征西
式典の直後、即座に俺とアルセは辺境伯改め大公の部屋に向かった。常に威風堂々としているアルセが珍しく泡を食ったように狼狽しているのが珍しかったが、あいにく俺もそれを楽しんでいられるほどの余裕はなかった。
「ちょっと、思ってたのと違うんだけど。ジークは予想出来なかった?」
「寝耳に水だ」
アルセが総督に任命されて泡を食っているのは別に総督が嫌だからではない。総督というのは軍で一番偉い訳だから、アルセが総督ということはガウゼル自身は軍に加わらないということになる。ガウゼルは若いころから自ら戦場を駆け回ってきた武闘派であり、本人もこのたびの戦争に自ら出陣する気は満々であった(とアルセから聞いた)。
それがここ数日でどのような心境の変化があったのか。それでもアルセは式典中、自らの威厳を優先して動じていない風を装い、大公ガウゼルから堂々と総督の印璽を受け取った。しかし式典が終わって周囲の目がなくなると動揺を抑えきれず、同じく狼狽していた俺と一緒にガウゼルの部屋に駆け込むことになったという訳である。
俺たちが部屋のドアを開けると、中にはベッドに横たわったままのガウゼルの姿があった。上体こそ起こしたものの、娘はともかく他人である俺に対してこのような姿で出迎えるのは非常に無礼である。ガウゼルの顔は昨日の姿からは信じられないくらい青白く、まるで病人のようであった。それを見たアルセの表情が変わる。
「父上!」
アルセはガウゼルに駆け寄って肩を揺さぶる。するとガウゼルは辛そうに咳をした。その姿はどこにでもいる年老いた男であり、辺境伯の威厳は感じられなかった。
「アルセよ、先ほどは驚かせて済まなかったな」
「父上、一体どうされたのですか!?」
「悪いな。どうやら父は老いたようじゃ。帝国に屈して七年、我らは今日のためにひたすら力を養ってきた。その目標がひとまず叶い、軍師殿が未来への道筋も示してくれた。張りつめた緊張が解けたのだろうか。急に体が苦しくなってきたのじゃ」
確かにガウゼルの姿は俺を出迎えたときとは別人のようである。
それを見て俺は内心彼を呪った。体調崩すならエリヤと会う前に言ってくれ……グランフィールド家の独立はガウゼルの武勇と名声が前提なんだぞ。アルセを軽んずる訳ではないが、ガウゼルの力なしに帝国と王国相手の二正面作戦がうまくいくとは思えない。もしガウゼルの体調が悪いことを知っていればこんなことは提案しなかった。
とはいえ、ガウゼルとしてはそういう輩がいるから独立までは是が非でも体調不良を隠し通したのだろう。そして独立の宣言が終わり、緊張の糸が切れて疲れが隠し通せなくなった。つまり、俺はガウゼルに一本取られたということになる。
俺は暗澹たる気持ちになった。こんなことになるならもっと別の道があったのに……俺はそんなことを考えて天を仰いでいたが、アルセは娘としてもっと切実に父のことを心配していた。
「父上、まだ帝国との戦いは始まったばかりです! 倒れるのはまだ早いですよ、早く治して是非指揮をとってください!」
「アルセよ、わしの体のことはわしが一番分かる。この七年間、最強の軍勢を作るために常に体を酷使してきた。だから無理が祟ったのだろう。それにわしがここに残れば王国もおいそれとは手を出せないであろう。何よりアルセよ、お前が我が家の近衛歩兵を率いれば帝国に勝利することは間違えない」
「はい……」
いやそこは否定しろよ、と思ったがそこで肯定してしまうのがアルセなのだろう。そして肯定してから思わずしまった、という表情を浮かべていた。そんなアルセを見てガウゼルも満足そうに目を細める。
「そういうことだ。励めよ」
そう言われるとアルセはそれ以上言わなかった。元々、父がこういう状況になったという経緯さえなければ征西総督というのは願ったりかなったりだったのだろう。
「はい、父上の分まで戦ってまいります!」
