8.夜会と茶会
次の週の夜会は、騒然となった。
体は蠱惑的だが、明らかに流行遅れでサイズの合わないドレスを着ていたコークストー男爵令嬢は、今まで男の下品な欲の対象として見られることはあっても令嬢達や高位の貴族達の注目を集めることはなかった。
それが、その夜は完璧な装いと完璧なパートナーを伴っての出席だった為、入口から入ってきた時から人目を惹きつけてやまない。
深いグリーンのドレスは、ベアトリーチェの体に添うように流れ、豊かな胸や括れた腰を強調し、腰から下はドレープを描いて広がっている。光沢のある真珠色の布が首元や袖口を彩り、彼女の健康的な肌の色をより鮮やかにみせていた。宝飾は、瞳の色によく似たカボションカットのトパーズと細かなダイヤモンド。豪奢で鮮やか、堂々とした振る舞いは鮮烈な印象を残した。
「……すごい、皆の態度が全然違う」
今夜だけでベアトリーチェの名刺を欲しがる者が多くいて、彼女は帰ったらさっそく新しいものを刷らなければと頭の中にメモする。
だから言っただろう、と言わんばかりに隣に立ってしれっとシャンパンを飲んでいる男を見遣った。装いや態度も勿論だが、一番は彼のおかげだ。
当代バノーラ侯爵の自慢の、美しく優秀な息子達。その中でも最も傑物だと言われているのがこのクラウス・バッファなのだ。王城に仕える侯爵に代わり、在学中から彼が領主代行を務めここ数年で領地改革もかなり進み、豊かになっているとの専らの噂だ。王都の外に詳しくないベアトリーチェの耳にすら入ってくるほどなので、余程のことなのだろう。
侯爵譲りの当主としての器に、年齢を重ねて尚美しさに翳りを見せない、否ますます年齢に見合った美しさをベールのように纏っていく侯爵夫人譲りの美貌。
端で見ているよりも”社交界の今期一番人気の貴公子”の威力は凄まじい。
「……あの、ドレス……ありがとうございました」
「構わん。妻になる女にみすぼらしい恰好されては迷惑だ」
「あなた、本当に口が悪いわね……!」
「お前も化けの皮が剥がれてきているぞ」
つまらなさそう言って、クラウスは飲み干したグラスを給仕に返す。
「さて婚約者殿。もう一曲踊って顔を売っておくぞ」
「了解です。後日男爵家に求婚に来てくださいね、高額の花束を持って」
「承った」
僅かに微笑むクラウスだが、瞳はひどく冷えている。二人は目配せをしてから手を取り合うと、ダンスホールへと向かった。
王都のヴォルンテール邸には、まだ社交界デビュー前の宰相の愛娘・エレオノーラが住んでいる。
デビューしていない為男性からの直接の求婚は受け付けていないが、家を通しての遠回しな茶会やその他の催しの誘いは多く届く。勿論、保護者同伴の会ばかりだ。普段から多く届くものではあったが、それがここ数日は如実に数を増やしていた。
朝食室で母親のレティーツィアと共に食後のお茶とお喋りを楽しんでいたエレオノーラは、執事の持ってきたそのお誘いの多さに瞳を瞬いた。大きな窓から入る光が部屋を明るく照らしている。
「……なんだか多くないかしら」
エレオノーラが頬に手を当てて首を傾げると、レティーツィアも同じ様に首を傾けた。
「エリィったら人気者ねぇ」
「えええ、いえ、私何もしてませんけど……何かしちゃいましたか……?」
「何かしていたら、普通お誘いは減るものよ。そうねぇ、旦那様の方でも何も起こっていない筈だし……」
ううん、とレティーツィアは小さく唸って、執事に差し出されたトレイから一通の招待状を取る。さっ、とペーパーナイフが渡されて、彼女は流れるように封を開けた。娘宛てのものであることは完全に無視している。
「カーライル伯爵夫人のお茶会に参加してみたらどうかしら。人気急上昇の謎が掴めるかも」
おっとりと微笑む母親は、三人の子供がいるとは思えない少女のような笑顔を浮かべていた。きっと原因には目星が付いているに違いないのに教えてはくれない彼女に、エレオノーラはぎゅっと眉を寄せた。
「行きたくないです」
「参加のお返事を送っておいて頂戴」
