界に一つしかない、お前だけのモノだぜ」
アランは、レペアートに渡された想いを受け取ると、それを、自身の利き手である右手首に、丁寧に装着する。何故だか、アランにはそれが、紫色に輝いている気がした。魔力に反応しているのだろうか。
「これ……」
アランは腕輪の色を見て、驚きのあまり、その場に崩れこんでしまった。
「どうした、貧血か? しっかりしろよ――」
アランは、レペアートの言葉に、気を失いそうになってしまった。この世界には、世界や国に大きな貢献をしたものに対して贈られる称号がある。鞘や杖、スカーフや腕輪と、贈呈されるものは様々だが、それには共通hの特徴がある。純金で出来ており、そして、自身が在籍している国の紋章。そして、国王の名前と、贈呈された者の名が刻まれている。
「――名誉魔法使いさん」
魔法使い、それは魔法と魔術を極めた魔術師に与えられる呼び名である。この世界の人類史は数千年、その中で、魔法使いと呼ばれた者は一万弱。つまり、魔法使いと呼ばれるレベルまで魔術を極めれば、歴史に自身の名が乗り、生活に困ることは無くなる。それほどのモノを、アランは本日、贈呈された。言葉が出ない。息が出来ない。
「これがあるから、こんな朝っぱらに集合するようにしといたんだ。良かったぜまじ」
力を失ったように崩れこみ、涙を流しているアランを見たレペアートは、軽く微笑んだ。そして、少しだけ、目から何かを垂らしていた。
* * *
「この腕輪は、そうして頂いたものです」
森の木々達が、少年の思い出話に耳を傾けているようだった。女神を自称する少女は、少年のその話を不快そうに聞いていた。
「アラン、言いにくいんだけどさ、それは、そんな大層な物じゃないよ……」
少女はあの美しい声を曇らせながら言う。魔力欠如症という、肌に触れた者の魔力を吸い取り、空にする病気を引き起こし、やがてその吸い取った魔力によって、腕輪に埋め込まれた術式が発動される、魔族達が人を殺す為に作った兵器、人殺しの腕輪であると。
「アラン、今君はこれを聞いてどう思った?」
少女は、何もない少年の、何も映っていない目を見て、聞く。少年はあっさり答えた。何も思わなかった。妄想だと思ったからだと。
「それね、金で出来てない、ただの鉄の塊、それを塗装して、字を掘っただけ……嘘だと思うなら、引っ搔いてみて」
少年は少女に言われた通り、腕輪の表面を爪で引っ掻く。そうすると、やがて爪のが金色に染まり始める。金箔のようなものが、爪の中に入っていた。本当だったのだ。少年がそれを掻くたび、どんどん金箔が剥がれていく、少年は、その中に、自身の想いと、名誉が含まれていると知る。腕輪はやがて、美しい金のリングから、禍々しい浅黒いリングへと姿を変える、それは紫色の毒々しい光を発しており、それを見た少年の心に、どんどん穴をあけていく。
「その光を見ちゃダメ!」
少女は途端に少年の目を隠す。勢い余って少年は背中から地面に倒れてしまう。少女は少年の後ろに居た為、少年の下敷きになってしまった。少女の発達した臀部は潰れ、胸部は少年に触れ、今にも破裂しそうになってしまう。本来であれば苦しさを感じるだろうが、少女は顔色一つ変えなかった。それは彼女が、人でないということを証明する証拠の一つに変わって行った。
「いまさ、私の胸が、君の背中にすっごい圧迫されてるんだけどさ、君はこの状況に何を感じてるかな?」
少女の言葉は何のいやらしさも誘惑も感じさせなかった。少女もまた、顔色一つ変えない。いたって冷静だった。そして、顔色一つ変えないのは、少年も同じであった。
「やわらかい、そして、背中が圧迫されて少し苦しい、とか」
少年は、決して、今にも溢れそうな色情を自身のプライドの為に押さえつけている訳ではなかった。何もなかった。少年の心に、感情は、無かった。
