宴
「それじゃ改めて、新生アルリス王国誕生に、かんぱーい」
「かんぱーい」
俺はもう何度言われてきたか分からないその言葉とともにグラスをぶつけた。ただ、今まで様々なパーティーで行われてきた乾杯と趣が違うのは、今回は相手がエリヤ一人だけだということだろう。普段は王弟ルイス(今はルイス陛下)の隣で真剣な表情で立っている彼女だが、今日は俺と二人だからか久しぶりにくつろいだ様子だった。長くて美しい黒髪に知性の深さを伺わせる瞳、パーティーの帰りだからか深い青のドレスをまとっている。昔はただ冷たいだけに見えた表情にも今では少しのやわらかさが宿っているのが分かる。一口酒を飲むとほんのりと頬が赤くなった。俺も乾杯したグラスに口をつける。
「ふう、やっと一息つけるわ」
「一体何回王国再興を祝えば気が済むんだよ。エリヤも何かのパーティーの帰りだろ?」
相手が気を許せる相手だからか、俺はつい愚痴っぽく言ってしまう。するとエリヤの顔が急に不機嫌になる。
「何? 私と王国再興を祝うのが不満なの?」
「いや、これが三回目ぐらいだったら俺も“エリヤと二人で王国再興を祝えて嬉しいよ”とか言ったかもしれないぜ? だけど両手の指じゃもう数えられないだろうし、今日だけでもう二回はパーティーしてるんだ」
「それはまあそうだけれど。最近忙しくてろくにジークとも話せなかったし」
王族であり新王ルイスの政治面を全面的にサポートしてきたエリヤは王都を奪還してから多忙であった。一方の俺は護衛として王都攻防戦中こそ忙しかったものの、今は特にすることもなく祝宴に出るだけの日々を送っている。
「そうだな。俺はともかく、エリヤの方はこれからが本番だろう?」
「そうだわ」
俺はエリヤの護衛として剣を振るったり作戦の献策をしたりするのが主な仕事だったが、エリヤは潜伏している同志と連絡したり諸外国に中立を要求するなど外交が主な仕事だった。王国が再興された以上、誰がどんな役職に就くとか、誰がどこを治めるとかでもめるのが必定だろう。そういう統治や内政といったことが出来る人材は七年間で離散しており、エリヤはその辺の処遇に頭を悩ませなければならない。
「でも軍師を遊ばせとくのももったいないわよね」
「その軍師って言うのやめてくれないか?」
「だって王都奪還作戦を立案したのはジークだわ」
「いや、そんなんではなかったと思うが」
確かに俺はエリヤに聞かれたことには自分なりに色々答えた。帝国軍は射程が長く装填が簡単な新式銃を持っていると噂だったので、王都を攻めるときは塹壕を掘ってはどうかというようなことを言ったぐらいである。実際、塹壕のおかげで被弾は激減したがそれは協力してくれた住民や弾丸の嵐の中を進んだ兵士がすごいのであって俺は一般論を言ったに過ぎない。
「そんなことないって。ねえ“救国の軍師”様?」
そんな俺についた呼び名が“救国の軍師”であった。正直エリヤが名付けて吹聴しているのではないかと疑っている。エリヤは俺がそう呼ばれて嫌がるのを見るのが好きなようで、事あるごとにニヤニヤしながら俺をそう呼んだ。
「おいやめろ。酔ってるだろ」
「酔ってないもの。ところで私もそろそろ誰かの元に嫁ぐ年齢な訳だけれど」
「何だその唐突な話題転換は。絶対酔ってるって」
「酔ってないって。それよりきちんと話を聞いてよ」
が、エリヤの顔は上気している。さては前のパーティーですでに飲んでいたな。そんな風に俺とエリヤがしょうもない話をしていると。
「大変ですエリヤ様!」
突然ドアがノックされる。ちなみに今俺たちが飲んでいるのはエリヤが仮に屋敷として使っている建物の応接室的なところだ。エリヤは一瞬この上なく嫌そうな顔をしたが、やってきた使者の切羽詰まった声とドアが叩かれる音ではっと目が仕事モードの光になる。
「入りなさい」
そう言われて入ってきたのはルイスの家来の一人である。おそらく、一度ルイスに知らされてそこから主だったものに使者が立てられたのだろう。
「申し上げます。たった今、ガウゼル辺境伯の軍勢がアルセ川を越えて対岸の帝国領を占領したとの知らせが入りました」
「何!?」
エリヤの表情が一気に険しくなる。
アルセ川。アルリス王国とアガスティア帝国の国境代わりの川で、七年前には帝国がここを越えて攻めてきた。王都奪還を果たした今、王国はこの川を境に帝国と停戦して態勢を整えようとしていた。一応帝国を破ったとはいえ、新生アルリス王国の実情は国と呼べるほどのものではない。一軍が王都に駐留しているだけだ。が、辺境伯軍は帝国を破った勢いそのままに川を渡ってしまったという。俺は内心辺境伯軍の勢いに喝采を送った。
現在王国軍は王都を占領していたが、王国西部の元々辺境伯の領地だった場所は辺境伯が自ら兵を出していた。そして奪還に成功するとすぐに帝国領に反攻したということである。王国はアルセ川を国境にすると通達していただろうので完全に自己判断である。
「おかしいわね。しばらくは王国の態勢を整えたいから戦争はやめるようにと伝えたのに」
復興したばかりの王国は国を名乗りつつも内実は何もなかった。軍勢もルイスの旗揚げに応じて集まった民衆や元兵士などの混成軍で秩序も何もない。王国解放という目的のために集まったが、その後のことは何も決まっていない。
そういう王国の事情は分かるが、俺としてはこの期に帝国を滅ぼしたかった。圧政による民衆叛乱で帝国は風前の灯だが、裏を返せば圧政をやめて民衆を慰撫すれば息を吹き返す可能性もあるということである。
「とはいえ辺境伯が勝てるならいいのでは?」
「何言ってるの。これは王国の戦いよ。辺境伯が勝手に勝つだけじゃだめ。王国として勝たないと」
「そういうものか」
そんなことより勝利を優先すべきではないかと思うが、エリヤの言うことも分からなくはない。所詮一人の家臣に過ぎない俺と今では王女に当たるエリヤでは立場が全く違うのだ。少し寂しく思うが、どちらにせよ俺が介入できることでもない。
「お疲れ様だな。悪いが俺は寝る」
俺の仕事は王国が辺境伯に乗っかって帝国を滅ぼす兵を挙げるか、辺境伯を問責する軍を起こしたときに始まる。だからそれまではせいぜい休養をとってパーティー疲れを癒すことが役目だった。だから俺の言うことは仕方ないのだが、エリヤはそんな俺をぎろりと一睨みしてから登城したのだった。