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レディ・エレオノーラ〜箱入り侯爵令嬢のまったく優雅ではない恋愛譚〜  作者: 林檎
レディ・エレオノーラと琥珀の令嬢~恋とはどんなものかしら?~
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7.婚約

 


 荘厳な石造りの屋敷。

 美しく整えられた花々が咲き乱れ、玄関まで客人を導くように続いていた。

 ウェルシュ侯爵の王都での屋敷、ヴォルンテール邸。


「クラウス!いらっしゃい」

 応接室でソファに腰かけて待っていたクラウスは、開いたまま扉から姿を現したエレオノーラを見て、眩しそうに目を細めた。

 今日の彼女は銀の長い髪を複雑に編んでアップに結い、白い項を露にしている。藤色の柔らかな生地で出来たドレスには光沢のある銀の糸で編まれたレースがたっぷりと襟や裾、袖などの縁取りにふんだんに使われていた。

「ああ、急に来て悪いな」

「ううん。いつも私ばかりお邪魔しているし、来てくれて嬉しいわ」

 彼女は本当に嬉しそうににこにこと微笑み、クラウスの向かいに座った。ふわりとドレスの裾が彼女の動きに合わせて、一拍遅れて揺れる。

「でも急なのは、とても珍しいわね。何かあったの?」

「……私はお前に嘘をつかないし、お前を試したりもしない」

 あら、とエレオノーラはふわりと微笑む。

 彼はいつもエレオノーラのことをきちんと考えてくれていて、簡単な嘘はつくことはあるが、それは冗談のようなものですぐにネタ晴らしをしてくれる。彼女が成長する為に試した時はあるが、これも同じく彼女の為になる時だけであり、これも彼がすぐ傍で見守ってくれている時だけ。

 事程左様に過保護なのだ。故に彼女の方でも、真実彼を疑うことなどありえない。

 唐突な話題だったが、エレオノーラは素直に返事をする。真っ直ぐの紺碧の瞳は、今日も一片の翳りもない。

「そうね。いつだって信じているわ、クラウス」


 クラウスの宝石。

 彼女のことが、真実いとおしい。自分の思いよりも、彼女の方が大切なのだ。


「……私は、コークストー男爵令嬢と婚約することにした。今までのようにお前と気軽に会うことは出来なくなるだろう、今日はそのことを伝えに来た」


 だから、このことでどうか彼女の瞳が翳ることのないことを祈る。

 自惚れでなければエレオノーラは寂しくは思うだろうが、きっとそれだけだ。


「……クラウス」

 思わず立ち上がった彼女は、手を彷徨わせる。エレオノーラがこれほど寄る辺ない気持ちになった時は、いつもクラウスが力強く抱きしめてくれた。

 恐ろしい程の心細さに苛まれ、助けを求めるように彼女は思わず手を伸ばしたが、たった今彼は婚約すると言ったことを思い出して慌てて手を引っ込める。

「…………おめでとう、 と……いう、べきよね」

 声が震える。

「……ああ」

 クラウスの声は落ち着いていて、いつも通り甘く低い。エレオノーラは足元が崩れていくような気持ちになって、力なくへなりとソファに座った。まだ手が彷徨っている。

「……オルガ、オルガ、お願い」

「はい、お嬢様」

「手を、握って」

 素早く主に近づいた侍女は、たおやかなその手をそっと握った。僅かに震え、ひどく冷たい。

 エレオノーラの心を恐ろしいまでに荒らしているこの感情が何なのか、クラウスでさえ正確に掴むことは出来ない。誰よりも彼女の心を想っているのに、私情が邪魔して上手く捉えられないのだ。