「苦しいところ悪いんだけど、そのまま聞いて。その腕輪が私の言っている通りの物だって、信じてもらえるかな?」
少年ははい、とだけ返事をする。
「ありがとう。それで、その腕輪に埋め込まれた魔術はね――」
感情の消失。それは人にとって重要な精神の部分の破壊を目的とした、魔族達によって編み出された闇魔術の一種である。感情を殺すことで、その人間をもぬけの殻にすることで、人間の侵攻を物理的に、触れることなく阻止するという考えから生み出された。そしてそれを解くことは人間の魔術では出来ない。
「でもね、私なら、それを解ける」
「だから、僕の元へ?」
女神は少年のその問いに、笑顔で否定した。
「詳しい説明はあと、それで……その腕輪に閉じ込められた君の魔力と感情の開放についてなんだけど……」
少し後ろめたそうに、少年をできるだけ視界に入れないようにしながらそう言った。その開放に必要なことは、少年にとって、思い出の品を破壊することだと知っていたから。きっと否定されるだろうと思っていたからだった。しかし少年はあっさりと、それでいいですとだけ言うと、眠るように目を瞑り、何も言葉を発すことはなかった。少年は現状を受け入れていた。それを知った女神はわかったよ、と言うと、体制を変えるためか、少年を起こし、少年に向かい合うように座り込む。そして少年の腕輪に触れ、何かを唱え始める。それは、人の言葉の用で、人の言葉ではなかった。少年は聞いたことがあるようだけれど、全く理解できないその言葉に、どこか懐かしさを感じていた。
「さあ……開放するよ……」
女神がそう言った瞬間、腕輪が激しく光出す。色は赤、青、黄色だけではない、紫に白に、黒に、様々な色が腕輪から飛び出す。その激しい光は瞼という壁を乗り越え、少年の目から脳を伝い、少年の意識を刺激する。少しづつ消えていく意識の中で、少年は過去の映像を見ていた。
「おいアラン、俺のおすすめリストだぜ、図書館においてあっから、探してみてくれよ!」
それは友情の記憶――
「アラン、お前すげえな! ほんとお前がうちに来てくれて助かるわ!」
それは喜びの記憶――
「残念だが……お前はうちには要らねえんだ」
それは、怒りの記憶――
「こんな風にしたのは君のくせに……僕を、僕を……こんな体にしたのは君たちの癖に!」
静かだった少年は突然叫ぶ。醜かった。恨んでいた。少年の憧れの存在は、少年にとって、憎むべき復讐相手となっていた。少年は叫ぶ。憎い。憎いニクイ。殺してやりたい。
「殺意。敵意。憎悪」
少年の吐き出す言葉はもはや理解できなかった。ただただその言葉に、声に込められた感情だけが、流れていく。女神はそれを聞くと、目に透明な雫を浮かべる。その雫はやがて大きく膨れると、そのまま破裂し、頬を伝っていく、雫の通り道はやがて川となり、どんどん液体を流した。涙と呼ばれている液体を。
「本当はね、君のその気持ちは、魔術による偽りだなんて嘘をつきたいんだけどね……それが、君の本心なんだ、あの優しい君の……君の……」
女神は声を震わせながら、少年にそう告げた。少年の叫びが少しずつ小さくなり、やがて、止まる。少年の目には光が差し込み、少年の心は感情によって満たされる。少年は。心を取り戻したのだ。
「ルシフェリオン様……」
少年は、涙で顔に水たまりを造っている女神の名を呼ぶと、その頬に触れた、それはまるで、女神の悲しみを受け止めるようだった。
「ありがとうございます。僕の為に、悲しんでくれて」
決して慰めるための言葉ではなかった。少年は感謝していた。自分だけでは抱えきれないであろう感情を、零れてしまいそうな悲しみを、零れぬように支えてくれた事に対して。女神は気づいている。だから、少年のその行動に、言葉に、泣いた。悲しみの涙は、嬉しみの涙に形を変えていた。