「軍師殿よ、おぬしも頼りにしているぞ。アルセは勇敢だが、短慮なところもある。そんなときはおぬしが支えてやってくれ」
「そんな、身に余る大役です」
確かに俺はアルセを手伝うつもりだったが、その上に大公がいるのといないのとでは天と地ほどの差がある。俺は本心からそう言った。しかし俺の言葉を型どおりの謙遜ととったのか、ガウゼルは満足そうに微笑むだけだった。
こうして、予想外の事態はあったものの動揺しているのは俺一人で他の者たちはさほどでもなかった。ガウゼルの病気が秘匿されたからである。今この家はオルヌスとアルセという二人の後継者候補を抱えている。ここでアルセが総督として手柄を立てればアルセが家を継ぐのに追い風が吹くだろう。もしアルセに問題があればオルヌスに継がせればよい。
それに領地も帝国から奪還したばかりでやることは色々ある。王国との国境もきちんとは画定していないし、独立宣言に伴うごたごたもあるかもしれない。そんな状況でガウゼルが城に残るのはある程度自然なことだった。武闘派伯爵ガウゼルも大公となって考えが変わった。多くの者はそう思っていた。俺も、病気でさえなければ賢明な判断と思ったのかもしれない。
そして俺は当たり前のように征西軍の軍師というポジションに座らせられていた。普通いきなりやってきてそんな大役に座れば疎まれるかと思いきや、妙に好意的な反応を受けた。
「あなたが噂の軍師様ですね!」
「我らを独立させていただきありがとうございます!」
俺の姿を見かけた近衛歩兵の者たちからはなぜか尊敬の眼差しを向けられる。
「よ、よろしく。ちなみに俺はどんな噂になってるんだ?」
「え? 我らに独立をもたらすためにやってきて大公様のために粉骨砕身し、王国に独立を認めさせた凄腕の軍師で今回の遠征でも作戦を一手に任せられている、と」
「そ、そうか」
王国はこれっぽっちも独立は認めていないが、彼らにこれ以上何かを言っても無駄そうなので俺は沈黙する。俺の居心地の悪さという点を除けば尊敬されているという状況は悪くなかった。
アルセ率いる征西軍が出立するにあたり俺は何でグランフィールド家の誰もが異様に強気なのかその理由を知った。アルセが率いる軍勢は八千。現在先行してグラントの砦を包囲しているキールという人物の兵力は二千。合わせれば一万ほどの兵力となる。帝国も全盛期は数万の兵力を誇ったが、現在砦にいるのは一千ほどと聞く。
ちなみに、辺境伯軍は留守居にも数千の兵力を残しており、対する王国軍は城の守備などを除けば動けるのは現在五千ほど。仮に王国軍が兵を出したとしても圧倒的に有利と言える。
そして次に兵士の練度である。アルセが率いる近衛歩兵隊は三千ほどであるが、ガウゼルが手塩にかけて育てただけあって出発も進軍も停止もすぐに聞いていた。行軍も整然としており、隊列に乱れはない。その他の軍勢も近衛歩兵ほどではないが指示が行き届いており、隙がない。さらには兵士たちは皆日焼けして体格が良く、王国兵よりも大振りな武器を持つ者も多かった。
特に、時折混ざっている赤髪の者たちは闘志も動きもすさまじく、「突撃」の命令があれば命をも厭わずに突撃すると言う。
極めつけは士気の高さである。兵士たちは戦意旺盛で熱気に満ちていた。俺が驚いているとアルセが嬉しそうに話しかけてくる。
「ね、これなら勝てるでしょ?」
「そうだな。しかし騎兵はいないのか?」
「うん、兵力を増やした結果馬にまで回すお金がなくなって減らした。まあ帝国の小銃部隊相手に騎兵はあんまりいらないしね」
確かに的になるだけかもしれない。
「要塞はどうやって落とすんだ?」
「相手が休憩をとる間もなく強襲を重ねる」
無策というふうに聞こえなくもないが大丈夫だろうか。とはいえ、兵力が一万対一千なら策はいらない。相手も、固く門を閉ざして援軍を待つ以外に方法はないだろう。




