2.琥珀の令嬢
「なぁ、この後娼館に行かねぇ?」
唐突に、そして気軽にブルーノに誘われて、クラウスは首を横に振る。欲を吐き出すこと自体を忌避しているわけではないが、今は発散する程溜まってはいない。
ブルーノを始め、学生時代の同年代の男共の様子から思うに、自分は淡泊な方なのだろう、とクラウスは結論づけている。生理現象に影響されないことは、仕事に支障をきたさないという点で彼の望むところだ。
「今夜はそろそろ帰る」
「えー付き合い悪いね」
「よかった時があるか?」
言いながらも、実際のところクラウスは意外にも付き合いはいい方だ。
興が乗れば男同士の下らない遊びや娼館通いにも付き合うし、食事処やクラブでの歓談もきさくに応じる。三人兄弟の長兄である所為か、過分にならない程度に面倒見もいい。
「この前のレベッカちゃん。またお前を連れてきて欲しいってオネダリされてるんだよ~なぁ、行こうぜ~」
しつこく誘ってくるブルーノの肩を叩いて剥がし、クラウスは喫煙室を出た。
件のレベッカの瞳は深い蒼だったので、一時魔が差したのだ。けれど、違うもので補おうとするのは本人にもレベッカにも失礼だったと反省している。
明日の朝は、王立公園へエレオノーラと散歩に行く約束をしていた。
今ですら十分に注目を集めてしまっている彼女には、デビューする前に一通り男のあしらい方を教えておいてやりたいものだが、そう上手くいくかどうか。
元気で姦しいのに、何故かちっとも煩くはない幼馴染の様子を思い出してクラウスは僅かに目元を緩める。
そのまま今夜の主催に挨拶だけしておくか、とダンスホールの方に向かうと、ちょうどそちらから出て来た女性が慌てた様子で彼の傍を横切り、その際に足元を滑らせて肩がぶつかった。
「……失礼」
言って、腰を支えて彼女をきちんと立たせると、顔を上げた女性はクラウスを見て目を見開いた。
彼にアプローチしたい令嬢が時折わざと似たようなことをしてくるので、そういった手合いだろうか、と様子を見ていたがどうやら違うらしい。
「シ、シルバ子爵。どうか無礼を承知でお願いします、わたくしと踊ってください」
お願い、の体をとってはいるが彼女は既にクラウスの手を取り、ダンスホールの方へ戻ろうとしている。切羽詰まった様子に目を細め、彼は僅かに首を傾げてみせた。
「後で訳を説明してくれるのならば」
「お約束します」
ハッキリと言われたので、クラウスは首肯し彼女の腰に改めて腕を回してエスコートする。ダンスホールに出ると、丁度新しい曲が始まるところだったのでそのまま輪に加わった。
優雅に踊り始めて、クラウスはちらりと先程までいた廊下に繋がる扉の辺りを観察する。そこには、年嵩の男がいてこちらを忌々し気に睨んでいた。
さすがに全ての貴族の顔を知っているわけではないので、面識のないその男が誰なのかまでは分からなかったが少なくとも国内にいるクラウスよりも立場が上の者ではなかった。
それを確認して、ステップに合わせて自然に視線を逸らす。次はこちらの女性だ。
茶に近い金の髪に、深みのある黒に近い琥珀色の瞳。肌は僅かに陽に焼けて健康的な色で、肉感的な肢体が窮屈そうにドレスを纏っている。
なるほど、これほど魅力的な女性だ。先程の男にしつこく言い寄られでもしたのだろう、災難なことだ。
「……あの、お願いを聞いていただき、ありがとうございます」
くるりと回ったのを切欠に、女性の方から口を開く。
「人を助けるのは当たり前のことだ」
短く応えると、彼女は少し微笑んだ。その笑顔には、先程の切羽詰まった様子とは違い勝気な内面が垣間見える。そして、体つきや少し流行りから外れたドレスを着ている所為で勘違いしていたが、よく見ると思っていたよりも年若いことも分かった。
彼女がステップに合わせて体を反らすと、露になるその魅惑的なラインに他から好奇の視線が集まり、クラウスは不快な気持ちになって僅かに眉を寄せた。
「貴女に付き添いはいないのか?パートナーがこれほど無礼な目に遭っているというのに」
「義母方の叔父が同行してくれましたが、あの時には役にたちませんでしたわ。わたくしにあの好色な男を押し付けたのは、叔父ですもの」
その言葉に、今度こそクラウスははっきりと顔を顰めた。
「ですから、あの男よりも地位が高く、わたくしに興味のない方にたまたま行き会えて、本当に助かりました……」
クラウスが件の男をチェックしていたことに目敏く気付いていたらしい彼女は、そう言って心から安堵の吐息をつく。
「……何故私は貴女に興味がない、と?」
「だってシルバ子爵は、ウェルシュ侯爵令嬢と婚約なさっているようなものでしょう?」
クラウスはうんざりと呻いた。
「…………それはかなり広まっている話なのか?あれに求婚する者がおらぬと私があれの家族に恨まれるのだが」
確かにクラウスとエレオノーラは親しいが、その所為で彼女の社交界デビューにケチがついてしまうと、彼女を溺愛する家族にどんな報復をされるか分かったものではない。
そう思うのならば、エレオノーラと距離を取ればいいのだが、幾度となく試みては未だ成功しないままここまで来てしまった。彼女を手に入れるつもりがないのならば、この辺りで自身の愛惜を捨て去るべきなのかもしれない。
「……シルバ子爵は、エレオノーラ様と結婚なさるつもりがないのですか……?」
何故か呆然と呟かれて、クラウスは顔を顰めたまま黙る。まだ彼自身でも答えの出ていないことを、名も知らぬ女に言う義理はない。
「あの、もし、そうなのでしたら……いえ、訳を聞いてからで結構ですので、もし可能でしたら、あの、」
慌てて早口で喋りだした女性に、クラウスは表情を消す。今までの令嬢達のような媚びは感じ取れないが、それでもこの後に続く台詞は分かった。
「わたくしと結婚してください!」
「断る」
「う!?」
にべもなく断るとガンッ!と目に見えてショックを受けた様子の女性に、クラウスは冷たい視線を遣る。
「ウェルシュ侯爵令嬢と結婚しようとしまいと、私は伴侶には、領民の為になる者を選ばねばならない義務がある。名乗りもせずに軽率に求婚してくる女など、論外だ」
クラウスがきっぱりと言うと同時に、曲が終わる。
さっとホールドを解いた彼は恭しく挨拶の為に頭を下げると、そのまま何も言わずにダンスホールを出て行った。
次の曲が始まり華やかにダンスが再開される中、彼女は拳を握って屈辱に耐えていた。
「何よ、あの男……!こっちの事情も知らないで偉そうに……!」
ぎゅっと握られた拳は少女らしい華奢さがあり、僅かに震えていた。