 浅く呼吸を繰り返したエレオノーラは、姿勢を正して無理に微笑んでみせた。

「……そうよね、おめでとう、クラウス……とても、喜ばしいことよね、でもごめんなさい……私、寂しくてたまらないの」

 そぅ、と瞼が閉じられる。宝石が、姿を隠す。

「いずれ落ち着いたら、きちんとお祝いにあがるわ。……今日は帰っていただける?……とても平気ではいられないの」

「分かった」

 ひどく打ちのめされた様子の彼女を見るのはさすがにクラウスの方も辛く、ほとんど体幹を揺らすことになくすっ、と立ち上がった。

 そっと目を開けたエレオノーラの瞳が、その様子を見上げる。窓からの光をきらきらと受けて、彼の体の輪郭が淡く発光して見えた。

「……嘘、じゃないのよね……」

「私はお前に嘘をつかない、と言った筈だが」

「…………そうよね」

 声はもう震えていなかったが、エレオノーラの瞳は悲しみに揺らいでいた。


 玄関までクラウスを見送りに、主に代わって出たのは侍女のオルガだった。

「恐れながら発言をお許しください、シルバ子爵」

「……許す」

 どんな恨み言も聞くつもりでクラウスが許可すると、オルガはギラリとした鋭い瞳を向ける。光の指さない黒い瞳が、恐ろしい程の怨嗟を抱いていた。

「お嬢様のお心をこれほど傷つけるならば、最初から近づかないでいただきたかった」

「……事情が変わったんだ」

「だとしても、あなたならばもっと上手く出来たでしょう?」

 オルガの言葉は迷いがない。彼女は、一切の妥協や揺らぎを無視して、ただただエレオノーラの幸せのみを望んでいるのだ。ただ一心に。己が彼女の為に潰えることになったとしても悔いはないのだろう。

 その強さを、クラウスは羨ましく思う。

「……言い訳はしない」

「では二度と私の愛しいお嬢様に近づかないでください。あの方の心にこれ以上入ってこないでください」

「お前に何が分かる」

 クラウスは秀麗な顔を顰めたが、オルガの舌鋒は引かない。あれほど動揺したエレオノーラの姿を見て、どうしてこのままこの男を帰すことが出来ようか。

「ええ、分かりませんとも。己可愛さにあの方に背を向ける矮小な男のことなど」

「口を慎め」

「いいえ。勝手に大切にして、勝手に手放す男にかける情けなどありません。お嬢様は何も悪くないのに」

「……私に地獄の炎に焼かれたままでいろと?」

 エレオノーラに叶わぬ想いを抱いたまま、彼女の傍にい続けろというのだろうか。


「お嬢様の心を傷つけたのです、それぐらい安いものでしょう」

「……さして長い付き合いでもなかろうに、随分とあれに入れ込んでいるな」

 クラウスが言うと、オルガはやけに粗野な笑顔を浮かべた。エレオノーラには決して見せない顔だ。

「主に心酔するのに、時間など関係ありません。あなたは随分時間を掛けたのに、これほどあっさりと捨ててしまえる程度の気持ちなのですね」

 オルガが嘲るように言うと、クラウスの冷たい瞳が彼女を見遣った。

「私は今あまり冷静ではない、口を慎め」

 簡単に捨てられる程度の感情で、クラウスがこれほど引きずられるわけがないのだ。今だって、応接室に駆けて戻って、彼女の足元に跪いて愛を乞いたいぐらいなのに。

「……頭がいいのも考えものですね。欲しいなら欲しいと言えばいいものを。己の力でお嬢様の心を向けさせようとは思わないのですか」

 オルガが心底不思議そうに言う。

 躊躇いも迷いもない彼女には、クラウスが何故エレオノーラに愛を伝えないのか本当に理解出来ないのだ。


「激励のように聞こえるが」

「都合のいい勘違いをしないで下さい。あくまで現時点でお嬢様を最も不幸にしない可能性が高いのがあなただった、というだけです」

 彼女は、彼女の基準でそれなりにクラウスのことを認めているのだ。やはり叱咤激励なのでは、と思いつつクラウスは頷く。

「……そうだな、だがそれはエリィを最も幸せに出来る可能性、ではない」

「そんなことを言って……ぽっと出の男に掻っ攫われても知りませんよ」

 オルガの言葉に、クラウスは少しだけ笑って背を向ける。

「その時は決闘でも申し込もう」

 そのまま去って行く背中に、オルガは顔を顰めた。

「珍しく、出来もしないことを仰る」


 侯爵令息という立場で、家族でも婚約者でもない女の為に決闘など出来るわけもないのに。





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