アルセ Ⅱ
「その帝国との戦いを中断してもらうことは出来ないのだろうか」
「え、何で?」
彼女は首をかしげる。その目は純粋な疑問の色に染まっていた。
「多分勝つのに」
それに関しては俺もそう思う。
「いや、今王国は態勢を整えている最中だ。その後に力を合わせて一緒に戦う方がいいだろう」
「それはそうかもね。でも、時間をかければ相手も持ち直すかもしれない。王国が立て直し中ならそれでもいい。私たちだけでも勝てる」
彼女は負けるということを疑っていないらしく、そう答える。確かに俺たちはすでに帝国軍に勝利しているし、帝国での反乱はいよいよ盛んになっていると聞く。
そもそもなぜ帝国では国を揺るがすほどの大叛乱が起こっているのか。その理由は、帝国の圧倒的戦力を作っている新式銃と関係がある。新式銃の量産に成功した帝国はそれを平民に使わせることを考えた。製造したばかりの銃であれば正規兵が使っても平民が使っても大して変わらない。だったら安く大量に徴兵出来る平民の方がいいという論理だった。実際、数で圧倒する平民軍は銃弾の嵐で連戦連勝だった。
しかしそのために本国では弾丸工場に大量の人手を必要とした。さらに、弾丸の材料を手に入れるため鉱山に送る人手も必要とされた。帝国は自国・占領地問わずに軍・工場・鉱山に人を送り続けた。それでも最初は帝国軍の強大さゆえに叛乱が起こることは少なかった。起こってもすぐに鎮圧された。しかしついに民衆の怒りは爆発し、あっという間に広がったということだった。
そういう事情である以上勢いに乗っている辺境伯軍が負けるとは思えない。彼女を見ていると何となくそんな気になってくる。本人が負けると微塵も思っていないことに加え、やはりアルセには一種のオーラがあった。
俺は慌てて本来の使命を思い出す。
「そこまでの大勝はなかなかしないだろう。第一、停戦は陛下の命令だ」
「あなたはそれを言いに来たの?」
「そうだ」
「そっか。じゃあ帰って伝えてよ。停戦はもう一か月ほど遅れるって」
アルセには全く停戦の意志はないようだった。さっさと帝国の領地を奪って既成事実を作ってしまうつもりらしい。しかし一か月で帝国に勝つつもりとは豪気な。正直理屈で説得できる気がしないので俺は王国の名前を出してみる。
「俺だって子供の使いじゃない。ここでいきなり陛下の命が軽んじられれば王国はいきなり瓦解に向かう」
「そこはこう、素直に従えるような命令を出して欲しいな。私たちの目の前には広大な帝国領が広がってるんだよ。それを全部とれる可能性が高いのに停戦なんて出来ないって」
そしてアルセは彼女の(というよりはおそらく辺境伯家の)見通しを語り始める。
「まず川向こうの帝国のグラント要塞を包囲する。帝国の援軍が来ないならそのまま烈火のごとく攻めて陥落させる。来たら大会戦にて屠る。会戦になったら要塞の兵も出てくるだろうから、ついでにそいつらも倒して結局要塞は落ちる。そしたら山脈までずっと平原が続くから、そこは切り取り放題。やっぱり国境は山か川じゃないと」
ちなみにアガスティア帝国の中央には南北に走るヴァルド山脈という山脈がある。帝都はその西側にあり、東側には広大なヒルダ平原が広がっている。グラント要塞というのはアルセ川向こうの帝国領内に築かれた砦である。アルセの話から推測するに要塞はまだ落ちていないのだろう。ちなみに、グラント要塞を落とせばヒルダ平原を抜けて山脈にたどり着くまで地理的な障害はない。
「いや、それならおとなしく川にしておけば良かっただろ」
「でももう渡っちゃったし。ちなみに、私の名前はアルセ川からとってつけてもらったの」
アルセは誇らしげに言う。まあそんな気はしていたが。
しかし、しばらく話していると俺とアルセの価値観の違いというものが大体分かってきた。アルセにとって王国は敬うべきものではないということである。おそらく、彼女や辺境伯にとって王国は手助けしてあげた相手というぐらいの認識しかないのだろう。特にアルセは物心ついたときにはすでに王国は滅びていた。生まれた時から王国に仕えるべき存在として育てられてきた俺とは違う。
王国に忠誠心がないとすれば彼らの行為を止めるには二つしかない。利をもって誘うか、力で脅迫するかである。しかし彼らが本気で帝国領を切り取り放題だと考えているのならばそれを上回る利を提示するのは難しい。それに、こんな集団にこれ以上の力を与えるのは後々良くないことになる。だとすれば、王国はここで毅然としたところを見せる他ない。
「どうしたの? 難しい顔して」
原因である張本人に言われると困る。
「ところで俺はガウゼル伯に帝国と停戦するよう伝えに行く訳だが、取り次いでもらえるのか?」
ちなみに取り次いでもらえない場合のこのこ辺境伯領に向かうのを考え直さなければならない。俺はアルセと戦って勝てるのだろうか。贔屓目に見ても勝てる気がしない。
「ところであなたの名前聞いたっけ?」
そう言えば名乗ってすらなかった。彼女は俺のことを何だと思って会話してたんだろう。
「ジーク・バルトール」
俺が名乗るとアルセは少し感心した。
「ごめん、まさか“救国の軍師”殿とは思ってなかった。ちょっと態度が悪かったかも」
そうは言うもののそんなに態度は変わっていない。
「別にそんな大層なことした訳じゃないからそう呼ばれるの好きじゃないんだけどな」
「そんなことないよ! 王都奪還戦の話とか色々聞いてみたかったし。それなら是非父上と会って欲しいな。今後のことも話したいし」
「ありがとう」
このときの俺は、てっきりアルセは「“救国の軍師”が停戦しろと言うなら聞いてやろう」という気持ちになったのかと思って安堵してしまった。事態に光明を見出した俺はその夜、早速エリヤに向かって書簡を書いた。
『エリヤ閣下
前略
辺境伯領への道中にて脱走した辺境伯の娘アルセと合流しました。彼女と話す限り辺境伯の戦意は高く王国への敬意は低いものと思われます。一応辺境伯とは会えることになりましたが、脈は薄いと思われます。そこで陛下には是非辺境伯を威圧する軍勢を出していただきたいと存じます。武力以外に辺境伯を従わせることが出来る力があるとは思えません。ご多忙かと思われますが処理を誤れば王国は危機に陥りますので、ご賢慮くださいませ。
草々
追伸 貴族の領地が確定していないため、あちこちで小さな紛争が起きていると思われます。そちらもよろしくお願いします。
ジーク』
このときは、後にこの書簡を書いたことを死ぬほど後悔するようになるとは思わなかった。