27.寄りかかる
教会の聖堂には、クラウスとバノーラ侯爵夫妻、ブルーノだけが残っていた。夫妻とブルーノは勿論無関係、クラウスは後日必要があれば聴取に応じるよう約束させられただけだった。扉の外に主を案じるようにマルクの姿があったが、彼は中には入って来ない。
「いやぁ、驚いたな、クラウス」
ブルーノが明るくそう言って、クラウスの肩を叩く。
「ああ。最近退屈していると言っていただろう?砂被り席での見世物としては、上出来であろうよ」
「……お前が体を張る必要はないよ。こういうのは俺の役目だ、次に美女と婚約するフリをする時は、俺を呼んでくれ。役得じゃないか」
くっくっ、と笑ったブルーノは、クラウスの内心を知ってか知らずかそう言って聖堂を出ていく。力の抜けたクラウスは、それをただ見送った。
次に、バノーラ侯爵夫妻が彼に近づく。
「…………」
「ひどい顔だな、クラウス」
バノーラ侯爵、アルバート・バッファが息子の顔を心配そうにのぞき込む。
彼は王城に勤める文官であり、重大な地位に就いているわけではない筈なのに、決して王が彼を離さないと言われる程信頼されている存在だ。すらりとした年に似合わぬ体躯と、砂色の髪に紅い瞳、柔和な顔立ちはクラウスの父とは思えない程一般的な容姿をしている。
「父上、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「自分の息子がすることは、迷惑なんかじゃないよ。お前がエレオノーラ嬢以外の人と結婚するなんておかしいなぁと思ってたんだ、むしろ今は納得してるぐらいだよ」
にこやかにアルバートが言うと、彼の妻、つまりクラウスの母であるバノーラ侯爵夫人、アレクサンドラ・バッファも大きく頷いた。
彼女は豪奢な金の巻き毛に菫色の瞳、胸は大きく腰はきゅっと括れている悩ましい体形の、ハッとする程の美女である。その顔立ちはクラウスと酷似しており、いかにも母子…下手すれば姉弟のようにさえ見えた。
「そうよ、クラウス。あなたは巻き込まれただけなのでしょう?もうこの子は!すぐ自分で抱え込もうとするんだから!」
むに!と頬を摘ままれて、クラウスは瞳を瞬く。
「それで?私達は何をすればいいの?利用なさい、クラウス」
アレクサンドラに言われて、彼は眉を寄せた。侯爵家には十分に迷惑をかけた。これから自力で挽回していくにしても、ここで両親に頼るのは筋違いだ。
と、
ふわ、と甘い香りがして、クラウスの手がきゅっ、と握られた。驚いて彼が横を見ると、微笑むエレオノーラがいる。
「ごきげんよう、アルバートおじ様、アリーおば様」
エレオノーラ
クラウスは膝から力が抜けそうになって、なんとか体勢を立て直す。彼がエレオノーラを窺うと、彼女は少しはにかんだ様子で紅茶色の瞳に微笑んだ。
もう二度と、こんなにも近くで見つめることは出来ないと思っていた、愛しい紺碧。
「ごめんね、やっぱり結婚式見たくて、近くまで来ちゃった」
「……馬鹿者」
「うん」
エレオノーラは、笑う。美しく。クラウスが、世界で一番愛している、笑顔だ。
「まぁ!エリィ!あなたも来ていたの?」
アレクサンドラが歓声をあげると、エレオノーラはそちらを向いて微笑み返した。
「ええ、アリーおば様。私からこの件に関してお願いすることを、お許し願えますか?」
彼女がこてん、と首を傾げると、娘が欲しくてたまらなかったアレクサンドラは快諾する。
「勿論よ!エリィ、あなたの望みは何かしら」
「この件で、ベファタン商会の評判が下がるのを最小限に食い止めたいんです、私、商会に出資しているので」
「……ふぅん?あなたにしては珍しいオネダリね?それで得をするのってコークストー男爵なんじゃない?」
アレクサンドラの言葉に、エレオノーラは逆方向に首を傾ける。
「……いいえ。もし、そのおかげで助かる人がいるとしたら……それは、罪のない寡婦達ですわ」
アレクサンドラも、アルバートもエレオノーラを黙って見つめる。
エレオノーラ・ヴォルンテール。何も持たない、高貴な令嬢。だが彼女がそうと望めば、社交界は動くのだ。
「……クラウス、お前はそれでいいんだね?」
アルバートに言われて、クラウスは頷いた。だがまだ不安が消えない。
これまで、彼は何にも惑わされることなく自身の道を邁進してきた。ここにきて、今更こんな瑕疵で両親に手間をかけることを申し訳なく感じているのだ。
「……もっと頼った方がいいよ」
エレオノーラが小さく囁く。
クラウスが不思議に思って彼女を見下ろすのと、アルバートが彼の頭を撫でるのは同時だった。
「お前は優秀すぎて私達にちっとも頼ってくれなかったね。それぐらい、お安い御用だよ」
「……父上」
「そうよ、わたくしが毎夜なんの為に夜会に繰り出してると思っているの?これぐらいの醜聞もみ消すぐらい、容易いわ」
アレクサンドラが高らかに宣言し、エレオノーラはきゃっきゃっと喜んだ。アルバートは女性陣のそんな様に苦笑を浮かべる。その表情は、傍から見ればエレオノーラの我儘を許容する時のクラウスの表情にそっくりだった。
「お前は、きっと一人でもこの事態を収束出来るのだろうけれどね。たまには親にも仕事をさせてくれないか?優秀で……何より可愛い息子の為に」
そっと頭を撫でられた感触は、ひどく温かで。先程までまるで味方はいない、と思っていたことを、クラウスは恥じた。
自分の両親は、こんなにも頼もしく、そして何より無条件でクラウスの味方でいてくれる。
「ありがとうございます、父上。母上」
そして何より。
ずっと掌を握ってくれている小さな手を見つめて、クラウスは今度こそ声をあげて泣きたくなった。
己の矜持に賭けて、泣くことは我慢したけれど。




