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レディ・エレオノーラ〜箱入り侯爵令嬢のまったく優雅ではない恋愛譚〜  作者: 林檎
レディ・エレオノーラと琥珀の令嬢~恋とはどんなものかしら?~
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19.絶望

 


 ベアトリーチェが、拳を握ってユリアナを睨む。


 その苛烈な琥珀の瞳は、彼女の父によく似ていた。それはつまり、ユリアナが愛した男の瞳に似ているという意味だ。

 かつてユリアナは、この父親似の義娘のことも可愛く思っていた。けれど男はもういない、残った人員でなんとかこの生き辛い世界を生き抜いていかなければならない、その為にユリアナは必要なことをするだけだ。

 勿論、生きていくのが出来るだけ楽で、出来るだけ贅沢であると尚良い。だってせっかく貴族と結婚したのだから。

 その点、アンジェは愛らしく気立てもいいし愛想がある。彼女に男爵令嬢という素晴らしい名称がつけば社交界で活躍することは容易だろう。

 あの、血統も顔もいいウェルシュ侯爵令嬢と同じ年にデビュー、というのはかなり不利だが彼女とアンジェでは階級にかなりの開きがあるので、狙う男が被ることもないだろう、と算段していた。

 だというのに、この体だけは魅力的で頭は空っぽの、真面目で頑固な義娘の方がまさかバノーラ侯爵子息を射止めてくるなんて、思ってもみない幸運だった。

 しかも、少し揺さぶれば案の定彼の弱みを握って結婚に漕ぎつけたのだと発覚した。

 夫を亡くして以降、先細りだと思っていた自分の運命が今大きく転換していく音を聞きつけて、ユリアナはほくそ笑んだ。


 ちまちまと帳簿を誤魔化す、だなんて小細工は必要がなくなるのだ。そもそも帳簿を細工していたところで、男爵家の収入はたかが知れていて、得られた額はユリアナには満足のいくものではなかった。

 欲というものは坂を転げ落ちる雪玉のように肥大していくもので、男爵と結婚する前のユリアナからすれば今の彼女の望む額は途方もない大金だった。


「大丈夫よ、わたくしだってもう横領なんてしないわ。だってこれからは娘が侯爵夫人になるんですもの、その必要はないわよね?」


 殊更ゆっくりと言われて、ベアトリーチェが震えた。暗に、バノーラ侯爵家から援助を受けろと言われているのだ。正直なところ元平民のユリアナとアンジェが贅沢したところで侯爵家の財政としては傾きようもない微々たるものだろうけれどそんなことを許せる筈がないし、クラウスが領民の為にならない贅沢を見逃してくれるわけがない。

「……無理よ、そんなこと……」

「あら、では、わたくしの方から横領の事実を公表しましょうか?」

「え?何を……」

 ベアトリーチェは顔を顰める。何もかも、もう手遅れなのだ。

 これは、自分が助かりたいが為にクラウスを脅した報いなのだろうか?

「わたくしが、ベファタン商会の資金を横領していたことを公表すれば、商会の信頼は地に落ちる。そうすれば、ようやく日々の糧を得ていた筈の寡婦達が再び路頭に迷うことになるわねぇ?」

「あなただって無事ではいられないのよ、お義母様!」

 ベアトリーチェが吠えるが、ユリアナには響かない。

「ええ。でも、あなたの方が痛手よね?そうなれば当然、侯爵家だってこちらの瑕疵を理由に婚約破棄を申し出て来るだろうし、あら大変」

 にっこりとユリアナは微笑む。


「さぁ、選びなさい。今更己のちっぽけな矜持か、大勢の寡婦達の明日か」


 言葉は呪いだ。

 呪いは、心を縛り、やがて殺す。


「だってあなた、そもそも最初にクラウス様を脅して手に入れたのでしょう?わたくしとどれほどの違いがあるの?」


 言葉は、呪いだ。


「なんて悪辣な……!」

 ベアトリーチェが拳を震わせると、ユリアナは彼女の方を向いて急に形相を変えた。

「悪辣なのはどちら?最初にクラウス様を脅したのはあなたよね、ベアトリーチェ?わたくしのことを市井の女だと思って馬鹿にするのは勝手だけれど、今現在悪辣なことをしているのはあなたの方だと思うけれど」

「それは……!でも、わたくしがお義母様のことを馬鹿にしてなどいませんでした、今までは」

「どうかしら?寡婦への援助だなんて、いかにもお貴族様の考えそうな偽善だと思うけど」

「え……」

 思わぬことを言われて、ベアトリーチェの思考が止まる。

「わたくしを見て、寡婦への支援事業を思いついただなんて随分馬鹿にしている、と思っていたわ、昔から。貴族の気まぐれでいつなくなるか分からない商会なんかよりも、金を直接くれればいいのよ、平民は皆そう思っているわ」

「そ、それこそ一時的なもので……」

「分かってるわよ、誰だって。だから、苦労して教育だのなんだの受けるんじゃなく一時的でもいいから金が欲しいのよ。どうせ貴族の気まぐれなら、変な労働より直接的な金の方がずっとマシだわ」

「……ずっと、そんな風に思っていたの……?お義母様。……他の寡婦達も……?」

「そうよ。可哀相な寡婦達にお仕事をあげて、偉くなったつもりでいたの?お目出度い子ね」

 ユリアナはふっ、と笑った。

 ベアトリーチェの脚から力が抜けて、彼女はへなへなと床に座り込む。


 今まで、ベアトリーチェが悪いことだと自覚しつつもクラウスに結婚を強要していたのは、商会を守る為だった。

 ユリアナの用意した縁談に乗れば、これまでのように商会は経営させてはもらえない。せっかく自分を頼ってきてくれた寡婦達をまた路頭に迷わせることになってしまうかもしれない、と。そんなことはさせない、と。

 そう思って、クラウスの冷たい紅茶色の瞳に耐えて、恋心を奥底に隠して、今までやってきたのに。

 そんなことよりも、ただ金を寄越せ、と皆に思われていた?ずっと?


「今頃知って呆然としてるの?あなたって本当に世間知らずね……とにかく、お金の件はよろしくね。でなきゃ世間にあなたが夫を脅して結婚した女だってバラすわよ、そうなれば侯爵家の醜聞にもなるんだから、口止め料代わりに侯爵だってお金ぐらい出してくれるわよ」

 クラウスと結婚したからといってベアトリーチェがすぐに侯爵夫人なるわけでも、クラウスが侯爵になるわけでもないのに、ユリアナの中では既に彼らは侯爵夫妻として考えられているらしい。

「そうすれば、貧乏男爵位なんかに拘らなくても済むもの。わたくしとアンジェは安泰だわ。本当、あなたはその空っぽの頭でよく頑張ったわよ」


 その言葉を最後に、ユリアナは部屋を出て行った。




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