娘の意見を無視して、侯爵夫人はにっこりと微笑んで執事に申し付ける。執事はいつものことなので、お嬢様に同情するような視線を送りつつ夫人の言いなりだ。
「行きたくないです!母様!」
「まぁ……!頑張りましょうね!」
「え、おかしいな、言葉が通じない……?」
可愛らしく拳を握って娘を激励するレティーツィアに、エレオノーラは己の無力さと敗北を思い知った。
数日後、レティーツィアと共に訪れたカーライル伯爵邸での茶会にはいつもより大勢の令嬢やご婦人が参加していた。
大きなテーブルに着くと、待ってましたとばかりに小鳥の囀りのように会話が飛び交う。
話題は勿論、絶賛シーズン中の社交界。夜毎更新される貴族達のゴシップ。あちらの夜会でどこそこの令息が云々、こちらの夜会で何々令嬢が云々等々。
電気信号のように引っ切り無しに飛び交う会話に、エレオノーラは目が回りそうだ。
お茶が美味しい…などと有閑な老人のようなことを考えていた彼女に、ついに矛先が向かう。
「……わたくし、エレオノーラ様にお聞きしたいことがありますの」
「あら、ひょっとしてあの件かしら」
「あの件というと、コークストー男爵令嬢の」
今まで飛び交っていた話題はただの前哨戦、本題へ入る為のちょっとした準備運動だったらしい。
エレオノーラに注目が一気に集まり、彼女達のお喋りはぴたりと止まる。
「えっと……?」
「シルバ子爵が、コークストー男爵令嬢ベアトリーチェ様と婚約なさったというのは本当ですの?」
よほど彼女達はこの件に関して焦れていたのだろう、普段ならばもっと持って回った言い方をする筈なのに、ズバリと聞かれてエレオノーラはひゅっ、と息を吸う。
生乾きの傷に触れられたかのように、触れた熱さに飛び退く子供のように。その件は、彼女自身まだ整理のつけられていないのだ。
だが、事実はここにある。
「……ええ。シルバ子爵からそうお聞きしていますわ」
ほろ苦くエレオノーラが微笑んでそう言うと、テーブルからは声にならない悲鳴が上がった。
「信じられない……!エレオノーラ様のことをあんなに大切になさっているシルバ子爵が……!」
「やはり妹のような存在だったということなのかしら」
「でも去年の建国祭の時はゴダール伯爵を思いっきり牽制なさったとか」
「とはいえエレオノーラ様ならば、と思ってわたくし達が遠慮しておりましたのに……!」
「ええ、エレオノーラ様とクラウス様ならば完璧なカップル!と思っていたのに……!!」
「ところでコークストー男爵令嬢ってどんな方だったかしら」
「どなたかご存知?」
「わたくし知ってますわ、ほら、あの……」
「とても、こう……豊かな……」
「ベアトリーチェ様は、ベファタン商会の会頭をなさっている、とてもお美しく賢い女性ですわ。私、同じ貴族女性として憧れています」
エレオノーラはハッキリと言い、にこりと微笑む。
今このテーブルには同じ派閥に所属する令嬢達しかいないので、皆エレオノーラに優しく、婚約破棄まがいのことがあったとしても、実際に破棄されたわけではないので彼女の悪口を言うような人はいないが、ベアトリーチェに関しては別だ。むしろ、エレオノーラからクラウスを奪った悪人のように扱われそうな雰囲気に、エレオノーラはいち早く釘を刺した。
彼女がベアトリーチェのことを尊敬しているのは事実だし、婚約者が悪く言われることはクラウスを悲しませることにもなるだろう。せめてエレオノーラの言葉が届く範囲でだけはきちんとフォローしておきたかった。
ついでにベファタン商会の事業に関しても説明してみたが、令嬢達は女性が、しかも寡婦が家事労働で賃金を得るという仕組み自身に戸惑いを隠せない様子で、プレゼンは上手くいかなかった。
出資者が周囲の貴族に事業を紹介をしてコネを形成していくのは事業拡大の一つの手段ではあるが、エレオノーラにはまだ荷が重い。そしてこんな雰囲気の中ベアトリーチェは仕事をしているのかと思うと、エレオノーラは改めて彼女に対して尊敬の気持ちを深めることになった。




