22."約束"
時間軸は、6話と7話の間の話です。
話は過去に遡る。
「どうかお願いです、シルバ子爵……!」
求婚に対してきっぱりと断りをいれたクラウス。ベアトリーチェが他に縋るものが思いつかずしつこく懇願すると、彼は凪いだ湖面のような瞳を向けた。
そうしていると、クラウスは本当に精巧な人形のように見え瞳は底知れない虚のように感じる。
「……それを叶えたとして。私に何の益がある」
「それはっ……ですが……」
彼女は続く言葉を持たず、けれど引き下がるわけにも行かなくて唇を噛む。確かにベアトリーチェなりに必死に考えた結果の申し出だったが、クラウスに何の利益も生まない提案であることは確かだ。彼女がもっているもので、彼が欲しがるものなどありはしないだろう。
そこに、悪魔の呼び声が聞こえる。
ベアトリーチェがこの件をクラウスに話そうと思った時、脳裏に閃いた策があった。
失敗すればバノーラ侯爵家を敵に回し、彼女は全てを失う。けれど、これが上手くハマれば、起死回生の一手。彼女の手持ちの中で唯一の、一手となる。
その為ならば、神にでも悪魔にでも魂を売ろう。ベアトリーチェの望みは、今や事業に登録してくれている全ての寡婦の望みに繋がるのだから。
「では……益があれば、聞いていただけるのでしょうか」
ベアトリーチェの雰囲気が変わったことに、クラウスはすぐに気づいた。が、彼は警戒するでもなく泰然と構えている。
「私を交渉のテーブルに招くか」
フン、とクラウスは今度こそ呆れたように鼻で嗤った。
利益の見込めない、荒唐無稽な願い。それをどう通すつもりなのか。見物だとは思わない、別の解決策を探す手伝いならば、出来るだろう。
ベアトリーチェ=フォン・ドアーズ。彼女には愚かな道を選んで欲しくなかった。
これはクラウスの悪い癖だ。冷徹になりきれない。
けれど、テーブルに並べられたのは意外な言葉だった。
「……あなたの美しい天使、エレオノーラ・ヴォルンテールを悲しませることになってもいいのかしら」
にこりと微笑んだベアトリーチェは、虚勢であってもなかなか堂々としていた。クラウスは静かに目を細める。
「意味は」
ほんの少しであったとしても、彼の意識をひくことは出来た。ここからが勝負だ。
「……あなたがエレオノーラ様のことを誰よりも愛しているのに、彼女と結婚しようとしない理由は分からないわ。でも、それをエレオノーラ様に言ったらどうなるかしら?」
クラウスは溜息をつく。
「……社交界にいる皆が、私があれを深く愛していることを知っていると思うが?」
「でもエレオノーラ様は知らない。あなたが彼女のことを女性として深く愛していることを」
「……そうかもしれないが、今更それをあれに話されることで、私が困るとでも?交渉のカードがそれだというのならば、とんだ見込み違いだ」
ベアトリーチェの意図が分からず、クラウスは首を傾ける。確かにクラウスはエレオノーラのことを愛している。事実だ。
故に、事実を彼女本人が知って、どうなるというのだ。
「……あなたは、エレオノーラ様とは結婚しない、けれど、エレオノーラ様以外の人を愛しもしないのだから、当然結婚するつもりもない」
「……」
クラウスの美しい顔はぴくりとも動かない。けれど、今はそれが逆にクラウスが何事かを思案している証拠だった。
「お優しい彼女は、それを聞けばあなたの為にあなたと結婚しようと考えるとは思いませんか?」
「…………それは、脅しか?」
「いいえ、まさか。これは”お願い”です」
「ほう」
ベアトリーチェの指先は小刻みに震えている。小さく整ったくっきりとした顔立ちは少し青ざめているが、萎えそうな心を奮い立たせて自信たっぷりに微笑んで見せた。
