落城
七年前、当時まだ年齢が一桁に過ぎなかった俺は突然王族に呼び出されて驚いていた。父は近衛騎士として迫りくる帝国軍と激戦を繰り広げていたが、俺はまだ実戦に出たこともないガキだった。当然雲の上の存在であるアルリス王家の方々とは縁がない。ガキが偉い人から突然呼び出されて思うことはただ一つ。何かやらかしたのだろうか、ということだった。そんな訳で俺は恐怖しながら王宮に向かった。
ちなみに七年前の当時、アルリス王国は隣国アガスティア帝国の攻撃を受けていた。ガキの俺に分かっていることは旗色が非情に悪いということ、帝国軍が近いうちに王都に押し寄せてくるだろうというぐらいだった。当然そういう情勢なので父は戦場におり、付き添ってくれることはない。
「じ、ジーク・バルトールただいま参上しました」
俺は緊張しながら王宮の一室の扉を叩く。
「入るが良い」
中からしわがれた声が返ってきたので俺は震える手で扉に手をかけた。俺は知らぬ間に大罪を犯しており開けた瞬間無数の槍が自分に向かって伸びてくるのではないか。そんな想像に駆られて俺は一瞬目を閉じてから扉を開く。
が、予想に反して応接室的な部屋で俺を出迎えたのは現王の弟であるルイスであり、俺に槍を突き付けてくる兵士ではなかった。普段は豪奢な飾りがついたゆったりした高級な服で着飾っているルイスも王都に帝国軍が迫る今、軽装ではあるが鎧を身に着けていた。王族はずっと城の奥で偉そうにしているのが仕事だと思っていた俺は少し驚いた。さらに、普段は見目麗しい侍女や面白い話をする道化ばかりが侍っているルイスの左右にはいかつい顔をした武人が並んでいた。
唯一武装していなかったのは俺と同じくらいの年の少女だった。少女は武装こそしていなかったものの、旅に出るのか動きやすさを重視した粗末な服を身に着けていた。しかし顔立ちには気品があり、凛とした表情でこちらを見つめている。
彼女も俺と同じで呼び出しを受けた側なのだろう、部屋の真ん中にあるテーブルに対してこちら側に立っている。
俺が入ってくるのを見たルイスは俺の後ろで扉が閉まるのを確認してから話し始める。その表情は子供の俺でも分かるぐらいには強張っていた。
「知っての通り現在我が国は隣国アガスティア帝国の攻撃を受けている。まもなく敵軍はこの城に到着するだろう」
「その折は若年ながら一命を賭して戦う所存です」
俺は緊張しながら答える。当時の俺に本当にそこまでの覚悟があったのかは不明だが、少なくとも父にはそうあれと教えられてきた。そんな俺の言葉にルイスは微笑する。若者が勇ましい言葉を言ったのが微笑ましかったのだろう。
「うむ、それはいい心がけだ。だが、もはや戦況は誰か一人の頑張りで挽回できる状況ではなくなっている。そこで君には重要な役割を与えることにした」
「な、何でしょう」
重要な役割という言葉に俺は緊張する。
「我が娘、エリヤを守って逃げて欲しい」
「そんな! 私には荷が重いです!」
当時俺は弱冠九歳。王族の護衛など出来るはずもなかった。そんな俺をエリヤと呼ばれた娘は冷たい目で見つめる。
「何を言っているの? 戦力になる方は皆敵と戦うのよ」
「……え?」
思ってもみなかった言葉に俺の背筋に寒気が走る。
「逃げるなんていうのは誰の役にも立たない行為。だからあなたのような子供で十分と言ってるの」
どうやらエリヤという人物はかなり辛辣な人間らしかった。いきなり呼びつけられて罵倒された俺は子供心に傷つく。こいつこんなこと言ってるけどまじでこいつ連れて逃げるんですか、という気持ちをこめてルイスを見るとルイスも困惑を露にしていた。が、すぐに困惑は怒りに変わり、
「何を言う!」
声を荒げた。そして俺に向かって熱弁する。
「聞いてくれ。敵に包囲されてから逃げ出すのは大変だ。だが敵が王都に達していない今なら逃げ延びることも容易だろう。それに君たち二人で逃げるなら誰も王族とは思うまい」
しゃべりながら大げさに手を動かす姿からはどうしてもエリヤを逃がしたいという気持ちがひしひしと感じられる。俺は彼の熱意に打たれたが、肝心の当人は恐ろしいほどに醒めていた。
「違うわ、幼い子供が籠城に参加すると足手まといだし無駄に食糧を食べるからよ」
「やめなさいエリヤ、彼はこれから君の護衛をするんだぞ」
「国が亡ぶなら私だけ生き延びても無意味だわ。せいぜいよろしく」
エリヤのぐれた物言いにルイスは激昂する。この辺りは王族とはいっても人の親だった。
「何度言ったら分かる! 今は勝てなくても雌伏すればいつか勝てるときも来る!」
「やっぱ今は勝てないのね」
エリヤは初めて冷たい表情を崩して悲しそうにうつむく。それを見て慌ててルイスは慌てて口を抑える。
「違う、違うぞ! 王国は必ず勝つ! ただ、それまでに王都で激しい戦闘が行われるだろうということだ! だからとりあえず二人にはここに行ってもらいたい。路銀と通行手形も渡そう」
もはや支離滅裂であったが、まあ王国が勝てないから逃げろと言われた方が理解は早い。
エリヤはなおも文句を言おうとしたが、ルイスは押し付けるように俺に地図と革袋を渡す。それを見てようやくエリヤも諦めたように息を吐いた。俺は身もすくむような緊張から解放されてほっとする。俺が重要な任務と聞いて最初に想像したのとは別方向の困難が待っていそうな気がした。
「ではエリヤよ、達者でな」
「父上も、ご武運を」
さすがに今生の別れと思って反抗心も落ち着いたのか、エリヤも幾分しんみりした声になる。それを見てルイスはほっとしたような寂しそうな複雑な表情になる。ルイスがエリヤに手を振り、エリヤは祈るような仕草をする。が、王族だけあってすでに覚悟はあったのだろう、湿っぽい空気は一瞬で終わり俺たちはすぐに部屋を出た。
「……という訳でせいぜいよろしくね」
エリヤは全然よろしくという雰囲気ではない雰囲気で俺に言った。
「お、おう」
とはいえ、エリヤは散々なことを言っているが王族の一員である彼女の護衛というのは俺には重すぎる任務である。気を引き締めなければ。