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緋色の剣姫と救国の軍師  作者: 今川幸乃
第五章 舌は剣より
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グラント要塞 崩壊 Ⅱ

 そんな会話を聞いていてリオネルも思わず見張り台から身を乗り出す。

 ここまでリオネルは必死に敵の猛攻に耐えてきた。時間を稼ぐために名誉をかなぐり捨てた汚い策も使った。援軍に来た味方が呆気なく蹴散らされるのをあっさり見殺しにした。昼は敵兵を撃ち、夜は障害物の製作にいそしんだ。兵たちの中には多くの犠牲者も出た。そんな血みどろの努力があの女の口先一つで無になるというのか。そんなことがあってたまるか。気が付くとリオネルは本気で反論していた。


「詭弁だ! 仮にそんなことが実現したとしても実際に現場で軍を指揮する軍人までが選挙制になるはずがない! 結局戦場に合議制など持ち込むことは出来ない!」


 思わぬ大声に近くにいた部下たちはのけぞる。


「そこの者! たとえ直接選挙にせずとも、戦いを好む軍人を採用する為政者を選ぶか、戦いを避ける軍人を採用する為政者を選ぶか、その自由はある!」


「それはお題目だ! 軍事に有能な者がそんなに何種類もごろごろしている訳がない! 結局、俺たちは限られた人の中から選ぶことしか出来ないんだ! そこに選択の自由なんてほとんどない!」


「うるさい!」「黙れ!」


 ついに足元からリオネルに反論の声が上がる。


「それは実際にやってみなければ分からないのでは? 例えば今ある平民軍も実行される前は無理と言われた。平民に戦争など出来ない、貴族軍の方が優秀である、と。でも現在なしえている! ここにいる者たちはお互いに健闘しているではないか!」

「詭弁だ! それとこれとは関係ない!」


 が、もはやリオネルの反論は足元からの怒号にかき消されて届くことはなかった。


「聞け! 今から私と志を同じくする者はともに帝都に向かおう! どちらの軍に属する者も、私についてくるのであれば今日からその者は私たちの軍だ!」

「馬鹿な!」


 リオネルは叫ぶが、大公国軍はレーネを護衛する数人を残して後退した。そして仕込みの(そうであるとリオネルは思っていた)兵士数人がレーネの元へ集ってくる。元々護衛していた兵士はリオネルの元に集った兵士に盾を渡すとさっさと軍勢に戻っていった。


「さあ、帝国兵も集うのだ!」

「馬鹿、門を開けるな!」


 リオネルは怒号したが無駄だった。門番もまた平民である。東門はかろうじて開かなかったが、南門が開いた。そこから何人もの兵士が走っていく。本来は銃殺刑に処すべきだろうが、彼らを撃てと言って撃つ兵がいるとは思えない。最終的に何人残るかは分からないが、とてもこの状況で迎え撃てるとは思えない。

 ちなみに、大公国軍側からもちらほらと集まる者があったが、くらべものにはならない数だった。


「不利だからといって逃げ出しおって」


 リオネルは唇を噛んだ。実際のところ帝国の圧政にも原因はあるのだが、リオネルは敵味方のレーネの言葉に応じる者の数の差を有利不利の問題と捉えた。

 怒涛の奔流のようにあふれ出ていく兵を見てリオネルは敗北を悟った。


(これは負けだ。要塞は大公国にとられ、兵士は反乱軍にとられた。もう後には残らない。くそ、あの女さえ出てこなければ万が一には敵も撤退したかもしれなかったものを……いや、待てよ? あの女さえいなければ)


 そこでリオネルの思考が急速に回転していく。元々リオネルは頭の回転が速い方ではあった。まあ、悪い方にしか回転しなかったが。


(そうだ、ここであの女を殺せば帝国はおそらく挽回できる。結局民衆などやつ一人に踊らされているだけに違いない。そうすれば俺は英雄だ。英雄……これまでの人生、他人から蔑まれるだけだった俺が英雄になれる)


 それは普段冷静なリオネルの胸を焦がすのに十分な想像だった。リオネルは自分の想像に突き動かされるようにして銃を握った。


「行ってくる。要塞は任せた」


 リオネルは能天気でどうしようもないと思っていた副官の肩を叩くとそのまま階段を駆け下りていく。


「ちょっとリオネル様、まさかあの女について行ったりしませんよね?」


(そうだ、俺は救国の英雄だ。これまで口だけ勇ましいことを言って大して為すところもなかったやつらに思い知らせてくれる。誰が本当の英雄かを! そして俺は新たに皆の賞賛を集めてやる!)


