14.空白
がらがらと車輪が石畳みの上を音をたてて進む。
小ぶりだが豪奢な設えの、ウェルシュ侯爵家の家紋入りの馬車に乗ったエレオノーラは袖口のレースにそっと触れながら視線をそこに落としていた。
西国から取り寄せたレースは濃い青糸で精緻な模様を描いていて、光沢があって美しい。エレオノーラの瞳の色に似ているから、と最近塞ぎがちな彼女を心配した兄が手配してプレゼントしてくれたものだ。
「……似合うかしら、オルガ」
何度目かになる問いかけにも、同席していた忠実な侍女はわずかに微笑んで対応する。
「ええ、とてもよくお似合いですわ。私の自慢のお嬢様は、今日も誰よりもお美しいです」
「オルガったら、本当に私贔屓ね。……ありがとう」
ふふ、と笑って、エレオノーラはやわく微笑む。
一度はピークを過ぎたかにみえた求婚や誘いの招待状が、クラウスが正式に婚約を発表するとまた急増した。社交界デビューもしていないエレオノーラには見ただけで気疲れするような光景で、見かねた家族からはしばらく領地か外国にでも行って羽を伸ばしてきてはどうか、と提案されたほどだった。
ちらりとオルガの持つバスケットを見てから、エレオノーラは窓の外を眺めやる。婚約者のいる未婚の男性の屋敷を訪れることに遠慮していた彼女が、クラウスの屋敷に向かうのは久しぶりだった。
口実の一つもないと幼馴染に会えないことに気落ちしてしまい、エレオノーラは周囲の優しい人達を心配させてしまっていることにまた、更に気持ちが沈み込んでいくことを感じる。
そうしてクラウスの屋敷に着くと、出迎えてくれたのはマルクだった。
「いらっしゃいませ、エレオノーラお嬢様」
幼い頃からクラウスの世話をしていた彼は、エレオノーラのこともお嬢様、と呼んでくれる。今までは親しみを感じてとても嬉しかったが、主が婚約したのだからそう呼ばれることはお断りした方がいいのかもしれない。
「ありがとう、マルク。これお土産に焼いてきたの、皆で食べてね」
扉を開けてくれた執事にエレオノーラが微笑んでオルガを促せば、侍女がうやうやしくバスケットを差し出した。
「……アップルパイですか?」
中を確認したマルクが柔らかな笑顔を浮かべる。が、エレオノーラは首を横に振った。
「ブルーベリーパイよ」
「お嬢様……」
マルクが悲し気に眉を下げる。大人げない、とは思ったがどうしてもクラウスの好物のパイを持っていくのは何故だか悔しかったのだ。
道が空いていた為予定の時間よりも少し早く着いてしまい、クラウスはまだ来客中とのことだったので玄関脇の小部屋で待たせてもらうこととなった。マルクはいっそ主の執務室の方で待ちますか?と聞いてくれたし、今までならば度々あったことでエレオノーラ自身そうしていただろうけれど、今は彼は婚約者のある身。大切な執務室にただの幼馴染がいては外聞も悪いだろう、と小部屋の方に入らせてもらった。
待合室用に用意されているのだろう、その部屋はさほど広くはなく、テーブルにソファがいくつか置かれているだけの質素な部屋だ。が、そこには先客がいて、エレオノーラは紺碧の瞳を瞬いた。
先導したマルクの方もまさか別の客が既にいるとは思っていなかったらしく、ひどく驚いていた。
「……これは、大変失礼いたしました、レディ」
どうやら彼が別の仕事をしている間にメイドの誰かか案内してしまったらしい。恐らく次の客だと勘違いしたのだろう。
「構わないわ、わたくしは姉を迎えに来ただけですもの」
約束もなく訪れ横柄に応えたのは、ベアトリーチェの義妹。アンジェ・ドアーズだった。
彼女と面識のないエレオノーラは相手が誰なのか分からず挨拶をすべきなのか戸惑ったが、それに気付いたアンジェの方が動きが早い。
「あら、あなた誰なの?お義兄様に会いに来たのなら、今日はこの後わたくしのおうちにご招待するところなの、時間が取れるかしら……」
「……コークストー男爵令嬢、お控え下さい。主とお約束のお客様です、勿論お時間は設けられています」
マルクがエレオノーラを守るようにして前に出て、頭を下げる。オルガは今にもアンジェを摘まみだしたかったが、呆然としているエレオノーラの方が重要だ。
「……コークストー男爵令嬢?では、ベアトリーチェ様の……」
「義妹ですわ。そういうあなたは誰ですの?」
そう言われて、エレオノーラは困る。
貴族であるのならば、彼女が名乗るまでもなく相手が自分を知っていることの方が多かったので思い上がっていた、と恥ずかしい思いがした。
「こちらはウェルシュ侯爵令嬢、エレオノーラ・ヴォルンテール様です。エレオノーラ様、こちらはアンジェ・ドアーズ様。ベアトリーチェ様の妹君です」
マルクの紹介にほっとして、エレオノーラ挨拶の礼をとる。
「はじめまして、アンジェ様」
「よろしくね。それより執事さん、次のお客様も来たみたいだし、わたくしは応接室の方に行ってもいいわよね?」
良いわけがない。
姉のベアトリーチェを迎えに来たのだとしても、当然主であるクラウスの許可なくアンジェを応接室に通すことは出来ない。それに状況からいえば、約束もないアンジェの方にこの待合用の部屋からも出てもらうべきなのかもしれないが、淑女を廊下で待たせるわけにもいかない。まして相手は近々主の義妹になる少女だ。
クラウスの屋敷は侯爵家本邸ではないし、質素を好む主の性質の為必要最低限の部屋で構成されている。他の部屋に客を待たせることを想定してはいないのだ。
判断しかねて表情は普段通りを装いつつも盛大に困るマルクを見て、自分が早く来すぎた所為かとエレオノーラの方も困惑する。
「あの……私、当家の馬車で来ているので、そちらで待っておきましょうか?」
これが、他家に招かれて来た場合ならば、エレオノーラもこんなことは言わない。本来時間より少し早く来たところで、この待合部屋にいればいいのだし、彼女は屋敷の主と約束のある、れっきとした客だ。非は、約束のない珍客とそれを捌ききれない執事にある。
けれど、ここは他ならぬクラウスの屋敷で、エレオノーラにとってはマルクも馴染みのある存在だ。アンジェの思惑はよく分からないが、この屋敷の不利益になるようなことは避けたかった。
「エレオノーラ様にそんなことをしていただくわけにはまいりません」
そっと齎された言葉に、慌ててマルクは声を上げる。どんな状況であろうと、マルクの主がエレオノーラにそんなことをさせて許す筈がないのだ。
最近のクラウスの動きにマルクは疑問ばかり抱いてはいたが、これだけは確信している。クラウスが、エレオノーラを大切に思わなくなる時など、絶対にない。
「そうですわ。お嬢様。無礼なのはこちらのドアーズ嬢とこの屋敷の者です。もう帰りましょう」
そんな執事に続いて、オルガもはっきりと言った。
アンジェのエレオノーラに対する態度は許せるものではなかったし、マルクの対応にも不満が募った。彼女の主・エレオノーラは、侯爵令嬢。今この場で最も大切にされるべき存在なのだ。
「何をしている」
そこに、氷のような声が降って一同は硬直した。




