訣別 Ⅰ
その日の夕方。辺境伯領の上空を二匹の飛竜が交差した。一匹は西(帝国側)から飛んできて王国へ向かう飛竜。もう一匹は東(王都側)から飛んできて城の前に着陸した。
飛竜というのは北方に棲む蛮族と呼ばれる異民族が操る動物である。大きなトカゲに翼が生えたような生き物で、通常の固体であれば人一人を載せて飛ぶことが出来る。本来は狂暴で容易に人に懐くことはないが、蛮族はそんな飛竜を乗りこなし、人が馬に乗るようにして操っているという。そんな調教された飛竜が数は少ないがこの辺りにも流通しており、使者や伝令など迅速な移動が必要なときに使われることがある。
蛮族はしばしば南下して略奪や狼藉を働くが、現在は王国の北方にあるシュバルツ連合国という勢力が盾のような形になっている。元々は個別の勢力だったが、蛮族に対抗するために同盟を結び、一つの国となったという。
「ジーク、王都からお客さん来てるらしいけど」
俺はアルセにそう言われて嫌な予感がした。俺はおとといぐらいにエリヤに向けて手紙を書いた。このタイミングで返事が来るということは馬ではなく飛竜を使っていることだろう。そしてアルセは“使者”とか“人”ではなくお客さんという表現を使った。
「そ、そうか」
「どうしたの? 何か嫌そうだけど」
「そんなことない」
どう考えてもお怒りのエリヤさんが俺に直接詰問に来たとしか思えない。ただ、アルセに対して弱音を吐いても恥ずかしいだけである。だから俺は出来るだけ平静を装ってエリヤに会いにいくことにする。
「そう? 城門で待ってるって」
確かにうかつに足を踏み入れて下手なことになれば城から出ることは出来ないかもしれない。エリヤらしい賢明な判断である。
「でもこれで王国に独立宣言する使者出す手間が省けるね。良かった良かった」
アルセはほっとした表情になる。何で俺がそこまでしなければならないんだ、と思ったがこいつらに任せておいては絶対に平和的な解決はしない。アルセが独立宣言の文章を書けば、「時代は変わった。これからは我らの力にひれ伏して生きよ」などと言いかねない。俺が頑張らなければ、と思うのだった。
俺が宿題が終わってないのに学校に向かわなければならなくなった子供のように恐々として城門に向かうと、そこにはしきりに中指の甲で城壁をつつくエリヤの姿があった。エリヤはよく不機嫌になると中指の甲でその辺のものをたたくが、今回は目にも止まらぬ早さで城壁を連打している。城壁は当然堅固に作られているので普通に考えてかなりの激痛を伴うだろうが、興奮のあまり何も感じていないようだ。顔を見ると目はつり上がり口はへの字になっている。とりあえず俺は場を和ませるべく右手を上げてあいさつを口にする。
「やあ、久しぶり」
「申し開きを聞くわ」
エリヤは俺の言葉を遮り、地の底から響くような低い声で言った。久しぶりに会った旧友に対する言葉というよりはまるで引き立てられてきた罪人に対するかのような物言いである。その一言で俺は一瞬にして状況を悟った。俺は暗澹たる気持ちになって用意した申し開きを口にする。
「辺境伯軍の威勢は盛んであり王国に比肩するほどである。このまま無理に王国の傘下に置き続けようとすれば力の不均衡から摩擦が起こり不幸な結果をもたらすことは必定。そのためいっそ両者並立の形をとり友好関係を結ぶ方がお互いの平和に寄与するものと思われ……」
「はい、最期に言い残すことは?」
どうやら俺がこのところずっと考えていた言い訳はお気に召さなかったようである。エリヤの目はつり上がっていく一方だった。もしエリヤが剣術の達人だったら今頃俺は剣を突き付けられて辞世の句を詠んでいたかもしれない。
「待ってくれ、俺は最善を尽くした」
「いや、尽くしてない。確かにジークは客観的に見れば一番いい方法をとったかもしれない。でも私が望んでるのはそういうことじゃない。客観的にいい方法ではなく王国にとっていい方法を模索して欲しかった」
「いや、そう言われても」
ここで何か辺境伯に譲歩して帝国出兵をやめてもらうことがいいことだとは思わない。
「それとも私よりアルセとかいう小娘の方が気に入った?」
少し考えてようやく俺はエリヤの言っていることを理解した。確かに俺はエリヤの要望を果たすために火の中水の中というほどの覚悟は持っていなかった。
本当にその気になれば俺にはとれる手段は確かにある。辺境伯に偽りの恩賞を提示していったん兵を退かせるとか。辺境伯を王都に誘い出して謀殺するとか。実際にそれらの手段で状況が好転するかは何とも言えない。しかしそういう手段を少なくとも検討はしろということをエリヤは言いたいのだろう。
「どうしたの? 何とか言いなさいよ」
エリヤは沈黙する俺に容赦なく追撃をかける。しかし俺はよく分からなかった。確かに俺はエリヤと幼馴染ではあるが、アルセに不義を働いてまで助けるほどの忠誠心はない。逆に、確かにアルセには憧れに似た気持ちを抱きはしたものの、だからといってエリヤを裏切ったつもりもない。王国にとっても悪くない選択をしたつもりはある。だとしてもそれを説明して納得してもらえる雰囲気でもない。
「ここで辺境伯を無理に押さえつけてもいつかは爆発するだけだ。それなら穏便に独立してもらう方がいいだろう」
結局、俺の口から出たのはそういう理屈だった。それを聞いてエリヤは一瞬眉を逆立てたが、すぐに諦めたような表情に戻る。
「あなたが第三者ならその理屈は分かるけど。王国の家臣なら、王国のために最善を尽くしてからじゃないとそれを主張するのは良くないと思わない?」
エリヤの言い分は分かるが、結局のところ俺は王国への忠誠心というよりは帝国に対する恨みの方が大きいようだった。幼いころになくなった王国よりも、それ以来ずっと俺たちを抑圧し続けた帝国の方が俺の心の中で大きな存在となっていた。だが、エリヤにそれを言っても仕方のないことである。