 あまりに危機的状況過ぎて悲観主義者のリオネルは狂ってしまった、というのが無難な解釈かもしれない。リオネルは銃を握って兵士たちに混ざって走った。そう、リオネルがレーネの顔を知らなかったようにレーネもリオネルの顔なんて知らない。リオネルは司令官であることを示す軍服などは全て捨て、銃だけを持って殺到した。レーネはやってくる兵士たちを手をあげて迎え入れている。そして「共に新しい国を作ろう」などと言葉をかけていた。射程距離に入ってはいるものの兵士が多すぎてなかなか狙える状態にならない。

 もっと進まなければ、もっと進まなければ。そうこうして走っていくうちにリオネルはレーネの間近まで来てしまっていた。そこで兵士の一人がリオネルに気づく。


「あれ? リオネル様もレーネ様のおっしゃることに賛同するなんて意外ですね」

「リオネル?」


 不意に聞こえてきた言葉にレーネはとっさに頭をかかえてしゃがみこんだ。反射的にリオネルは引き金を引いた。しかし銃弾はレーネの遥か頭上を越えていった。


「終わった……やはり俺は英雄の器ではなかったか」


 リオネルは嘆息した。結局のところ、最期に「ツキ」はレーネに味方した。


 そして走馬燈のようにこれまでの人生がフラッシュバックする。ずっと人から下に見られ、ようやくたどり着いた司令官もわずかのうちに終わってしまった。

 せめて敵軍に降伏した後も気にせず生きていけるおおらかな気持ちがあればこんなことにはならなかったのに、と思った。そこで脇腹に鋭い痛みが走りリオネルの意識は途絶えた。


 レーネが自身の元に集まった一千余の兵士とともに去っていくのを見て俺は初めて彼女の大きさを知った。言い方は悪いが、口先一つで敵兵をほとんど自分の下につけてしまうとは。確かにここまではるばるやってきたのも俺のためなどではない。自身の勢力拡張のためである。そしていつもなら意気揚々と総攻撃をかけるはずのアルセも少し神妙な表情をしていた。なぜなら、大公国軍からも五十名ほど彼女に同調したためである。


「彼女の言っていたことは多分に理想的だと思う。でも、それで人が動くんならそれは現実と変わらないのかもしれないね」

「ショックか?」

「うん。私は領主が民衆を保護するものだと思っていた。でも、皆が皆そう思う訳じゃないんだね。帝国のようなひどい治世の国はともかく」

「いや、行った者が五十人だったのなら胸を張っていいと思うぞ。何しろ七年間も不在の領地だったのだから」

「確かに。さ、要塞を拾いに行こうか」


 拾う、という表現は確かに適切だった。俺たちが要塞に進軍してももはや中から銃弾が飛んでくることはなかった。中はすでにも抜けの空だった。レーネに与しなかった者ももはや敵わずとみて騒ぎに紛れて逃亡したのだろう。

 勝鬨を上げるアルセや兵士たちを無視して俺は一人武器庫を探した。要塞からは膨大な銃弾が放たれた。銃弾はなくなったかもしれないが、銃はなくならないはず。ほどなくして俺は武器庫を見つけた。そして戦慄した。武器庫の中身は刀槍以外は持ち去られていた。もちろん帝国の指揮官が持ち去った可能性もあるが、脱兎のごとき逃亡に重荷はいらないはずだ。

 レーネ・カトル。ひとまず同盟は結んだものの末恐ろしい相手である。

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