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レディ・エレオノーラ〜箱入り侯爵令嬢のまったく優雅ではない恋愛譚〜  作者: 林檎
レディ・エレオノーラと琥珀の令嬢~恋とはどんなものかしら?~
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12.道標

 


 食事会から数日経った、よく晴れた日の午後。

 仕事の関係で王城へと登城していたクラウスは、用事を終えて同僚のブルーノ・コラッツィアンと共に内廊下を歩いていた。文官の承認印を押された書類に入った紙束を片手に持ったブルーノが、中庭を見て声を上げる。

「エレオノーラ様だ!」

「……五月蠅い」

 彼はそのまま立ち止まるものだから、隣を歩いていたクラウスも立ち止まらざるをえなかった。

 ブルーノが全身から喜色を発して眺めやる方向に、クラウスも渋々視線を移す。するとそこには、噴水の傍のベンチに腰かけたエレオノーラと彼女に跪く騎士の姿があって、人知れずクラウスは息を止めた。


 淡い藤色のドレスに、細かな銀の宝飾だけで飾っているエレオノーラは、午後の麗らかな日差しを受けてまさに天使のごとく輝いている。クラウスにとって彼女は昔からそうだ、派手な装いをしているわけではないのに、そこだけが浮き上がって見えるのだ。

 騎士は何事か礼を言っていたらしく、深く頭を垂れて彼女の手が差し出されるのを待っているらしい。

 けれど、見知らぬ男性が苦手なエレオノーラは少し困ったように頬に手を当てている。ここで彼に手の甲を差し出してキスを受けなければ、その騎士が周囲に対して恥をかくかもしれないことを心配しているのだろう。

 彼女は親しくはない男性に対して手を差し出すことに少し怯えていて、どうすればいいのか悩んでいるのだ。

 深刻な事態ではない。これがただの令嬢ならばここまで注目されることもないので流してしまえるが、人目の多い午後の中庭、そして彼女はウェルシュ侯爵令嬢だ。

 騎士と姫君の美しい光景のようなその様に、周囲にいる人々の微笑まし気な視線が集まっている。


「エリィ」


「クラウス……」

 彼が耐えきれず呼びかけた声は大きくはなかった筈なのに真っ直ぐにエレオノーラの耳に届き、彼女は弾かれたようにクラウスの方を向いた。目がかち合うと、紺碧がとろみを帯びる。

 彼は観念して庭を横切り、エレオノーラに向かって歩き始めた。

「失礼、話の途中だったか」

「あ……ゴ、ゴラーカ卿。どうかお気になさらないでください、私は出来ることをしたまでです。む、迎えが来ましたのでこれで失礼させていただきます」

 さっ、と立ち上がったエレオノーラは朗らかに微笑んで言い、当然のようにクラウスに手を差し出す。彼がその手を取ってくれることを疑ってもいない様子で。

「はい……重ねてお礼を申し上げます、ウェルシュ侯爵令嬢。俺は、これで失礼します」

 少し寂しそうに笑った騎士…ゴラーカは、立ち上がるときびきびとした姿勢で会釈をして、外廊下の方へと去って行った。

 衆目の視線がその動きに合わせて離れていく間に、クラウスは自然な動作でエレオノーラの手を取り自分の腕に掛けさせると、まるで元々約束していたかのような様子で内廊下へと歩き出す。当然、今会ったのはただの偶然ではあるのだが。

 クラウスが目だけを動かして隣のエレオノーラを観察すると、彼女は小さな嘘が周囲にばれてしまわないかどうか心配してドキドキとしているらしく、少し笑顔が強張っていた。

 廊下で待っていたブルーノは何かを察したようで、自然と合流して黙って二人の後ろを歩く。さらにその後ろをエレオノーラの侍女が続いた。

 そうしてそのまま人の少ない廊下まで来ると、そっと彼女の手が離れる。

「……合わせてくれて、ありがとう。クラウス」

「構わん。このまま送るか?」

「大丈夫。我が家の馬車で来ているから……」

「平気か?」

 離れてしまった白い手が、うろうろと彷徨う。しばらく悩んでからエレオノーラは、自分の手で握った。

「……クラウスは、平気?」


 どうして分かるのだろう、クラウスは疑問に思う。ちっとも平気ではない。

 もうずっと、ちっとも、平気ではないのだ。


「……ああ」

「あなたはいつも私を助けてくれた。私がいつも平気だったのは、あなたがいてくれたおかげよ。もし……あなたが誰にも助けてもらえない、と思ったとしても、どうか忘れないで。私がいるわ」

 躊躇いもなく真っ直ぐに自分を見上げてくる紺碧の瞳に、クラウスは目を細めた。

 彼女がくれた言葉をとても大切に胸に抱いていこう。この先もう彼女とは歩めなくなるけれど、どうしようもなく困った時に、エレオノーラが味方なのだと思えるのならば、きっとまた頑張ることが出来る。

「……覚えておく」

「ええ。忘れないで」

 エレオノーラは、まるでなんでも分かっているかのように柔らかく微笑んだ。


 淡い陽光が彼女を象っていて、エレオノーラが光り輝いて見える。

 滅多にはないことだが、クラウスが一人で暗闇に向かって進むのが恐ろしい時に足元を小さく、けれど確かに照らしてくれるのはいつも彼女だった。




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