2.姉妹と大公
白亜の屋敷に燭台のオレンジ色が濃い影を造る。
主催者のノストン公爵夫妻に挨拶をしたクラウスとエレオノーラは、不躾にならない程度に周囲を見回した。
「……いない、ね?」
「そうだな」
クラウスが頷くと、エレオノーラはしょんぼりとして彼の肩にこてんと頭を置く。
「こら」
「だって……」
うじうじとしょげる姿は、可愛らしい。周囲からは若い恋人たちの戯れに見えるのだろう、クラウスも咎めるようなことを言いつつも好きにさせてくれる。
「何か食べるか?」
「……大丈夫」
いつもならば、ダンスの好きなエレオノーラは何曲か踊りたがるのだが、今夜は別の目的があり、そのお目当てが見つからない所為で随分としょげてしまう。
と、
「相変わらず仲がいいわね、お二人さん」
艶やかな声がかかり、エレオノーラは弾かれたように振り返る。勢いよく振り返った所為でふらつく彼女の腰を抱き寄せて支え、クラウスも体の向きをそちらに向けた。
「フィオ姉様!……っ、と」
振り向いた先には外国に嫁いだ、エレオノーラの姉・フィオレンティーナがいて、思わず歓声をあげたエレオノーラは慌てて口を噤む。
姉とはいえ、今は他国の王族だ。一介の侯爵令嬢であるエレオノーラの方から声を掛けるのは憚られる。
「久しぶりね、エレオノーラ。シルバ子爵も」
鷹揚にフィオレンティーナが語り掛けると、エレオノーラとクラウスは貴人に向ける挨拶をとった。
「お久しぶりです!」
「ご無沙汰しております、ノーウッド大公妃殿下」
フィオレンティーナは、北の王国・カロッツァの王弟・ノーウッド大公の妻。
エレオノーラと同じプラチナブロンドに、透き通るような深い水色の瞳。女性らしいまろやかな曲線を描く体を、とろみのある濃紺の生地で出来たドレスに身を包んだ、美の女神のような姿だ。
その豊かな胸元には大粒のエメラルドを中心に小粒のダイヤモンドがぐるりと囲む、素晴らしい首飾りが燦然と輝いているが、その首飾りにも負けない美しさを誇る、溌剌とした笑顔の眩しいエレオノーラの自慢の姉だ。
大公は外交大使を務めていて外国への訪問が多く、社交的かつ活動的なフィオレンティーナも同行することがあるらしい。今回もその流れで、母国への凱旋と相成った。
とはいえ他国からの賓客としての訪問、少しはプライベートな時間も取れるだろうがそれがいつになるかは分からない。そんな中、大公夫妻が今夜の会に出席すると聞いて、大好きな姉に早く会いたくてエレオノーラはクラウスにお願いしてこの夜会に同行してもらったのだ。
「ああ、会いたかったわ!可愛いエリィ!ちょっと大人っぽくなったんじゃない?相変わらず美しいわ」
形式的な挨拶が済むと、フィオレンティーナはたまらずエレオノーラを抱きしめる。久しぶりの姉との抱擁に、エレオノーラも喜んで腕を回した。
「姉様!私もお会いしたかった……!我慢出来ずにクラウスにお願いして連れてきてもらったの!」
「そう……嬉しいわ。……クラウスも、いつも悪いわね。うちの可愛い末っ子が我儘ばかり言って」
後半はクラウスに向けてフィオレンティーナが言うと、彼は大袈裟に肩を竦めてみせる。
「慣れています」
「まぁ、レディの願いを叶えるのも紳士の務めよね。これからも励みなさい」
「……」
この姉妹は相変わらずである。
フィオレンティーナは結婚前は社交界の華と謳われ、その社交性をいかんなく発揮して国の内外の男性を魅了し、年頃の女性の憧れのお姉様、だった。
政治や文化に造詣が深く鋭い見地を持ち、それこそ外国の大使との会話もそつなくこなすどころか、かなり盛り上げることが出来た。その為男性に生まれたならば、ウェルシュ侯爵家の跡継ぎ問題は揉めたかもしれない、なんて冗談話にもなった程だ。
「義兄様はご一緒ではないの?」
「あちらでブルーノ伯爵と貿易の話で盛り上がっているわ。旦那様は交易がお好きだから」
壁際に設けられたソファ席に並んで座り、姉妹はべったりとくっつく。向かいの1人掛けのソファに座ったクラウスは呆れた顔をしたが、姉妹が仲が良いことはこの国の貴族ならば誰でも知ってることだったので、そう目くじらをたてることでもないか、と判断した。
何よりエレオノーラが頬をピンク色に染めて、美しい姉とのつかの間の逢瀬を目一杯喜んでいることが分かるので、邪魔をするのは野暮というものだろう。
その様子を察したフィオレンティーナはうんうんと頷く。
「いい。いいわ、クラウス。男はそうでなくては」
「…………恐縮です」
「姉様?」
「あーもぅ、エリィったらどうしてこんなに可愛いの?食べちゃいたい!」
不思議そうにこちらを窺ってくる妹の唇に、そっと人差し指を乗せて姉は艶やかに微笑んだ。
「姉様ったら、私、もう16歳よ?赤ん坊じゃないんだから」
くすくすとエレオノーラが笑う。フィオレンティーナも愛しげに妹を見つめた。
そうしてしばらく歓談していると、ノーウッド大公がこちらに歩いてくるのが見えて三人は立ち上がる。
「久しぶり、シルバ子爵、エレオノーラ嬢」
「お久しぶりです、大公閣下」
「お会い出来て光栄です」
先程と同じようにクラウスとエレオノーラが礼をすると、ノーウッド大公・ラザールは目を細めて微笑む。背が高く、がっしりとした体躯の彼は、王子というよりも騎士のようだ。薄い亜麻色の髪と柔らかな顔立ちは人を安心させるような雰囲気があるが、キラキラと輝くエメラルド色の瞳は少年のような印象を与える。
姉の隣を彼に譲ると、エレオノーラはクラウスの隣の席に移動した。
「おや、エリィ。僕のことは義兄様と呼んで欲しいと言った筈だが?」
「……意地悪を仰らないで、義兄様」
エレオノーラが恥じ入りつつ彼を睨むと、フィオレンティーナがころころと笑った。
「ラズったら、わたくしばかりエリィからお手紙をもらうから拗ねているのよ。たまにはこの人にも書いてさしあげて頂戴」
「そうだよ、エリィ。僕だって可愛い義妹から手紙が欲しい。フィオばかりずるいぞ」
二人に言われて、エレオノーラはちょっと困ってクラウスの服の袖を引っ張った。するりと励ますように温かな掌が繋がれて、彼女はほっと吐息をつく。
「……なるほど。これは妬けるね」
「でしょう?エリィったら昔からわたくしでもお兄様でもなく、いつもクラウスクラウス、なんですもの」
大公夫妻がこそこそと話し合う中、エレオノーラは繋いだ掌に勇気をもらいつつ言葉を紡ぐ。
「……あの、では、今度義兄様にもお手紙をお送りしますね」
「うん、楽しみにしているよ」
ラザールはにっこりと笑って心から返事をした。