「あなたは、ここ数年の内に侯爵位を継ぐのでしょう。そうなれば、あなたがどれほど優秀でも結婚していなければ外聞が悪い。後継者は身内の誰か優秀な者を養子にでもすれば間に合うでしょうが、妻はそうはいきませんよね?」
ここが勝負どころだ。最弱の手だとしても、ベアトリーチェが持つのはこのカードだけ。
「ですが、侯爵の妻となる令嬢を騙して嫁がすのですか?そんなことを清廉潔白なシルバ子爵が出来るんですの?その花嫁は、決して愛されることも、子供を授かることもないのに」
「……想像で私を侮辱することは許さん」
「ではわたくしをつまみ出せばよろしいのですわ!なさらない、ということは当たらずとも遠からず、といったところなのでしょう」
図星だった。
クラウスは、自身をエレオノーラ以外の女を愛することは今後もないだろうと確信している。
けれど、現状侯爵位に最も適正があるのはクラウスだ。弟達も優秀ではあるが、クラウスの方に更に適正がある。領地と領民の為に、最もそれに長けた者が侯爵位を継ぐべきだ。
そして侯爵になれば、夫人の仕事をこなす女性は必ず必要になる。誰か適当な者を連れてくるわけにもいかないし、役目をこなせるような相応しい地位を持つ令嬢を、偽って妻に迎えることが難しいことは容易に想像がつく。
良家に嫁ぎ、後継を生むことを生涯の仕事として教えられて育った令嬢達は、夫がそれを望んでいないことを気づかずにいられる程愚かではない。
そして、クラウス個人の資質として、そんな風に愛されもしない不幸な結婚を、誰であっても騙してまで強いたくはなかったのだ。
「この提案は渡りに船だとお考え下さい、シルバ子爵。わたくしは防波堤としての夫が欲しい。あなたにはお飾りで罪悪感を抱かずに済む妻が必要。これは、利害の一致というものですわ」
朗々としたベアトリーチェの声に、クラウスは不快げに眉を寄せた。
「黙れ。私は、私の都合を誰かに押し付けるつもりはない。これは矜持の問題だ、口を慎めコークストー男爵令嬢」
鞭のような声がベアトリーチェの我欲を打つ。
彼女自身が許しそれを求めても、クラウスの矜持が許さなかった。
そこで、彼女は暗く笑う。ここが好機だ。
「子爵。これはあなたには拒否の出来ない”お願い”の筈です。あなたは、あなたの矜持の為にウェルシュ侯爵令嬢に不幸な結婚を齎すのですか?」
「痴れ者が……」
クラウスは顔を顰めた。
そう。
ベアトリーチェが先程言った通り、クラウスがエレオノーラの為に結婚を諦めようとしていると知れば、彼女はそれを犠牲とは思わずに喜んでクラウスに嫁ぐのだろう。クラウスを、愛してもいないくせに。
それが、一番嫌でクラウスは恋を告げずにいるというのに!!
「……シルバ子爵。返事をください」
「……私は、どうあってもお前のことを愛することは生涯あり得ない。傍にいる者に愛されない辛さは、恐らくお前の想像を超えている。お前の方こそ、引き返すのならば今だ」
クラウスは苦しそうに眉を顰めて言う。それは、ベアトリーチェへの最後の優しさだったのだろう。彼はこの場面になって尚、彼女のことを気遣っていた。
「望むところです」
ベアトリーチェは内心震えながら、強気に微笑んでみせた。
今後、恋も愛も誰からも得る機会を失うことになったとしても、男爵位と商会を守りたい。寡婦達に頼りにされているという自負がベアトリーチェに一生を左右させる選択をさせた。
「”約束”します。決してエレオノーラ様に真実を話すことはしない、と誓うので、わたくしと結婚してください」
ベアトリーチェの言葉に、クラウスは今度は頷くしか術はなかった。
「よかろう」
彼が唯一愛する、宝石を守る為に。




